やや趣向は違いますが、ぴんときたら、こちらをどうぞ。
http://meratade.blogspot.com/2016/03/1.html
まずは、ヴィパッサナーの話を書いています。
一日一日をすっきり生きていけたらそれでいい。
そんなふうに思うようになってきた。
そうはいっても、すっきり生きられるように心がけているかというと
そんなにまじめにやってるわけでもない。
酒に頼りすぎるのをどうにかしたほうがいいとは思っている。
思ってはいるのだけど、まだその時期じゃないない、とかなんとか
自分にいいわけして、誤魔化し誤魔化し日々を暮らしている。
とにかく、自分がそんな程度の人間だと、きちんと認められるようになったわけだし、
とりあえず、それを一つの足がかりとして、次のステップをうかがう……。
一応、そんなふうに自分を納得させている。
とまあそんなわけで、もう少し日々をすっきりと生きていきたいものです、はい。
あたまのなかにもやもやしたものがあるわけです。
そのもやもやしたものをどうにかしたいのですが
どうしたらいいのかがわからなかったりするのです。
マクドでそろそろひるどきで やかましいから はやくでたい、
でたいのに そのもやもやが ぼくをひきとめて ひらがなをこうやってならべさせるわけなんです。
わかりますか、このかんじ?
わかるひとは すくないのでしょうかね、たぶん。
すくなくても いいんです。
これをしっているひとがいる ということを
ともかくぼくはしってます。
ほんとにそうなのか といわれたら さあ、どうでしょうね
としか こたえようもありませんが、
とにかく そうなのだ と ぼくは しんじることにするのです
もやもやは もやもやのままに
ことばにならないものは ことばにならないままに
ことばにならないもののまわりを
ことばのならびで うめてみる
そんなこんなで
じかんがすぎてゆきました。
いや、だから、生きるということに特別な意味なんてないわけでね。
それは別に、「わたしの生きる意味はこれです」って人の、その意味を
無にしようってわけではなくてさ、客観的かつ一般的な、誰もが納得するような
意味なんて人生にはないっていう、そういう当たり前の話なんだけどさ。
そいで、そういう見方からして人生には意味がないってこと、
「大人」がこれのために生きろ、なんていうのは、ほとんど役に立たないんだってことに
気づいたときから、自分なりの意味を意識的に立ち上げていくことになるんだから、
まあ、いいじゃないの、こんな文章、それこそ大した意味なんかないけど、
ぼくにとっての確認の作業なんだよ、みんなもそれぞれに確認してるはずだよ、
だからさ、ぼくはこうやって「大人」にならないままに この限られた人生という
時間を自分なりに切り取っていくだけだよ。
で、それだって結局みんなも おんなじことだよね?
[写真はタイのドライブイン、夜の看板]
なるほど、ヴィシュダ・チャクラは喉か。
じゃ、この 喉にきてる夏風邪が過ぎたらヴィシュダ・チャクラが少し浄化されると、
そういうことにしておきましょう。
んでもって、もう少し気持ちよく表現できるようになるとありがたいですわ。
一週間に一度くらいは更新したいと思っている。
だが、今日は特に書くことが思いつかない。
書くことがない、と書くのは最後の手。
この weblog ではそこまではしない方針でいたのだが、
その場の気持ちに任せ宗旨替えをすることになった。
あからさまに言ってしまえば、すべての表現は所詮
暇つぶしにすぎない。
タチの悪い人の便所の落書きのごときも、才能ある人の読んで面白い言葉も、
何もかもがこどもの遊びに毛が生えたものでしかないし、
逆に言えばどんなものであれ、そこに輝きを見出すならば、
それはその人にとっての宝物になる。
ここに叩き出された言葉が誰かの宝になると思うほどには自惚れていないが、
こうやって人目に晒すからには、どなたかの暇つぶしとして役に立つこともあろう。
少なくともすでに、僕自身の暇つぶしにはなっている。
それ以上何を望むべきか。