動物と一緒に生活してますか? それとも植物を育てていますか? 今日は子どもの頃の生き物とのつき合いを、思い出して書いてみます。 1970年代の東京・世田谷の、小学生時代の話です。 お祭りの縁日で金魚すくいをして、黒い金魚をうちに持って帰ったことがあります。 うちの玄関の脇に水槽がおいてあって、その中で他の何匹かの赤い金魚と一緒に黒い金魚も飼っていたのですが、ぼくは持って帰っただけでロクに世話はしませんでした。 母が餌をやってくれていたはずです。 特に気をつけて見ていたわけでもないのですが、それでもその黒い金魚は自分のものだと思っていました。 そのうち、ほかの赤い金魚は死んでしまったのに、黒金魚だけは生き延びていたこともあり、うっすらと愛着のようなものがあったのだと思います。 次の年か、二三年後か、お祭りで弟が金魚をすくってきました。 そしてその金魚を同じ水槽に入れたところ、黒い金魚も含めて全滅してしまいました。 自分で世話をしていたわけでもないのに、自分の大切なものが失われてしまったような気がして、子どもっぽい不満を感じたのをよく覚えています。 * * * インコを飼っていたのは、たぶん弟がほしがって、それにつられてぼくも買ってもらったのでしょう。 緑っぽいインコと水色の入ったインコがいましたが、どっちがぼくのでどっちが弟のだったか思い出せません。 金魚と違ってインコは手に乗せたり手で抱えたりできるので、動物との触れ合いという意味では、一段深いものを感じます。 手の中のインコに、命のもろさを感じたことを思い出します。 インコの場合は、餌やりだけでなく、糞の始末などもそれなりにやる必要がありますが、これもぼくや弟はやらず、母任せでした。 二匹のインコがどうなったのか、はっきりと覚えていませんが、逃げてしまったのがいたような気がするし、死んでしまって庭に埋めたのもいたような気がします。 なんとなく一緒の時間を過ごしただけで、可愛がるというような思いは持てない子どもだったのです。 ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ☆ここでちょっと一休み、<スポンサード・リンク>です。 ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ * * * 鉢植えでひいらぎを育てていたことがあります。 育ったうちは小さいながら和風の庭があったので、そこに実生で生えていたものを、自分で気に入ってか、母の真似をしてか、鉢植えにしてみたのでしょう。 育てていたなどというと、きちんと気にかけて、水やりや植え替えなどやっていたみたいですが、たぶん夏休みにでもひと月ほどは水やりをして、そのあとは放ったらかしで枯らしてしまったのではないかと思います。 十センチかそこらの小さな実生のひいらぎに、濃い緑の独特の反り返りかたをしたとげのある葉が生えている様子がとても印象に残っています。 * * * こんなわけですので、生き物の世話をすることで何かを学んだというわけではありませんし、生き物とのつき合いを通して情緒が育てられたというほどのこともないのですが、ここに書いたような小さな経験が、大人になってから自然環境に興味を持って、雑草の名前や、食べられる山野草を覚えてみたりすることにつながっていったような気がします。 みなさんの生き物とのつき合いはどんなものでしょうか。 こうして子どもの頃のことを思い出してみるというのも、たまには楽しいものですね。 てなわけで今回はこの辺で。 それではみなさんナマステジーっ♬

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--- マミーさん (id:mamichansan) に。 子どもの頃、父方の祖父母と一緒の家で暮らしていました。 昭和四十年代の話です。 祖母も祖父も、ぼくが小学生のうちに亡くなりましたが、どちらとも話をした記憶すらないのは、うちが少し奇妙な家庭だったということかもしれません。 その奇妙さについては今は触れませんが、とにかく祖父母とは、一緒の家で暮らしているものの、まったく疎遠で、改めて考えてみると、言葉はおろか、手を握った記憶もなければ、視線を交わしたことすら覚えがないほどです。 * * * ぼくには三つ歳上の兄がいます。 しばらく前に実家で、母が出してきた古い写真を見ていたら、まだ小さい兄を祖父が手を引いている写真があって、へー、あのじいちゃんも、長男のときには可愛がってたのか、などと思いました。 なにしろ、祖父については、まともに喋っている姿すら見たことがない有り様で、同じ家には住んでいるけれど、なんとなく他人のような存在でしたから。 それで、というべきなのか、よく分からないのですが、ぼくには祖父のことが好きだとか、嫌いだとか、そういう感情がありません。 そして、実のところ、祖父に関して、あまりいい思い出はないのです。 * * * 祖母が元気な頃は、祖父と祖母は、ぼくたち家族とは別々に食事を取っていました。 やがて、祖母は心臓を悪くして入院し、しばらくして亡くなりました。 そのときになって初めて、ぼくたちは祖父と一緒に食事を取るようになりました。 その頃には、祖父もずいぶんと歳を取っており、言葉もはっきりとしなくなっていました。 そして、ぼくの母に用事があって何かを言うのですが、うちの母がまた、そういう場面で勘が働かず、そつなく話す話術もなく、ただ何度も聞き返すと、祖父はいらだって大きな声を上げ始めます。 子ども心に、苦しくて堪りませんでした。 今これを書いていても、腰が緊張で締めつけられます。 また、祖父は食事のとき、何かをのどに詰まらせては、大きくむせます。 長方形の食卓の短い辺のところに祖父は座っています。一番遠くの反対側の短い辺のところには、二つ年下の弟が座っています。 手で口を覆うこともせず、大きくむせるので、食卓の上じゅうに祖父の口の中から出たものが飛び散り、向かいに座っている弟は直撃を受けます。 父も母も、そつがありすぎて、何も言葉も出ず、場面は冷んやりした空気に包まれます。 今これを書いていると、その場面を思い出して、滑稽さに笑いが込み上げてくるのですが、同時に、腰には緊張が残ったままという、奇妙な心身状態です。 * * * さて皆さんは、初めて見た夢の記憶がおありでしょうか。 一説によると、夢は毎日見ているもので、ただ記憶に残らないだけだ、というくらいですから、本当に初めて見た夢の記憶というのは、普通ありえないものだと思います。 ですから、これは憶えている限りもっとも古い夢はどんな夢だったのか、といった程度の話です。 ぼくの場合、幼稚園の頃に見た、自分なりに、これが初めての夢だ、というものの記憶があります。 不思議なことに、その夢に祖父が出てくるのです。 夢の中でぼくは祖父に手を引かれています。 そして、そこにお化けが現れます。 お化けだからといって、すごく怖いという感じではないのですが、うっすらと怖さを感じていたような印象が残っています。 ぼくの記憶に残る初めて見た夢は、そんな、ほんの切れ端だけのものなのですが、今ひさしぶりにこの夢のことを思い返してみると、あんなに疎遠に思っていたにも関わらず、ぼくはやはり祖父に守られていたんだなあ、と感じるのです。 母をどなったり、食卓でむせたりする、年老いた祖父しか印象に残っていないぼくにとって、祖父はなんとも近寄りがたい存在でした。 それでもとくに嫌いだと思わなかったのは、記憶にもない小さな頃に、あの写真に映る兄と同じように、祖父に手を引いてもらった経験が、多分あるからなのでしょう。 記憶には残っていない、祖父のその手が、夢のなかのかすかな記憶としてつながって、今もぼくを守ってくれているのだと、遠い過去に想いを巡らせながら、ぼくは実感するのです。 ぼくたちは、おそらくそうやって、気がつかないままに多くの人に守られていて、だからこそ、しんどいことも多いこの地上で、楽しいことや幸せな時間を見つけるために生きていけるのではないでしょうか。 * * * あなたの初めて見た夢は、どんな夢でしたか。 機会があったら、教えてください。 それでは、また。 ☆+魂の次元+ http://mitona.org/ もよろしく。

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としべえ2.0β

北インド・ハリドワル辺りに出没中。

物好きな物書き

宇宙のど真ん中