発売早々11万部を売って話題になった「錯覚資産本」でおなじみのふろむださんが、 ・マーケティングの人材市場からわかる、これから「台頭する人」「落ちぶれる人」の4つの条件 - ふろむだ@分裂勘違い君劇場 という興味深い記事を書いています。 記事の主題はマーケティングの人材のことですが、IT化とグローバル化が進む現代社会で「どんな人材が重視されるか」という話なので、マーケティングに限らず、様々なビジネスの現場において役立つ内容になっています。 これからのビジネスには、 「原因特定解像度、サイクル長、幹への近さ、ローコンテキスト」という4つのキーワードが重要だ、 というふろむださんの主張を、もう少し詳しく見た上で、 打てば響くネットの「高解像度×短サイクル」を使いこなす方法 について考えることにします。 なお、「高解像度×短サイクル」とは、別の言い方をすれば、 「PDCAサイクルの圧縮・高密度化」 とも言えます。 ネットの普及で「原因特定解像度」が「高くて当たり前」の時代が来た。 効果を測る「サイクル長」が短くなることで、新時代のビジネスは加速する。 「幹への近さ=経営感覚」の重要性、あるいは「専門性の落とし穴」 グローバル化する時代だからこそ「ローコンテクスト」の意識によって「文化の壁」を越えていく。 打てば響くネットの「高解像度×短サイクル」を使いこなす方法 ネットの普及で「原因特定解像度」が「高くて当たり前」の時代が来た。 ふろむださんは、 原因特定解像度とは、「マーケ施策の成功・失敗の原因を、どれだけはっきり特定できるか?」ということ。 と説明しています。 マーケ施策に限らず、 何かをやってみたとき、その結果について原因をどれだけはっきり特定できるか、 と一般化できます。 アナログの時代には低かったこの「解像度」が、ネット時代を迎えて「高くて当たり前」になっていることを、ふろむださんは強調するわけです。 例えば書籍を出版するのには、年単位で準備することも普通です。 その書籍が無事に売れたとき、なぜ売れたかの原因を特定することは簡単なことではありません。 ふろむださんの「錯覚資産本」が売れたのは、 ネット上のインフルエンサーの紹介のおかげか 著者がネット上で有名だったからか、 文章が簡潔明瞭だったからか、 イラストがよかったからか、 などなど、様々な理由が考えられる中で、どれが原因として大きなものなのかを特定することは、事実上不可能です。 これが「原因特定解像度が低い」状態です。 それに対してツイッターを使って読者の反応を見る場合、よいツイートをすればフォロワーが増え、ダメなツイートをすればフォロワーが減ります。 また、よいツイート、ダメなツイートの原因も、140文字の中に現れるわけですから、10万文字からなる書籍の場合と違ってピンポイントで原因を特定することも容易になります。 これがネット時代の「原因特定解像度の高さ」の意味です。 これからの時代に有能な人材として評価されるためには、このネット時代の「高解像度」を意識することが重要だと、ふろむださんは言うわけです。 効果を測る「サイクル長」が短くなることで、新時代のビジネスは加速する。 ネット時代のもうひとつの特徴は、施策の効果を測る「サイクル長」が短くなることです。 先ほどの例で言えば、書籍の出版は結果が出るまでに数ヶ月から一年以上もの時間がかかるわけですが、ツイートの場合、一瞬で結果が分かるといっても言い過ぎではないほどです。 現実世界で時間をかけないと分からないことが、ネット上では限定された形であるとは言え、ごく短時間で結果を見ることができるのです。 このネットの持つ特性を上手に活用することができれば、変化の大きなこれからの時代に、極めて有利に働くことは言うまでもないことでしょう。 ふろむださんが「高解像度×短サイクル」をキーワードにするのも、納得がいきます。 「幹への近さ=経営感覚」の重要性、あるいは「専門性の落とし穴」 ふろむださんは「専門性」は枝葉であり、あまりに狭い専門性を追求することは、これからの時代において危険なことではないか、と警告します。 自分の専門とする分野の将来性がなくなったとき、路頭に迷うことになってしまうからです。 したがって、マーケティングのような業務においても、 経営者のように、会社全体を把握し、全体最適のマーケティングを行う ことが大切だと言うのです。 このように「経営感覚」を普段から意識することによって、 「専門性の落とし穴」を避け、 あまりに狭い専門分野に特化するのではなく、 時代の中で育ってくる新しい分野にも目配りをすることができれば、 多少浅くても幅広い専門性を持つことによって、時代の波に溺れることなく生き残ることができるはずだと言うわけです。 グローバル化する時代だからこそ「ローコンテクスト」の意識によって「文化の壁」を越えていく。 日本の国内市場が縮小していくことが予想される現在、国内に特化した「ハイコンテクスト」なマーケティングではなく、グローバルに通用する「ローコンテクスト」なマーケティングが重要になってくる、という話です。 このこともマーケティングに限らず、島国ニッポンの発想ではなく、世界規模でものごとを考えられる人材が、これからの時代には求められるようになっていくという話ですから、 日常的に、 日本以外の国では、 どんな人が、 何を求めているのか、 といったことにアンテナを張ることが大切と言えましょう。 打てば響くネットの「高解像度×短サイクル」を使いこなす方法 さて、 「幹への近さ」を意識し「経営感覚」を身につけ、 世界にアンテナを向けて「ローコンテクスト」の感覚を養うにあたっても、 打てば響くネットの「高解像度×短サイクル」を使いこなす技術を身につけることができれば、鬼に金棒です。

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保育園の先生が子どもたちに「字を書いてはいけない」と教えている、という話をネットで見て、 えー、ほんとにーっ! と思いました。 もちろん 「保育園児は文字を書いてはいけない」という法律 などというものは存在しません。 とはいえ、大人の都合によって、子どもたちにそういう「奇妙な思想」が吹き込まれるのは、あまり気持ちのよいものではありませんので、今日はこれを出発点として、日本の社会のあり方について、少しばかり考えてみることにします。 「嘘」をつく「先生」たちと、どうつき合うか 本音と建前が「見え見え」の社会で それでもへこたれずに生きるために、オフグリッドな人生を構想する 「嘘」をつく「先生」たちと、どうつき合うか 保育園の先生が子どもたちに「字を書いてはいけない」と教えている、という話は、fellfield さんの ・文字を書いてもいい - ツンドラ という記事で見かけました。 fellfield さんが、子どもを保育園に送っていったところ、子どもの友だちがやってきて、 「保育園ではまだ文字を書いちゃいけないんだよ!」と詰め寄ってきた というのです。 少しの間、どうやってその子に言葉をかけようかと考えてから、fellfield さんが、 「書いてもいいんだよーだ。パパがいいって言ってるんだから、いいんだよ」 と言うと、友だちの態度は和らぎ、その場の緊張状態は収まった、という話です。 その保育園では、 「文字を書くことを禁止はしない」「子どもの成長段階にはまだ早いので、積極的に教えたりはしない」 ということになっているのですが、実際には先生たちは「書いてはいけない」と指導をしているらしいのです。 たびたび子どもが「先生に書いちゃダメって言われた」と言っている。そのたびに妻が「書いてもいいんだよ、先生がそんなこと言う訳ないよ」と言うのだけれど、僕はただシンプルに「先生が嘘をついている」と思う。子どもが先生に言われたというなら、きっと、先生は言ったのだろう。そして当然ながら、先生たちの嘘は、子どもたちも見聞きしてしまうことになる。 fellfield さんのお子さんは保育園の年長さんで、その年頃になれば、子どもによっては、十分「大人のずるさ」も分かってくるのですから、fellfieldさんは、わざわざ「ずるい大人」に物申すことはせず、 今後また何かあれば、他人に禁じられたものを「やっていいよ」と解いてあげたり、他人に強制されたものを「やらなくていいよ」と解いてあげる役割を果たしていこうとは考えている。いつか子どもが自分自身で「これはやる」「これはやらない」と決められるようになるまで、あと何年かはそうしようと思っている。 という、とてもバランスの取れたスタンスで構えてらっしゃいます。 いいお父さんだなー、と感心する次第です。 ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ☆ここでちょっと一休み、<スポンサード・リンク>です。 ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ 本音と建前が「見え見え」の社会で ぼく自身が幼稚園に通っていたときの話なのですが、園庭にブランコが2つだけあって、遊び時間には多くの子どもたちがブランコに乗りたくて、列を作って待っています。 気の強い、世渡り上手な女の子と、その子分のようなもう一人の女の子がそのブランコを占領していて、それに対して先生が 「〇〇ちゃん、ちゃんと順番で代わってあげるのよー」 と声をかけます。 すると、女の子たちは、 「今、乗ったばかりでーす」

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note.muの運営会社ピースオブケイクでユーザインタフェイスのデザインをなさっている深津貴之さんが、 ・[お金持ちを、ほめよう!:title] という記事を書いています。 一般の人々がお金持ちの行ないをほめることによって、お金持ちの方々が気持よく寄付できる環境を作ることができれば、もっと社会はよくなるのではないか、という主張です。 こうした考え方は確かに意味のあるものと思いますが、これが お金持ちの行動を批判するべきではない、 という話になってしまうと、ちょっとおかしなことになりますので、その辺りを少し考えてみたいと思います。 人は褒められると嬉しくなるのは、確かにその通りです。 けれども有能な経営者って、案外サイコパスですから、ちょっと例外なんですよね。 「よいお金持ち」をほめるのは大切だけど、「わるいお金持ち」を批判するのも大切です。 人は褒められると嬉しくなるのは、確かにその通りです。 深津さんは、 お金持ちを「攻撃」すると、持てるものと持てないものの間に「対立構造」ができてしまい、お金持ちは「富の再分配」に同意したくなくなる という意味のことを述べています。 逆に、 お金持ちを褒めて、名誉を与え、「好意」を送ることによって、お金持ちは機嫌よく「富の再分配」に同意する というのです。 多くの場合、人間が「攻撃」よりも「好意」を受けることを好み、それによって態度を軟化させるのは、心理学的な事実といっていいでしょう。 ですから、人間のこの性質を利用して、 お金持ちが気分よく「富の再配分」をしたくなる仕組みを作ろう、 という深津さんの話には確かに一理あります。 そのために、 再分配に対するインセンティブを与え、 実行したお金持ちを褒め称える社会的空気を作り、 結果として お金持ちが積極的に再分配する社会を実現する、 というのは、アイディアとしては悪くないですよね。 ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ☆ここでちょっと一休み、<スポンサード・リンク>です。 ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ けれども有能な経営者って、案外サイコパスですから、ちょっと例外なんですよね。 深津さんの主張は、社会全般に対して「富の再分配」のイメージを上げるという意味では有効なものだと思いますが、実際にそれが「持てるものと持てないものの対立構造」をゆるめ、「社会問題」の解決につながるかという点では、大いに疑問を感じます。 というのも、有能な経営者というものは、 おだてられてお金を配るようなお人好しではない からです。 それどころか *本当に* 有能な経営者はむしろサイコパスであることも多く、普通の人間のような「感性」の持ち主ではないからこそ、ビジネスの世界で大きな成功をつかむことができるのです。 *1 現代社会において、巨大企業が圧倒的に大きな力を持っていることを考えれば、私たちが直面する「社会問題」の多くが、「サイコパス的な非人間性」から生じていることは、十分想像できることかと思います。 とすれば、 「褒めてあげれば、お金持ちが気持ちよく『富の再分配』に応じてくれるようになり、『社会問題』は解決していく」 というストーリーは、残念ながら楽観的にすぎて、現実味に乏しいものに思えます。 現実にアメリカのような「お金持ちの慈善事業が当たり前の国」でも、「対立構造」はなくなるどころか、むしろ激化しているように見受けられます。

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note.mu で公開されている生活学習さんの漫画 殺人予告|生活学習|note、 タイトルは物騒ですが、心を揺さぶるインパクトがあり、深く考えさせられる作品です。 線維筋痛症を患い、苦労して毎日を生きている生活学習さんが、通りすがりの男たちから侮蔑の言葉を投げかけられた経験が、激アツの筆致で描かれています。 見下された者の悲痛な叫び、「お前らを殺してやるからな」 「殺してやる」という言葉に象徴的に込められた作者の思い 漫画『警察をクビになった話』のハルオサンに続く、ヘタウマ・ネット漫画の新しい波 線維筋痛症という「難病」 見下された者の悲痛な叫び、「お前らを殺してやるからな」 (画像は生活学習さんのnote.muのページより再掲、ご本人に許可をいただいています) 2018年10月31日16時半頃、杖をついて薬局に入っていく坊主頭の私を見て、「初老だねえ!!」と言って笑った2人組の男どもに告ぐ。 殺してやるからな。 殺人予告|生活学習|note 記事タイトルでは分かりやすさを優先して「女性蔑視」と書きましたが、「男たち」の言葉には、 若くて美しい女性以外は価値がない という偏見だけでなく、弱いもの、苦しみを背負っているものに対する侮蔑の込められています。 現在の日本社会に蔓延している「弱者蔑視」を象徴する場面です。 この不愉快きわまりない言葉に、作者が感じたとてつもない怒りが、1ページ目で十二分に炸裂しています。 「殺してやる」という強烈な言葉と、終始一貫して「笑顔」で描かれる「語り手=作者」の表情のギャップに、怒りに震えながらも、その状況と心境を冷静に描写しようとする作者の「執念」を感じます。 ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ☆ここでちょっと一休み、<スポンサード・リンク>です。 ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ 「殺してやる」という言葉に象徴的に込められた作者の思い 『殺人予告』というタイトルといい、「お前らを殺してやるからな」というセリフといい、過激きわまりない表現ですが、作者は暴力を肯定しているのではありません。 この漫画は、侮蔑によって引き起こされた収まりようのない怒りを原動力に、わたしたちが住む「弱者蔑視の社会」を変えるために描かれています。 作者が「殺す」と言っているのは、現実社会での暴力を振るうということではなく、漫画という表現によって、「弱者蔑視」がまかり通る社会のあり方を変えていく、ということです。 ですから、 お前らが窮屈で暮らせなくなる世界を、態度を改めなければ生きていけない世界を作るまで、 殺人予告|生活学習|note 作者は「弱者を蔑視する者」を「殺し続ける」のです。 この「殺す」という表現が強すぎると思い、違和感を持つ人がいること、なんでここまでの言葉を使うのか、という異論があるのも分かりますが、作者の思いはこの言葉なしには表現できなかったに違いないと思うのです。 日常的に刺激的な表現が溢れかえって、感覚が麻痺しがちな読者に向けて、十分に声を届けるためには、このくらい過激な表現をして丁度いいくらいではないでしょうか。 漫画『警察をクビになった話』のハルオサンに続く、ヘタウマ・ネット漫画の新しい波 生活学習さんは「事件」があったその日のうちに、12ページの漫画を描いてツイッターに3つのツイートとして投稿し、さらにnote.muにもまとめて掲載しています。 勢いで描いているので、若干雑な印象も受けますが、そのときまさに感じていたリアルな怒りに裏打ちされているために、多くの人の心を動かしたものと言えるでしょう。 ・生活学習 on Twitter: "『殺人予告』①… " は、21,000 リツイート(2, 3 も合わせると全部で37,000)され、

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はてブ・アディクトのみなさんにはお馴染みのしんざき@不倒城さんが、『子どもの感性は、「性的なコンテンツ」一つで悪影響を受ける程脆弱なんだろうか』という素敵な記事を書いてらっしゃって、600近いブックマークがついてるもんで、今日はしんざき氏の論法について、みなさんと一緒に詳しくみていきたいと思いまーす。素晴らしき「しんざき話法」に、いつも「はてな?」と首をかしげてるみなさん、よろしくお願いしまーす。

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みなさん、英語でおしゃべりしたくないですか。 それから、英語のニュースとか映画とか、パッと聞いて分かると、かっこいいし便利ですよね。 今日は Facebook で見かけたニュース動画でおもしろいのがあったので、スクリプトとその訳を載せることにします。 リスニングの勉強はこんなふうにやりましょう カナダの先住民族コミュニティにインターネットの導入試みる青年のニュース動画より おまけ: インターネットという技術の長所と短所 リスニングの勉強はこんなふうにやりましょう 英語のリスニングの基本は とにかく聴く ことです。 音が頭の中にはっきり入り、口からすらすら出てくるまで、何度でも「聴く・口から出す」を繰り返してください。 「聴くだけでは覚えられない!」という人は、文字を見てもオーケーです。 補助的に文字も使って、でも、最終的には はっきり聴こえて、すらすら言える ところまで持っていきます。 これを、 初心者なら、フレーズを短く区切って、 中級者以上なら、一文ごとなど、自分の実力に合わせた長さで、 一歩々々、進めていくだけです。 かならずしもたくさんの教材をこなす必要はありません。 今回紹介する動画を完全に覚えることができたら、それだけでも 今までは全然話せなかったのが、 なんとなく英語が口から出てくる 状態くらいにはなるはずです。 あせらず自分のペースで、気長に練習するのがコツです。 ただし教材の内容に興味が持てない場合は、別の教材を探す必要があります。 教材には必ず 自分がおもしろいと思うもの を使ってください。 人間って、おもしろいものなら、喜んで覚えますが、 つまらないものは、絶対覚えられません。 今回紹介する Al Jazeera English の動画は、スクリプトがしっかりしている上に、時間も2分弱とちょうど練習に適した長さで、ぼくにはおもしろかったので紹介することにしました。 ネット上にはいろいろな素材がありますので、みなさんもご自分で探してみると、きっと自分にぴったりの教材が見つかると思いますよ。 それでは、次節に英語のスクリプトと日本語の訳を載せますので、動画を見ながらお楽しみくださーい。 ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ☆ここでちょっと一休み、<スポンサード・リンク>です。 ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─

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あなたが大学へ行きたいのに「親のお金は当てにできない」という場合、奨学金を借りて大学へ行くという選択肢はもちろんありえます。 けれども、その選択があなたにとって正しいものかどうかということは、よく考えてみる必要があります。 この記事では、大学というものが、 「日本学生支援機構」という名前の「貸金業者」から借金をしてまで 行くに値するものなのか、ということをメインにして考えてみます。 というのも、高校を出てすぐに「借金をしてまで」大学に行かなければならない理由はありませんし、 大学に行かなくても、明るい人生はいくらでもありうる ということが言いたいからです。 大学ばかりが学ぶ場ではない 大学にはいつでも行ける それでも奨学金を使って大学へ行きたいあなたへ 日本学生支援機構はただの貸金業者なのか 大学ばかりが学ぶ場ではない ツイッターでこんな発言を見かけました。 大学で自分探しをしたい!→頑張って! 大学で色々な人に出会いたい!→色々な人がいて面白いですよ! 行きたいという強い気持ちがあれば、動機は何でもいいと思います。奨学金を借りて行く価値、学ぶべき多様性はある。 この方の意見が間違っているとは思いませんが、こうした自分の主観に基づく世間話的メッセージには、 「奨学金が自己破産に結びつく」 という社会的事実が考慮されていないという点で、危うさを感じてしまいます。 自分探しをしたいにしても、いろいろな人に出会いたい場合でも、どうしても大学に行かなければ、ということはありません。 多くの人が大学でモラトリアムの時間を過ごし、それなりに「有意義」な時間を過ごしているからといって、それが借金を背負ってまでするべきことなのかどうかは、よく考えたほうがいいでしょう。 つまり、「遊び」に行くために「借金を背負うのは危ない」って話です。 自分探しや人との出会いが目的なら、ほかにいくらでも選択肢はあります。 ネットを使って情報を集め、いろいろな集まりに出かけ、新しい人と会い、新しい考えを得ることもできるでしょう。 あるいは実家にこもり、自分の一生を見つめなおしてもいいのです。 専門学校に行くという選択肢もあるでしょうし、高卒で働くという選択も当然あります。 大学で遊んでる人がみんな幸せなわけじゃありませんし、大学を卒業すれば安定した人生が待ってるわけでもありません。 自分の人生を人の人生と比べ、人並みの人生を送ろうとしても、必ずしもうまくいくものではありません。 自分の居場所は自分で見つけ、自分の「人生の意味」というものを自分で作っていくことこそが、よく生きるために一番大切なことです。 「自分は何をやりたいんだろう?」と問い続けさえすれば、自分のいる場所がどこであろうと、道は必ず開けるはずです。 大学にはいつでも行ける こんな記事を書いている方がいました。 ・奨学金で借金地獄になるくらいなら、社会人やってから大学行くのが一番楽しいよって話。|ちーぼー|note この方は、高校を卒業して短大に進学し、中退して社会人となりました。お金を貯めて23歳のとき専門学校に行き、Web デザイナーとして就職、その後フリーランスとなり、インターネットの大学で勉強しているそうです。 日本では「高校出たらすぐ大学へ行く」のが当たり前とされてますが、それってただの思い込みですよね。 みんながそうやってるからって、あなたもそうしなくちゃならないわけじゃない。 社会人として働き、自分でお金を貯めてから大学に行けば、余計な借金をする必要はありません。 あるいは会社勤めをしながら通信制の大学で勉強する方法だってあります。 結局のところ「あなたが何をしたいか」、これが一番大切なポイントだってことです。 そしてもし「自分が何をしたいかが分からない」としても大丈夫です。 何をしたいか分からなくて、迷いに迷って進路を決めて、やっぱりうまくいかないかもしれません。 そんなことがあったらどうしようと心配する必要はありません。 一度決めたことだとしても、あとからいくらでも変更が効くんですから。 人生いつだってやり直しは効きます。 「高校を卒業して、いい大学へ入って、いい会社に入る」みたいな一直線の道は、ごく少数の例外を除けば、もう、どうせないんですから、自分の道を自分なりに歩いていけばいいってだけのことなんですよ。 ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ☆ここでちょっと一休み、<スポンサード・リンク>です。 ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─

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※東大で行われた「姫野カオルコ『彼女は頭が悪いから』ブックトーク」について追記しました。 東大生ないし東大OGの「高学歴BL女性」と思われるみくさ (id:tomananaco)さんが書いた ・東大生強制わいせつ事件傍聴人が「彼女は頭が悪いから」を読んだから - 人生万事こじらせるべからず という記事がとても面白かったので、その紹介をかねて、小説と現実の違い、知的エリートの心的貧困などについて書いてみようと思います。 東大生強制わいせつ事件とは? 姫野カオルコさんの「彼女は頭が悪いから」という小説 エム1容疑者の派手な暴行より、エム2容疑者のサイコパス性が核心か 「モテる東大生」というフィクションと、可哀想な東大生の現実 「東大生への下心」を嫌う東大生の蝶屈折心理 [追記 2018.12.15] 東大で行われた「姫野カオルコ『彼女は頭が悪いから』ブックトーク」について 東大生強制わいせつ事件とは? 2016年5月、5人の東大生が強制わいせつの疑いで逮捕されました。 5人は「誕生日研究会」という女性目当てのサークルの仲間で、そのうちの一人の部屋に被害者の女性を誘い、無理やり酒を飲ませて、わいせつ行為を行なったのです。 主犯格のエム1容疑者は、女性を全裸にした上で馬乗りになり、その状態でカップ麺を食べ、その具や汁を女性にかけて遊んだり、股間にドライヤーの熱風を当てるなどの暴行を加えたとされます。 被害者の女性は、共犯格のエム2容疑者と恋人関係だったことがあり、被害にあったときも、エム2容疑者とセックスフレンドの関係にあったようです。 何の罪もない女性をこうしてモノのように扱い、辱めることは、決して許されることではありませんが、こうした事件の背景にはどのような人間心理が隠されているのでしょうか。 姫野カオルコさんの「彼女は頭が悪いから」という小説 姫野カオルコ「彼女は頭が悪いから」(2018 文藝春秋) という小説は、この東大生強制わいせつ事件を題材にしたフィクションです。 報道ではエム1容疑者の「鬼畜性」が全面に出され、「異常な東大生」がクローズアップされたのに対し、この小説では、 被害女性がエム2容疑者とセフレの関係にあったこと に焦点を当てることで、被害女性の心理に迫ります。 アマゾンの内容紹介では、 私は東大生の将来をダメにした勘違い女なの? 深夜のマンションで起こった東大生5人による強制わいせつ事件。非難されたのはなぜか被害者の女子大生だった。 現実に起こった事件に着想を得た衝撃の書き下ろし「非さわやか100%青春小説」! 横浜市郊外のごくふつうの家庭で育った神立美咲は女子大に進学する。渋谷区広尾の申し分のない環境で育った竹内つばさは、東京大学理科1類に進学した。横浜のオクフェスの夜、ふたりが出会い、ひと目で恋に落ちたはずだった。しかし、人々の妬み、劣等感、格差意識が交錯し、東大生5人によるおぞましい事件につながってゆく。 被害者の美咲がなぜ、「前途ある東大生より、バカ大学のおまえが逮捕されたほうが日本に有益」「この女、被害者がじゃなくて、自称被害者です。尻軽の勘違い女です」とまで、ネットで叩かれなければならなかったのか。 「わいせつ事件」の背景に隠された、学歴格差、スクールカースト、男女のコンプレックス、理系VS文系……。内なる日本人の差別意識をえぐり、とことん切なくて胸が苦しくなる「事実を越えた真実」。すべての東大関係者と、東大生や東大OBOGによって嫌な思いをした人々に。娘や息子を悲惨な事件から守りたいすべての保護者に。スクールカーストに苦しんだことがある人に。恋人ができなくて悩む女性と男性に。 この作品は彼女と彼らの物語であると同時に、私たちの物語です。 となっています。 小説では「分かりやすい物語」にするために、加害者のエム2容疑者が被害者を「愛していた」という設定になっていますが、現実にはそのような事実はなかったようです。 その辺りを、みくさ (id:tomananaco)さんの記事で確認してみましょう。 エム1容疑者の派手な暴行より、エム2容疑者のサイコパス性が核心か この事件では、逮捕された5人のうち、2人は示談となり不起訴、エム1容疑者、エム2容疑者のほかに、部屋を貸したケイ容疑者が起訴され、この三人には一審で執行猶予付きの有罪判決が下りています。 裁判の傍聴もした上で、みくささんは三人について、 私の主観だけで言えば、エム2容疑者はサイコパスクズ男、エム1容疑者は際限を弁えずにやりすぎてしまったバカ、ケイ容疑者は家を貸しただけの善人に思えた。 (原文で実名になっている部分は仮名とした。以下同) と書いています。そして、 確かに、エム1容疑者とは面識はほぼ初対面だったのであるが、被害者女性はメンバーの一人エム2容疑者に惚れていた。飲み会の最中、松本から「こいつ俺の女だから」という旨の発言をされても強く否定しなかったという。 エム2容疑者は、彼女からの好意には気づいていたが、それに応じる気が無かった。当時本命の恋人もいた。何より彼自身の特性としてサイコパス気味だった。 人間、自分の興味の無い相手からの好意はうっとうしいものだ。そして、自分に惚れこんだ相手は「都合のいい」存在になり、軽んじる。 だからエム2容疑者は、飲み会の盛り上げ役として、この都合のいい女を持ってきた。 と述べ、派手な暴行をした主犯格のエム1容疑者よりも、共犯格のエム2容疑者の「サイコパス性」がこの事件の核心にあることを強調しています。 そうして、被害者の女性は 勘違いした女でも、セカンドレイプされるべき対象でもない。どこまでも、ひとりの普通の人間だ。 と、彼女にはなんら責任がないことが、はっきりと述べられています。 ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ☆ここでちょっと一休み、<スポンサード・リンク>です。 ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─

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高知新聞の2018.08.17付けの記事 ・高知県立大学で蔵書3万8000冊焼却 貴重な郷土本、絶版本多数|高知新聞 を見ると、高知県立大学が図書館の新設にともない、社会的に問題となるような「愚行」を行なったかのような印象を受けます。 ネット上には、この「愚行」を高らかに批判する人が、少なからず存在しました。 ところが実際には、この大量の図書処分に関して高知県立大学は、批判の余地はあるにしても、適切と呼びうる範囲の運営を行なっているようです。 この件について少し詳しくみた上で、「叩きやすいモノを叩くヒトたち」との付き合い方について考えてみましょう。 高知新聞の主張と、それに対する反論 「分かりやすい悪役を見つけた時はちょっと立ち止まった方がいい」 「叩きやすいモノを叩くヒトたち」とどう付き合えばいいか 高知新聞の主張と、それに対する反論 高知新聞によれば、 約3万8千冊に及ぶ図書や雑誌を焼却処分にしていたことが8月16日までに分かった。中には戦前の郷土関係の本をはじめ、現在は古書店でも入手が難しい絶版本、高値で取引されている本が多数含まれている。焼却せずに活用する方策をなぜ取らなかったのか、議論になりそうだ。 ということで、この記事を見る限り、 高知県立大学では適切な図書の管理がなされず、貴重な県民の財産が不用意に処分されてしまった、 という印象を受けます。 この件について、しんざきさんという方が、 ・「考え無しに愚行を行う組織」という物語と、それに魅惑される人たち: 不倒城 という記事を書いており、高知県立大学側の説明も検討した上で、 (除却書籍の選択についての是非などで)批判の余地が全くないとまでは言えないが、大学図書館の業務としては普通に考えられる範疇であり、間違っても愚行とまでは言えない という結論を出してらっしゃいます。 そして、 どうも、「組織は考えなしの愚行を行うもの」という先入観というか、「愚行を行う組織に対する強い攻撃意識」みたいなものがどっかにあって、高知新聞もそれを煽ることを狙ってああいう記事を書いたんじゃねえか、という感触があります。 ともおっしゃっています。 また、地方で10年以上古書店勤めをする閻魔堂さんという方は、 ・高知大学蔵書の処分は適切だったのではないか|閻魔堂|note という記事で、処分された書籍について詳しく検討した上で、 現在は古書店でも入手が難しい絶版本、高値で取引されている本が多数含まれている という高知新聞の主張に疑問を投げかけています。 さらに匿名で、 ・高知県立大焚書記事問題を元大学図書館の人視点から という記事を書き、図書館における蔵書の扱いを丁寧に解説してくださっている方もいます。 この方は、 高知新聞の記事見出しを見たとき、ツタヤ図書館的なことを 大学図書館がやるなんて世も末だなと衝撃受けたけど 記事読んだら通常業務してるだけじゃねーか!と二度びっくりした と書いています。 そして、高知新聞は2018.08.22付けで ・プロセス入念に焼却 図書3万8000冊処分の高知県立大|高知新聞 という「訂正」といってもいい内容の記事を出すに至ります。 ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ☆ここでちょっと一休み、<スポンサード・リンク>です。 ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─

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ZOZOTOWNを運営するスタートトゥデイの創業者社長である前澤友作さんの記事、 ・僕が考える世界を平和にする方法|前澤友作|note がなんともユニークです。 僕が考える世界を平和にする方法は「世の中からお金をなくす」ことです。 (中略) お金がないと生きていけない、という洗脳的な固定観念から人々が解放された時、人々は改めて生きる意味や働く意味を再考するでしょう。 本来の人間らしさを取り戻すのです。 というのです。 この意見は「空想的な理想論」でしょうか。 それとも人を欺く「詐欺師の弁」でしょうか。 一抹の真実が含まれると思われる「お金をなくせば世界は平和になる」という意見について、少しばかり考えてみることにしましょう。 お金をなくしてしまったカンボジアのポル・ポト政権 「お金の副作用」をなくすためには、あなたの感じ方を変えればいい 世界を平和にすることはできなくても、自分の心を平穏にすることはできる お金をなくしてしまったカンボジアのポル・ポト政権 20世紀の社会主義国家はさまざまな「実験」を行ないましたが、カンボジアのポル・ボト政権が行なった「実験」の中には「通貨の廃止」も含まれていました。 ポル・ポトという特殊な例を元にして、「だからお金をなくしても平和にはならない」という一般論を引き出すことはできませんが、 「お金をなくせば平和になる」 と言えるほど簡単な話ではないことは、このことからも分かってもらえるでしょう。 前澤さんが言うとおり、 お金を増やす経済活動こそが、それを最優先しない国の人々にとっても正義なんだという押し付けのもと、戦争が仕掛けられ、人や建物がことごとく爆撃され、戦勝国にとって都合の良い再生が繰り返されてきました。 というような、「お金の副作用」というものは確かにあります。 けれども、強権的にお金をなくすことでは、こうした人間の「欲望」を抑え、そこから起こる「人類の不幸」をなくすことは、どうやらできそうにありません。 それでは「お金の副作用」をなくすには、どうしたらよいのでしょうか。 ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ☆ここでちょっと一休み、<スポンサード・リンク>です。 ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ 「お金の副作用」をなくすためには、あなたの感じ方を変えればいい 実は前澤さんは、すでに答えを述べてらっしゃいます。 お金がないと生きていけない、という洗脳的な固定観念から人々が解放された時、人々は改めて生きる意味や働く意味を再考するでしょう。 「お金の副作用」をなくすためには、 お金がないと生きていけない、という洗脳的な固定観念から解放されればいい だけのことなのです。 「でも、お金がないと生きていけないじゃない?」 とあなたは思うかもしれません。 けれども、考えてみてほしいのは、たとえば現在の日本では、社会保障の制度の中に「生活保護」というものがあり、事情によりお金を稼ぐことができない人でも最低限の収入は保障されていて、制度上は 「お金がないから死ぬ」 ということはありえません。 現実には、経済的な困窮のために命を落とすことが、わずかとはいえ存在することも事実です。 こうした方が亡くなるのは、制度を知らないことにもよりますが、困ったときでも「他人に頼ってはいけない」という 「洗脳的な固定観念」によるものだ と言ったら、言いすぎに感じるでしょうか。 こうした「洗脳的な固定観念」を、少しずつはずしていくことができれば、あなたは一歩いっぽ、「お金の副作用」を減らしていくことができるはずです。 あるいはこんな話はどうでしょうか。

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としべえ2.0β

北インド・ハリドワル辺りに出没中。

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