この世の中、正気と言える人はほとんどいない。
夫婦はたいてい共依存で、社会はおおむね共同妄想。
えっ、ぼくですか? ぼくだってもちろん、気がフレまくりですよ。
じぶんをせめないこと
そうすれば
ひともせめないですむ
だらだらと hatena の海を漂っていたら、たまたま gabbard さんのところに行きついた。
そして神戸の精神神経学会(2)という項に「石郷岡純先生『統合失調症の最新の薬物療法』」という話の
紹介があって、日本の精神科医の多剤併用療法を批判するもの。
精神科医は、考えを改めねばならない。
抗精神病薬を鎮静を目的として投与することは避けるべきだ。
あくまで精神科医の仕事は、至適用量を見出すことなのだ。
「至適用量」というのは効果があって最低限の薬の量ということ。
一般的に言って、日本の精神科医は薬を使いすぎで、患者の副作用に無頓着すぎると、
共同作業所勤務のわたしの目から見ても思えます。
お医者さんにはこのあたりのこと、もう少しきちんと取り組んでいただきたいところです、はい。
結局ぼくは *いいかっこしい* のために生きてるだけなんだな。
ここに文章を書いてることも、たとえばその一つの表れで。
だから そこのところを 見つめなおして生きていくことができれば、
それだけで、たぶん大丈夫。
たぶん。
.... いや、確かに。
もちろん、言うは易し行うは難し、ですが。
ラーマクリシュナさんはインド・ベンガルで十九世紀という時代を生きた人。
今その人の伝記「インドの光」(田中 嫺玉、中公文庫 1991)を読んでるのだが、
認識の高みに登った人の物語を読むのは楽しい。
ぼくの印象では、この人は、お釈迦さんやイエスさん、あるいはムハンマドさんに
匹敵する人物だと思うのだが、生きた時代が現代に近いぶん、人間味が感じられて、
つまりそれは伝承による神格化が進んでいないということなんだけれど、そこらあたりで
あらためて感じたのは、悟るとか、神を見るとか、神の声を聞くとかいうのは、
おぼろに感じるところから、かなりはっきり分かるところまで、様々な拡がりがあるに
違いなくて、それは終わりのない道行きだから、完全に 悟るとか神を知るとか、
そういう状態は所詮ないってことなんだよね、たぶん。
そういうわけで、ぼくも、どこまで行けるかしらないけど、ぼちぼち道を歩いていこうかなと、
元気のあるときは思っとるんですよ、はい。
# ところで この本は、amazon でみるとなかなかいいお値段がついてます。
# ぼくは職場が都内なので、相互貸出で隣の区の図書館のを借りました。
# 東京都は図書館横断検索というのがあってとっても便利です。