*魂の次元* (by としべえ)

肩から力を抜いて、自由に楽しく生きる。

Q: アヤワスカで「悟り」は得られるか? A: はい、得られます。でも、「悟り」ってそんなに偉いの?

なすねむさん (mensan:di) がこちら
瞑想と悟りに対するぼくの個人的見解 - めしがくいたい
で、ご自身のアヤワスカでの体験をもとに、瞑想と悟りについて考察しています。

全体的に *力強く* 同意したい内容である上に、幻覚性植物の経験を共有するものとして、ひと言、ふた言、書いておきたいこともあるので、今日は「瞑想」と「悟り」そして向精神薬をめぐる、「変性意識」についてのぷち考察です。

・[:title]

アヤワスカで「悟り」は得られるか?

結論から言うと、

  • 「悟り」が得られる可能性はわりと高い

ということになります。(一方リスクもあります)

ただし、ここで「悟り」というのは、普段の意識ではなかなか得ることができない、「深い洞察・気づき」程度の意味です。

アヤワスカのような薬物を使うことで、いつもの意識とは異なる「変性意識状態」に入ることができます。

そのとき、いつもはブロックされていて見ることができないものが見えてくることで、「普段は気づけない気づき=悟り」が得られる場合があるのです。

しかし、これはギョーカイで「インスタント悟り」と呼ばれるもので、体験中には、

  • すごい悟りを得たぞ!

と思うのですが、残念ながら、

  • じきに薄れてしまったり、あるいは
  • 強烈すぎる場合には、普段の歪んた認識に組み込まれて、妄想的思考になってしまったり

しかねません。
(妄想的思考は、人によっては大きなリスクとなりえます。素質のある人は、病院のお世話になることも考えられるからです)

nasnemさんは、こちらの記事
悟りとジャンプ漫画について - めしがくいたい
で、アヤワスカによる変性意識の中、その体験と「ジャンプ」のいくつかの漫画に描かれる「悟り」の境地との類似性を指摘していて、なかなか興味深いのですが、その類似性について、

体験中はもっとナイスアイディアの感じがしていたんだけどなあ。

と書いています。

これが、「薄れ」の実例ですね。

売れっ子の漫画家が描く、多くの人を惹きつける世界観を、変性意識による「認識の深み」の中で深く「体感」として「理解」したことは、ある意味「真理」に迫っていたといえます。

けれども、いつもの意識に戻ってしまうと、その「体感」が抜け落ちてしまうため、

「あれ、ちょっと似てたってだけで、大した発見じゃなかったか」

みたいなことになっちゃうわけです。

そこで、この変性意識にあるときの体感としての「気づき」をきちんと自分のものにするためには、「瞑想」が必要になってくるのです。

瞑想で「インスタント悟り」を定着させるのに「苦行」はいらない、さああなたも「楽々」と悟っちゃおう

なすねむさんは、

  1. 薬やサイコアクティブ物質によって悟れるならそれでいい
  2. 楽に悟れるならそれに越したことはない
  3. 苦行の末に悟りがある、苦行することは高尚で偉い、悟りは神秘的なもの、といった考え方は危険

と書いています。

1. については、「向精神性の薬物だけでは悟れない」ことを先ほど書きました。
(例外はあると思いますけど)

2. については、大いに共感しますし、基本的にぼくもこの路線です。

3. については、大体同じ考えなのですが、改めて次節で述べます。

というわけで、ここではどうやったら「楽に悟れるか」を簡単に書きます。

瞑想を習慣にする

瞑想といっても、座禅を何時間もやる必要は必ずしもありません。はじめは「気がついたときに、三回じっくり深呼吸する」とか、簡単なことでかまいません。

ポイントは

  • いつもは無意識にやっていることを「意識化」すること
  • そして、それを習慣にすること

にあります。

さてここで、練習問題です。

あなたはいつも靴をどちらの足から履きますか?

実際にやらずにこの質問に答えられるあなたは、自分の体の動きについて、かなり意識化ができている人です。

でも、分からなかったからといって、がっかりする必要はありません。

次に靴を履くときに、ちゃんと意識してどちらの足から履いてるかをよく確かめてください。、そして、次からは、逆の足から靴を履くようにしてください。

はじめは、違和感もありますし、うっかりいつも通りの足から履いたりしてしまうでしょうが、気にせず根気よく続けてください。

そしてそれが普通にできるようになったら、この練習問題は終了です。靴を履く順番は忘れてしまってかまいません。

同じようなことは、

  • 階段に登るとき、どちらの足を先に出すか、とか
  • 腕を組むとき、どちらを上にするか、とか
  • ショルダーバッグをどちらの肩にかけるか、とか

いろいろ試せますよね。

混乱しないように、一回にひとつずつやっていくのがいいでしょう。

というわけで、瞑想といっても、必ずしも呼吸に意識を向けたり、座禅の形でやる必要はなく、自分の動作を意識することも瞑想のうち、という話でした。

─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─
☆ここでちょっと一休み、<スポンサード・リンク>です。



瞑想を「習慣」にすることが、なぜ大切なのか

人間は習慣の生き物です。

そして「悟り」とは、習慣的なものとなってしまっている普段の意識を「別の意識状態」に置き換えることです。

けれども、外からの薬物を使って一時的に「変性させた」意識は、すぐ元の状態に戻ってしまいます。

ですから、「習慣を徐々に変えていくことこそが、*楽々と* 悟りへ達する道」ということになるのです。

そうはいっても、

  • 三日坊主の人もいるでしょうし、
  • ひと月はみっしりやるんだけど、がんばりすぎて飽きちゃって、結局やめちゃうとか、

人によっていろいろでしょうから、一旦はやめても、またしばらくしたら、思い出してやってみる、ということでもかまわないんです。

多くの人は、一日に少しずつやるのが多分やりやすいでしょうから、朝起きたときか、夜寝る前に五分間深呼吸をする、くらいからやるのがいいかもしれません。

瞑想については、こちらに入門記事を書いてますので、よろしければどうぞ。
マインドフルネスとヴィパッサナー瞑想について・蝶入門編 - 24 時間の瞑想術

「楽に悟れる」とは言っても、「それなりの努力」は必要です

気づいたときに三回深呼吸とか、一日五分の深呼吸とか、あるいは靴を履く順番を変えるとか、

  • 瞑想と言っても苦行じゃない

のは分かってもらえたと思いますが、いくら「楽に悟れる」といっても、やっぱり

  • それなりの「努力」は必要

です。

地道に練習を続ける以外に、全面的な意識状態の置き換えはできないからです。
(ごく少数の例外もあると思いますが)

ただ、これを「努力」と感じるかどうかは、人それぞれですよね。

自分の習慣を変え、「意識のあり方」が変化していくのをおもしろいと感じる人ならば、特に「努力」と思うこともなく、楽しんで練習することもできるでしょう。

とはいえ、そうして「意識のあり方」が変わっていったとき、思わぬ「恐れ」や「不安」が出てこないとも限りませんので、そうした困難を越えていくときには「苦行」としての側面が出てくる場合もあります。

安全のためには、瞑想にも「魔境」や「禅病」というバッドトリップ的な側面があることを十分理解した上で練習するのがいいでしょう。

車を運転するときに、事故のことも勉強する必要があるのと、同じことですよね。

魔境についてはこちらの記事をどうぞ。
瞑想と魔境とその先と - そりゃ瞑想にもデメリットはあるさ - *魂の次元*

「悟り」ってそんなに偉いものなの?

さて、なすねむさんの言う

  • 苦行の末に悟りがある、苦行することは高尚で偉い、悟りは神秘的なもの、といった考え方は危険

ということですが、こうした考えがカルト的思考につながるという意味では、たしかに危険性もあるとは思います。

でもそれって、

  • 科学によってのみ真理は得られる、科学こそ高尚で偉い、科学最高・原発バンザイ

っていうのと、あんまり変わらないんじゃないですかね?
(原発の危険性はかなり高いと思います)

ぼくは「悟りは神秘」も「原発バンザイ」もどっちも否定しません。両方ともそれなりの合理性はありますから。

裏っ側から言うと、普通に言う「科学」とかって大したもんじゃないし、原発なんて子どもの火遊びだと思うし、「悟り」だって好きな人が好きにやればいいだけで、基本は趣味的なものだと割り切ってます。

お釈迦さまことゴータマ・ブッダさんが得た「悟り」にしても、本人が「究極の知恵だ」というのはかまいませんが、彼の説く四つの真実によって誰もが悟れるかっていうと、そうは問屋が卸さないわけですから、「究極の一歩手前の真実」くらいにいうのが妥当なところだろうなと、思います。

なすねむさんも指摘する通り、科学的な言明と違い、人文的な言明は証明することはできません。

だからゴータマさんは、「自分の言明をあなたが実際に確かめてください」っていうわけなんです。

「自分が言うことは完全な真実とは限らないから、確かめたらいいですよ」

っていうんですね。

その結果、後世の人が自分なりに確かめて、例えば、「なむあみだぶつ」と唱えれば仏になれる、みたいな別の「悟り」のあり方を仏教の名のもとに広めてるわけですから、これはこれでおもしろい。

ゴータマさんの修行法ももっともだけど、こっちの考えにも一理ありますからね。

というわけで(って、ちょっと飛躍してますが)、「悟り」なんていうものは、「悟った」と主張する人の数だけある、この世界に対する「一つ」の見方にすぎませんから、別にそんなにご大層なもんじゃありません。

でも、「いや、悟りは実に有難いものだ」と思う方もいらっしゃるでしょうし、「それはそれでいいよね」ってことなんです。

なお、薬物を使用して意識を変容させることは、心理的なダメージや物理的な事故につながるおそれがありますので、法律での規制のあるなしにかかわらず、安易な気持ちでおこなうことはおすすめできません。

自己責任において試す場合には、経験のあるガイドのもとにおこなうか、少なくても十分な調査をすることが、安全確保のためには必要ですので、念のため。

それでは、みなさん、ナマステジーっ♬

☆こちらの記事もどうぞ。
マインドフルネスとヴィパッサナー瞑想について・蝶入門編 - 24 時間の瞑想術
瞑想と魔境とその先と - そりゃ瞑想にもデメリットはあるさ - *魂の次元*

---------------

スポンサーのリンクです