*魂の次元* (by としべえ)

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「高学歴BL女性」が読む、東大生強制わいせつ事件を描いた姫野カオルコの小説「彼女は頭が悪いから」

※東大で行われた「姫野カオルコ『彼女は頭が悪いから』ブックトーク」について追記しました。

東大生ないし東大OGの「高学歴BL女性」と思われるみくさ (id:tomananaco)さんが書いた
東大生強制わいせつ事件傍聴人が「彼女は頭が悪いから」を読んだから - 人生万事こじらせるべからず
という記事がとても面白かったので、その紹介をかねて、小説と現実の違い、知的エリートの心的貧困などについて書いてみようと思います。

東大生強制わいせつ事件とは?

2016年5月、5人の東大生が強制わいせつの疑いで逮捕されました。

5人は「誕生日研究会」という女性目当てのサークルの仲間で、そのうちの一人の部屋に被害者の女性を誘い、無理やり酒を飲ませて、わいせつ行為を行なったのです。

主犯格のエム1容疑者は、女性を全裸にした上で馬乗りになり、その状態でカップ麺を食べ、その具や汁を女性にかけて遊んだり、股間にドライヤーの熱風を当てるなどの暴行を加えたとされます。

被害者の女性は、共犯格のエム2容疑者と恋人関係だったことがあり、被害にあったときも、エム2容疑者とセックスフレンドの関係にあったようです。

何の罪もない女性をこうしてモノのように扱い、辱めることは、決して許されることではありませんが、こうした事件の背景にはどのような人間心理が隠されているのでしょうか。

姫野カオルコさんの「彼女は頭が悪いから」という小説

姫野カオルコ「彼女は頭が悪いから」(2018 文藝春秋)
という小説は、この東大生強制わいせつ事件を題材にしたフィクションです。

報道ではエム1容疑者の「鬼畜性」が全面に出され、「異常な東大生」がクローズアップされたのに対し、この小説では、

  • 被害女性がエム2容疑者とセフレの関係にあったこと

に焦点を当てることで、被害女性の心理に迫ります。

アマゾンの内容紹介では、

私は東大生の将来をダメにした勘違い女なの?
深夜のマンションで起こった東大生5人による強制わいせつ事件。非難されたのはなぜか被害者の女子大生だった。
現実に起こった事件に着想を得た衝撃の書き下ろし「非さわやか100%青春小説」!
横浜市郊外のごくふつうの家庭で育った神立美咲は女子大に進学する。渋谷区広尾の申し分のない環境で育った竹内つばさは、東京大学理科1類に進学した。横浜のオクフェスの夜、ふたりが出会い、ひと目で恋に落ちたはずだった。しかし、人々の妬み、劣等感、格差意識が交錯し、東大生5人によるおぞましい事件につながってゆく。
被害者の美咲がなぜ、「前途ある東大生より、バカ大学のおまえが逮捕されたほうが日本に有益」「この女、被害者がじゃなくて、自称被害者です。尻軽の勘違い女です」とまで、ネットで叩かれなければならなかったのか。
「わいせつ事件」の背景に隠された、学歴格差、スクールカースト、男女のコンプレックス、理系VS文系……。内なる日本人の差別意識をえぐり、とことん切なくて胸が苦しくなる「事実を越えた真実」。すべての東大関係者と、東大生や東大OBOGによって嫌な思いをした人々に。娘や息子を悲惨な事件から守りたいすべての保護者に。スクールカーストに苦しんだことがある人に。恋人ができなくて悩む女性と男性に。
この作品は彼女と彼らの物語であると同時に、私たちの物語です。

となっています。

小説では「分かりやすい物語」にするために、加害者のエム2容疑者が被害者を「愛していた」という設定になっていますが、現実にはそのような事実はなかったようです。

その辺りを、みくさ (id:tomananaco)さんの記事で確認してみましょう。

エム1容疑者の派手な暴行より、エム2容疑者のサイコパス性が核心か

この事件では、逮捕された5人のうち、2人は示談となり不起訴、エム1容疑者、エム2容疑者のほかに、部屋を貸したケイ容疑者が起訴され、この三人には一審で執行猶予付きの有罪判決が下りています。

裁判の傍聴もした上で、みくささんは三人について、

私の主観だけで言えば、エム2容疑者はサイコパスクズ男、エム1容疑者は際限を弁えずにやりすぎてしまったバカ、ケイ容疑者は家を貸しただけの善人に思えた。

(原文で実名になっている部分は仮名とした。以下同)

と書いています。そして、

確かに、エム1容疑者とは面識はほぼ初対面だったのであるが、被害者女性はメンバーの一人エム2容疑者に惚れていた。飲み会の最中、松本から「こいつ俺の女だから」という旨の発言をされても強く否定しなかったという。

エム2容疑者は、彼女からの好意には気づいていたが、それに応じる気が無かった。当時本命の恋人もいた。何より彼自身の特性としてサイコパス気味だった。

人間、自分の興味の無い相手からの好意はうっとうしいものだ。そして、自分に惚れこんだ相手は「都合のいい」存在になり、軽んじる。

だからエム2容疑者は、飲み会の盛り上げ役として、この都合のいい女を持ってきた。

と述べ、派手な暴行をした主犯格のエム1容疑者よりも、共犯格のエム2容疑者の「サイコパス性」がこの事件の核心にあることを強調しています。

そうして、被害者の女性は

勘違いした女でも、セカンドレイプされるべき対象でもない。どこまでも、ひとりの普通の人間だ。

と、彼女にはなんら責任がないことが、はっきりと述べられています。

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「モテる東大生」というフィクションと、可哀想な東大生の現実

一方で、作者の姫野カオルコさんが、被害女性を持ち上げようとするあまり、「東大生全体を貶めるように」脚色してしまった点について、みくささんが書く内容も注目に値します。

「(略)つばさが童貞を捨てたのは東大生になってからだ。簡単だった。東大理Ⅰの男子という立場を得れば、すぐに足元に2枚の女子カードがならぶ。」(61頁)

この一節の破壊力は凄まじい。 東大理Ⅰの男子の9割はキレる。こんな嘘を書かないでほしい。

フィクションだと言ってしまえば「それまで」のことかもしれませんが、現実を知る読者としては、「ありえない設定ミス」としか言えませんよね。

東大生はおおむね、周りの女子の少なさによって全くモテない。

むしろ、東大生がさほどモテないことを作中で強調したほうが、つばさや譲治たちの調子に乗りっぷりを表現できたかもしれないとさえ思う。

実情としては、男子校出身者が多くを占める東大新入生は童貞の集まりで、1年生のうちは自分たちの童貞をネタにして非モテホモソサエティを形成する。2,3年と学年が上がるにつれ、女子と接点のある男子は交際を始めていくが、それだって世間から数年遅れての男女交際である。

という描写は、ぼくの観察範囲からいっても、まったく納得できるところです。

「モテない」東大生が歪んだ性欲のはけ口として起こしてしまった事件、という事実をきちんと書かなかったところは、小説としての魅力を減じてしまったのではないか、という気がします。

「東大生への下心」を嫌う東大生の蝶屈折心理

みくささんの記事の結論部分を、少し長くなりますが引用します。

第二回公判で、松本は「下心を持って近づいてきているような女性は嫌だった」と述べた。

松本自身はそれがどういう『下心』なのかを説明しなかった。この証言を報道する際に『(東大生への)下心』と注解を付けた東スポは見事だったと思う。

(中略)

モテない期間が長かった者は、自分の恋愛経験の自信の薄さから、本当に好かれているのか、スペックだけで中身はやっぱり魅力がないままなんじゃないか、という不安を抱く。男子校出身者が多い東大において、この傾向は顕著である。

(中略)

東大生であることによって自分を否定されたくない。でも、東大生であることによってのみ自分を評価されたくない。東大生であることを素直に認めてほしい、スペックでない自分の中身を見てほしい。

(中略)

誕生日研究会の連中にあったのは、ただ「東大ではない人間を馬鹿にしたい欲」だけだっただろうか。そこにあるのは「ありのままの自分を認めてほしい」という、小さく可愛らしい願いではなかったか。

この「小さく可愛らしい願い」という言葉の意味は、「常識的な感性」をお持ちのあなたには難しくて理解不能かもしれません。

被害者女性だけでなく、

  • 加害者の男たちも「普通の人間」なのだ

とするみくささんの主張は、女性からも男性からも、「はてな?」と思われる部分でしょう。

「知的エリート」というような立場に置かれ、人からは羨まれ、妬まれるにも関わらず、実質が伴わない。

そういう特殊な状況での「空虚な感覚」を知らないみなさんからしてみれば、

  • こんなヒドイ事件を起こした人間が「普通の人間」だって?

と、否定的な感情しか起こらないところなのではないでしょうか。

まして「東大ではない人間を馬鹿にしたい欲」の影に『「ありのままの自分を認めてほしい」という、小さく可愛らしい願い』があったのだ、と言われても、

  • そんなもん知るか!

というのが普通の反応かもしれません。

みくささんは、そうした「知的エリートの空虚さ」を自らの感覚として知っている上に、常識的な地平を上空から見下ろす「グレート・マザー」的資質を持っているために、こうして「鬼畜な事件を起こすサイコパス野郎ども」に対しても

  • 「ありのままの自分を認めてほしい」という、小さく可愛らしい願い

を見出すことができるのだと思います。

多くの人が「罪人はみんな斬り捨てとけばオーケー」と言ってはばからないような風潮が蔓延する中、「罪を憎んで人を憎まず」をきちんと実践している方の言葉を見ることは、ぼくにとって何よりの救いになります。

みくささんがこの記事を書いてくださったことに大きく感謝の意を表して、この稿を終えます。
てなわけでみなさん、ナマステジーっ♬

[追記 2018.12.15] 東大で行われた「姫野カオルコ『彼女は頭が悪いから』ブックトーク」について

2018年12月12日に次のような集まりが東京大学の駒場キャンパスで行われました。

姫野カオルコ『彼女は頭が悪いから』ブックトーク

日時
2018年12月12日水曜日 19時~21時

場所
東京大学駒場キャンパス 21KOMCEE EAST 地下 K011教室
http://www.c.u-tokyo.ac.jp/zenki/news/kyoumu/file/2014/21komcee_east_map.pdf

講演者
姫野カオルコ(作家)

パネリスト
大澤祥子(ちゃぶ台返し女子アクション・代表理事)
島田真(文藝春秋 ノンフィクション編集局、「月刊文藝春秋」・ノンフィクション出版部担当局次長)
瀬地山角(東京大学大学院総合文化研究科・教授)
林香里(東京大学大学院情報学環・教授、MeDiメンバー)

司会
小島慶子(エッセイスト、東京大学大学院情報学環 客員研究員)

概要
2016年に起きた東大生による強制わいせつ事件に着想を得た話題の小説『彼女は頭が悪いから』(文藝春秋社刊)。執筆の動機や制作秘話を姫野さんに伺いつつ、登壇者と会場との対話を通じて、主に以下について考察するブックトークを開催します。

・性の尊厳、セクシュアル・コンセントとは?(性暴力事件の再発防止のために何が必要か)
・「学歴社会」と性差別について
・「東大」というブランドとの付き合い方、向き合い方

会場の皆さんにもご意見を伺いながら、活発な議論ができればと思います。

主催
・メディア表現とダイバーシティを抜本的に検討する会(MeDi)
・東京大学大学院博士課程教育リーディング・プログラム「多文化共生・統合人間学プログラム」教育プロジェクトS

東京大学大学院 情報学環・学際情報学府 – 姫野カオルコ『彼女は頭が悪いから』ブックトーク

ぼくはこの集まりに参加していませんし、主催者や登壇者についても特別な情報は持ちませんので、次の2つの記事を参考にこのイベントの感想を述べることにします。

(1) “東大の弱さ”って何だ。東大生強制わいせつ事件小説をテーマに東大で語り合った | BUSINESS INSIDER JAPAN
(2) 『彼女は頭が悪いから』ブックトークに参加して見えた「東大」という記号の根深さ|はままり|note

(1) はプロが書いた記事なのでまとまってはいますが、およそ表面的で、特に事件の真相に迫るものとは思えません。

(2) はアマチュアの方が書いたもので、ちょっと読みづらいですが、会場の雰囲気は伝わってきます。

東京大学という教育機関は、高級官僚の養成機関であると同時に、日本の科学技術を支える最重要基盤をなす研究機関でもあります。予算の面でも規模の面でも、ほかの高等教育機関を遥かに凌駕する特殊な機関であることを初めに理解しなければ、東大が抱える問題を理解することはむずかしいでしょう。

けれども、こうした事情を一般向けのおしゃべり会ではっきりと説明できる文化風土が東大に期待できないのが残念なところです。

ここでまず簡単に一つの結論を書いてしまいましょう。

(1)によると、

質疑応答で聴衆側にいた東大教授の矢口佑人さんはこう言った。

「5人の東大生が集団わいせつで逮捕されたのは、紛れもない事実。在学生3万人の中の5人だけではない。1人でもいけない。絶対に加害者は出さないために、できることは何かを話し合うべきだ。小説にヒントはある」

“東大の弱さ”って何だ。東大生強制わいせつ事件小説をテーマに東大で語り合った | BUSINESS INSIDER JAPAN

ということであり、この「優等生的な発言」にスポットが当たっているという時点で、「この集まりについて考えてもあまり益はなさそうだな」という気がしてきます。これが一つの結論です。

もし本当に、

  • ある小説をヒントにして「絶対に加害者を出さない」ための話し合いができる

と考えているとしたら、そういう人はただのアホウです。

しかしそんなアホウさまが東大の先生をしているわけはありませんから、この方は実際ものすごく賢い方であって、まあなんというか、ちょっとその、真実とはだいぶかけ離れたことではあるんだけれども、人の前ではそんなことも言っておいたほうが、いろいろと無難なこともあるし、立場上言えることと言えないことだってあるじゃないですか、でまあ、ほら、あんまり集まりの空気が混沌としてもなんだから、少しばかりまとまりをつけといたほうがいいかなー、みたいなことがおっしゃりたくて、ついそんな発言をなさったのではないかと邪推いたします。

一方、(2) の記事にはこのような興味深い記述があります。

参加者による発言で「東大生だけど実際はモテないし、ずっと彼女がいないから親にゲイだと思われていた」というものがあった時、その場でクスクス、とかではなく、ブワッとした大きい笑いが起きて衝撃でした。「そこ、笑うところ?? え、この空間大丈夫???」と思いました。ジェンダーや性暴力に関心がある人が集まっている場だと思っていたので、なおさら。

『彼女は頭が悪いから』ブックトークに参加して見えた「東大」という記号の根深さ|はままり|note

(1)の記事に

ある東大生の意見に会場から拍手が起きた。

「進学校でもなくて、塾にも行かず一生懸命勉強して合格して、地元ではすごくモテてて……でも東大では地方出身の僕は東大であること以外、何もない。ずっと彼女ができなくて、親も心配している 」

[>“東大の弱さ”って何だ。東大生強制わいせつ事件小説をテーマに東大で語り合った | BUSINESS INSIDER JAPAN>]

という部分があり、どうも同じ人の発言ではないかと思われます。

この2つが仮に別の人物の発言であるとしても、2つの発言を重ね合わせて読むことで、はじめて普通の東大生が、普通にモテない現実と、ごく普通のジェンダー観しか持っていない現実とが明らかになり、結局東大生によるレイプ事件は一部の特殊な人間が起こしたものであるという当たり前の事実が確認されるものと思われます。

同時に特殊ではあるものの、東大生に共通の屈折した挫折感が、事件に与えた影響を考えれば、姫野氏の小説は、単に「東大」というラベルをおもしろおかしく利用しただけのファンタジーでしかなく、その点のリアリティに欠ける小説を、当の東大生が「く○つまらん」と思うのは当たり前すぎることでしょう。

姫野氏の執筆意図がなんであれ、東大生をファンタジーとしてしか描けなかった点の力量不足について批判されることはいたしかたのないことと思われます。

イベントを企画した東大の林香里教授は、

東大生が『東大生を誤解するような小説は意味がない』と言うのであれば、そういう記号とは違う自分たちをもっと発信するべき

と語ったそうですが、

  • 小説のようなマスで流される「ニセ」情報に対して、学生が情報を発信することでそれを是正するなどということが本当にできる

と思っているとしたら、これまたアホウとしか言いようがありません。

これも東大流のお上品な言い逃れなのでしょう。

東大の教職員であれば、東大生を積極的に弁護するべきであって、出版社が垂れ流す虚構に対しては断固反論することこそが重要ではないのでしょうか。

まあわがニッポン最低国には言論の自由という名の虚構報道がまかり通っておりますので、言うだけ無駄とは思いますけれども。

なお姫野氏については、こちらの記事
http://only5.himenoshiki.com/?eid=1159831
を見ると、お気の毒としか言えません。

お体お気をつけてお過ごしいただきたいと思います。

以上。

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