※こちらの記事にブックマークをつける前にぜひお読みください。
・「差別」「EM菌」「牛乳の有害性」についての記事を宣伝してくださっているみなさまへ、感謝の言葉とお願い、そしてご説明 - *魂の次元*
前の記事
・Q:差別発言に表現の自由はあるか? A: ええ、もちろん。あるいは、敵は作るな、味方を増やせ - *魂の次元*
で、
人間には「差別する」自由だけでなく、「ありとあらゆることをする」自由がある しかし、「差別する」自由は法律で制限される という意味のことを書きましたが、分かりにくかったようなので、もう少し説明します。
なお、いくつかご指摘を受けましたが、「差別する自由がある」という言明は、確かに「強すぎる」ものと思いますので、この記事では、前回の記事との整合性をはかるため、その表現を使いますが、今回限りの表現としますので、その点はご理解ねがいます。
また、「内心の差別」についても少し書きます。
あなたの友だちがあなたに対して「日本人」を差別するような発言をしたとして、それを法律で取り締まることができるでしょうか? 「差別する自由」という強い表現と「自由」という言葉の定義について 「行為としての差別」は法律で制限されるが、それだけでは不十分なので、「内心の差別」をしっかり意識しておく必要がある [追記]「敵は作るな、味方を増やせ」再び あなたの友だちがあなたに対して「日本人」を差別するような発言をしたとして、それを法律で取り締まることができるでしょうか? あなたの日本人の友だちが、私的な場面であなたに対して、
日本人というものは、その政治状況を見れば、人種的に劣っていることは明らかなので、皆殺しにしてしまえばいいのだ、 と言ったとします。
これは立派な「差別発言」ですが、こうした発言を一々法律で取り締まることは、可能でしょうか?
また、仮に可能だとしても、取り締まることに意味があるでしょうか?
法律で制限されているからといって、すべての違反行為を取り締まることは現実問題として不可能ですし、軽微な行為まですべて取り締まろうとすれば、経済的にも割に合わないことになるでしょう。
その意味で、
人間は法律で制限された行為をする自由を当然持っているし、 現に行使している その上で、そうした自由は法律で制限されている という、原則的な話をしているわけです。
ですから、法律をどんどん破ればいい、という話にはなりません。
人間には、すべての法律を守ることは不可能だし、それを一々取り締まることは現実的でない、ということを言っているにすぎません。
また、重大な違反行為をすれば、法律にもとづいて社会的制裁を受けることになるのは言うまでもありません。
(現実には、重大な違反行為をしながら、なんら制裁を受けないケースが、近年のニッポンにおいては多々見られる点を大変憂慮しておりますが……)
ここで、「社会的制裁」というのも大切なところで、ネット上や各種メディアにおいて、「正義派」のみなさんが、「私的制裁」を加えている現状は、好ましいものとは思えません。
(「私的制裁」を好きでやっている方に、それをやめろというつもりもありませんし、あるいは、ご自身が差別を受けている被害者の方が「差別する自由」という言葉から精神的被害を受けた、というのであれば、それにはきちんとこたえる必要があると思いますが)
「私的制裁」が好ましくないのは、法律に違反しているかどうかについては、基本的に裁判所が判断すべきだと思うからです。
もちろん裁判所の機能にも限界はありますから、それをただすような議論は、当然必要になりますけれども。
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「差別する自由」という強い表現と「自由」という言葉の定義について なお、前の記事に対するコメントでid:Ayrtonismさんが、
「差別する自由」という強い言葉は、その人の「言いたいこと」とは別に一人歩きするから、この人の解釈が正しかろうと批判者が誤読していようと、最初の段階で叩くのはとても大事なこと。 と述べているのは、「叩く」という表現以外は同感です。
差別を助長しかねない「強い」表現を不用意に使わないほうがよいのは、その通りです。
ただし、発言者の「人格」を不用意に「叩く」ような行為は、問題をこじらせるだけに思えます。
(このことは前の記事でも述べているとおりです)
また、id:udonkokkoさんからは、
「可能」と「自由がある」は違うと思う。 というコメントをいただいております。
「自由」という言葉をどう受け止めるかは、人それぞれに違って当たり前ですし、「差別する自由がある」という言い方は、確かに強すぎるかもしれません。
「安易に表現の規制をすべきでない」という文脈なので、あえて「差別する自由がある」という強い言明をしましたが、実際に言いたいことは
誰にでも差別は可能だし、 誰でも差別をしかねず、 それをすべて法律で取り締まることには無理がある ということになります。
はいさい、みなさん、お元気ですかー。
おまきざるさんの、
・普通とは何か? - おまきざるの自由研究
という記事がおもしろかったので、今日はちょっと相乗りさせてもらいます。
人が使う「普通」が分からない、おまきざるさんのモヤモヤ あなたは「普通」という言葉を定義して使いますか? ゲンミツ派とザッパ派の話 「普通」という言葉をいちいち「定義」してから使いますかね? ゲンミツ派とザッパ派の仁義なき戦い、あるいは無駄な争いはやめるが勝ち 人が使う「普通」が分からない、おまきざるさんのモヤモヤ おまきざるさんが書いているのは、
ネットで見かけた記事に「普通の人」と書いてあるのだけれど、 そこでの「普通」の意味が分からない、 あるいは「普通」の使い方がおかしい気がして、 モヤモヤした、 といった話です。
そして、
一言で表現するならば,「普通」とは自分の観測範囲内でのマジョリティなのかもしれません.
という形で「普通」という言葉を説明してくれていて、これには納得です。
その説明にたどり着く過程では、
何が「普通」なのかは時代によって,そして自分を取り巻く環境によって変わります.
と述べ、その例として、
「普通コンビニで薪が売っているか」
という話を上げてるんですよ。
コンビニで薪が?
いや、そんなもの、「普通」売ってないですよね。
と、東京原住民のぼくなどは思うわけですが、なんとノルウェーには日本のコンビニ・サークルKがあり、そこでは薪が売っているというのです。
さすがノルウェー!
......と思わず称賛したくなるところですが、そのあとに更に驚きの報告が続きます。
Aさん「えっ、薪? そんなん仙台のコンビニじゃ普通に売ってるよ」
Bさん「てことは仙台はノルウェーだった!?」
......みたいな話で、これには大笑いしました。
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あなたは「普通」という言葉を定義して使いますか? ゲンミツ派とザッパ派の話 そうして、モヤモヤに端を発したおまきざるさんの考察は、
「普通」という言葉を定義しないで使う場合、読者がそれぞれにイメージを浮かべるのでコメントが集まりやすい。 逆に「普通とはこうだ」と定義すると、「自分はそう思わない」という異論が出やすい。 記事中で定義をしないで「普通」という言葉を使うのは、コメントを誘うためのあざとい手法である。 と同時に、そうした記事は「普通」とは何かを考えるよいきっかけにもなりうる。 という結論に至るのですが、ここはちょっと「はてな?」と思いました。
「普通」とは何かを考えるよいきっかけになる、という最後の結論はいいのですが、「普通の人」という言葉を使った方に、そんな「あざとい」意図があったようには思えないんですよね。
もちろん、これはぼくの解釈にすぎませんから、間違っているかもしれません。
けれども、ここで読者の皆さんにうかがいたいのは、
「普通」という言葉をいちいち「定義」してから使いますかね? ってことなんです。
科学派であり論理派であろう、おまきざるさんにとっては、記事内容のゲンミツさが大事でしょうから、「普通」を「定義」することは、*普通* のことなんだろうと思います。
また、おまきざるさんの記事にブックマークでコメントをつけている方々も、おおむね似た意見をお持ちのようですから、こうした立場をゲンミツ派と呼ぶことにしましょう。
しかしながら、おまきざるさんが「モヤモヤ」した大もとの記事の一つである
・普通の人がお金のことについて勉強しておくべきこと - ゆとりずむ
はてな村のみなさん、こんにちわ。
ぷちウェブ作家のとし兵衛です。
今日も今日とて、他人のふんどしで明太子漁に出かけましょうかねー。
* * *
ネパールの国境近いゴラクプルというインドの東北部の街から、南西のムンバイに近い、イガットプリという小さな街へと、鉄路を揺られること 36 時間、1,552 km 、はるばる来ましたマハラシュトラ州。
インドには何回来たかもう忘れましたが、この州に来るのは初めてです。
そして明日より、ヴィパッサナ瞑想十日間の合宿コースが待っています。
その合間の時間を利用して、ネット上での「爆発的に共有されるかもしれない」記事の書き方について、相田ケイさんの、
・拡散される記事を量産するための、ただ1つのシンプルな考え方 - オモロク
を肴に考えさせていただきます。
勝手ながら、相田さん、どうもでーす。 * * *
「せっかく書いた記事を、多くの読者に読んでもらいたい」
多くのみなさんが、密かにこう思っていらっしゃることでしょう。
ただし、夜中たわし id:tawashix さんのように我が道を行く方は、また別です。
ぼくの先日の記事、
「交遊」でいくか、「検索」でいくか。はてなで読者を増やす二つの方法 - ブックマークとサーチコンソール - *魂の次元*
に対してたわしさんから、次のようなコメントをいただきました。
検索されやすい記事を考えたり分析するの、面倒なんだよなぁ?。なのでサーチコンソールなんかはほぼ活用せず、フィーリングでやってます。
実に素晴らしい生き方です。「検索エンジン最適化」などという邪道の手法は使わず、勝負の武器は「フィーリング」のみ。
加速装置の他には「勇気」だけが武器の、サイボーグ009 並みの潔さです。
思わず、訳詞: なかにし礼、歌: ハイファイセットの「フィーリング」のメロディーが頭の中に、大音量で響こうというものではありませんか。
というわけで、たわしさんも、布団の中でうたた寝をしながら記事のアイディアを練りつつ、自分の記事が百万バズする夢を見ているかもわかりませんが、わたくしのように小賢しくも
「いかにしてたくさんの読者に読んでもらうか」
などということを考えていないことだけは確かであります。
たわしさんはじめ、id:watto さん、マミー id:mamichansan さんの三師匠にならい、わたくしめもきっちり自分の記事を書いていくという本道を歩んでいきたいところなのではありますが、あいにく本日のネタは、
「いかにして記事は拡散されるのか」。
さあ、それでは、いよいよ本題に入らせていただきましょう。
* * *
それにしても、相田ケイさんの記事は分かりやすいですよね。
多くの人に読んでもらうためには「共感」が大切。 「共感」の三要素として、「分かりやすさ」、「あざとさ」、「みんな知ってる」を押さえておくべき。 「分かりやすさ」のためには、小学生にでも分かる文章を。 「あざとさ」としては、読者層を意識した上で、読者に適した刺激的な演出を。 「みんな知ってる」も、読者層に適したよく知られている話題を上手に盛り込む。 というような内容が、よく整理された形で、分かりやすい例とともに書かれていますので、無理なく「共感にもとづく記事作り」を理解することができるでしょう。
その他の細かい点については、相田さんの元記事、
拡散される記事を量産するための、ただ1つのシンプルな考え方 - オモロク
をぜひお読みください。
いろいろと学ぶことがあると思いますよ。
* * *
さて、ここで、相田さんの記事を読んで、ぼくが面白いと思った部分について、野暮を承知で解説させていただくことにします。
はてなのみなさん、ネパールより、ナマステジーっ。
前回の Adsense ネタの記事
アマゾン・アフィリエイト、note.mu 、そしてアドセンスまで - ぼくのネット上小遣い稼ぎの黒歴史 - *魂の次元*
では、Amazon Associate (記事 30 本ほどで 2,500 円ほど) や note.mu (記事 100 本ほどでやはり 2,500 円ほど) といったささやかな収入も合わせ紹介しましたが、今回は Adsense シリーズの続きとして、その後四ヶ月が過ぎたところでの微々たる進展について報告したいと思います。
さて、前回の記事の Adsense に関わる内容は、「九ヶ月の期間に 70 本ほどの記事を書き、約 700 円の収入があった」という話でした。
どう控えめに表現しても、小遣いと呼ぶには「遥かに遠く及ばない」というしかいいようのない金額ですが、千里の道も一歩から、これがいつか巨万の富に結びつかないとは、誰にもいうことはできません。
...... というような、わらしべ長者的セリフはこのくらいにして、その後の四ヶ月の進展を簡単に書いてしまいましょう。
この四ヶ月も、気が向くと記事を書く、といった程度の適当な更新を続けていた http://meratade.blogspot.jp ですが、書いた記事数が 15 本と少ない割りには、300 円ほどの収入があり、Adsense の第一関門 1,000 円を超えることができました。(やったーーっっ)
※ちなみに、Google Adsense の規約では、google からの支払額以外のデータは公表してはいけないことになっています。この記事では、細かい数字は出していませんので、たぶん問題にならないはずですが、万一問題にされれば、最悪 Adsense アカウントの停止といった事態にならないとも限りません。大変危険ですので、良い子のみなさんは、絶対真似しないでくださいね♬
まったく不真面目な Adsense 利用者である私は、第一関門突破を意味する、4 月 13 日付けの、住所確認書類を送った由の google のメッセージに、半月以上も経った今日ようやく気がついた次第で、さきほど実家の弟に「郵便をチェックしてPIN コードを教えてちょ」とメイルしたところです。
(この PIN コードを Adsense アカウントで入力することで、google からの支払いを受ける準備がととのうことになります。)
1,000 円の関門は、単に住所確認だけで、実際の支払いは収入の累計が 8,000 円を超えないとしてもらえません。
こちらの記事
ムスリムの子は給食をどう食べているのか - お母さんが超大変 - めんどくさいとやらないブログ…だった
に、「ムスリム(イスラム教の信者)の方が学校給食に合わせること」の苦労話が紹介されています。
理想は、給食がハラル(ムスリムの方が食べられる食事)に対応することだと思いますが、現実にはいろいろと難しいのでしょうね。
それにしても、この件について、ネット上で見受けられる意見には、信教の自由についての理解がないものも多く、その「排外的」な口調には「不穏」な空気も感じてしまいます。 上記の記事のブックマークコメントで、id:maruXさんが「日本は宗教に寛容じゃなくて宗教に無神経って言ってた人がいた」と書いていますが、この言葉には深くうなづきました。
日本のように集団主義が社会全体を覆っているような国では、「給食を食べない」ということ自体が「排除」や「差別」の原因になりかねませんから、ムスリムの方に対して、「給食は食べず、給食費を払わなければいい」というのは、十分な答えとは言いがたいでしょう。
また、「アレルギー対応は命にも関わる健康上の問題であり、信教の問題とは比べられない」という意見もありますが、信教の自由も憲法で保障されている以上、学校給食についても、健康上による個別対応だけでなく、ハラル食についても個別の対応を考えることは、当然必要なことと思います。今すぐには無理だとしても。
「親の妄信のせいで子どもが食事を取れないのは子どもに対する虐待である」という意見も、個人のご意見としては尊重しますが、信教の自由も、宗教の価値もご存じないままに、文化の多様性をばっさり切り捨てるそのきっぱりとした態度には、安倍政権に象徴される日本の「総天然色全体主義」がくっきり現れすぎていて、悲しさとおかしさと怒りがないまぜになった、奇妙な感情が沸き上がってまいります。
なお、id:isshokuさんの、『クルアーンには「無理ならしゃーない」(意訳)って書いてあると聞いた』という件についてですが、ハラルのみを食べるということは、別に無理なことではありませんから、経験なムスリムの方がわざわざハラル以外の食事をすることを避けるのは当然でしょう。
たとえば、料理に大麻草を使う地域もありますが、知らずにそういう料理を食べさせられて、大麻に酔ってしまったら、多くの日本の方は不快に思うのではないでしょうか。
そうした地域で、日本の方が大麻草の入った料理を食べないように気をつけるのは、ごく自然なことではないでしょうか。
異文化を考えるときには、相手の立場に立たされた自分を、よく考えてみることが必要ではないかと思います。
てなことで、日本に比べると、圧倒的に文化が多様なインドより、那賀乃とし兵衛がお送りしました。
それでは、またーー。
みなさん、おはようさんです。
今日はわっとさんのネタを拝借して、ちょいと書きます。
『おんな城主直虎』の「托鉢は、施す方も受ける方も、見返りを期待してするものではない」という台詞をもう一度もじって、「読者登録はする方もされる方も見返りを期待してするものではない」あるいは「ブログは見返りを期待して継続するものではない(ブログをやっていること自体を楽しめない人はブログに向いていない)」と偉そうなことを言って、締めにしたいと思います。 いやー、しみる言葉ですよね、初期仏教より伝わるヴィパッサナ瞑想を実践しているものとしては、ほんとに。
いやいや、本当はそうじゃなくて、日頃みかえりを期待しては、読者登録をしたりしなかったりしているものとしては(笑)。
ぼくの人生は不純度99%です。
残りの1%でなんとか人間性を保ち、今まで生き延びてきました。
まぁ、しかし、それはそれとして、今回の本題はわっとさんの言う「ブログには失敗こそ書くべきだ」という話です。
ぼくは今までに、「ぷち」とか「ナノ」とかいって、「バズ」の話を小さな成功のように書いていますけれども、まー、こんなのは「成功」にはふつう入らないですよね。自慢できるようなものじゃあない。
☆ぼくのぷちバズ報告と、インドのバス旅の愉しみ - *魂の次元*
☆はてな村まであと何歩。あるいは、ナノ・バズしたの、ほんとなの - *魂の次元*
気持ちとしては淡々と事実を書いているつもりなんですが、どちらかというと恥をさらしているようなもので、こんなのも考えようによっては「失敗」のうちかなー、と思ったんです。
「成功」ではないもの、それは「失敗」である、というわけで。
そんな失敗話のついでで書きますと、ぼくは何か一つのことをきちんと続けてやるというのが苦手なんですよね。
☆アマゾン・アフィリエイト、note.mu 、そしてアドセンスまで - ぼくのネット上小遣い稼ぎの黒歴史 - *魂の次元*
こちらにも書きましたが、あちこちのサービスをつまみ食いして、どれもロクな結果が得られていないという体たらくです。
とはいえ、一つのことを継続してはできなくても、「なんとなくこの辺のこと」は続けてやってるらしいのが、ぼくの人生で、ヴィパッサナ瞑想も、途切れ途切れに六年ほどやってきて、ようやく最近、形がついてきたような次第で、ネット遊び自体は嫌いじゃないし、こっちももうしばらく適当に遊んでたら、なんかしら目鼻がついてくるのかなーー、などと思って、こんな記事を書いてます。
ある意味で、「失敗」を続けることが成功につながるかも、みたいな。
もちろん、わっとさんのような先輩が、着実に書いて、しっかり読者がついてるのを見ると、ぼくもがんばらんとなぁ、などと、うっかり思ったりもするのですが、いえいえ、それはぼくにはできない相談なんです。
わっとさんのおっしゃる通り、見返りを期待しないのが大切で、自分の気持ちのおもむくまま、自分のペースにしたがって、ただ淡々と記事を書いていく、それしかやりようはないのであります。
てなことで、今日のところはおしまい。
それではみなさん、またーー。
☆別サイトで「あーす・じぷしー」というおもろい双子の姉妹の本の紹介を書いてます。こちらもよろしければ、どうぞ。
魂の次元: あーす・じぷしーの物語 - 「思い込み」から自由になるって、どーゆーこと?
みなさん、おはようございます。
ながのとしべえでございます。
先日の記事、[[ 「レイア姫」追悼: 月明かりに溺れ、ブラジャーで窒息死]] がぷちバズを引き起こしたことは、昨日の記事、[ぼくのぷちバズ報告と、インドのバス旅の愉しみ] に書いた通りですが、今日はその続報と、SmartNews の(それほどでもない)「威力」について書きます。
そして抱き合わせの話題は、「バズ」つながりで、「ジュリアとバズーカ」とサンリオSF文庫の話です。最後に諸星大二郎が出てくるのですが、それは書ききれなかったので、また次の機会に。
[問]SmartNewsに載るとどのくらい記事を読んでもらえるのかしら? [答]ぼくの場合 1,000 PV ちょっとでした。 アクセス状況を詳しく時間ごとで見て分かったこと(興味のない方は飛ばしてちょ) サンリオSF文庫を知ってますか。そして、アンナ・カヴァンの「ジュリアとバズーカ」(ビブリア古書堂効果で静かなブームがあったらしい)。 カヴァンの「以前の住所」と諸星大二郎の「ど次元世界物語」 [問]SmartNewsに載るとどのくらい記事を読んでもらえるのかしら? [答]ぼくの場合 1,000 PV ちょっとでした。 「レイア姫」の記事が、SmartNews に掲載されたおかげで、おととい、昨日の2日で、1,000 ちょっとのページビューをいただくことができました。
ありがたいことです。
レイア姫ことキャリー・フィッシャーの追悼記事として、キャリーさんのエピソードを紹介するあの記事を書いたとき、これは、はてなで初めてのバズが来るかもしれないな、との予感はありました。
もちろん、そういう予感は空振りすることも多いのですが、今年の三月末から、AdSense を使って blogspot のほうで、ほそぼそながら、ウェブログ術(とは大げさ!!)を研究、実践してきた結果、少しは勘が冴えてきたような気がします。
とはいっても、SmartNews なんて、存在すらすっかり忘れてたし、予想外の新しい経験ができたので、いい勉強になりました。
ちなみに、blogspot のほうでの一番のページビューは、1,200 ちょっとです。
#これまたお粗末!
こちらは、過去二回、参院選に立候補して落選した三宅洋平氏について書いた記事を Twitter で紹介したところ、それが三宅氏の選挙用アカウントでリツィートしてもらえた結果で、そのときの記事はこちらです。ご参考まで。
[三宅洋平は権力にすり寄る節操なしではない]
また、今まで blogspot で AdSense を使ってきた様子については、
[アマゾン・アフィリエイト、note.mu 、そしてアドセンスまで - ぼくのネット上小遣い稼ぎの黒歴史]
に書いたとおりです。 さてそれで、SmartNews で紹介されてページビューが 1,000ちょっと、という話なのですが、wattoさんの記事 がブックマークのホットエントリのトップに載って、7,500 PV とかいうのに比べると、全然少ないですよね。
けれども、SmartNews の威力というのは、どうもそんな程度のようです。
(残念ながら、スマニュー砲でどかーんっ、という具合にはいかないのです)
[こちらのページ] によると、下は数百 PV からで、内容によっては、万の単位に届くこともあるようですけれども。
また、記事は見てもらえるものの、せっかく AdSense を使っていても、その流れで広告をクリックしてもらうというのは、また難しいようです。
特にはてなの場合は、SmartNews からブログを見るとき、記事の内容だけを読んで、広告は表示しないですむモードが選べちゃうんですよね。
だからぼくの場合、 PV は 1,000 越えても、AdSense のインプレッションは 100 強で、対して広告は見てもらえなかったようです。(クリックはありませんでした)
みなさん、ぐっもーにーん、インド沈没おじさん(推定年齢3,052歳)の那賀乃とし兵衛です。
今日はみなさんに、個人的な祝報をお伝えしたいと思います。
なんと昨日書いた記事 「レイア姫」追悼: 月明かりに溺れ、ブラジャーで窒息死 - *魂の次元* が、ぷちバズってくれたのです。
みなさん読んで目を疑わないでくださいよ、このページビュー。 それでバズならぬ、インドのバスの話なんですけど。 みなさん読んで目を疑わないでくださいよ、このページビュー。 なんと昨日のアクセス数が、300万を超えました。
というのは、もちろん大嘘で、実際は 300 を超えただけです。
#ここで、「え゛ーーっ、それっぽっちぃーーーー」とつっこみを入れてください。
(あっ、こんなネタ、小島アジコid:orangestarさんが使ってましたね、失敬。 〔ブロガー名人伝 - orangestarの雑記〕もおもしろいよ)
とまあ、ですから、たったの 300 なんですけど、下の画像を見ていただければ分かるとおり、なにしろ今までが「蝶閑古鳥」だったもんで、これでもぼくにはバズのうち。
そこで一句。
高みより月明かり授くレイア姫 えー、それで、わずか三百ぽっちではありますが(くどいっ)、どこでどうバズったかというと、ぼくのはてな師匠 id:watto さんからの直伝、
はてな伏魔(ぶくま)相乗りの術
が効いたようです。
というのは、たまたま見かけた〔[ジャバ・ザ・ハットの殺し方:レイア姫追悼|WIRED.jp〕という記事に相乗りの告知伏魔させていただいたところ、そこから数名のかたが伏摩してくださり、さらにどうしたはずみか、SmartNews なるサイトに掲載された模様です。掲載状況は確認できなかったんですけども。
SmartNews は結構使ってる人いるのかな。画面がにぎやかすぎて、ぼくには、ちょっとって感じですが。
いえいえ、そんなこと言ってる場合じゃありません。
SmartNews さま、ありがとうございましたぁ。
そして、わたしのこの、蝶イケてる、もとい、いけてないページをいつも読んでくださり、励ましの星やコメントをてくださっている、少数精鋭の読者のみなさま、本当にありがとうございます。
なけなしの力を振り絞って、心の奥底からの感謝の意を表明させていただきます。
だんにゃばーど、こっぷんかっ、むーちゃす・ぐらしあす・あみーごすっ、つっつっっ。
# 順にヒンディー、タイ、スペイン語です。
それでバズならぬ、インドのバスの話なんですけど。 いや、インドのバスは結構ボロいです。
今ぼくは、インドの西のはずれ、ラジャスタン州のプシュカルという街にいるんですけどね。
ここには九月半ばからいるので、もう三ヶ月以上経ってるのですが、先月の三週間ほどは、ここから更に 500 キロほど西のジャイサルメルという街に行ってました。
バスで片道、八時間とかかかります。
夜行バスで寝台になっていて、横になって眠れるのはいいんですが、屋根裏部屋というか、網棚に毛が生えたというか、座ったら頭が使えるような素晴らしく狭い空間で、たっぷり八時間のバス旅が楽しめるという趣向です。
ちなみにこれだけ乗ってお値段なんと邦貨 800 円ほどなんです。
あーら、お安いじゃないの。でしょう、奥さま。今どき、こーんなにお得で耳寄りな話はなかなかありませんわよ。奥さまもぜひ乗りに来てくださいでごじゃるねー。
......と、過酷なバス旅を思い出してか、はたまた睡眠不足で頭が朦朧としてきたか、意味不明の言葉の羅列になってしまっていることを深く、ふかぁーくお詫び申し上げた上で、本題に戻らせていただきます。
インドのバスです。
ほんとに今回のは、かなりひどかったです。
といっても、行きはまだよかったんですけどね。
砂漠地帯の冬の夜は寒く、暖房はなし、窓はちゃんと閉まらなくて、がたがた道を行くおんぼろバスの振動で、いくら閉めても段々あいてきます。
お世辞にも快適とは言えません。
けれども、幸いぼくは寝るのは得意なので、この過酷な環境下でもほとんどの時間を眠って過ごしました。
写真はインド的夜のドライブインです。
問題は帰りのバスでした。
サスペンションがへたってたのか、席が一番前なのが悪かったのか、とにかくものすごい振動、というか、あれは衝撃ですね。衝撃的なまでの振動的殴打の大波が、どしん、ばしん、と横になるわたしの体を鞭打って、とんだ笑劇を演じさせてくれたわけです。
それでも、かなりの時間は眠ってすごしたんですよ。なにしろぼく、寝るのだけは得意ですから。
せ○○○区立○さ○小学校の同窓生の中では、一番寝るのが得意だった自信ありますからね。
で、ようやくプシュカルに戻って、常宿のいつもの部屋で午前中はゆっくり寝て過ごしました。
で、起きてから腕を見たらですね。
「なんだ、この真っ赤になってるのは!?」と目を疑いました。
両腕とも、一面の蕁麻疹です。
敬愛するはてな村民のwattoさんがこちらの記事
http://watto.hatenablog.com/entry/2016/10/09/220000
で、自分のブログは、はてなダイアリーから記事をインポートしているので、記事数が無駄に多いと謙遜しておっしゃっていますが、無駄ってことはないですよね。
興味が湧くと、人さまの過去記事を掘り起こして歩くような「悪い」趣味がぼくにはありまして、さっそくwattoさんの最古の記事群を覗いてみると、2014年11月に中越地震のボランティアにいってらっしゃいます。えらいっ。
ぼくは阪神淡路大震災のときに、地震からふた月ちょっと経った三月末にしばらく神戸に行って、なのにロクなボランティアもせずにいたというダメ人間です。
さてそれで、そのダイアリーからのインポート、というのが、今日の本題です。
って、今頃はてなダイアリーからはてなブログにインポートする人もいないでしょうから、本題もへったくれもないようなもんですが、watto さんの記事を見て、そういやインポートできるんだったよな、と思ったわたしは、すっかり放置状態のダイアリーから記事をインポートすることにしたのです。
こちら http://help.hatenablog.com/entry/import を見ると簡単に3ステップで簡単にインポートできます。
うまい具合に作ってあるもんです。
さすがは、はてな(よいしょっ)。
ぼくの場合は記事数 238 、コメント 38 と大した数ではなかったので、15分かそこらでできました。
インポートしたついでに、昔の記事を読み返してみると、おお、わしは十年前はこんなことを書いておったのかと、懐かしい気分になります。
そういえば、インターネットなどというものがなかったその昔、今から三十年以上も前のこと、 高校、大学のころに、日記というわけでもないのですが、気が向くと考えたことやらなにやらをノートに綴っていたことを思い出します。
そうしたノートが何冊かダンボール箱に詰めてあって、何かの折に取り出して読み返すと、まあ、おもしろいやら、気恥ずかしいやら、いろいろです。
ノートに書かれた文字、インクの色、紙の焼け具合など、ネット上の記録では味わえないおもしろさがあるのですが、そういうものも、もはや化石化した文化なのかもしれません。
目まぐるしく変化する社会の流れに、あくせくついていこうというわけではないのですが、新しもの好きのわたしは、大した記事を書くわけでもないのい、あっちのサイト、こっちのサイトに登録しては、放置状態のところがいっぱいあります。
ベトナムの首都はハノイ、南部の商業都市はホーチミンですが、ぼくの場合、放置民というわけです。
てなことで、お後がよろしいようで。
みなさん、こんばんわ。
みなさんはアマゾンのアフィリエイトとか、アドセンスとかやってますか。
ちょっと手間はかかるけれど、ネットに記事を書いてお小遣いが稼げるというのは、魅力的ですよね。
はてなダイアリーとアマゾンのアフィリエイト はてなダイアリーとお別れ、そして note.mu との出会い そして blogger でアドセンス blogger に飽きたらず、新たに adsense 申請 ついに adsense をはてなブログに 〈2017/11/26 追記〉note でアマゾンのアフィリエイトは使えるの? はてなダイアリーとアマゾンのアフィリエイト ぼくが最初にやってみたのは、アマゾンのアフィリエイトです。
登録や審査が簡単でいいですよね。
ちょっと検索すれば、やり方の解説記事は五万とありますし。
ぼくが、それなりにアマゾンのアフィリエイトを使ってたのは、おおよそ、はてなダイアリーのこちらのページで一覧できる程度のもの。
http://d.hatena.ne.jp/suganokei/archive?word=%2A%5B%2B%A4%DB%A4%F3%A4%CE%A1%A2%A4%A2%A4%EC%A4%B3%A4%EC%5D
2006年10月から2010年10月にかけて、ほぼ四年で、たった三十本記事を書いただけ。
実際はこれ以外のサイトでも使っていて、最近もちまちまとは利用してるのですが、まあ、ぼくのようなやり方では、ほとんどお金になりません。
現在の見払い紹介料は 2,566 円で、まだまだ振込可能額の 5,000 円にはほど遠いという有り様です(笑)。
なお、はてなダイアリーは、ほかにも二つページがあり、ぼくの書いた初めての記事は2006年1月のこちらの記事になります。
http://d.hatena.ne.jp/musi-no-sirase/20060124/1142229671
お恥ずかしいことに、たった二行の大風呂敷(大笑)。
はてなダイアリーとお別れ、そして note.mu との出会い あれは2012年8月のことだったようです。
なんと、はてなダイアリーの無料版に広告が導入。
2003年に開始された広告なしの、はてなの素敵な日記システムの歴史に幕が降りました。
記事のあとにどかんと入る広告に恐れをなして、これ以降、はてなダイアリーのぼくのページは実質開店休業となります。
このあとは、しばらく tumblr を使っていましたが、使いこなせないまま今に至り、まあ、今も適当に使って、twitter と facebook に記事を流したりしてます。
そして、2014年9月に http://note.mu を発見します。
すっきりとしたデザインで、文章、画像、音声を個人でも簡単に販売できる夢のシステムです。
いや、これには感動しましたね。
はてな界隈では、どちらかというと、評判わるいみたいですけど。
悪い理由もなんとなく分かる気はして、はてなに比べると、見栄え優先で、技術的にちょっとナニな感じがします。
運営もだいぶアレで、ぼくは使い始めて一ヶ月ほどで、とくべつ悪いことをしたわけでもないのに、アカウントを抹消されてしまいました(泣)。
でも、それもいい経験で、ネット上でアカウントを抹消されるということの意味を、実体験として思い知りましたね。
一つのアカウントというものを使って、ネット上で交流を楽しんでいるとき、それは「仮想」のものではありますが、確かに一つの「人格」として存在しています。
その「人格」が抹消されるのですから、これは小さな「死」として体験されるんですよね。
まあ、この「人格」はあくまでも「仮想」のものですから、ゲームのように、また次の「人格」を造ればいいわけではあるのですが。
さて、http://note.mu/tosibuu では、詩を書いたり、エッセイを書いたりして、基本的に無料閲覧可の投げ銭方式を試しています。
現時点で、400 弱の記事がありますが、ツィートに相当する短くて収入は得られないものが多いので、実質の記事数は 100 かそこらかなぁ。
それで、二年少しやって、2,500 円程度の収入です。
というわけで、総額としては、アマゾンと大差なく、一年あたりで考えると、アマゾンより note.