はてな匿名ダイアリーに投稿されたほんのイタズラ程度の短い書き込み
・ニセ科学には怒り狂うけど「ネコは人語を解する」には寛容なはてなー
に330以上のブックマークがついているもので、今日も今日とて「ニセ科学」ネタで「ネット上での意見表明」というものについて考えてみようと思います。
「猫は人語を解するのか」についての心理学的コーサツ 「ニセ科学批判」という名の「ニセ科学商法批判」と社会正義の恣意性について 「批判という名のストレス発散」にはもちろん存在意義がある 「猫は人語を解するのか」についての心理学的コーサツ 件の匿名記事のタイトルを素直に受け止めれば、この記事を書いた匿名さんは、
猫が人語を解するわけがない、 と言いたいのでしょう。
「言葉を理解する」ということを「一つ一つの単語の指すものを理解し、全体としての文章の意味を理解する」というように考えれば、「猫には人の言葉が理解できる」という主張には、無理があるように思えます。
けれども、恋人にふられた飼い主がペットの猫に「くやしい、悲しい」といった意味のことを言ったときに、猫がそれを「理解」してくれて「優しく寄り添ってくれる」というようなことならば、猫好きの人なら当然「あるある」と思うに違いありません。
それは厳密には言葉を「理解」しているわけではないかもしれませんが、飼い主からすれば、「確かに自分の気持ちを理解してくれている」と思って当然の経験ですし、これをして「猫は人の言葉が分かるのだ」という人がいるとき、「科学的な分析」に基づいて、「猫に人の言葉が分からない」などとわざわざ言う人がいるとしたら、無粋の極みと言えましょう。
というわけで、「猫が人語を解するかどうか」という問題は、自然科学の問題というよりは心理学的な問題であり、「科学的真実の前には人間関係なんてどうでもいいのだ」という超原理主義的科学オタク以外の人が、わざわざ「猫・人語」問題にケチをつけるなどということは、実質的にあるわけもない「戯れ言」ということになりましょう。
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「ニセ科学批判」という名の「ニセ科学商法批判」と社会正義の恣意性について さて、件の匿名記事の全文は次の通りです。
まあ猫様はヒトカスの上にあるから仕方ないよね!
……正直にいうと、騙されたり金儲けでない程度の与太話ならいいんでないの。なのでEM菌商法は滅びるべき。
つまり、「ネコは人語を解する」という話題は、この書き込みをした匿名さんからすれば、ただの「ツリ」にすぎないわけで、
はてな界隈の人たちが好きそうな「ニセ科学批判」のネタをちょっと突っ込んでみました、 という書き手の意図は、まったくはっきりしています。
そこで「ニセ科学批判」とは何のことで、それにはどういう意味があるのかについて少し考えることにしましょう。
この場合についても、科学原理主義者の方々が「科学的におかしな言説が世の中に広まることはけしからん」という観点から、さまざまな「疑似科学」についてそのどこが「非科学的」なのかを啓蒙するために、意見を表明するということは、社会的にもそれなりの意味があるものと思います。
けれども、はてな界隈の言説をしばらく観察していて分かったことは、「ニセ科学批判」をする多くの人は、そうした「科学的真実」について語りたいわけではなくて、科学的な言説が詐欺的な商法に使われることに嫌悪感を感じているために、いわば社会正義の観点から「ニセ科学『商法』批判」をしているのにすぎなかったんだな、ということです。
「猫が人語を解する」という話題をネタにした匿名さんもまさにこうした主張の持ち主であり、
人を騙して、金儲けをするために「ニセ科学」を使うな、 ということをおっしゃっているわけです。
これも、確かにそれなりに意味のある意見表明と言えます。
というわけで、ここでは「ニセ科学批判」と言われているものは実質的に「ニセ科学商法批判」なのであり、それには確かに社会的意義も十分ある、という立場で話を進めていくことにします。
しかしながら、
EM菌やホメオパシーは「ニセ科学利用の詐欺商法」であるからけしからん、 というような個別の事例についての意見を考えるときには、「EM菌」や「ホメオパシー」といったものが、はたして本当に「詐欺商法」なのか、ということを、自然科学的見地だけからでなく、社会科学的見地からも検討する必要があるでしょう。
それでなければ、せっかくの批判も、単に自然科学オタクの人たちが仲間同士で「仮想敵」を攻撃するだけのごっこ遊びの域を出ないだろうことに、十分注意が必要なのではないかと思うのです。
EM菌やホメオパシーを信じて、現に救われる人がいるからこそ、そうした「擬似」科学を元にした経済行為が成り立つわけであり、それがプラシーボ効果でしかないとしても、そうしたサービスを喜んで利用する人がいる以上、そこに効用以上の明らかな害悪がないかぎりは、社会がそれを禁じることなどありえません。
ですから、
EMもホメオパシーも、そんなん信じてる奴はアホや というような言説をネット上で発するだけで、社会正義の実現に役に立つとナイーブに思っている方々には、
なぜニセ科学を信じる人は多数いるのか、 それを是正するためにはどういう言説が有効なのか、 といった基本的なことがらを、今一度ご深慮願いたいと思うのでありました。
ある言説が「ニセ科学」であるかどうか、という社会正義に関わる判断には多分に「恣意性」があることを考慮した上で、しっかりとその言説の問題点を指摘するのならば、社会的にも大いに意義あるものとなりにちがいありません。
ネット上で「超」有名な作家はあちゅうさん(32)が、AV俳優のしみけんさん(38)との事実婚の報告をしたことは、みなさんもご存知かもしれません。
(えっ、それがどうしたって?) 芸能人でもないのにわざわざ表に報告することか?とも思いましたが、これまでの活動の中でプライベートも含めて応援してくださっている方に、ちゃんと私から報告したいと思って書きました
https://twitter.com/ha_chu/status/1018330754353266688 とのことで、とても謙虚に、しかも上手に話題作りをしている様子に、ネット上で文章を書いているものとして、たいへん共感する次第です。
お相手がどういう人か、などという「下世話」な関心もいろいろあろうところですが、「事実婚」の報告、というところが、「未来の作家の形を摸索中」のはあちゅうさんらしいですよね。
「事実婚って手続きあるの?」って結構聞かれるので書いておきますね。区役所で職員さんがお互いの本籍地に電話して、独身であるかどうかを確認し、確認後、住民票の続柄に妻(未届)という記載をつけてくれました&保険証の世帯主氏名に彼の名前が入りました。証明書とかは特にないみたいです。
https://twitter.com/ha_chu/status/1018331309112885249 ということで、住民票について事実婚の届出することができるんですって。
戸籍によらない実質的な結婚という形は、同性婚ということでも、東京の渋谷を初めとして、徐々に日本でも普通のことになり始めています。
新しい家族の形を考えるとき、こんなあり方もあるんだなと知っていると、少し自由な発想ができるかもしれませんよね。
ちなみにぼくは、二度結婚してるのですが、一回目の結婚のときは、奥さんの姓に変わりました。
普通は男のほうの姓にしますけど、どっちでも自由に選べるんですが、案外知られてないかもしれません。
とはいえその辺も、別姓婚ができない日本の制度の不自由だったりもするんですけど、まあ、いろいろと遊べる余地もあるということで。
ということで、話はちょっと横道にそれてしまいましたが、とにかく、はあちゅうさん、事実婚おめでとうございます、というわけなのでした。
はあちゅうさんには、林芙美子や林真理子に負けない素敵な「作家」として、今後も大活躍を期待したいものです。
☆こちらの記事もどうぞ。
・はあちゅうさんの「誤報」と、はるかぜちゃんの「意見」、ネットでの議論が噛み合わないのはどうして? - 「動物最強」発言再考 - *魂の次元*
・はあちゅうさんの「動物最強!」発言の炎上について、共感能力の視点から考察してみました - *魂の次元*
中川淳一郎氏によるH氏への追悼記事に寄せて [2018.12.17 追記] H氏について、実のところぼくはほとんど何も知らないまま、この記事を含めて三本の記事書きました。
それは彼がネット上で「危険な」挑発をした結果、命を落とされたことに関して、彼の死を無駄にしないためには、早い時点でその意味を明らかにしておいたほうがいいと思ったからです。
ぼくの記事を読んで、H氏を批判していると思い、遺族や関係者の方々に配慮が足りないと思った方もいらっしゃったかもしれません。
それについてはここで改めて謝りたいと思います。つたない文章で気分を害していたとしたら、本当に申し訳ないです。
中川淳一郎氏の書かれたブロゴスの追悼記事を読んで、H氏はとても有能な方であっというだけでなく、人間的にも素晴らしい方だったんだなということがよく分かりました。
H氏のご冥福を改めまして心よりお祈りいたします。
中川氏の追悼記事には、H氏の直截で忌憚ない人柄と、裏側もしっかり確認するきちんとした仕事に対する姿勢が描かれると同時に、
だからといって彼による揶揄を正当化する気は毛頭ない
と冷静な筆致でしるされています。
このような素晴らしい追悼記事を書かれた中川氏にも敬意を表して、この追記を終わります。
・ ・ ・
2018年6月25日、福岡市で開催されたネット関係のセミナーで、講師のHさん(41歳)が殺害されるという事件が起こった。
警察の調べなどから、容疑者のTさん(42歳)は、ネット上での言葉のやりとりによるトラブルから、Hさんと面識はなかったにも関わらず、犯行に及んだものと見られている。
この件についてはすでに二つの記事を書いた。
・なぜブロガーH氏は殺されなければならなかったのか - 批判と侮辱の心理学 - *魂の次元*
・はてな殺人の深層 - きみの一言が容疑者を焚きつけていたとすれば - *魂の次元*
この記事では、亡くなったHさんのご冥福を改めて祈るとともに、ロマン優光氏の記事
・福岡セミナー講師刺殺事件に思うこと:ロマン優光連載112 - ブッチNEWS
からいくつかの論点をお借りして、この事件について再度考えてみることにする。
中川淳一郎氏によるH氏への追悼記事に寄せて [2018.12.17 追記] 他者を見下すような発言、特に弱者を見下すような発言は「危険」なんだってばさ 我慢できない人は勝手にやってればいいと思うけど、報復は報復を生むだけでしょ? 救うことはできなくても、自分の考えや行ないを改めることはできる 他者を見下すような発言、特に弱者を見下すような発言は「危険」なんだってばさ ロマンさんは
H氏が、彼に何をしたかというと、彼の荒し行為と彼に対する通報に関する株式会社はてなの対応をblogに書いたこと、程度の低いことに関するたとえとして「T先生」の名を出したこと、それぐらいだ。容疑者を運営会社に通報したり、そのことを公言してた人間は他にもいるだろう。そればかりか、容疑者に対する酷い罵倒を書いていた人たちだって何人もいることだろう。別にH氏が彼を必要以上に攻撃していたというようなことは、特にないのだから。
(被害者と容疑者の名前に関わる表現は、通称の頭文字に置き換えた)
と言って、今回の事件の「通り魔性」を主張してて、まあ、それは一理あります。
だけど、Hさんが記事で、Tさんのことをおもしろおかしくネタとして書いてるのもまた事実で。
(参照 http://hagex.hatenadiary.jp/entry/2018/05/02/112825 http://hagex.hatenadiary.jp/entry/2018/05/10/132154)
それがTさんの神経を逆撫でしないわけもないよね。
もちろん、「その程度」の発言があんな事件を引き起こすなんて予想できるわけもないから、それを理由に「Hさんに落ち度があった」と言うわけにはいきません。
そして、逆に「あの程度の発言はしていいんだ」というわけにも、もはやいかない。
現にこういう事件が起きちゃった以上、
「あんなふうに人を見下して笑いものにするのは危険なことなんだ」 という認識を多くの人が持つべきだと思います。
弱者を見下すのは特に危険ですよね。
失うべき何も持ってない弱者だったからこそ、Tさんは今回の事件を引き起こしてしまったわけで。
ページビューを稼ぐために特定の弱者を笑いものにするようなことは、絶対やめたほうがいい、 というのが今回の事件から得られる一番大きな教訓でしょう。
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前の記事
・なぜブロガーH氏は殺されなければならなかったのか - 批判と侮辱の心理学 - *魂の次元*
で、ブロガーのH氏がネット上での発言から「逆恨み」され、凶刃に倒れることになった事件について考え、安易に「批判・非難・からかい」の言葉を発信することの危険性を述べたわけだが、もう少しだけつけ加えて書きたくなった。
「攻撃的」なあなたにこそ考えてほしい、人を見下して優越感に浸ってもいいことないよ!? はてなさんには、ブックマーク・コメントでのNGワードの設定を是非お願いします 「攻撃的」なあなたにこそ考えてほしい、人を見下して優越感に浸ってもいいことないよ!? 良識と想像力のある多くの人にとって、今回の事件は、
「あんなことをやっていれば、こんなことにもなるよな、ちょっと想像を超えてるとこはあるけど」 というようなものだと思う。
けれども、一部ではあるが決して少なくはない「攻撃的な」はてなユーザのみなさんは、
「おれたちの発言は常識の範囲であって、まったく問題ない。今回の事件はキ○ガイが起こした通り魔的殺人にすぎない」 くらいの感想をお持ちのことだろう。
そのような考え方が間違いだ、というつもりはない。
けれども、今回殺人事件の被害者となった故H氏が、法律的には問題ないであろう範囲で記事を書いていたことが、かえって容疑者Tさんの恨みと妬みを増幅し、仇となった可能性を考えれば、
「常識の範囲内の発言」が持つ危険性 というものを、「合法か違法か」といった枠組みとは別の視点で考えることが大切に思えるのだ。
結論から言ってしまえば、
人を見下すような発言は慎むべきだ ということに尽きる。
今回の事件は、H氏が「見える」存在だったから標的にされたのであり、Tさんの「うらみ」はH氏だけに向けられたものではなく、ネット上でTさんを見下す発言をしていた不特定多数の人間に向けられたものと考えるのが妥当だろう。
そうであれば、今後類似の事件が繰り返されるのを避けるためには、
ネット上では人を見下すような発言は慎むべきだ ということを「常識」として広めていくことが重要に違いない。
以上の述べたことが、「愉快犯的」に暴言やからかいを繰り返すみなさんにとっては余計なお世話にすぎないことは分かっている。
けれども、周りに流されて「歪んだ発言」を繰り返すことになっているものの十分良識を持つ方々には、どうか今回の事件を自分の発言を考えなおすきっかけにしてほしいと思い、あえて書いているのだ。
ネット上で匿名性に守られて鬱憤を晴らしたくなる気持ちは分かるし、人を批判することで優越感に浸りたくなる気持ちも分かる。
また、容疑者のTさん自体がそのような行為を繰り返していたことを考えると、複雑な気持ちにならざるを得ないのだが、そうしたストレスの解消をはかるはずの行為が、今回のような事件を通して、かえって社会を息苦しいものとし、さらに大きなストレスとして自分に降り掛かってくるという悪循環の構図を、一人でも多くの方に共有していただくことができたら本望である。
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はてなさんには、ブックマーク・コメントでのNGワードの設定を是非お願いします ここで、はてなさんへのお願いを一つ書いておく。
今回の事件の発端が、Tさんのブックマーク・コメントでの「暴言」にあったことを考えると、事件への対策として
コメント欄におけるNGワードの設定 は必須であろうと考える。
ブックマーク・コメントで、 idコール付きで、 見知らぬ人から 「低能」呼ばわり されて不愉快に思わない人はないだろう。
2018年6月24日、福岡市で開催されたネット関係のセミナーで、講師のHさん(41歳)が殺害されるという事件が起こりました。
警察の調べなどから、容疑者のTさん(42歳)はHさんと面識はなかったにも関わらず、ネット上での言葉のやりとりによるトラブルから、犯行に及んだものと見られています。
この記事では、亡くなったHさんのご冥福を祈るとともに、わたしたちが日々何気なく使っている言葉の持つ、危険性と可能性について考え、この不幸な事件から何を学ぶべきなのか、書いてみたいと思います。
(なお、事件の当事者お二人の名前については、ネット上での通称の頭文字を使うことで、プライバシーに配慮させていただきます)
罵詈雑言と通報とアカウント凍結。そして事件は起こった。 正当な批判なのか、感情的な非難なのか。からかって笑いものにすることはどこまで許されるのか? 閲覧数、視聴率、稼いでナンボ。そして、ストレスの発散が逆にストレスを生み出す悪循環。 罪なき人の死を悼み、罪を犯した人の更生を願う。 罵詈雑言と通報とアカウント凍結。そして事件は起こった。 ネット上の情報によりますと、容疑者のTさんは自分の意見と合わない記事を見つけては、相手に対する罵詈雑言を頻繁に投げつけていたようです。
こうした行為はネット上での発言のルールにもとるものですし、Hさんをはじめ、Tさんからの「被害」を受けていた方々は、ネットサービスの運営会社に「問題」を通報し、その結果Tさんのアカウントは凍結され、Tさんは新しいアカウントを作っては「暴言」を繰り返すといういたちごっこになっていた模様です。
この経緯だけを見れば、殺害されたHさんの行動にはまったく問題がなく、容疑者であるTさんが「逆恨み」した挙句、一方的に「犯行」に及んだようにも思えますが、本当にそういう判断で問題の本質が見えてくるのか、もう少し細かく状況を見てみましょう。
正当な批判なのか、感情的な非難なのか。からかって笑いものにすることはどこまで許されるのか? ネット上で暴言を繰り返すことはほめられる行為ではありません。
それをたしなめることは、大いに意味のあることでしょう。
けれども、暴言を「批判」する時点で「批判者」は相手の恨みを買う危険を犯しているのだということを十分認識する必要があります。
まして感情的に「非難」するとなれば、喧嘩を売っているのと区別はありません。
またストレートな批判や非難でなく、「からかい」の表現としておちょくるというやり方も、度が過ぎればやはり同じことです。
お釈迦さまこと、ゴータマ・シッダルタさんが「言葉には気をつけなさい。人を傷つけるような言葉は慎みなさい」と言ったのは、実にもっともなことです。
ネット上の正義のために暴言をいさめているのだ、という大義があったとしても、余計ないさかいを引き起こすような言葉使いは避けた方が安全というものではないでしょうか。
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閲覧数、視聴率、稼いでナンボ。そして、ストレスの発散が逆にストレスを生み出す悪循環。 Hさんはネットウォッチャーと称して、ネット上の有名人をネタにおもしろおかしくからかう記事を提供して、人気を集めていました。
今回の事件に関して、「からかい」の対象になっていたネット有名人のはあちゅう氏やイケダハヤト氏は、からかわれていたことの不快感よりは「同業者」として同情する由のコメントを発しています。
ネットに書いた言葉を理由に殺されるとなれば、いくら命があっても足りませんから、同情するのも無理のないことです。
しかしながら、今回のような「事件」に至らなくても、「書き込まれた言葉」を原因にしてさまざまな軋轢が日々起こっていることは事実です。
ネットやテレビで幅を効かせる「閲覧数・視聴率第一主義」やそれを支える「稼いでナンボ」という行きすぎた経済主義のあり方を、この辺で少し見直してみる必要があるのではないでしょうか。
* * *
Hさんの2018年5月2日付けの記事がTさんの犯行のきっかけになったのではないかと取り沙汰されていますが、記事の内容は「暴言を投げつけるTさんを通報して凍結してもらった」というものです。
この記事に事件後につけられたブックマークコメントを見ると、多くの方はここでのHさんの発言には特に問題はないのに、そのために殺されてしまったとは、と思っていることが分かります。
けれども、事件前についたコメントをよく読むと、わざわざTさんを名指しで記事を書くことの危険性を指摘しているものがありますし、その他の多くのコメントはTさんからすれば「笑いものにされている」としか受け取りようのないものです。
Hさんはネット上でのやりとりの経験が長く、Tさんをおちょくるようなコメントが多数つくことを予測していたでしょうから、殺意を引き起こすことまでは想像できなかったとしても、逆恨みを買う危険性は予想ができたはずです。
とすれば、「人を笑いものにしようが何をしようが、とにかくブックマークをたくさんつけてもらって閲覧数を稼ぐ」というような安直な方法論が今回の悲劇を招いた可能性について、ネット上で発言をするみなさんは、十分考慮するべきでしょう。
また、ブックマークコメントでお気楽・お気軽に人を否定し、笑いものにしてストレス発散している方々にも、自分の何気ない一言が、巡り巡って社会の緊張度を上げ、かえって自分に大きなストレスとして降りかかってきているのではないかということに、少しばかり想像を巡らせていただけたらなあと、勝手なお願いをさせていただきたくもなる次第なのです。
罪なき人の死を悼み、罪を犯した人の更生を願う。 人の気持ちを逆撫でし、逆恨みを買うような言葉をネット上で書いたからといって、それを理由にその人を殺していいということには、もちろんなりません。
人を傷つけるような言葉は慎むべきと考えますが、そのような言葉をすべて法律で取り締まることはできませんし、H氏の発言にはその意味では罪はなかったと言えるでしょう。
H氏のご冥福を心から祈ります。
同時に人を殺すという、大変重い罪を犯すところにまで追い込まれてしまったTさんについても、自分が犯した罪を冷静に振り返り、その罪を償うことができるよう、お祈りしたいと思います。
ネット上でどんなにバカにされたとしても、それを理由に人を殺すことは許されません。
ツイッターで、
大人になってからの音楽の好みは14歳の時に聴いた音楽で形成されている という情報を目にしたぼくは、
「これは怪しいぞ」
と思いました。
何が怪しいって、ぼくの好みは14歳のときになんか、絶対決まってませんから。
確かに当時耳に入ってきた、ピンクレディーの「UFO」や山口百恵の「秋桜」、そしてキャンディーズの「微笑がえし」といった歌謡曲は、いつまでも脳裏に焼きついたままでしょうが、ぼくの音楽の好みは高校時代に形成されて、そのあとも変わり続けていますから。
というわけで、今回のお題は、
女は13歳、男は14歳で音楽の好みが決まるのか? です。
[:contents]
女は13歳、男は14歳で「音楽の好み」が決まるのか? 今回の話題のネタ元、FNMNLの記事
・大人になってからの音楽の好みは14歳の時に聴いた音楽で形成されている - FNMNL (フェノメナル)
には、
私たちの音楽の好みは14歳の時に聴いた音楽によって形成されていることが、新たな研究により明らかになった。
とあるのですが、この書き出しからしてデタラメです。
(FNMNLさん、がんばれ!)
FNMNLが紹介している元記事は、NY Times の
・The Songs That Bind - The New York Times
というものなのですが、タイトルの意味は「心に刻まれる歌」ぐらいの意味ですね。
こちらの記事を書いているのは、セス・スティブンス=ダヴィドウィツ Seth Stephens-Davidowitz というグーグル勤務の経歴を持つビッグデータが得意な人で、Spotify から提供されたデータをもとに今回の分析を行なっています。
以下、セスさんの元記事を参照して、
女は13歳、男は14歳で「音楽の好み」が決まる ということの意味を説明していきます。
女は13歳、男は14歳で「音楽の好み」が決まる人が多い 結論からいうと、
女は13歳、男は14歳で「音楽の好み」が決まる人が一番多かった というシンプルな話です。
この分析に使われたのは、Spotify のすべての楽曲について、どれだけの頻度で聴かれているかを男女別、年齢別に分類したデータです。
NY Times のサイトよりお借りした次の画像を見ると、女性は13歳が最多で、11 - 14 歳の4年間の影響が大きく、男性の場合それより少し遅くなり、14歳が最多で、13 - 16 歳の4年間の影響が大きいことが分かります。
これは、女性のほうが、思春期に入る年齢が早いことと関連しているのでしょう。
また、グラフの分布を見ると、女性は男性に比べて、年齢の若い左側が盛り上がった形で、年齢の高い右側が急に落ちてからなだらかになっている様子が見て取れます。
女の子は「おませさん」で、子どものうちに「好み」が決まりやすく、少年はむしろ、大人になるにつれて「好み」を選んでいく傾向が強いということになるでしょうか。
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ネット有名人のはあちゅうさんが、
「手っ取り早くSNSで有名になりたかったら猫か犬を飼うとよいらしい」
(https://twitter.com/ha_chu/status/964297202070794240)
とツイートしたことに対し、ペット遺棄の問題を重視する動物愛護派の人たちからの抗議が殺到し、炎上事件が発生したことについては、
・はあちゅうさんの「動物最強!」発言の炎上について、共感能力の視点から考察してみました - *魂の次元*
ですでに書きました。
そのはあちゅう氏の発言の問題点について、女優のはるかぜちゃんこと春名風花氏が、次のような指摘をしています。
SNS のためにペットを飼い、それに飽きたら捨てるような人は現実にいる。 それを助長するような発言はネット上でしないほうがいい。 はあちゅう氏は大きな影響力を持つインフルエンサーなのだから、どうかそうした点に注意をしてほしい。 さて、こうした意見に対するはあちゅう氏の応答は、どんなものだったでしょうか。
また、はるかぜちゃんの想いは、はあちゅうさんに届いたのでしょうか?
少し詳しく見てみることにしましょう。
はあちゅうさんは「事実」で、はるかぜんちゃんは「連想ゲーム」? はあちゅう氏は、こうツイートしています。
事実を書くだけで「そういうことを推奨するのは間違ってます」ってつっかかってくる人って日本語がもはや通じてないんだよなぁ。田端さんも三浦瑠璃さんの炎上時に、ネットの連想ゲームクレーマーについて書いてたけど、勝手に頭の中で情報書き換える人に相手してらんない。
https://twitter.com/ha_chu/status/965044603102535680 このツイートは、はるかぜちゃんに向けられたものではありませんので、はるかぜちゃんの発言に沿って言い換えれば、
「事実を書いているだけなのだから、連想ゲーム的にペット遺棄問題の話をされても困る」
ということになるでしょう。
ここで問題になるのは、はあちゅう氏の発言は残念なことに「事実」を述べたものとは言えない点です。
彼女は、
「猫か犬を飼って『手っ取り早く』SNSで有名になった人」
を実際にご存知なのでしょうか?
おそらくご存じないでしょう。
猫や犬を飼うだけで「手っ取り早く有名になれるわけがない」ことを、はあちゅう氏ほどの人物が知らないわけがありません。
もちろん、犬や猫を「使って」
(1) ある程度のPVを稼ぐことはできるでしょう。
しかし、それと
(2) 手っ取り早く有名になる
のは、まったく別の話です。
はあちゅう氏こそが、「(1) の事実」を「(2) の都市伝説」に拡大して、連想ゲームをしていらっしゃるのではないでしょうか?
はあちゅう氏は、マーケティングに詳しいのが売りの作家さんなのであれば、世間話レベルでの、単なる「伝説」や「噂話」でしかないものを、「事実」として伝えるという誤報をしてしまったのですから、責任は重大です。
誤報を流したことを謝罪すると同時に、
ペットを使うことで、PVを稼ぐことは可能だが、それによって手っ取り早く有名になることはできない という事実を、きちんとツイートするのが筋というものではないでしょうか?
はるかぜちゃんは、はあちゅうさんの情報発信につっかかる「当たり屋」なのか はあちゅう氏は、こう書きます。
みんな結局、社会を変えたくて誰かに意見しているのではなく、人を叩くのが楽しいから叩いているだけ。まぁ、「発信」もじわっと社会を動かすことの一つではあると思うんだけど、相手の言い分も見ずにいきなり汚い言葉で攻撃してくる人って当たり屋でしかないと思うのよ。炎上の半分は当たり屋の仕業。
https://twitter.com/ha_chu/status/965063521942749185 はあちゅう信者のみなさんには、この言葉だけで、120% の説得力があることでしょう。
「自分の発言最高。それに意見するやつはみんな『当たり屋』」
ってわけですから。
この「無敵の自信」こそが彼女の魅力でしょうから、今回の炎上事件でも、ファンのみなさんは、
「はあちゅうさん、最強♡」
と拍手喝采していることは、間違いありません。
しかし、はるかぜちゃんの発言が「当たり屋」的なものでないことは、常識のある皆さんには明らかなことでしょう。
むしろ、はるかぜちゃんの真っ当な意見に対して、はあちゅうさんの発言にあおられたかのように、「当たり屋」さんたちがからんでいるのが現実です。
はあちゅう氏の発言戦略の巧みさに比べると、はるかぜちゃんの発言は残念ながら愚直すぎるようです。
エネルギーあふれるはるかぜちゃんも、今回のような流れで「当たり屋」系の方々とやりとりをすることには、かなり消耗してらっしゃる様子です。
とすれば、ツイッター上で意見を述べてくる人間のほとんどが、
建設的な議論がしたいのではなく、相手をやっつけたいだけ でしかない事実を十分に見きわめた上で、「当たり屋」さんたちについては、さらりと流すような対応をなさったらいいのではないかなーと、老婆心ながら一言提案させていただきます。
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みなさん、おはこんばんわ、とし兵衛です。
ネット芸能人のはあちゅう氏こと、伊藤春香氏をご存知でしょうか。
彼女は電通勤務の経験があるセルフブランディングに長けた作家であり、ツイッターのフォロワー数は 17万8千人に達するというネット界の有名人です。
そのはあちゅう氏が、先日ツイートで「SNSで有名になるためには猫か犬を飼うとよいらしい」と発言したことが原因で、炎上事件を発生させることになってしまいました。
発言のどこが問題だったのかについてはあとで改めて触れますが、このツイートが
「今の時代、こんなふうにすれば、ネット上で有名になれますよ」
といった内容の一連のツイートにおまけ的につけられたものだったため、はあちゅう氏は、
自分は事実を述べただけであり、言ってもいないことで批判されているのだからコメントはしない、また、 一連の発言を読まずに一部だけ切り取って批判することはおかしい、 という内容のツイートをしていらっしゃいます。
さて、はあちゅう氏の発言は本当に問題なかったのかどうか、少し詳しく見ることにしましょう。
動物をモノ扱いすることの問題 動物愛護派の感情的過激さの問題 共感能力が「高すぎる」動物愛護派と、どちらかと言えば「低め」のはあちゅう氏 あなたの共感能力、どのくらいありますか? 最後にもう一度はあちゅう氏の発言の問題点を考えます はあちゅう氏がこの一件で学んだはずのこと おまけ、はあちゅう氏の一連の発言を引用しておきます 動物をモノ扱いすることの問題 問題のツイートは、こういう内容でした。
余談だけど、手っ取り早くSNSで有名になりたかったら猫か犬を飼うとよいらしい。動物コンテンツは必ずPVが取れ、炎上しづらく、個性も出やすく、自分がネタを作らなくても動物が勝手にネタを作ってくれる。インスタもご飯×犬とか、子供×猫とかにするとご飯だけ、子供だけの人と差別化できる。動物最強
https://twitter.com/ha_chu/status/964297202070794240 これに対し動物愛護の立場から、
動物をPVを稼ぐための単なる手段として、物のように扱う発言はおかしい、 日本の殺処分の多さなどを勉強してほしい 自分の影響力を考えた慎重な発言を望む といった意見が、寄せられており、これらの意見は氏の「問題」ツイートに対するレスポンスとして、現在も読むことができます。
この範囲で考えると、動物愛護という社会的問題についての認識不足の点において、はあちゅう氏の発言は軽率なものだったと言えるでしょう。
動物愛護派の感情的過激さの問題 一方、当初反応として寄せられたツイートには、「問題ツイートを削除せよ」とか「お前はおかしい」といった、過激な言葉が書き連ねられていました。
動物愛護の視点から、はあちゅう氏に一考を求めるという以上に、
自分は正しく、お前は間違っているのだから、謝れ といった感情的な発言が殺到していたのです。
SNSの性質からいって、こういった感情的な発言が発生するのは避けられないところではありますが、動物愛護の視点を社会的に広めていくためには、こうした「過激」な発言は「逆効果」になりかねないことは改めていうまでもないことでしょう。
実際はあちゅう氏は、炎上時の「過激」発言に注目を集めることで、
「自分は過激なクレーマーからの被害者なのだ」
という主張をし、多くの読者を納得させているのです。
共感能力が「高すぎる」動物愛護派と、どちらかと言えば「低め」のはあちゅう氏 人それぞれが持つ「共感能力」のばらつきが、今回のような対立を起こす原因の一つとしてあげられます。
共感能力は、人が子どもを育て、また社会的に協力して生きているために不可欠なものですが、人によってその程度にはばらつきがあります。
動物愛護派の人たちには、共感能力がとても高い人が多く、弱者が苦しみを受けるような状況に過敏なまでに反応します。
すると、動物を苦しめるような発言をする人間は「敵」と考えてしまい、弱者を救うためには「敵」を攻撃しなければならない、といった気持ちに落ち入りがちです。
一方、はあちゅう氏は、問題の発言でのマーケティング思考にも見られるように、「動物や子どもをPV稼ぎの道具と考える」ようなことを全然問題と思っていないわけですから、「道具とされる」動物や子どもに対する共感能力は「低め」ということになります。
共感能力が低い人間には、殺処分される動物を思って「涙を流す」動物愛護派の人たちの気持ちは分かりませんから、
ただ事実を述べただけなのに、こんなに攻撃されるなんて、攻撃してくるほうがおかしい ということになってしまいます。
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この記事の内容のいい加減な要約:
「ブログに文章を書く」ことをはじめとするすべての表現は、貨幣との交換が可能となった時点で、私小説的な「恥をひさぐ」行為となりかねない。
恥をひさいで悪い理由もないが、貨幣との交換を前提としながら「恥をひさがない」表現の可能性を模索するのも一興である。
シロクマさんは、はてな村の精神科のお医者さんだそうです。
シロクマさんのこちらの記事を見て思ったことなどを、今日はつづってみます。
・大の大人がブログを書き続けているんだぞ!わかっているのか! - シロクマの屑籠
シロクマさんの話の適当な要約 plagmaticjamさんの「ブログだけじゃなくインターネット自体に意味がない」論について まずはその無効性から 次にその議論の有意性とその優位性の超越 シロクマさんの話の適当な要約 シロクマさんは、書きます。
考えてもみろ、アラサー、アラフォーにもなる大の大人が、ブログを書き続けているってことを。そこには意図があり、欲求があり、目的があり、衝動がある。そういったもの抜きではブログなんて書きつづけられるわけがない。 マトモなキャリアを真っ直ぐに突き進んでいく人は、決してブログなんて書かない。私も含め、数年以上にわたって頻繁にブログを書き続ける人間は、どこかおかしいし、どこか憑りつかれている。 マトモじゃあない。ほかにすることはないのですか。だけど書かずにはいられないからブログが生き残っていく。それは、めでたいことかもしれないが、おめでたいことかもしれないのだ。
「カネのため、承認欲求のため、表現欲求や衝動の発散のため」人はブログを書きます。書くには書くなりの大人の事情があるわけです。
けれど、その理由がどんなものであれ、
大の大人が、少なくない時間とエネルギーをブログに投げかけている という点で、それは
尊いと同時に、アホらしい ことだというわけです。
シロクマさんは、他の人の書いている三つのブログを「からかい」つつ、応援しています。
それは、自分も同じ理由でからかわれることを承知した上でのことです。
「他者を否定し、その上で肯定すること」を通して、自分を否定し、その上で肯定する。
実に精神科のお医者さまらしい、二律背反の厨ニ病症候群ではありませんか(褒め言葉です、念のため)。
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plagmaticjamさんの「ブログだけじゃなくインターネット自体に意味がない」論について まずはその無効性から シロクマさんの記事が目に入ったのは、plagmaticjamさん(以下プラグマさんと呼ばせていただく)のこちらの記事のおかげでした。
・ネットとかブロガーについて - メロンダウト
プラグマさんの主張は、
ブログを続けることに意味なんてないし、インターネット上に言葉を投げる他のすべての行為も同様 ということになりましょう。
論理的には、「全くそのとおり!!」と思うのですが、これを敷衍すれば
人生自体になんの意味もない という当然至極なのにも関わらず、あまり人気のない見解に辿りついてしまいます。
とすると、「ネット上の表現は無意味だ」と主張することにもあまり意味はないようです。
そして「人生自体が無意味」であるからこそ、シロクマさんの「否定してから肯定」が心情論として、意味を持ってきます。
「生きることに誰かが与えてくれる意味などない。だがすべての生きるものに幸いあれ」
というわけです
次にその議論の有意性とその優位性の超越 とはいえ、もともとプラグマさんが述べているのはあくまで
インターネットは実人生に比べれば意味が薄い というようなことでしょうし、その地平においては、
「ネットで寝言を垂れ流してる暇があったら、少しは汗流して意味あることしろよ」
みたいな発言にも当然意味はあります。
ぼくたちはネット上においても「経験」を重ねることはできますが、それはあくまでも、デジタル端末が「再生」できる範囲での「経験」でしかありません。
あなたがどんなに情熱を込めて書いた文章でも、それがデジタル・メディアとして流布される以上は、あなたが誰かと向い合って同じ内容を語るときの「リアリティ」は、そこには存在しえません。
このことを考えれば、ネットという檻の中だけの体験で人生を完結させず、積極的に「実世界」を生きることには確かにプラスの意味がありましょう。
(以上、プラグマさんの議論の有意性)
しかしながら、「デジタル端末の再生の限界」にも関わらず、人間の精緻な頭脳は、「過剰な再生」を行なうことによって、完璧なまでの「脳内現実」を作り出すことができます。
そのようにして「実体験」に劣らない「経験」をすることは、簡単とは言えませんが、確かに可能なことなのです。
みなさん、はてなブックマークは使ってますか?
ソーシャル・ブックマークと言われるやつで、ネット上で気になったページをブックマークすることで、
自分のメモとして使えるだけでなく、 他の人がどんなことに関心を持っているかなども分かり、また、 コメントをつけることで、コミュニケーションの道具としても使え、おまけに ブックマークがたくさんつくと、あなたのブログが宣伝されてたくさんの人に読んでもらえる というように、いろいろとメリットのあるすぐれものなんです。
けれども逆に「不愉快」なコメントをつけられたりすることもあるので、
諸刃の剣 でもあります。
今日はそのやっかいなほうの面に焦点をあてて、はてなブックマークの「互助会」について、そして派生的に、はてな村の「自警団」についても、少し書いてみます。
互助会ってなんなの? 互助会嫌いの「自警団」の人たち 可哀想な「自警団」の人たちのメンタリティ 〈2017/11/24 追記〉「互助会」問題に対するはてな側の対応の実例 互助会ってなんなの? 「互助会」という名前はついていますが、実際にそういう組織があるわけではなくて、はてなブックマークのユーザ同士が、「おつき合い」として互いのブログをブックマークしあうとき、
「あの人たち、互助会だな」 というように使う「はてな言葉」です。
これの何が問題なのか、というと、こうした互助会グループが大きくなっていくと、互助会システムによって多数のブックマークを得た「それほどおもしろくない」ページが、はてなブックマークの 「人気」や「新着」 に掲載されることになりますから、「有用」で「おもしろい」記事を「効率よく」読むためにブックマークを利用している「リテラシー」の高い人からすれば、「見なくてもいい記事が目に入って目障り」なことになるわけです。
けれども、この問題については、はてな側でも対策をしているようで、
「互助会」によって人気エントリしまくってると数か月(遅い)ほどで数十のブクマでは人気エントリ入りしなくなるよう
はてなブログの互助会へ2週間潜入した感想 - めっちゃええやん とのことです。
というわけで、互助会については、
「あー、そんなこともあるのね」 程度に思ってればよいもので、「普通」にはてなのサービスを使っている人が気にするほどのものではないと、認識しております。
ちなみに、上に引用させていただいた、ええやんさんの記事は、「互助会」への潜入ルポになっていて、とってもおもしろいので、おすすめです。
それから、
・相互ブクマはてなブロガーリスト
というページを見ると、「相互にブックマークしあっているはてなブログユーザ」がポイント化されて表示されます。
このページを作っている Tatsuo Yamashita さんは、こうした「互助会」的な使い方を否定しているわけではなく、コミュニケーションの手段としてブックマークを使うグループが「人気エントリ」に入らないですむような「仕組み」を考えてらっしゃるのですが、後述の「自警団」の人からは、こちらのページは「互助会ブラックリスト」として「重宝」されているようです。
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互助会嫌いの「自警団」の人たち さて、先述のええやんさんは、相互ブックマークについて
「確実に迷惑行為だからやめましょう」
というのですが、果たしてそうでしょうか?
Tatsuo Yamashita さんは「相互ブクマはてなブログだけのホッテントリ」というリストも作っておられて、今日の時点では、
ホットエントリー 217 個のうち 10 個(4%)が 相互ブクマはてなブログ でした。
とのことです。
4% 程度の「雑音」に対して、迷惑行為だ、と思う方がいらっしゃっても、それはそれで当然だと思いますが、このくらいの「雑音」について
迷惑行為だからやめたほうがいい、 とまで言うことは果たして合理的なことでしょうか。
判断が別れるところだと思います。
「リテラシー」の高い人がみんな、それを「迷惑行為」と考えるか、というと、それも違うような気がします。
「効率優先」で、他者の価値観には「無頓着」なかたが、自分の「正義感」だけを根拠に、「迷惑行為」を認定しているような気がするんですけど、違いますかね?
そういう個人的な「正義感」を基準に、他者を批判するタイプの人を、ここでは「自警団」と呼ばせてもらうことにします。
(ええやんさんも、Tatsuo Yamashita さんも、別に「批判」はしてませんので、自警団というわけではありません。念のため)
可哀想な「自警団」の人たちのメンタリティ 今回この記事を書くことにしたきっかけは、碧乃あか男さんの
・怖いのはステロイドだけではない!抗生剤の副作用にも注意が必要! おまけの1コマ有り - 新・ぜんそく力な日常