ホメオパシーやEM菌などの代替医療について、それが非科学的であることを理由として批判する方々を、ネット上では時折り見かけます。
科学的な考え方の啓蒙という意味では、これらの「批判」にも社会的な意義はありえるのですが、多くのそうした「批判」は心理学的な意味での「否認」の域を出ないものであり、社会的には有効であるというよりも有害性の方が高いであろうことを以下簡単に述べます。
また、プラシーボ効果と自然治癒力についても一言書きます。
非科学的な「思考の枠組み」を「否定」することは社会の「健全性」を損なう みんなプラシーボ効果の凄さを知らないと思うから、意志と暗示による自然治癒力のこともからめて少し書いとくね 非科学的な「思考の枠組み」を「否定」することは社会の「健全性」を損なう 以前書いた記事、
・代替医療としての「ホメオパシーやEM菌の意義」と疑似科学「批判」の有害性について - *魂の次元*
について、しんざきさんという方が次のような記事を書いてくださいました。
・「ニセ科学批判は危険」と言っている人が勘違いしていること: 不倒城
おっしゃっているのは、
・ホメオパシーなどの「擬似科学的」医療について、「それを知らない、あるいは知っていてもその有効性について判断を保留している」人に対して、「それにはプラシーボ以上の効果はない」ことを提示することは必要かつ重要だ、
ということです。
この点については、しんざきさんのようなスタイルで、冷静にそうした「事実(と思っていること)」を伝える限り、大きな問題はないものと考えます。
しかしながら、実際の「批判」的な言説には、「疑似科学はけしからん」という感情的な主張が入り込むことが往々にしてあります。
そのとき、善意の「啓蒙」であるはずのものが、少数者を追い詰めるような「排外主義」の雰囲気をどうしてもまとってしまうことには、十分留意する必要があるのではないでしょうか?
その上、自分から記事を書いてそのような「啓蒙」をなさっている方たちとは違って、誰かが書いた記事にイナゴと見まごうばかりの勢いで集まっていらっしゃって、わざわざご丁寧にも「批判」してくださる皆々さまの場合、
自分の主張と異なる主張は見たくもない よって、言葉の暴力を使ってでもそうした言説を弾圧する という、ヒステリックと言いたくなるほどの「排外主義」にもとづいて行動していらっしゃるのではないかと、考えざるをえないほどの、強力な感情を露わにしての「批判」をなさっていらっしゃるのですから、
「こういうのってフロイトが言った否認ってやつの一種じゃないのかなー?」 といった疑問も浮かんでこようというものです。
こうした感情的な「批判」は、相手の誤りを正して導くという「啓蒙」的意見とは異なり、相手の人格を否定するだけの「攻撃」でしかないように思えます。
「攻撃」は社会に分断を生むだけであり、少数者が分断によって追い詰められればカルト化するだけだ、というのが前の記事で述べたことです。
これをもう少し一般化して言えば、
非科学的な「思考の枠組み」を感情レベルで「否定」することは、価値観の多様性にもとづく社会の「健全性」を損なうのではないか ということになります。
もちろん、以上述べたことは私見にすぎませんから、これとは異なる考えをお持ちの皆さまが、ネット上でどのようなご意見を、どのような感情と共に主張なさることも、すべて言論の自由というものでございます故、日本国の法律で制限されている「誹謗・中傷」のたぐいにならないようくれぐれもご注意の上、様々な修辞を書き連ねてわたくしめの記事を宣伝していただけるのならば、小心者ゆえ大変心労も多いとは言え、それこそ本望でありますので、どうかわたくしの弱い心などについてお気遣いなさらずに、叱咤激励いただければ幸いでございます。
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みんなプラシーボ効果の凄さを知らないと思うから、意志と暗示による自然治癒力のこともからめて少し書いとくね さて、前の記事に書いたプラシーボ効果と自然治癒力の関係については、
自然治癒力効果なんて研究は一言も書いていない。
研究では鎮痛効果と書いている。
https://abyss.hatenablog.jp/entry/2018/02/27/125921 というご指摘を白いケモノさんからいただきました。
確かに、言及した記事の大もとの記事である
・Placebos can work even when patients know the treatment is fake | Daily Mail Online
日本最大手のゲームメディアであるファミ通.comが、アメリカ産の男性同士の恋愛シミュレーション・ゲームについての紹介記事の題名などで「(同性愛は)禁断の愛」と表現したことについて、問題視する声があります。
・オヤジ臭さは危険な香り? 独身イクメン同士で禁断の愛にハッテン可能なお父さんデートシム『Dream Daddy』 - ファミ通.com
同性愛を「禁断の愛」と表現することは、いけないことなのでしょうか。
いけないことだとすれば、どこがどういけないのでしょうか。
たぶん日本の多くの方にとっては、「別にいいんじゃないの?」くらいの反応ではないかと思いますので、どのへんがどういけないのか、少し書いて見ることにします。
なお、この件については、damonge.com のこちらの記事が、ファミ通の記事を執筆したミル☆吉村氏の説明も含め、よくまとめられていますので、興味のある方にはご一読をおすすめします。
・同性愛を「禁断の愛」と表現したファミ通 – DAMONGE
ゲイをはじめとする少数者に対する差別問題を、もう少し考えたらいいのになー 少数者が生きやすい社会は、みんなにとって生きやすい社会 抗議の声もあるのに、なんでファミ通はそのままにしてるの? ぼく自身の同性愛に対する感覚 〈追記 2017.11.23〉ミル☆吉村氏からのお返事と「ファミ通」の社会的責任 ミル☆吉村氏から「表現として微妙ではあるのでもう使わない」というお返事がありました ファミ通の社会的責任について一言 ゲイをはじめとする少数者に対する差別問題を、もう少し考えたらいいのになー 今回話題になっているゲームは Dream Daddy というアメリカのゲームで、英語版だけが配信されているものです。
アメリカの wired.com には、次のような大変好意的な紹介記事が出ています。
・Gay Dating Simulator 'Dream Daddy' Might Just Be the Gaming Miracle of the Year | WIRED
ゲームの内容は、
10代の娘を持つ父親が、近所に暮らす7人の独身男性と恋愛も含めて親交を深めてゆく というものなのですが、wired.com の記事では、「切なく、考えさせられる、とてもヒューマニスティック」な作品であり、「恋愛シミュレーションだけに限らず、オールジャンルで今年一番のゲーム」とまで高く評価されています。
紹介記事の題名には「同性愛者(queer)の恋愛ゲーム」とありますが、アメリカでは「ゲイ文化」なんて当たり前ですから、「禁断の愛」などといった、少数者文化を興味本位で見るような表現は、使わないわけです。
もちろん、日本とアメリカでは文化状況がことなりますから、なんでもアメリカの真似をすればいいというわけではありません。
けれども、ゲイを初めとする少数者の人たちが、笑いのネタにされ、ばかにされて、肩身の狭い思いをするような今の日本の状況は、ちょっとなんだかなー、と思うのです。
あなたは「自分には関係ないから」と思うかもしれません。
でも、ほんとうにそうでしょうか?
少数者差別がまかり通る社会って、だれにとっても息苦しい社会じゃないでしょうかね??
少数者が生きやすい社会は、みんなにとって生きやすい社会 差別が起きる理由にはいろいろなものがありますが、社会的なストレスが大きいとき、スケープゴートを求める形で、弱い少数者をターゲットにした差別が激しくなって、ストレスのはけ口になることがあります。
有名な例では、関東大震災のときの、朝鮮人に対するデマがありますよね。
関東大震災で大きなストレスを抱えることになった人々が、「朝鮮人が暴動を起こす」というデマを信じたために、多くの朝鮮の方が犠牲になるような暴力行為が行なわれました。
(参照: 芥川龍之介ら文豪たちが記録した関東大震災朝鮮人虐殺)
こういった極端なケースでなくても、日々の社会的なストレスが、「あなた」の中の「差別心」をあおって、少数者の人を笑いのネタに使ってしまうようなことは、ままあるはずです。
そういう意味で、「少数者差別が根強い社会は、ストレスの大きい、生きづらい社会だ」ということができます。
言葉の上だけ、表現の問題だけ変えていけばいいというものでもありませんが、一人ひとりが「差別」について考えていくことで、結局は社会全体を住みやすいものにしていくことができるはずだと思うのです。
抗議の声もあるのに、なんでファミ通はそのままにしてるの? 社会的な責任のあるメディアとして、ファミ通さんにはぜひ記事の表現を改めてほしいところですが、現状では執筆記者からの説明以外は、特に何の対応もないようです。
(参照: Twitter)
少数でも抗議の声がある以上、ただ説明するだけでなく、差別を助長するような表現は改めるべきと思いますが、日本のメディアにそういうデリカシーを期待するのは無理というものでしょうか。
産婦人科医の佐藤ナツさん(http://twitter.com/tabitora1013) の記事、
・じわじわとスピリチュアルに侵食されていく私たち
を見て、とても悲しい気持ちになりました。
佐藤さんに悪気がないのは分かります。
しかし、
「出産」に象徴される自分の人生に向かい合い、多数派の人生とは違う、自分なりの人生を生きようとしている人たちの一部を、「非科学的である」ことを理由に「素っ頓狂」という言葉で切り捨てている点や、 「カウンセリング」の内実もよくご存知でないようなのに、公的な認可システムが整備されていないということだけを根拠に、「カウンセラー」という職業自体が「怪しい商売」であるかのように述べている点は、 「スピリチュアル」という価値観に対して、冷静に問題を指摘するような文章構成になっていながら、実際は、人の「信仰」心を否定し、感情的な「攻撃」をしているだけとしか読めなかったのです。
なお、この記事では問題点の指摘にとどめ、具体的な説明や、参照資料などは示しません。興味のある方はご自分でお調べください。
こちらが今回の見出しです。
会陰切開や陣痛促進剤は必要なのか? 「子宮系」その他の「信仰」について カウンセラー「全否定」への疑問 なぜ「標準医療」でカウンセリングができないのか? 「金儲けスピ系」という「レッテル貼り」の問題 会陰切開や陣痛促進剤は必要なのか? 佐藤さんは産婦人科の「普通」のお医者さんのようで、標準医療を素朴に信頼していらっしゃるようです。
会陰切開や陣痛促進剤は、母体の安全確保のために必要なものだと考えていらっしゃるのでしょう。
けれども、会陰切開や陣痛促進剤は「医療化」された出産では必要だと考えられているにしても、それは単に「医療システム」にとって必要だというだけではないのでしょうか?
会陰切開や陣痛促進剤の使用が、母体の安全に関わりがないにも関わらず、「医療側の都合」によって行なわれているという実態があるからこそ、少数とは言え、自然出産を希望する女性が存在するのではないでしょうか?
標準医療による出産によって「トラウマ」的な経験をなさった女性の方の話を、ぼくは直接聞いたことがあります。その方の経験自体は、特殊な少数の例にすぎないかもしれませんが、「医療側のスケジュール」に合わせるために行なわれているとも考えられる「医療」行為が、本当にお産をする女性のためになっているのかどうか、きちんとした検証が必要なように思えます。
「子宮系」その他の「信仰」について さて、佐藤さんは、
じんわりと「スピリチュアル系」に多くの人が侵食されていることも事実ではあります。「赤ちゃんはお母さんを選んで生まれてくる」「赤ちゃんは胎内での記憶がある」と思っている人はたくさんいるし、「お産はデトックス=毒を出すもの」だと思っている人もいる。
というような言い方で、「スピリチュアル」な方の持つ「信仰」を、科学的な立場から「否定」します。
また、
その中でも、素っ頓狂なのきたなこれは、と思ったのが「子宮系」。
「子宮を大事にすること、温めることで運をつかもう!」みたいなことが「教義」らしい。
のように、人間の持つ「信仰心」自体を「否定」するような書き方もしてらっしゃいます。
なお、ぼくはこの「子宮系」という言葉は、今回はじめて知りましたが、「子宮委員長」なる方が、カルト的な活動をなさっているらしく、それが「反社会的」なものであるのならば、それは法律にのっとって制限すべきことだと思います。
けれども、「子宮を大事にし、温めれば幸せになれる」という程度の「信仰」自体はまったく問題ではなく、そうした「素朴な信仰」までも切り捨ててしまう佐藤さんの「切り分け方」には、行き過ぎた「科学原理主義」を感じてしまうのです。
「信仰」の自由は、憲法で定められた国民の基本的な権利です。
それを頭から否定するかのような表現は、いかがなものかと思う次第です。
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カウンセラー「全否定」への疑問 佐藤さんは、「カウンセラー」は自称でしかないことを根拠に「信頼できない」ものであるかのようにおっしゃっています。
また、「カウンセラー」を「NLP心理療法」と結びつけ、「NLP」が心療内科で使われていないことを理由に、やはり「信頼できない」ものであるかのように述べます。
確かに公的な認定がないことによって、「カウンセラー」の資質にばらつきがあることは事実でしょう。
また、アメリカで開発された「NLP」という心理療法は、明確なエビデンスに欠けるものかもしれません。
けれども、なんらかの形でそうした療法の訓練を受けた人が、それを信じる顧客に、その療法を施すことは、社会通念上なんら問題のあることではありません。
そもそも、国家による認定がある医師にしても、その資質には大きなばらつきがあり、ぼくのような素人から見ても、この「お医者さんはちょっと」と思う事例も少なくありません。
もちろん、日本の医療が抱えるさまざまな問題の中で、良心的な先生がたが、質の高い医療を提供するべく日夜努力なさっているだろうことは、想像に難くありませんが、「公的な認定」ということだけを根拠に、
「標準医療はオーケー」 「自称カウンセラーは全否定」 といった誤解を誘うような「イメージ先行」の文章を書かれている姿勢には、首をかしげざるをえません。
なぜ「標準医療」でカウンセリングができないのか? 佐藤さんは、
一般の方が医療に求めているのは、病気を治すということ以外に、ヒーリング的なこと、癒しの要素も含んでいるわけです。
でも、医療者側にはそこまでできる余力やスキルがない。
また、
高額なセミナーや受診の料金を負担させないカウンセリングが、民間や公的機関問わず必要であろうと思われます。
あるいは、
カウンセリングやメンタル面で医療機関を受診することの心理的なハードルを下げていくべきでしょう。
と述べており、医者としての限界とともに、医療システム上の改善についても言及してらっしゃる点は大変すばらしいと思います。
慶応大学文学部出身のフリーライター服部美咲氏*1による SYNODOS に掲載された記事(以下「服部9.19」と書きます)
・「福島で次世代に放射線被曝の影響は考えられない」ということ――日本学術会議の「合意」を読みとく / 服部美咲 / フリーライター | SYNODOS -シノドス-
を見て、とてもびっくりしました。
「服部9.19」のタイトルによると、日本学術会議が
「福島(第一の事故)で次世代に放射線被曝の影響は考えられない」
という報告を出したというのですから、日本の医学界の主流派が、科学者としての良心を捨てて、片寄った政治団体となってしまったのかと、目を疑いました。
けれども、報告書を実際に読んでみると、「服部9.19」の解釈は誤読ではないかという疑問が浮かびました。
「服部9.19」による学術会議の報告についての解釈には、様々な疑問点がありますが、この記事では、
日本学術会議の報告は「福島(第一の事故)で次世代に放射線被曝の影響は考えられない」とは言っていない ということについてのみ説明します。
「服部9.19」への疑問 日本学術会議『9.1報告』への疑問 追記: 『9.1報告』について細かい論評がこちらにあります 「服部9.19」への疑問 「服部9.19」の冒頭二段落はこの通りです。
2017年9月1日、日本の科学者を代表する組織である日本学術会議の臨床医学委員会放射線防護・リスクマネジメント分科会が、「子どもの放射線被ばくの影響と今後の課題―現在の科学的知見を福島で生かすために―」という報告書(以下『9.1報告』と表記)を出した。
『9.1報告』はUNSCEAR(国連科学委員会)の各年度の白書を引用しながら、これまでの放射線被曝による健康影響についての知見や、福島第一原発事故後の住民の被曝線量の推定値からも、将来、被曝影響によるがんの増加が予測されず、そして被曝による先天性異常も遺伝的影響も考えられないと結論づけた。特に後者の「次世代への影響が考えられない」ということについては、すでに「科学的に決着がついている」とも明言している。
ところが、日本学術会議の『9.1報告』(http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-23-h170901.pdf) にあたると、該当箇所は、
2 子どもの放射線被ばくの影響
(3) 福島原発事故による子どもの健康影響に関する社会の認識
① 次世代への影響に関する社会の受け止め方 (p.9)
だと思われますが、その内容は
胎児影響は、福島原発事故による健康影響の有無がデータにより実証されている唯一の例である。(中略) 福島原発事故から一年後には、福島県の県民健康調査の結果が取りまとめられ、福島県
の妊婦の流産や中絶は福島第1原発事故の前後で増減していないことが確認された
[42]。そして死産、早産、低出生時体重及び先天性異常の発生率に事故の影響が見られないことが証明された[43, 44]。
専門家間では組織反応(確定的影響)である「胎児影響」と生殖細胞の確率的影響である「遺伝性影響 (経世代影響)」は区別して考えられており、「胎児影響」に関しては、上記のような実証的結果を得て、科学的には決着がついたと認識されている。
となっています。
「服部9.19」では、
被曝による先天性異常も遺伝的影響も考えられないと結論づけた。 「次世代への影響が考えられない」ということについては、すでに「科学的に決着がついている」とも明言している。 というのですが、
学術会議の『9.1報告』が述べているのは、
(胎児影響については)「福島県 の妊婦の流産や中絶は福島第1原発事故の前後で増減していないことが確認され」ており、「死産、早産、低出生時体重及び先天性異常の発生率に事故の影響が見られないことが証明された」ということ、および、
+
組織反応(確定的影響)である「胎児影響」と生殖細胞の確率的影響である「遺伝性影響 (経世代影響)」は区別して考えられており、「胎児影響」に関しては、上記のような実証的結果を得て、科学的には決着がついたと認識されている。
ということですから、学術会議の報告が 1. において「影響がない」と述べているのは「胎児影響」についてのみで、遺伝性の影響についてはここでは言及していません。
この点、「服部9.19」1. の「先天性異常も遺伝的影響も考えられない」という記述は誤読というべきではないでしょうか。
(なお、別の箇所で、UNSCEAR の評価として、「先天性異常や遺伝性影響、小児甲状腺がん以外のがんに関しては、有意な増加は見られないだろうと予測している」という記述はありますが、これは「影響がない」ということとは異なります)
また、2. において「胎児影響」に関して述べていることは
「科学的には決着がついたと認識されている」
という大変曖昧な記述です。
「科学的に決着がついている」とは述べておらず、誰によって「認識されているか」も不明であり、科学的合意をはかるための報告書の記述としては、不十分かつ不明瞭という以外ないでしょう。
それなのに、「服部9.19」2. では『「科学的に決着がついている」とも明言している』というのですから、これも誤読と考えられます。
わたしは、福島第一事故の影響は、原発の立地地域である福島県にとどまらず、少なく見積もっても、東日本全体の問題ととらえるのが妥当ではないかと思っておりますので、
最近書いた「差別」「EM菌」「牛乳の有害性」についての記事について、多くの方が、はてなブックマークのサービスを使って宣伝してくださっていること、本当に感謝しております。
ところが不思議なことに、宣伝してくださっている方のうちのほとんどが、自分が宣伝しているのだということに、気がついてらっしゃらないかのようにも思えます。
そこでお願いなのですが、この記事も含め、記事の内容が気に入らない場合は、どうかブックマークをしないでいただきたいのです。
ブックマークをすることは、内容のいかんに関わらず、記事の宣伝をすることになります。
気に入らない記事をブックマークすることは、あなたの時間を無駄にするだけでなく、あなたに似た誰かが、有益とは思えない記事を読んで時間を無駄にすることにもつながり、悪循環を生み出すだけの最悪手ではないでしょうか?
このことをご理解いただき、今後気に入らない記事をブックマークすることをおやめいただけるのならば、この記事をこれ以上読む必要はまったくありませんので、どうかご安心して、今お開きのページを閉じてください。
これまでに、ぼくの書いた記事に時間を費やしていただいたこと、心の底より感謝しております。
それでは、アディオス・アミーゴス!!
─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ このあと、ぼくが書いた三つの記事に関連して、散漫な説明を試みますが、読者のみなさまが、ご自分の価値観から「有害」だとおもう記事を
「これ以上書かせまい」といくらやっても無駄だ、
ということを説明しているだけですので、以下の内容を閲覧するみなさまは、次の各項目に同意していただけたとみなします。
ぼくの記事に対して、ブックマークをつけた場合は、その内容に関わらず、ツンデレ的賛辞の言葉とみなされることを理解する。 ぼくの記事内容が「社会的に有害」と判断した場合は、ぼくを個人攻撃するのではなく、株式会社はてなに対して異議申立てをする。 相手の意見がどんなに自分のものとかけ離れていても、相手の立場を理解し、良識的な応答をするように心がける。 以上です。
それでは、こちらが今回の見出しとなります。
「はてな自警団」のみなさんが、どうしてわざわざブックマークをつけて宣伝をしてくれるのか、ようやく分かりました。 「自警団」のみなさま、どうかブックマークをつけて、記事の宣伝をすることはおやめください 一連の記事を書いている意図は「少数派の観点の提示」にあります 「差別」「EM菌」「牛乳の有害性」について書いた記事のリスト お時間がおありの方は、どうか心しておつき合いください。
─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ 「はてな自警団」のみなさんが、どうしてわざわざブックマークをつけて宣伝をしてくれるのか、ようやく分かりました。 ここでは、自分が「不愉快」に思う記事をわざわざ読んでブックマークし、否定的なコメントを書く方を、「はてな自警団」と呼ばせていただきます。
そういうタイプの方がはてなには多数いらっしゃるのは存じておりましたが、どうしてそういうことをする方がいらっしゃるのか、長らくもう一つ理由が分かりませんでした。
ぼくが書いた一連の記事のうち、「差別」と「EM菌」に関するものは、閲覧数を稼ぐために、意図的に刺激的な書き方をした部分や、思慮が足らずに刺激的な書き方になってしまった部分があり、「炎上商法」的な受け止められ方をしたことも含め、
「こういう記事は見たくない」
といったコメントを書きたくなる方の気持ちは分かります。
けれど、ブックマークが集まれば宣伝になってしまうのですから、素知らぬ顔をしてスルーするか、せめてtwitter などで自分の仲間内で共有すればいいだけではないか、と思っていました。
そこで、「牛乳の有害性」についての記事を書くにあたっては、
タイトルはあえて、刺激的なものにしましたが、 最初にくどいくらいの前置きをおくとともに、 内容はシンプルに徹し、「こういう話もあるから、気になる方はご注意ください」 という程度にとどめました。
残念ながら、前の記事と比べて、あまりコメントの内容に違いはなく、否定的なコメントによって記事の宣伝をしてくださる方が、やはりたくさんいらっしゃいました。
しかしながら、こうしたメインの記事を書く合間に、コメントをくださった方へのお返事集も二つ書いているうち、そうしたやりとりの中で、ようやく
「相手の宣伝になるにも関わらず、否定的コメントをつける方がたくさんいる理由」
が推察できました。
多くの記事の書き手の方にとっては、「宣伝」のメリットより、「否定的コメント」のデメリットのほうが大きいので、
「はてな自警団」が否定の対象にするような内容は自粛することになる というわけなんでしょうね、多分。