*魂の次元*

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広島・長崎への原爆投下を正当化する「経済主義的ファシズム思考」について

twitter でシュナムルさんという方が

原爆投下は正当化の材料を遥かに豊富に持っていて、それらにきちんと向き合って原爆非難の論理を組み立てるのは簡単じゃない。

と、

  • 広島・長崎への原爆投下は戦争終結のために必要だったのだ

としか読みようのない発言をして物議をかもしています。

この記事では、

  • 広島・長崎への原爆投下は戦争終結のために必要なかった

ことを説明した上で、シュナムル氏に代表される

  • 「欧米の価値観によって『洗脳』済み」の経済主義的ファシズム思考

の問題を考えてみたいと思います。

広島・長崎への原爆投下には「正当性」などまったくない。

繰り返しになりますが、はじめに結論を述べると、

  • 広島・長崎への原爆投下には「正当性」のかけらもありません。

連合国側の論理では、

  • 「一億総玉砕」の本土決戦を覚悟していた日本に敗戦を認めさせるためには、原爆投下が必要だった、

というのですが、これが全くの虚偽であることは、

  • 先入観なく、少しばかり史実を調べて、常識的な推論を働かせることができれば、

誰にでも明らかなことです。

日本が早期の敗戦を認められなかったのは、連合国側によって天皇制を廃止させられることを恐れていたためです。

一方アメリカは、原爆の実戦での実験をなんとしてでも行ないたかった。そのため核開発の時間稼ぎをするために「無条件降伏≒天皇制の廃止」を絶対条件として提示していたわけです。

ソ連と中立条約を結んでいた日本は、天皇制を維持するため、終戦交渉の仲介をソ連に頼んでいましたが、広島へのウラン型原爆投下後、ソ連は条約を破って満州に侵攻します。

直後にアメリカは二発目のプルトニウム型原爆を長崎に投下しますが、これは当初小倉に落とすはずだったものを天候の問題から、急遽投下場所を長崎に変えたことももっと知られてよい事実でしょう。
(日本の敗戦間際に、アメリカが駆け込みで原爆実験をしたことの慌ただしさが、このことにはっきりと現れているとは思いませんか?)

結果だけを見れば、二発の原爆投下によって日本は無条件降伏を受け入れたのだとも言えますが、裏にあったのは、アメリカは時間稼ぎに成功して、ウランとプルトニウムの二発の新型爆弾の投下実験を無事行なうことができたというだけの話です。

現にアメリカは、日本の敗戦後の占領政策の柱として、天皇制の維持を日本に許したわけで、原爆を落とす時間稼ぎをする必要がなければ、日本側の天皇制維持を前提とした終戦交渉をもっと早い時点でやっておけばよかっただけのことなのです。

アメリカは

  • 終戦を早めるためとはまったく関係のない、
  • 実戦における二種の原爆実験をするために、
  • わざわざ戦争の集結を遅らせて、
  • その非道な実験によって人類史上最悪の戦争犯罪を行なった

にも関わらず、ファシズム的プロパガンダによって

  • その事実を巧妙に隠し続けている

のです。

こうした事実をきちんと確認しないまま、欧米で流布する

  • 「原爆投下は終戦に必要だった」という言説

をなんの疑いもなく信じることは、まったくもって残念なこととしか言いようがありません。

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「欧米の価値観によって『洗脳』済み」のファシズム的思考法をぼくらは越えてゆくことができるのか

「原爆の投下が終戦のために必要だった」という言説が戦勝国によるご都合主義のプロパガンダにすぎないことは、前節で述べた通りですが、ぼくたちが日頃接しているマスメディアも、実質的に「欧米の支配的価値観によって『洗脳』済み」なのだということを、まず知る必要があります。

これは欧米的自由主義に一見反旗を翻しているかに見える「安倍政権」についても同じことです。なぜなら欧米の自由主義とは所詮

  • 「欧米的価値観によって世界支配を行なおうとする経済主義的ファシズム」

でしかないからです。

「安倍政権」が戦後民主主義をかなぐりすてて「全体主義」への道をまっしぐらに進んでいることも、つまりは欧米的経済主義体制内でのファシズム国家同士の勢力争いでしかありません。この地平では右も左も関係なく、宗教も民族も意味をなしません。なぜならすべてのイデオロギー、すべての伝統がただプロパガンダの道具となりさがった「1984年*1的状況」をぼくたちは生きているからです。

現代社会においては、国家という仕組みを利用して利益誘導集団同士がファシズム的権力構造を作り出して、互いに抗争を繰り広げているだけなのですから、どこにも正義などというものはないのです。

この抗争の頂点に立ち、実質的に世界を支配しているのが「欧米的価値観としての経済主義」なのですから、それに反抗しようが何をしようが、結局のところその土俵で戦わざるを得ません。

そしてぼくたちの一人ひとりが、意識をしていようがいまいが、その国家戦略のコマとして使われているというのが現実なのです。

ですからぼくたちが「欧米的経済主義」を信仰しようと、逆に敵視しようと、全体が「欧米由来の経済システム」という土俵に乗ってしまっている以上、「この経済システムこそが唯一である」という『洗脳』から逃れることは簡単にはできません。

そのとき、この『洗脳』から逃れるために必要なのは、

  • 例えこの「経済システム」に寄生して生きるにしても、
  • その「システム」は「絶対」のものではなく、
  • 現時点で「繁栄」しているにすぎない「仮初め」のものである

ということを常に意識することです。

このことによって、ぼくらは

  • 『自由な立場からものをいう力を担保すること』

ができるようになります。

理想論からすれば、自立した経済圏を持ち、既存の貨幣システムにとらわれない生活を送りたいところですが、現実にはそれは難しい。

そうであれば、理想の生活がありうることをしっかりと信じて、その実現のために、現在のシステムの中で、不完全ではあっても、理想へ向けた活動をしていけばいいのです。

現在世界中を覆い尽くそうとしている欧米由来の経済システムを「すべて引っくり」返すだけの気概を持って、自分のいる場所で小さなことでいいから、「自律した動き」を重ねていく。

このことさえやっていければ、ぼくたちは自由な立場で現状を批判的に論じると共に、新しい未来へ向けた実践を続けていくことができるのです。

欧米的なプロパガンダに欺かれることなく、また反動的な復古主義に足をとらわれることもなく、はたまた進歩主義的な架空のイデオロギーにはまり続けることもなく、地に足をつけて、一歩いっぽ歩いていくことがぼくたちにはできるはずです。

多くの心ある方が、自分の居場所で、ことの大小に関わらず、価値ある活動を続けてくださることを祈って、この文章を終わることにします。

長文に最後までおつき合いいただきありがとうございました。
それではみなさん、ナマステジーっ♬

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*1:イギリスの作家ジョージ・オーウェルが書いたディストピア小説。

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