ホメオパシーやEM菌などの代替医療について、それが非科学的であることを理由として批判する方々を、ネット上では時折り見かけます。
科学的な考え方の啓蒙という意味では、これらの「批判」にも社会的な意義はありえるのですが、多くのそうした「批判」は心理学的な意味での「否認」の域を出ないものであり、社会的には有効であるというよりも有害性の方が高いであろうことを以下簡単に述べます。
また、プラシーボ効果と自然治癒力についても一言書きます。
非科学的な「思考の枠組み」を「否定」することは社会の「健全性」を損なう みんなプラシーボ効果の凄さを知らないと思うから、意志と暗示による自然治癒力のこともからめて少し書いとくね 非科学的な「思考の枠組み」を「否定」することは社会の「健全性」を損なう 以前書いた記事、
・代替医療としての「ホメオパシーやEM菌の意義」と疑似科学「批判」の有害性について - *魂の次元*
について、しんざきさんという方が次のような記事を書いてくださいました。
・「ニセ科学批判は危険」と言っている人が勘違いしていること: 不倒城
おっしゃっているのは、
・ホメオパシーなどの「擬似科学的」医療について、「それを知らない、あるいは知っていてもその有効性について判断を保留している」人に対して、「それにはプラシーボ以上の効果はない」ことを提示することは必要かつ重要だ、
ということです。
この点については、しんざきさんのようなスタイルで、冷静にそうした「事実(と思っていること)」を伝える限り、大きな問題はないものと考えます。
しかしながら、実際の「批判」的な言説には、「疑似科学はけしからん」という感情的な主張が入り込むことが往々にしてあります。
そのとき、善意の「啓蒙」であるはずのものが、少数者を追い詰めるような「排外主義」の雰囲気をどうしてもまとってしまうことには、十分留意する必要があるのではないでしょうか?
その上、自分から記事を書いてそのような「啓蒙」をなさっている方たちとは違って、誰かが書いた記事にイナゴと見まごうばかりの勢いで集まっていらっしゃって、わざわざご丁寧にも「批判」してくださる皆々さまの場合、
自分の主張と異なる主張は見たくもない よって、言葉の暴力を使ってでもそうした言説を弾圧する という、ヒステリックと言いたくなるほどの「排外主義」にもとづいて行動していらっしゃるのではないかと、考えざるをえないほどの、強力な感情を露わにしての「批判」をなさっていらっしゃるのですから、
「こういうのってフロイトが言った否認ってやつの一種じゃないのかなー?」 といった疑問も浮かんでこようというものです。
こうした感情的な「批判」は、相手の誤りを正して導くという「啓蒙」的意見とは異なり、相手の人格を否定するだけの「攻撃」でしかないように思えます。
「攻撃」は社会に分断を生むだけであり、少数者が分断によって追い詰められればカルト化するだけだ、というのが前の記事で述べたことです。
これをもう少し一般化して言えば、
非科学的な「思考の枠組み」を感情レベルで「否定」することは、価値観の多様性にもとづく社会の「健全性」を損なうのではないか ということになります。
もちろん、以上述べたことは私見にすぎませんから、これとは異なる考えをお持ちの皆さまが、ネット上でどのようなご意見を、どのような感情と共に主張なさることも、すべて言論の自由というものでございます故、日本国の法律で制限されている「誹謗・中傷」のたぐいにならないようくれぐれもご注意の上、様々な修辞を書き連ねてわたくしめの記事を宣伝していただけるのならば、小心者ゆえ大変心労も多いとは言え、それこそ本望でありますので、どうかわたくしの弱い心などについてお気遣いなさらずに、叱咤激励いただければ幸いでございます。
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みんなプラシーボ効果の凄さを知らないと思うから、意志と暗示による自然治癒力のこともからめて少し書いとくね さて、前の記事に書いたプラシーボ効果と自然治癒力の関係については、
自然治癒力効果なんて研究は一言も書いていない。
研究では鎮痛効果と書いている。
https://abyss.hatenablog.jp/entry/2018/02/27/125921 というご指摘を白いケモノさんからいただきました。
確かに、言及した記事の大もとの記事である
・Placebos can work even when patients know the treatment is fake | Daily Mail Online
ネット上にはさまざまな炎上の種が転がっており、少しのきっかけで炎が上がります。
うっかりすると水のつもりで油を注いでしまって、なにもしなければボヤですんだのに、手のつけようのない大火事になっちゃった、なんて話もいくらでもあります。
この記事では、ネットを使っていれば、どこかで目に入ってきてしまう「炎上」について、その「よしあし」を考えてみたいと思います。
はあちゅうさんに見る「意図せざる炎上」の効用 イケダハヤトさんに見る「釣り炎上」の功罪 「炎上」の「よしあし」と、その「啓蒙」効果 はあちゅうさんに見る「意図せざる炎上」の効用 まず炎上を2つの種類に分けてみましょう。
意図せずして生じる「自然炎上」と狙い撃ちで起こる「釣り炎上」です。
「自然炎上」の例としては、ネット有名人作家のはあちゅうさんによる「動物最強」ツイートが記憶に新しいところです。
はあちゅうさんが、マーケティングの道具としてペットを飼うことを「暗に」すすめる発言をしたため、動物愛護派の人たちから多数の批判を集めました。*1
はあちゅうさんは、炎上を誘うようなツイートを「不注意に」する名人です。
そして、それを自分のブランド力のアップに使う巧みな能力の持ち主でもあるため、何気なく情報を発信していると、自然に炎上が起こり、たくみな炎上さばきによって、ファンを増やしていくという「炎上スパイラル」が得意技です。
自分の「不注意な」発言に批判が集まったときに、その批判を巧みにかわし、自分の正当性を主張し、聴衆の一部でも納得させることができれば、多くの聴衆の中から新たなファンをつかむことが可能となるわけです。
こうした技は、炎上による心理的打撃に打ち克つだけの「鋼の心」の持ち主以外には使えませんが、「読まれてなんぼ」のネット社会においては、その効用を乱用するものが後を絶たないのが現状です。
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イケダハヤトさんに見る「釣り炎上」の功罪 「自然炎上」の効用に気づいた人間は、「意図的に」炎上を起こそうとたくらみます。
「炎上芸人」の異名を持つ、高知のトマトブロガーことイケダハヤト氏こそ、狙い撃ちによる「釣り炎上」の達人です。
二年ほど前に、彼が放った「ホメオパシーねた」は、カミソリ級の切れ味のものでした。
ホメオパシーは、その科学的根拠の不確かさから、ネット上では「疑似科学商法」として叩かれるのが定番となっているのですが、イケハヤ氏はそれを承知の上で、ホメオパシーの商品をすすめる記事を書いたのです。
氏の狙いは見事的中し、多数の批判が殺到し、大炎上が発生。
しかし、それによってホメオパシーの商品が売れたとは思えません。
大炎上の翌日、イケハヤ氏は初めから準備していたと思われる批判に対する「反論」記事をすぐさま公開し、そこには
「ホメオパシーが人気を集める原因の一つである『プラシーボ効果』」
について説明した本のアマゾン・アソシエイト・リンクが貼ってあるんですね。
彼はもともと「ネット本屋」として活動していた方ですから、
どんな本をどうプロモーションすれば売れるか、 ということが手に取るように分かってらっしゃるのでしょう。
イケハヤ氏のファンや、「炎上」によって彼を知った新しい読者が、ずいぶんたくさんその本を買ったんじゃないかなと、想像する次第です。*2
しかしながら、こうした方法は、「釣られた」側の「ヘイト値」をいやがおうにも上げてしまい、当然いらぬ恨みを買うことになります。
ダイアモンド並みの心の強さを持たないあなたには、決しておすすめできないやり方です。
「炎上」の「よしあし」と、その「啓蒙」効果 以上に見たような「有名になるための炎上」は、はたから見ていて決して気持ちよいものではないでしょう。
また、そうした形で「炎上パワー」を利用するかどうかに関わらず、「炎上」というもの自体が、「力と力の衝突」という性質を持ちますから、火事場の野次馬的な興味以外には、あまり意味のないもののようにも思えます。
結局のところ炎上は、対立する意見同士のぶつかり合いにすぎないかもしれません。
しかし、
「ぶつかり合い」があるところには、人生にとって「何か大切なもの」がある ということは考えられないでしょうか。
はあちゅうさんの例で言えば、「動物を大切にする」ということ。
イケハヤ氏の例で言えば、「現代医学に頼りすぎない」ということ。
炎上というものは、人間社会にとって大切な問題提起を、「派手な形」でぼくたちの目の前に示してくれる「ショー」のようなものにも思えるんです。
同種療法とも呼ばれるホメオパシーは、現代科学ではその根拠が証明されていないため、疑似科学でしかないとの批判があります。
けれども、どんな物質にもプラシーボ(偽薬)効果は当然ありますから、ホメオパシーのレメディ(糖衣錠)を服用して症状が改善する人がたくさんいるのも当たり前のことです。
ここでは、仮にプラシーボ効果しかないとした場合に、
ホメオパシーにはどんな意義があるのか、また、 プラシーボ効果しかないホメオパシーは批判すべきものなのか、 という二点について、以下、簡単に述べます。
そして、前回の記事
・人気の代替医療・ホメオパシー早わかり - 科学的「根拠」はなくても効くんです - *魂の次元*
にいくつかコメントをいただいていますので、その回答も添えておきます。
☆id:jo_30さんにありがたいコメントをいただきました。[2018.03.01 追記]
よくわかります。
宗教を安易に科学で批判したら信者が傷ついちゃうでしょ、ということですね。(*‘∀‘)b!
ぼくが言いたいことの核心をずばり突いていただいたコメントです。
プラシーボだと知っていても、プラシーボは効くんです なぜ疑似科学を「批判」すべきでないのか コメントへのお返事コーナーです プラシーボだと知っていても、プラシーボは効くんです id:tanukichi087さんから次のようなコメントをいただきました。
ホメオパシーがプラシーボ効果に基づくものだって理解した上でも、プラシーボ効果は発生するのかな?人間って不思議だ。
プラシーボであると知っていても、効果があるという研究の紹介がこちらにあります。
・プラセボ効果の威力恐るべし。それが偽物だとわかっても効果が持続するその理由とは?(米研究)(2015年7月31日) - エキサイトニュース(1/2)
不思議といえば不思議なのですが、これは、
暗示によって自己治癒力効果が発揮される という話であり、無害かつ有益な自然療法と言えましょう。
もちろんこうした効果はホメオパシーのみのものではありません。
疑似科学としてやり玉に挙げられるEM菌にしても、それが効くと思って飲めば、「本当に」効くのです。
風邪をひきかけたときに、ホメオパシーのレメディやEM菌を飲めば治るのだ、と信じている人が、実際にそれを飲めば風邪の症状の悪化を防げる可能性は十分あるのですから、それを「やめろ」とは言うことにはあまり正当性がありません。
もちろん、新生児に投与するビタミンKのような化学物質について、代わりにレメディを投与する、というような場合は、話が異なります。
ビタミンKを投与したからといって新生児メレナが防げるとは限りませんが、お母さんの側に余程強力な理由がない限り、お母さんに対する「プラシーボ効果」を考えて、ビタミンKは投与するのが筋でしょう。
ビタミンKの「毒性」がどうしても気になるお母さんには、それをキャンセルするレメディを処方すればよいものと思われます。
以上、見たように、プラシーボ効果しかない療法であっても、
現に「役に立つ」と思っている人がいる以上、それは「確かに役に立っている」 のですから、それだけで、十分に社会的な意義があると言えます。
標準医療から見て、過度の適用がないように、適切な助言は必要でしょうが、科学的に根拠がないのだから使うべきではない、というような言い方はするべきとは思えない、という話です。
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みなさん、ホメオパシーという代替医療のことはご存知でしょうか。
現代医療の抱えるさまざまな問題に疑問を感じる人たちの間で、人気が高まっている代替医療と呼ばれるものの一つです。
実は、このホメオパシー、ネット上の科学重視派の人たちからは毛嫌いされるんですが、一体どんな内容のものなのか、さっそく見てみましょう。
GIGAZINE で紹介されたホメオパシー ホメオパシーって、なんか問題なの? GIGAZNE の記事についたコメントについて GIGAZINE で紹介されたホメオパシー 情報サイトGIGAZINEに、2018年2月23日付で次のような記事が掲載されました。
・現代医学に懐疑的な人々に人気の治療法「ホメオパシー」とはどのようなシステムなのか? - GIGAZINE
こちらでは、youtube に投稿されたビデオをもとに
ホメオパシーの「原理」 現代の科学では、ホメオパシーに科学的根拠はないと考えられていること けれどもプラシーボ効果によってホメオパシーには「実際の効果」があること が分かりやすく説明されています。
ホメオパシーは同種療法とも呼ばれ、「症状の原因となる物質を極限にまで希釈して使うことで症状を治療することができる」という「仮説」にもとづいています。
この考えにもとづいて、「毒」を希釈して作った砂糖コーティングの丸薬をホメオパシーではレメディと呼びます。
ところが、通常使われるレメディは、科学的に考えると原因物質が1分子も入っていないまでに薄められてしまっています。
もとの物質が入っていないのですから、普通に考えればこれは「砂糖玉」でしかありません。
けれどもおもしろいことに、この「砂糖玉」によって、実際に病気の症状は改善するのです。
これは医学的によく知られた事実で、「プラシーボ(偽薬)効果」と呼ばれます。
プラシーボ効果とは、「効果のない物質でも、効果があると思って飲めば、実際に効果があらわれる」という現象で、暗示の作用によって人間の自然治癒力を引き出すものです。
以上で、ホメオパシーには「科学的根拠はない」にも関わらず、「確実に効果」があることがお分かりいただけたでしょうか?
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ホメオパシーって、なんか問題なの? GIGAZINE の記事では、
ホメオパシー医療に対しては、「本当に現代医学の力を借りるべき時に、頼ることを躊躇させる」などの批判があります。
とさらりと触れているだけなのですが、日本の場合、大手の新聞も「医療忌避」につながるとしてホメオパシーに否定的な報道をしています。*1
これは日本におけるホメオパシーの普及に助産師の方々が関わっており、一部の助産師の間では、行き過ぎとも考えられる「現代医療否定」の傾向があることと関係があります。
ホメオパシーの原理自体は、決して現代医療を否定するものではありません。
現代医療を否定するかどうかは、最終的にはホメオパシー利用者の判断の問題です。
助産師さんたちの活動は、過度に医療化・男性化された現代の「お産」の形を、女性に取り戻すものであり、それには大きな意味がありますが、活動が先鋭化して「現代医療の否定」にまでつながれば、これは「カルト的」と言わざるをえません。
ホメオパシーを「カルト化」させないためにも、ホメオパシーを推奨する助産師のみなさんには、行き過ぎた「医療否定」に落ち入らないよう、十分注意していただきたいと思います。
GIGAZNE の記事についたコメントについて ・はてなブックマーク - 現代医学に懐疑的な人々に人気の治療法「ホメオパシー」とはどのようなシステムなのか? - GIGAZINE
meduium.com で知り合った「鰯」さんのこの記事、
・明治150年? – 岩下 啓亮 – Medium
ちょっと興味深く思ったので、今回はその話。
ニッポンの総天然色全体主義について書こうと思ったのですが、まとまってません(笑)。
鰯さんの記事によると、内閣官房「明治150年」関連施策推進室からの貼付依頼で、「明治150年」のポスターがやってきて、何枚貼ったか実績を報告するように、と通達文書に記してあるんだそうで。
鰯さんは、
単純に戦前回帰とは言いたくありませんが、なんとも強圧的な周知徹底ぶりではありませんか。
と書くのですが、これって多分町内会とかのレベルで「貼りなさい」そして「どれだけ貼ったか報告しなさい」って話ですよね。
鰯さんは東京ぐらしの経験がある人だから、「これって変じゃない?」って思うわけだけど、地方の「因習的日本」しか知らない人だったら、たぶん、何も考えずに貼りだしちゃうんでしょうかね。
安倍総理に代表される今のニッポンが、明治以来の近代化を誇りたがる気持ちは、まあ、分かるのですが、それってちょっと間違えれば、
「戦前のニッポンは正しくて、戦後の民主主義は間違ってた」
みたいな話に簡単に捻じ曲げられちゃうとことだと思います。
「戦後の民主主義」に行き過ぎや間違いは、確かにあったでしょう。
でも、それと、
「戦後の民主主義は全部間違い、戦前に回帰するのが最高」
というのは、また別の話で。
今の日本の政治状況って、ものすごい「右旋回」をしているのに、多数派の人は、そういうことに無頓着なところで、なんだか分からないままに、「まー、そんなもんかなー」と日本的に流してる気がするんですよね。
でも、そういう状況に、「なんかちょっとおかしくない?」と思っている方々も、少数かもしれないけれど、若老女男問わずいらっしゃるはずで、まーぼくとしては、そういうみなさまに対して、
「それ、合ってます。今の状況はかなりおかしいです」
と、主観にもとづいて伝えるだけのことなんです。
「今の状況がほんとにおかしいかどうか」ってことは、
これは、後世の人が判断するしかないことですからね。
とまあ、そんな話で、いまいちまとまりがつきませんけれど、今の「この日本の状況」に何か感じてらっしゃるみなさんにつきましては、「うーーーむ」という「気」だけでもかまいませんので、気持ちをおさえずに周りにちゃんと発してもらって、この時代の大きな流れを、ちっとでも変える方向で、「行動」していただけたらなぁー、みたいに思うわけなのでした。
てなことで、この記事はおしまいです。
ではまた、ナマステジーっ♬
日本のみなさん、こんにちわー。
「景気は回復している」とニュースでは言っているのに、賃上げとしては反映されず、その実感もないまま年末の日々を過ごしていらっしゃることでしょうか。
ぼくはどっちかというと経済音痴ですが、海外暮らしが長いので、円の為替の動向には少しばかり興味があります。
それで、前々から
どうして円安と株高はセットになっているのか ということが気になっていたんですね。
この疑問に納得のいく解答が得られたので、今日はそこのところをみなさんと一緒に考えていきたいと思います。
なお、結論は、
海外投資家が円を借りて、株を買うから。 その結果、円安になると輸出型の日本企業にとって好都合だから。 ということになります。
なぜ円は安くなる? それは円をじゃぶじゃぶ供給するから 好況になれば株は高くなる。株が高くなれば円も高くなる......はず なぜ円安になるのか - 海外投資家の円の調達法とその使い方 輸出型企業にも蝶都合のいい円安株高 - だけど、その行く末は? なぜ円は安くなる? それは円をじゃぶじゃぶ供給するから 景気が悪いときには、ふつう日銀は金融を緩和します。
金融緩和というのは、通貨量を増やすことで、つまりは円を増やすことです。
増えたお金を
企業が借り、 事業を拡大し、 賃金は上がって、 消費者は物を買い、 景気がよくなる という図式です。
このとき、供給された円を使ってドルを買う人がいれば、ドル高円安になります。
好況になれば株は高くなる。株が高くなれば円も高くなる......はず 円が増えて、景気がよくなれば、日本企業の株を買う人も増えます。株価は上がります。
このとき、「日本の株を買う人」の中には、当然「海外の投資家」もいます。
海外投資家の中には、短期的な利益を狙うヘッジファンドもあれば、中期的な利益を求めるファンドもあり、また、長期的で安定的な利益を目指す公的年金などの投資家もあります。
こうした海外投資家が日本株を買うことで、株高に弾みがつき、また安定した株高が維持されることになります。
このとき、海外投資家は株を買うために円を買うことになります。
すると、円の需要が高まるわけですから、円高になります。
つまり、好況になれば、結果的に「円高株高」になるはずです。
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なぜ円安になるのか - 海外投資家の円の調達法とその使い方 1980 年代の泡ぶく経済(バブル)の時代を経験しているぼくとしては、「あの頃は円高で株高だったよなー」と素朴に思い、どうして今は「円安と株高」がセットになるのか、不思議な気がしましたし、以上のように考えても、「円安」は出てきません。
みなさんは犬と一緒に暮らしてますか、暮らしたことがありますか?
ぼくの場合、子どものころは家に犬がいたんですけど、大人になってからはよその犬と遊ぶくらいなんですが、この記事では
犬と一緒の生活が「心筋梗塞や脳梗塞を減らす」かもしれない という(白犬だけに*1 )おもしろい研究を紹介しようと思います。
一人暮らしの人が犬を飼えば、心血管疾患で死亡する可能性が36%も下がる!? 犬を飼う人は、「生活が健康的」である 犬を飼う人は、犬との交流のおかげで「ストレスが低くなる」 犬が持っている雑菌が「人間の健康」に役立っている!? まずは、ちょっと意外な「衛生仮説」について 「雑菌」が「心血管疾患を減らす」可能性は? 一人暮らしの人が犬を飼えば、心血管疾患で死亡する可能性が36%も下がる!? この研究は、スウェーデンのデータを使ってなされたものですが、12年の期間に渡る340万人ものデータを分析した結果得られたものです。
(参照記事: Owning a dog cuts risk of heart attacks and other fatal diseases, study shows | Science | The Guardian、
参照論文: Dog ownership and the risk of cardiovascular disease and death – a nationwide cohort study | Scientific Reports)
そして分かったのは、一人暮らしの人のうち、犬を飼っている人は、飼っていない人に対して、
心臓や血管の病気で亡くなるリスクが36%も低い、 ということなんです。
家族と一緒に住んでいる人の場合でも、
犬を飼っている人のほうが 15% はリスクが低い、 とのことですから、ワンちゃんが家族の一員であるあなたにとっては、なんとも「ハッピー」で「ラッキー」な研究ではありませんか。
ここで一つ注意してほしいことは、この研究から言えることは、
犬を飼っている人は、心血管疾患のリスクが低い、 ということであって、
犬を飼えば、心血管疾患のリスクが下がるとは言えない、 ということです。
ここではそのことについて詳しい説明はしませんので、興味がある方には、
・相関関係と因果関係の違いが一発でわかる具体例5選 | アタリマエ!
みなさんは、狼に育てられた少女「アマラとカマラ」の話をご存知ですか。
学校の道徳の教科書にも載っているらしいし、ちょっと興味を惹かれる話ですから、知ってる人も多いんじゃないかな。
でも、この「狼に育てられた」っていう話は、どうやらお金目当てで「でっち上げられた」話だったようなんです。
この話がどうして世間に広まったか、そして今でも実話と思っている人がなぜ多いのか、ちょっと考えてみることにします。
アマラとカマラは実在するけど、狼が育てたわけじゃないみたい 「狼に育てられた子ども」という神話は、なぜ「魅力的」なのか 信じる人がいるのはいいけど、教育で使われるのはおかしくない? アマラとカマラは実在するけど、狼が育てたわけじゃないみたい アマラとカマラは1920年にインドの西ベンガル州ミドナプルで保護された二人の少女です。
ミドナプルで妻とともに孤児院を運営するジョセフ・アムリート・ラル・シン(Joseph Amrito Lal Singh )牧師*1によって二人は保護されました。
二人は、狼の巣穴となったシロアリ塚の中から保護され、言葉は話さず、四つ足で狼のように振舞ったのだといいます。
そして、シン牧師は、この二人の「狼に育てられた少女」との、十年近くに渡る日々をつづった日記を出版します。
・J-L-シング「野生児の記録 1 - 狼に育てられた子」
ここに書かれた内容が事実であれば、動物に育てられた「野生児」が人間の社会に戻る過程が描かれた貴重な記録ということになります。
けれども、この本の信ぴょう性は多くの学者から疑われ、スキャンダルに発展します。
日本においても、
狼は人間の子どもに授乳できない 人間の子どもは狼の群れの行動についていけない 暗闇で目が光る、犬歯が異常に発達しているなど、 生物学的にあり得ない記述が多々ある などの理由から、日記の内容を疑問視する声があります。*2
また、シン牧師の日記に「お墨付き」を与え、"Wolf-Children and Feral Man (狼に育てられた子どもと野生児)" という本をシン牧師と共著で出版したロバート・ジング教授は、シン牧師の記述をきちんと検証しなかったことから、デンバー大学の教授職を失うことになってしまいました。
*3
ジング教授が、「日記」の金銭的価値をシン牧師に強調してその共同出版を持ちかけ、孤児院のために資金が必要だったシン牧師が出版後に500ドルの印税を受け取った事実も報告されています。
*4
こうした「証拠」は他にもいろいろあるのですが、それでもこの話を実話と受け止める人は、英語圏を含め今も多いようです。
けれども素直に考えれば、シン牧師の日記はノンフィクションとは言いがたい、多分に誇張がなされた「フィクション」ということになりそうです。
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「狼に育てられた子ども」という神話は、なぜ「魅力的」なのか シン牧師の日記はおおむね「フィクション」であると考えられるのに、今でもそれを「実話」と考える人がたくさんいます。
産婦人科医の佐藤ナツさん(http://twitter.com/tabitora1013) の記事、
・じわじわとスピリチュアルに侵食されていく私たち
を見て、とても悲しい気持ちになりました。
佐藤さんに悪気がないのは分かります。
しかし、
「出産」に象徴される自分の人生に向かい合い、多数派の人生とは違う、自分なりの人生を生きようとしている人たちの一部を、「非科学的である」ことを理由に「素っ頓狂」という言葉で切り捨てている点や、 「カウンセリング」の内実もよくご存知でないようなのに、公的な認可システムが整備されていないということだけを根拠に、「カウンセラー」という職業自体が「怪しい商売」であるかのように述べている点は、 「スピリチュアル」という価値観に対して、冷静に問題を指摘するような文章構成になっていながら、実際は、人の「信仰」心を否定し、感情的な「攻撃」をしているだけとしか読めなかったのです。
なお、この記事では問題点の指摘にとどめ、具体的な説明や、参照資料などは示しません。興味のある方はご自分でお調べください。
こちらが今回の見出しです。
会陰切開や陣痛促進剤は必要なのか? 「子宮系」その他の「信仰」について カウンセラー「全否定」への疑問 なぜ「標準医療」でカウンセリングができないのか? 「金儲けスピ系」という「レッテル貼り」の問題 会陰切開や陣痛促進剤は必要なのか? 佐藤さんは産婦人科の「普通」のお医者さんのようで、標準医療を素朴に信頼していらっしゃるようです。
会陰切開や陣痛促進剤は、母体の安全確保のために必要なものだと考えていらっしゃるのでしょう。
けれども、会陰切開や陣痛促進剤は「医療化」された出産では必要だと考えられているにしても、それは単に「医療システム」にとって必要だというだけではないのでしょうか?
会陰切開や陣痛促進剤の使用が、母体の安全に関わりがないにも関わらず、「医療側の都合」によって行なわれているという実態があるからこそ、少数とは言え、自然出産を希望する女性が存在するのではないでしょうか?
標準医療による出産によって「トラウマ」的な経験をなさった女性の方の話を、ぼくは直接聞いたことがあります。その方の経験自体は、特殊な少数の例にすぎないかもしれませんが、「医療側のスケジュール」に合わせるために行なわれているとも考えられる「医療」行為が、本当にお産をする女性のためになっているのかどうか、きちんとした検証が必要なように思えます。
「子宮系」その他の「信仰」について さて、佐藤さんは、
じんわりと「スピリチュアル系」に多くの人が侵食されていることも事実ではあります。「赤ちゃんはお母さんを選んで生まれてくる」「赤ちゃんは胎内での記憶がある」と思っている人はたくさんいるし、「お産はデトックス=毒を出すもの」だと思っている人もいる。
というような言い方で、「スピリチュアル」な方の持つ「信仰」を、科学的な立場から「否定」します。
また、
その中でも、素っ頓狂なのきたなこれは、と思ったのが「子宮系」。
「子宮を大事にすること、温めることで運をつかもう!」みたいなことが「教義」らしい。
のように、人間の持つ「信仰心」自体を「否定」するような書き方もしてらっしゃいます。
なお、ぼくはこの「子宮系」という言葉は、今回はじめて知りましたが、「子宮委員長」なる方が、カルト的な活動をなさっているらしく、それが「反社会的」なものであるのならば、それは法律にのっとって制限すべきことだと思います。
けれども、「子宮を大事にし、温めれば幸せになれる」という程度の「信仰」自体はまったく問題ではなく、そうした「素朴な信仰」までも切り捨ててしまう佐藤さんの「切り分け方」には、行き過ぎた「科学原理主義」を感じてしまうのです。
「信仰」の自由は、憲法で定められた国民の基本的な権利です。
それを頭から否定するかのような表現は、いかがなものかと思う次第です。
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カウンセラー「全否定」への疑問 佐藤さんは、「カウンセラー」は自称でしかないことを根拠に「信頼できない」ものであるかのようにおっしゃっています。
また、「カウンセラー」を「NLP心理療法」と結びつけ、「NLP」が心療内科で使われていないことを理由に、やはり「信頼できない」ものであるかのように述べます。
確かに公的な認定がないことによって、「カウンセラー」の資質にばらつきがあることは事実でしょう。
また、アメリカで開発された「NLP」という心理療法は、明確なエビデンスに欠けるものかもしれません。
けれども、なんらかの形でそうした療法の訓練を受けた人が、それを信じる顧客に、その療法を施すことは、社会通念上なんら問題のあることではありません。
そもそも、国家による認定がある医師にしても、その資質には大きなばらつきがあり、ぼくのような素人から見ても、この「お医者さんはちょっと」と思う事例も少なくありません。
もちろん、日本の医療が抱えるさまざまな問題の中で、良心的な先生がたが、質の高い医療を提供するべく日夜努力なさっているだろうことは、想像に難くありませんが、「公的な認定」ということだけを根拠に、
「標準医療はオーケー」 「自称カウンセラーは全否定」 といった誤解を誘うような「イメージ先行」の文章を書かれている姿勢には、首をかしげざるをえません。
なぜ「標準医療」でカウンセリングができないのか? 佐藤さんは、
一般の方が医療に求めているのは、病気を治すということ以外に、ヒーリング的なこと、癒しの要素も含んでいるわけです。
でも、医療者側にはそこまでできる余力やスキルがない。
また、
高額なセミナーや受診の料金を負担させないカウンセリングが、民間や公的機関問わず必要であろうと思われます。
あるいは、
カウンセリングやメンタル面で医療機関を受診することの心理的なハードルを下げていくべきでしょう。
と述べており、医者としての限界とともに、医療システム上の改善についても言及してらっしゃる点は大変すばらしいと思います。
慶応大学文学部出身のフリーライター服部美咲氏*1による SYNODOS に掲載された記事(以下「服部9.19」と書きます)
・「福島で次世代に放射線被曝の影響は考えられない」ということ――日本学術会議の「合意」を読みとく / 服部美咲 / フリーライター | SYNODOS -シノドス-
を見て、とてもびっくりしました。
「服部9.19」のタイトルによると、日本学術会議が
「福島(第一の事故)で次世代に放射線被曝の影響は考えられない」
という報告を出したというのですから、日本の医学界の主流派が、科学者としての良心を捨てて、片寄った政治団体となってしまったのかと、目を疑いました。
けれども、報告書を実際に読んでみると、「服部9.19」の解釈は誤読ではないかという疑問が浮かびました。
「服部9.19」による学術会議の報告についての解釈には、様々な疑問点がありますが、この記事では、
日本学術会議の報告は「福島(第一の事故)で次世代に放射線被曝の影響は考えられない」とは言っていない ということについてのみ説明します。
「服部9.19」への疑問 日本学術会議『9.1報告』への疑問 追記: 『9.1報告』について細かい論評がこちらにあります 「服部9.19」への疑問 「服部9.19」の冒頭二段落はこの通りです。
2017年9月1日、日本の科学者を代表する組織である日本学術会議の臨床医学委員会放射線防護・リスクマネジメント分科会が、「子どもの放射線被ばくの影響と今後の課題―現在の科学的知見を福島で生かすために―」という報告書(以下『9.1報告』と表記)を出した。
『9.1報告』はUNSCEAR(国連科学委員会)の各年度の白書を引用しながら、これまでの放射線被曝による健康影響についての知見や、福島第一原発事故後の住民の被曝線量の推定値からも、将来、被曝影響によるがんの増加が予測されず、そして被曝による先天性異常も遺伝的影響も考えられないと結論づけた。特に後者の「次世代への影響が考えられない」ということについては、すでに「科学的に決着がついている」とも明言している。
ところが、日本学術会議の『9.1報告』(http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-23-h170901.pdf) にあたると、該当箇所は、
2 子どもの放射線被ばくの影響
(3) 福島原発事故による子どもの健康影響に関する社会の認識
① 次世代への影響に関する社会の受け止め方 (p.9)
だと思われますが、その内容は
胎児影響は、福島原発事故による健康影響の有無がデータにより実証されている唯一の例である。(中略) 福島原発事故から一年後には、福島県の県民健康調査の結果が取りまとめられ、福島県
の妊婦の流産や中絶は福島第1原発事故の前後で増減していないことが確認された
[42]。そして死産、早産、低出生時体重及び先天性異常の発生率に事故の影響が見られないことが証明された[43, 44]。
専門家間では組織反応(確定的影響)である「胎児影響」と生殖細胞の確率的影響である「遺伝性影響 (経世代影響)」は区別して考えられており、「胎児影響」に関しては、上記のような実証的結果を得て、科学的には決着がついたと認識されている。
となっています。
「服部9.19」では、
被曝による先天性異常も遺伝的影響も考えられないと結論づけた。 「次世代への影響が考えられない」ということについては、すでに「科学的に決着がついている」とも明言している。 というのですが、
学術会議の『9.1報告』が述べているのは、
(胎児影響については)「福島県 の妊婦の流産や中絶は福島第1原発事故の前後で増減していないことが確認され」ており、「死産、早産、低出生時体重及び先天性異常の発生率に事故の影響が見られないことが証明された」ということ、および、
+
組織反応(確定的影響)である「胎児影響」と生殖細胞の確率的影響である「遺伝性影響 (経世代影響)」は区別して考えられており、「胎児影響」に関しては、上記のような実証的結果を得て、科学的には決着がついたと認識されている。
ということですから、学術会議の報告が 1. において「影響がない」と述べているのは「胎児影響」についてのみで、遺伝性の影響についてはここでは言及していません。
この点、「服部9.19」1. の「先天性異常も遺伝的影響も考えられない」という記述は誤読というべきではないでしょうか。
(なお、別の箇所で、UNSCEAR の評価として、「先天性異常や遺伝性影響、小児甲状腺がん以外のがんに関しては、有意な増加は見られないだろうと予測している」という記述はありますが、これは「影響がない」ということとは異なります)
また、2. において「胎児影響」に関して述べていることは
「科学的には決着がついたと認識されている」
という大変曖昧な記述です。
「科学的に決着がついている」とは述べておらず、誰によって「認識されているか」も不明であり、科学的合意をはかるための報告書の記述としては、不十分かつ不明瞭という以外ないでしょう。
それなのに、「服部9.19」2. では『「科学的に決着がついている」とも明言している』というのですから、これも誤読と考えられます。
わたしは、福島第一事故の影響は、原発の立地地域である福島県にとどまらず、少なく見積もっても、東日本全体の問題ととらえるのが妥当ではないかと思っておりますので、