ハインリヒ・フォン・クライスト「チリの地震」 十八世紀から十九世紀にかけて三十四年の短い歳月を生きたドイツの人の短編集です。 やや古めかしくはありますが、奇妙な味の短編好きのかたなら一読して損はない。 表題作の「チリの地震」など悲劇的な因縁譚が中心で、ぼくは芥川龍之介やディーノ・ブッツァーティを 連想しました。 巻末の「マリオネット芝居について」はボルヘスを思わせる哲学小説。面白いです。

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ディーノ・ブッツァーティ「神を見た犬」関口英子訳、光文社文庫2007 みさなん、お元気でお過ごしでしょうか。 この本については前にもちょっと書いたけど、また読み直したので感想を追加します。 ブッツァーティは独特の味わいの幻想的ないし寓話的短篇を書いたイタリアの人だけど、 「呪われた背広」は星新一とも似た感触の話。 料金を請求しない奇妙な仕立て屋が作った背広。その背広を着てポケットに手を入れると 一万リラ札が一枚ずつ、いくらでも出てくる。 ところがそこで手に入れた額だけ、世間では不幸な事件が起こる... 人間の愚かさを笑うブラックユーモアが効いた作品です。 さて、とっても苦いブラックであったり、どうにも救いがなかったりといった作品が多い ブッツァーティ なのだけど、「驕らぬ心」はニヤニヤしながら読んでいたのに最後の場面では思わず泣いて しまいました。 ちょっと長めにストーリーを紹介。 都会で隠遁生活をする修道士のもとに、ある日若い司祭が告解に来て言う。 高慢の罪を犯したというのだ。 修道士が詳しく聞くと、若い司祭は「司祭さま」と呼ばれる度になんともいえない 喜びを感じてしまうのだという。 修道士はまさかこんなこととはと思いながらもその敬虔で純真な司祭に赦し(ゆるし)を 与える。 三、四年が経ち、またその司祭が修道士のもとに訪れる。今度は前よりももっとひどい 状態だと言い、「司教さま」と呼ばれる度に喜びを感じてしまうのだという。 修道士は、この男は哀れな愚者でまわりの人間からからかわれているに違いないと 思い、再び赦しを与える。 それからまた十年。同じ司祭が修道士のもとへ。修道士はまだ同じことで悩んでいるのかと 尋ねる。すると司祭はもっと情けない状態だと言う。「大司教猊下」と呼ばれる度に 喜びを感じてしまうのだと。 お人好しのこの司祭は年をとるにつれて愚直になり、まわりの皆が調子に乗って彼のことを からかっているに違いない、修道士はそう思い、三度(みたび)司祭に赦しを与える。 やがてある日、老いさらばえた修道士は、死が間近に迫ったことを知り、ぜひヴァチカンに 行って聖ピエトロ寺院や法王さまのお姿が一目見たいと思う。 そして、ヴァチカンに行った修道士が見たものは... ぼくとしては、「おもしろくて、しかもいい話」海外短篇部門第一位の栄誉をこの短篇に 与えたいと思います。 ヴォネガット、カフカ、カルヴィーノ、ボルヘス、そんな作家が好きなあなたに お薦めしておきます。 それではみなさん、また来週*1! *1:「来週」という表現に特別な意味はありません(笑)。

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以前森下一仁氏の weblog で見かけて気になっていた 山田正紀「オフェーリアの物語」理論社 2008 を読んだ。 森下氏の言葉を引くと 明治維新後の理性が支配する日本と、それ以前の夢想がそのまま現実と溶け合っていた日本とを 不思議な言語理論で対比する意欲的な作品 ということになるが、その対比は、西洋と東洋、現実と夢、言葉と言葉以前、さまざまな 形として描かれている。 ぼくはついカスタネダのトナールとナワールを思い出してしまうのだが、この対比がとても 本質的なものだということですよね、つまりは。 維新前後の日本だけれど、どこか幻想の場所のような、そうした舞台設定の上で、 小さな女の子の人形使(にんぎょうし)とビスクドールを主人公に据え、異形の世界の奇妙な 植物も盛り沢山(消粟[けし]が一番気に入りました)、謎解きミステリの形をとった このアクション哲学マンガ、きちんと終わっていないのがなんとももったいないので、 ぜひ続編を期待したいところです、はい。

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「スターシップと俳句」ソムトウ・スチャリトクル; 冬川亘訳; ハヤカワ文庫SF; 1984 24年振りに、この本を読み直した。 翻訳が出たのが、1984年、ということに縁起を感じる。 マンガ的、「虎よ、虎よ」的、「ニューロマンサー」的、そしてタイ出身の 無民族作家にしか書けない、奇妙に歪んだアジア的物語。 ぜひ原書を読んでみたいと思った。 ちなみに著者のタイ語での名前は สมเถา สุจริตกุล なので、日本語表記は ソムタウ・スチャリックンのほうが元の音に近くなる。 こちらに比較的詳しい紹介もあり。 http://www.page.sannet.ne.jp/toshi_o/check_list/1982_86/starship.htm

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呪術師カスタネダ

「呪術師カスタネダ」リチャード・デ・ミル、マーティン・マクマホン; 高岡よし子、藤沼瑞江訳; 大陸書房1983 カルロス・カスタネダに関心のある人には、ぜひこの本の第二部を読んでほしいと思う。 だいぶ前からこの本のことは知っていたのだけど、大陸書房から出ているので、 ちょっと怪しさ を感じ、放っておいた。 それが、この間フロリンダ・ドナーの「魔女の夢」を読んでみたら面白かったので、こっちも 読んでみることにした。 とてもまともで、しかも面白い本である。 アメリカでは別々に出版されている本をを一冊にまとめたもので、 第一部「呪術師ドン・フアンの世界」は、カスタネダの最初の三冊の 著作を手際よくまとめたもので、人類学専攻の学生向きの参考書だと いうのもおもしろい。 この部分は、カスタネダをまだ読んだことのないひとが試しに読んで みるにもいいし、カスタネダをもっと読み込みたい人には便利に使える だろう。 この本の真骨頂は第二部「カルロス・カスタネダの旅」にある。 カスタネダの著作はとかく、ノンフィクションなのかフィクションなのか、 という視点で論じられやすいが、著者であるデ・ミルは綿密な資料に基づき カスタネダの著作は事実に基づくフィクションであると断定する。 けれど彼は、一部の学者の先生方のように、だからカスタネダの著作は でっち上げのうそっぱちで、これっぽっちも価値がない、というのではない。 膨大な資料に基づき、自身の経験を交えて紡ぎ出されたカスタネダの著作を、 C・S・ルイスにも比べられる力を持った小説として評価するのである。 カスタネダへの愛情に満ちた、だかちこそ辛口の批評満載の、評伝かつ評論 であり、カスタネダに関心を持つ人には是非読んでもらいたい本である。 きっと新しい発見があるだろう。 なお、デ・ミルがまな板に載せているのは以下の四冊である。 呪術師と私―ドン・ファンの教え 呪術の体験―分離したリアリティ 呪師に成る―イクストランへの旅 未知の次元 ちなみにリチャード・デ・ミルは元々心理学をやっていた作家とのことで、 もう一冊カスタネダについて"The Don Juan Papers" という本を出している。 こちらもそのうち読んでみたい。

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フロリンダ・ドナー「魔女の夢」近藤純夫訳、日本教文社1987 この本は、カスタネダのお仲間である女性人類学者フロリンダ・ドナーが、 ベネズエラで女治療師のもとに住み込むことになり、その経験を縦糸に、 そして、その女治療師のところに訪れる「患者」から聞くエピソードを 横糸に紡がれた物語である。 ここには、人間が他の人間ににどういう影響を与えうるのか、ということが鮮やかに 描かれている。 カスタネダの著作より文芸的な完成度は高く、ホルヘ・ルイス・ボルヘスや、ガルシア=マルケスにも近い、南米のねっとりとした人間関係が感じられて面白い。 あいにく絶版のようで入手は困難だが、図書館で探してでも読んでほしい本である。 フロリンダ・ドナー「魔女の夢」近藤純夫訳、日本教文社1987 ☆なお、フロリンダ・ドナーの「シャボノ」というアマゾンの奥地に住む先住民族ヤノマミの暮らしを描いた作品があり、ヤノマミの人々の原初的・魔法的な世界観が、すばらしい筆致で心動かされる物語として紹介されている。冒頭の一部の私訳を公開しているので、よろしければご一読を。 http://meratade.blogspot.jp/2016/10/blog-post.html

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湊由美子「ゆみペンギン南の島で」東京図書出版会 2008 ゆみペンギンこと湊由美子さんはタイの島サムイでダイビングショップを 経営している京都出身の女性である。 この本はそんなゆみペンギンさんのダイビングインストラクター修業時代の 記録である。 ヴァヌアツ共和国エスプリッツ・サント島での、 水深40m以上の沈没船ダイブと、 サメに襲われても続行する、サメの餌付けダイブ。 この二つはダイビング本としてのこの本のハイライトである。 危険というものが商品になってしまう現代社会の不可思議さを感じる。 ダイビングインストラクター修業時代の記録と書いたが、ダイビングにまつわる エピソードは、上のヴァヌアツの話でほとんどで、あとはニュージーランドでの 語学留学の様子と、そのあとのニュージーランド、オーストラリア、そして タヒチ、ニューカレドニアを巡る旅の記録であり、そう言う意味ではよくある 旅日記の形式でしかない。 しかし、中身はおもしろい。 一つにはゆみペンギンさんがあまり下調べをせずに状況の中に飛び込んでいく ために起こるハプニングからくるものだろう。 羊を飼っている牧場でファームステイをしたいと思い、情報誌でようやく 受け入れてくれる牧場を見つけ、やっとのことでその牧場に辿りつく。 ところが、そこで待っていたのは牧場の仕事ではなく、なまけものの主婦が 散らかし邦題にしている家の片付けと掃除だった... そして、こうしたハプニングに対するゆみペンギンさんの、これはまいった! と思いつつも健気に大らかに向き合っていく、その姿勢がすがすがしくも 気持ちよい。 笑えるエピソードがいっぱいで、その前向きな生き方からは毎日を生きる力を 分けてもらえること間違いなしの、旅好きの人には是非おすすめの一冊です。 なお、ゆみペンギンさんのやっているペンギンダイバーズのホームページは こちらです。

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ホルヘ・ルイス・ボルヘス「砂の本」篠田一士訳、集英社文庫1995 話す言葉が文字によって表されることの不思議さ。 子どもの頃からぼくはそういうものに心を魅かれていたようだ。 そんなこともあって今までにいくつもの外国語をかじってきたが、 世界語エスペラントもそのひとつ。 久しぶりにボルヘスを読んでいたら、『砂の本』に収められている 「会議」という短編にヴォラピュクの名に並んでエスペラントの名が 出てくるのに気づいた。 「会議」は、ウルグアイの農場主が全人類を代表する世界会議を 作ろうとする物語である。その会議の会員が使う言語の検討対象として ヴォラピュクとエスペラントが挙げられている。 エスペラントについては、アルゼンチンの詩人ルゴーネスが 「公平、単純、経済的」と『感傷的な暦』の中で述べた、とある。 この「会議」もとても面白いし、ラヴクラフトに捧げられている 「人智の思い及ばぬこと」もゴシックの香り漂う奇妙な味の恐怖小説であり、 名品と思う。 この世界の向こう側に存在する、不可思議なもう一つの世界を描くという 意味で、こうした作品を読むと、カスタネダやr.d.レインとのつながりを 強く感じる。

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カート・ヴォネガット「タイムクエイク」朝倉久志訳 (ハヤカワ文庫2003) ヴォネガットの最後の長編。 63の断章とプロローグ、エピローグからなる、いつものヴォネガット節。 ほかの小説でも狂言回し的に重要な役を演じる売れないsf作家 キルゴア・トラウトが主人公。 読み始めて初めのうちは、ちょっとたるいかしら、と思ったのだが、 だんだん面白くなってきて、19章、20章で紹介されるキルゴア・トラウトの 短編「防空壕のビンゴ・パーティ」はトラウトの最高傑作だと思う。 ナチス敗北寸前、ベルリンの地下壕でヒトラーたちがビンゴゲームで遊ぶ、 果たしてヒトラーの最期の言葉は...? みたいなブラックな話です。 それから最後63章でのキルゴア・トラウトの、人間の意識、魂を謳いあげる 演説。ヒューマニストたるヴォネガットの面目躍如、てなとこでしょう。

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藤田西湖「最後の忍者 どろんろん」新風舎2004 1900年生まれ、甲賀流忍術14世を名乗る藤田西湖の回想録はまったく 波瀾万丈である。 甲賀流13世の祖父から忍術を習い、三峯山で山伏の修行をする、 透視能力を身につけ、生き神様に祭り上げられ、十五年戦争では 満州事変の調査をし、果ては蒋介石の暗殺を命じられる... どこからどこまでが事実かはさておいて、カスタネダやトム・ブラウンと 肩を並べる、滅法おもしろく示唆に富む物語として読んだ。

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としべえ2.0β

北インド・ハリドワル辺りに出没中。

物好きな物書き

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