*魂の次元* (by としべえ)

肩から力を抜いて、自由に楽しく生きる。

蚊に刺されながら夢うつつ、瞑想の練習をした話

みなさんは瞑想やマインドフルネスに興味はあるでしょうか。

今日はインドの安宿で蚊に刺されながら、瞑想の練習がかなりいい感じでできたので、そのことを少し書いてみます。

瞑想って何なの?

ぼくはゴエンカさん方式のヴィパッサナー瞑想を知ってから九年になり、この三年ほどは日々の暮らしの中でも、少しずつ瞑想の練習を心がけています。

瞑想と聞くと多くの人は座禅のイメージが浮かぶことでしょう。

静かに座って無念無想の境地を目指す座禅は、確かに瞑想の練習法として有効なものです。

でも座ってやるだけが瞑想ではありません。

立って座って歩いて横になって、体がどんな状態にあるときも、無念無想を体験できてこそ、瞑想の境地は深まるのです。

簡単な瞑想のやり方

ゴエンカさん方式のヴィパッサナー瞑想は実にシンプルなものです。

実際にやるのは、

  • 自然な呼吸を入り口にして、体に起こる感覚を観察する

という、ただそれだけのことです。

まずは背筋を伸ばし、楽な姿勢で座ります。鼻から自然に息を吸うと、鼻の穴を少し冷たい空気が通るのを感じることでしょう。

息を吐くときには、少し暖かい空気が鼻の穴を通り、唇の上の皮膚に当たるのを感じるかもしれません。

こうして、吸う息、吐く息とともに体に起こる感覚を、ただただ観察していきます。

これを朝起きてすぐと寝る前に、毎日五分ほど練習することができれば、あなたの人生は確実に変わり始めます。

三日や一週間では変化はあまり感じられないかもしれません。けれどもそれが二週間になり、ひと月になり、三ヶ月も経つ頃には、呼吸と体の感覚を意識することで、頭がすっきりするのが、はっきりと感じられるようになるでしょう。

そして長く続ければ続けるほど、以前には気になっていた小さな心配ごとが減っていき、また何かといらいらしていたことに対しても、前よりも落ち着いて対処できるようになっている自分に気づくことになるはずです。

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蚊に刺されていい瞑想の練習になった話

瞑想の練習をしていて、呼吸や体の感覚に意識を向けていても、ふと気がつくと、何か考えごとをしている自分に気づくことになります。

いわゆる「邪念が湧く」というやつですが、これはまったく自然な反応ですので、忌み嫌ったり、否定したりする必要はありません。

気がついたら、呼吸や体の感覚に意識を戻せばいいだけのことです。

するとまたそのうち、何か考えごとをしている自分に気がつきます。ですからまた、呼吸や体の感覚に意識を戻します。

瞑想にはいろいろなやり方がありますが、基本はこれを繰り返すだけで十分なのです。

ところでぼくは、今インドのハリドワルという街にいます。

安宿に泊まっていて、エアコンがありません。窓を開けていれば涼しくて快適な陽気なのですが、網戸がないので夜になると蚊が出ます。蚊取り線香が嫌いなので、蚊に刺されながら寝ることになります。

するとこれが非常によい瞑想の練習になるんですね。

人間の感覚というのは、気にするとかえって増幅されてしまう性質があります。これは蚊に刺されてかゆいことにも当てはまります。

だからかゆくても、それを気にすることをやめられれば、「心頭滅却火もまた涼し」というやつで、かゆさに悩まされずに眠ることだってできるはずなのです。

とはいえ、こうした感覚のコントロールは、達人の域に達して初めて可能になるものです。

「言うはやすし、行なうはかたし」で、そんなに簡単に実行できるわけもなく、おととい、昨日と蚊に悩まされながら夜を過ごすことになりました。

それでおとといは、あまりのかゆさに「うぎゃー、なんでこんなにかゆいんじゃー」という感じで、現状を否認する強い感情が湧いてしまい、眠れぬ一夜を過ごすことになったのですが、昨晩は少し違いました。

かゆいことはかゆいので、なかなかぐっすり眠れないのですが、そのかゆさを少しは受け止められるようになったようで、夢うつつの中、かゆさを感じながら、おもしろい経験をしたのです。

夢の意識の中で、蚊にさされることは「瞑想の師匠が与えてくれる練習の機会」ということになっています。

かゆくてかゆくて、なかなかそのかゆみを克服できず、瞑想の練習を続けるのが難しいのですが、なるべくそのかゆみを受け止めて、否定的な気持ちが起こらないようにしていると、意識の状態が無念無想に近づき、「ああ、このかゆさの向こう側に、確かに悟りの境地があるな」ということが実感される瞬間がやってきます。

するとまた別のかゆみが起こって、これはまた別の師匠がくれた、別の瞑想の練習なのです。

そこでまた「あー、かゆい!」と思いながらそれを克服しようとあがいていると、そのうちふっと無念無想の状態に近づき、また悟りの境地が実感されます。

こうして行っては戻るプロセスを、夢うつつに何度も何度も繰り返し、昨晩は寝ながらにして瞑想の練習を続けていたのでした。

夢には夢の意味がある

夢の中で瞑想の練習をすることに何の意味があるのか、そう思う方もいらっしゃるでしょう。

けれども夢の経験にも十分な意味があるはずです。

多くの夢はとりとめがなく、その意味を取りづらいものですが、瞑想やヨガでは、眠っている最中も意識を保つことを理想としますし、夢の中でいろいろなインスピレーションが得られることがあるなは、科学者などのエピソードでも知られていますし、案外多くの方が実際に経験もしていることではないでしょうか。

瞑想の練習を重ねることで、自分の体の反応に敏感になり、心の動きにも敏感になっていくと、否定的な感情に振り回されることが減っていきますし、夢の意識からインスピレーションを受けられらようになることも期待できます。

本当は、メリットを期待して瞑想をするは邪道ということになるのですが、瞑想に様々なメリットがあるのは事実です。

こんなメリットがあるのか、ということをきっかけとして、無理のない範囲で、結果を期待せずに、少しでも瞑想の練習をしてみよう思っていただくことができましたら、これにまさる喜びはありません。

というところで、この記事はおしまいです。
それではみなさん、ナマステジーっ♬

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