はてな村の皆さん、まいどお早うございます。
今日は watto さんの、
ダブルミーニングについて - しいたげられたしいたけ
と、夜中たわしさんの、
『妻が椎茸だったころ』を読んだ嫁、謎の大号泣 - 夜中に前へ
をネタに、言葉と人間の記憶について、つらつら考えたことをつづります。
ナポリタンがコーヒーのお代りをする話 ぼくの奥さんは明太子だった話 ナポリタンがコーヒーのお代りをする話 さて、watto さんは、上記の記事で、夜中たわしさんの記事につけた
「確かにしいたけは私だ」
というブックマークコメントを披露してらっしゃいます。
この文章の意味するところは、『「妻が椎茸だったころ」という本をたわしさんに贈ったのが、自分である』ということと同時に、その『自分というのが「しいたげられたしいたけ」を名乗る watto である』ことをも意味する、「watto さんは、このギャグが書きたかったから、わざわざ贈り物までなさったのですね」と褒め称えるしかない、高度なコミュニケーション技法と言えます。
ここで、『「しいたけ」を贈ったのはわたしだ』を意味するほうの、「しいたけは私だ」という言い方を「うなぎ文」と呼ぶことは watto さんも書いているとおりです。
これは、食堂で
「きみは何にする?」
と聞かれたとき、
「ぼくはうなぎだ」
と答えることで、うなぎを注文することを表すことからつけられた呼び名なのですが、
『「ぼくは人間」なのに「ぼくはうなぎ」とはおかしいじゃないか』
というようなことから、日本語の助詞「は」にはどういう機能があるのか、といった観点など、いろいろと取り沙汰されている話なのでした。
(詳しい話が知りたい方は、うなぎ文の一般言語学 | marges de la linguistique や 「フランス語のウナギ文」再び - 翻訳論その他 などをご覧ください)
ちなみに、「ぼくはうなぎだ」の形の文は日本語に特有のものではなく、英語では、むしろ日本語よりも広い範囲での使い方がなされることがあるようです。
たとえば、アメリカのハードボイルド小説で、探偵がカフェの中、二人の男の動向を観察している場面を思い浮かべてみてください。
ナポリタンがコーヒーのお代りを注文した。すると、カルボナーラが突然立ち上がった。
ナポリタンを食べていた男と、カルボナーラを食べていた男のことを、それぞれ、「ナポリタン」と「カルボナーラ」で表しているわけです。
これは言語学的には比喩表現の一種である「換喩」表現と考えるようで、
「この間、白バイにつかまっちゃってさ」
のような表現だったら、日本語でもありえますよね。
「白バイに乗っている人」のことは「白バイ」と呼び、「ナポリタンを食べていた男」は「ナポリタン」と呼ぶ、というわけです。
というわけで、「うなぎ文」ちっともおかしくないし、日本語に固有のものでもありません。
ですから、日本語は、それほど特殊な言語というわけではないし、「非論理的」な言語などではまったくありません。
英語など、西洋の言語形式とは少し異なる構造を持つというだけの話で、むしろ「非論理的」なのは、「学校で習う国文法の説明」のような気がする今日この頃です。
ぼくの奥さんは明太子だった話 すでに少し触れましたが、watto さんはたわしさんの「しいたけ画像」を自分のアイコンとして使っているので、そのお礼に「妻が椎茸だったころ」という不思議な題名の本をたわしさんに贈ったのだということです。
こいつは、はてな村で生まれうる、暖かい交流を象徴するかのような、実に麗しいエピソードでありまして、後世に語り継がれること間違いのない美談ですが、
『妻が椎茸だったころ』を読んだ嫁、謎の大号泣 - 夜中に前へ
で紹介される「妻が椎茸」な話には、また泣かされます。
(ところでたわしさん、「葬儀から週数間過ぎた頃」は、「数週間」の打ち間違いと思います。こんなところでのお知らせで失礼っ)
「妻が椎茸だったころ」というのは、中島京子さんの短篇集の表題作なのですが、作中、60歳の主人公が亡くなった妻のレシピ帳に、
「もし、私が過去にタイムスリップして、どこかの時代にいけるなら、私は私が椎茸だったころに戻りたいと思う」
という謎の記述を見つけます。
そして、妻が通っていた料理教室の先生にそのことを話すと、先生は
「人は誰でもそうだ」
と答えるのです。
はてな友だちのマミーさんが、
富士山を見て感じること。 - こたつ猫の森
という記事で、「富士山を見ると恥ずかしく感じる」というおもしろい現象について書いてらっしゃいます。
今日はこの不思議な現象について、私見を述べてみたいと思います。
マミーさんは件の記事で、「富士山を見るとどうにも恥ずかしく思うのだが、一体これはどういう心境なのだろうか」との問いを投げかけています。
これに対するぼくの仮説は、
「偶像を知ったあとで、実物を知ったときの違和感が、時によって恥ずかしさとなって現れる」
というものです。
もう少し説明すると、
実物より前に富士山の「理想化」ないし「戯画化」された「偶像・絵」を知っている。 そのあとで、実物を知る。 「絵」と「実物」の「ギャップ」あるいは逆に「特徴がうまくつかまれている点」に違和感を感じる。 この「違和感」について、日本人はいろいろなことを「恥」としてとらえることから、実物が「俗っぽい絵」(銭湯の壁のタイル絵など) に似すぎている点が「恥ずかしさ」として感じられる。 ここで感じる「恥ずかしさ」は、実物に「もっとかっこよくなければ、あかんやろ」みたいな気持ちの表れ、ということになりましょうか。 マミーさんの記事では、太宰治が「富嶽百景」( http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/270_14914.html ) で「どうにも注文どほりの景色で、私は、恥ずかしくてならなかった」と書いていることや、絵本作家の長谷川義史氏がテレビで富士山に対して「恥ずかしい」を連発していたことを傍証に、この「富士山恥ずかしい症候群」がマミーさん固有のものではなく、普遍的なものであることを示唆しております。
そして、このとき、
マミーさんは大阪の方、 太宰は青森の人 (ですよね) 、 長谷川氏も大阪の方、 というところに、「実物より先に偶像を知っている」という共通性が見出されます。
また、似たような現象として、
「キンモクセイの香りをトイレのにおいとして知っている子どもが、実物のにおいを知ったときに感じる『花がトイレのにおいをハナつ』ことに対する違和感」
というものが知られております。
なお、これに関しては、「金木犀は恥ずかしい」といった文豪がいるかどうか今のところ不明ですので、今後の研究が待たれるところです。
ちなみにこれを書いているぼくは東京生まれの世田谷原住民であります。
幼少の頃、幼稚園に行く道すがら、冬の晴れた日には坂の上から、遠くに雪をかぶった小さな富士山を友だちのお母さんが指差すのを見て、「あー、今日は富士山が見えるなーー」などとぼーっと思ったりしながら育ちました。
でありますので、太宰が、
東京の、アパートの窓から見る富士は、くるしい。冬には、はつきり、よく見える。小さい、真白い三角が、地平線にちよこんと出てゐて、それが富士だ。なんのことはない、クリスマスの飾り菓子である。しかも左のはうに、肩が傾いて心細く、船尾のはうからだんだん沈没しかけてゆく軍艦の姿に似てゐる。
と書いたりするのに対して、
「あらまあ、太宰さん、そいつは大変ね、さぞかし苦しい人生だったことでしょう」
と同情こそすれ、内容についてはまったく共感するところはなく、
東京から見る富士は、どうにもちつぽけではありながらも、わたしにとっては日本の原風景とも言えるやうな存在であつた
というような感想が浮かんできますね、ぼくの実感としては。
富士山については、ほかにもいろいろ思い浮かぶ挿話や感興がありますが、それについてはまたいつか書くかも、ということにして、今日はこの辺でおしまいにしようと思います。
てなことで、みなさん、ナマステジーっ。
一日で三本目のつもりの記事です。日本時間では日付が変わってますけど。
はてな村交友録・マミーさんの巻 谷口ジロー追悼 はてな村交友録・マミーさんの巻 ここ、はてな村にて、しばらく前からかまっていただいているマミーさんは、「かわいい」という形容詞が似合う、すてきな女性だと思う。
大阪からの1泊小旅行 その2 - こたつ猫の森 という記事は、マミーさんが岡山へ旅行した体験をつづったものなのだが、冒頭からスマホのストレージがいっぱいになって、写真を撮ることができなかった経験が語られる。
仕方なく、夕食の後に、古い写真をスマホからせっせと消去するという、チマチマ単調な作業をする羽目になりました。
めんどくさかったです!(←どうでもいい報告)
こうした、なんの衒いもなく、100%いい意味で無邪気な書きっぷりが、彼女の魅力である。
その後は、大原美術館の話で、ロダン、エル・グレコ、レオン・フレデリックなどの名が挙げられ、へー、倉敷にそんな素敵な美術館があったんだーー、と思ったことだよ。
さて。
ぼくは倉敷は一度だけ行ったことがあります。高校の旅行でのことでした。
「天領だった江戸時代の風情を色濃く残した倉敷美観地区」は、いい町並みだなぁと思いましたが、生意気盛りのわたしらは、観光などせずに喫茶店に入って、どこに行っても普段通りの行動をする、これが粋ってもんだ、みたいな分からぬ理屈で意気がっておりました。
ですから、大原美術館など存在も知らず。
まあ、当時は特に美術に関心がなかったから、知ってても行かなかったかな。
それよりも、一緒に行動していた友人の一人が、どうもこの辺に古本屋がありそうだ、とかいうのでついていくと、確かに古本屋があって、当時すでに東京では入手困難だった早川SFシリーズがいっぱいあって、そいつを買い占めたのがいい思い出です。ぼくが勝手に独り占めしたので、仲間の一人には、俺だってほしかったのにと、さんざん文句を言われてしまいましたが。
今更ながら反省。
谷口ジロー追悼 さて、件のマミーさんの記事で、はてな村での交友関係が紹介されているのですが、その中のお一人セネシオさんの記事を見て、谷口ジロー氏の訃報を知りました。
漫画家谷口ジロー氏へのオマージュ (パリ国際ブックフェア) - ベルギーの密かな愉しみ
セネシオさんの記事によると、谷口ジロー氏は、ベルギーやフランスでも人気が高いとのことで、へー、と思って読んでると、BDの作家がどうこう、と書いてあります。
BDってなんやねん、と思いながら読んでいくと、バンド・デシネという言葉が出てきて、なんか聞いた覚えあるな、と思いました。
谷口さんはベルギー・フランスのバンド・デシネの漫画家の影響を受けたというのです。
そして、メビウスの名前が出てきて、ようやく了解しました。
大友克洋も影響を受けた、バンド・デシネの巨匠です。
なるほど、谷口さんもね。そういわれて改めて見直すと、分かる気がします。
と、ここまで書いといて今さらこんなことを書くのもナニですが、ぼくは谷口さんの作品を読んだことがありません。
でも、彼が関川夏央氏と組んで描いた「『坊ちゃん』の時代」はずっと気になっていました。
日本は今、歴史的な転回点にあると、ぼくは思っているのですが、漱石の生きた明治時代というのは、現代日本を考える上で、知っておかないと話にならない時代です。
ところが、ぼくは、明治時代のこともロクに知らないし、漱石のことも同様。
日本に帰ったら、早速この漫画を読んで勉強したいと思います。
☆興味のある方は、アマゾンでチェックしてください。
新装版『坊っちゃん』の時代
みなさん、ナマステジー、とし兵衛です。
ネパールのルンビニにいます。
ここにはコンビニはありません。(ずるっ)
今日は、敬愛するはてなの先輩、夜中たわしさんの切実なご要望にお答えして、悪夢解消の方法について、みなさんと一緒に考えたいと思います。
なお、今回解消する悪夢は、何者かから攻撃されるタイプの悪夢です。
夢の悪役を友だちにしちゃう「悪役変化の術」 おっとその前に、「明晰夢の術」 初めての明晰夢 明晰夢を見るコツ たわしさんにお願い。悪役と友だちになってちょ。 そして新たな秘技「ガム噛みの術」 夢の棒術使い・夜中たわしよ、今こそ立ち上がるのだ!! 夢の悪役を友だちにしちゃう「悪役変化の術」 たわしさんのご要望は、「悪夢を解決したい」というものなのですが、
夢の中へのアイテム持ち込み制度 - 夜中に前へによると、
>>私の見る夢は大体悪夢です。週に1回は見知らぬ人やモンスターから攻撃を受けています。<<
ということですので、かなりのご苦労をなさっていることかと、想像します。
以前の記事 悪夢から力をもらう方法 - *魂の次元* でも書きましたが、悪夢を見ることにもちゃんと意味があり、悪夢を見ることで頭の中の整理がされる、と考えられるのですが、
「悪夢なんて、できれば見たくない」
というのは、誰でも同じですよね。
ぼくも見たくないですが、昨晩は久しぶりに見ちゃいましたね。
起きたら冷や汗かいてました(笑)。
ゴロツキに絡まれて、もう少しで大怪我、というところで目が覚めました。
さて、夢に出てくる悪役というのは、こちらが怖がっている限り、調子に乗って悪役を続けます。
ですが、こちらが落ち着いて、友だちになろうと思えば、向こうも友だちになってくれるらしいんです。
「らしい」というのは、ぼく自身はこの方法、まだうまくできたことがないからです。
だって、「夢の中で悪役と友だちになれ」って言われても、夢の中でそんなこと、うまく思い出せないですもんね。
おっとその前に、「明晰夢の術」 ところが、これにはコツがありまして、悪役を友だちにしちゃう「悪役変化の術」はまだ使えないぼくですが、「明晰夢の術」は、ときどきなら使えるんです。
明晰夢というのは英語の lucid dream の訳語なんですが、夢の中で夢を見ていることを意識できている夢のことなんですね。
// うっ、「夢」が三つも出てきてすごい日本語になっちゃった。
そういう夢は、視覚や音や体感など、はっきりくっきり東芝さん(ずるるっ)*1なことが多いので、明晰夢って名前にしたんでしょうね。
夢の中で「これは夢だな」と気づくと、原理的にはどんな体験でもできることになります。例えば空を飛んだり、壁を突き抜けたり、みたいなことです。
(もちろんもっとロマンティックなこともできますよ、うふふ)
ぼくは、もともと空を飛ぶ夢をよく見ていて、それだけでも普通に気持ちがいいんですが、夢であることが分かった上で空を飛ぶと、普段よりさらに豪快な飛び方ができたりするので、なかなか楽しいものなんですよ、この明晰夢ってやつは、ほんとに。
まあ、なんでもできると言っても、実際には、途中で夢が覚めてしまったりするので、思い通りにコントロールするのは難しいのですが、とにかく、現実とも、普通の夢とも違う特殊な経験なので、おもしろい体験であることには間違いありません。
さて、この明晰夢を見るコツですが、基本は、眠る前に「明晰夢を見るぞ」と十分決意することです。
その上で、カルロス・カスタネダの「力の話」という本に書いてあるやり方では、夢の中で自分の手を探す方法が取られます。
これは、眠る前に「今日は夢の中で自分の手を見るぞ」と決心するわけです。
初めての明晰夢 ぼくはこの話を知ったその晩に「これはおもしろい」と思って、早速ためしてみました。
そのときのぼくは、相当気合が入ってたんだと思いますが、一旦寝たら、夢を見ることなく、一時間半ほどで目が覚めちゃったんですね。
寝るのが得意なぼくは、「よし今度こそ見るぞ」と思って、もう一度眠りました。
そうしたら、また一時間半ほどで目が覚めちゃったんです。今度も夢は見てません。
ありゃりゃと思い、「今度こそは」です。
ところがやっぱり一時間半ほど経つと目が覚めちゃう。
これを何度繰り返したでしょうか。
ちなみに、この一時間半というのは REM 睡眠という、夢を見る睡眠状態のサイクルなんですね。夢を見ると同時に、覚醒に近い状態なので、目が覚めやすい状態でもあります。
で、一回一時間半ほどのサイクルですから、たぶん、四回目だったかもしれません。
夢の中で自分の手を見ることに成功したんです。
そのときの夢がどんな夢だったかは、残念ながら忘れちゃったんですが、そのとき以来、ときどき明晰夢が見れるようになりました。
初めのころ見たやつで、自分の手の五本の指先から青い光線がすーっと出たのは、ちょっと神々しくてかっこよかったですね(笑)。
明晰夢を見るコツ 夢の中で手を探す方法以外にもコツがあって、ぼくが試して有効だったのは、起きているときに「それが夢でないか確かめる」というのがあります。
もちろん起きているのは分かってますから、夢じゃないに決まってるんですけど、そこであえて「これホントは夢とちゃう?」と自分に問うわけですね。
そうすると、それが癖になって夢の中でも現れて、「あれ、これなんかおかしいな、夢ちゃうか?」と気がつけるようになるんですね。
世の中には自由自在に明晰夢が見れる人もいるらしく、ちょっとうらやましいですね。
ぼくは結局、自由に明晰夢が見れるところまではいかないまま、最近はあまりみなくなっちゃってますが、これをきっかけにまた少し練習してみようかと思います。
はてな村の村民たちよ。
きみたちは熊に年四回の誕生日があるのを知っているか。
知らないのなら、それはそれでかまわない。
なにもかも知り尽くすなど、所詮できるわけもないことだからな。
熊の年四回については、春休みの自由研究で調べてもらうことにして、今日は我輩の年三回の誕生日について、説明しよう。 吾輩は、平均的人間とは言いようもないマリリンモンロー・ノータリーンな人間ではあるが、そうは言っても、ただの凡百の人間に過ぎない。
生まれたときには誕生日は一つしかなかった。
とはいえ、江戸時代以前には、日本人には各人固有の誕生日など実質的になかったのだから、ゼロと比べれば無限大の祝福とともに生まれてきたのだと言っても、ばちは当たるまい。
その我輩が、二つ目の誕生日を手に入れたのは、m.x.に登録した日のことだ。
m.x.に限らぬが、ネット上のサービスというものは、いつも相手の寝首をかこうと、虎視眈々と狙っているおそろしい忍者のような存在だ。
けっしてぞんざいに扱うべき代物ではない。
もちろんきみたちも、個人情報の保持には、十分注意を払っていることだろう。
そして、凡百の人間にすぎない我輩ではあるが、m.x.のようなサービスに戸籍上の誕生日を素直に伝える必要がないことくらいは分かっておった。
そこで吾輩は、新しい誕生日を手に入れることになったのだ。
この方法を使えば、人はいくらでも誕生日を増やしていけるわけだが、何が楽しくて、わざわざネット上のサービスに登録するごとに、誕生日を増やしていこうなどと思うだろうか、いやない。
そうそう、我輩の第三の誕生日のできあがった理由は、また別の事情なんよ。
あれは45歳になる年の、たぶん初夏の頃のことだったと思います。
当時、精神福祉の界隈で働いていたぼくの先輩が、自分のうちに音楽スタジオみたいなスペースを作っちゃったんですよね。
で、先輩の音楽仲間にまぜてもらってたぼくは、そのスタジオで初ソロライブをやることになっちゃったんです。
で、そのときのライブのタイトルを、「45ライブ」としたわけです。
そのとき見に来てくれたお客さんは、せいぜい二十人くらいだったのですが、それなりの玄人肌の方も見に来てくださって、何かを感じてくださったようだったのに気をよくして、ぼくはよし、ここはもう一発、きちんとしたライブハウスでやってやるぞ、と怪気炎を上げました。
とはいっても、ぼくのようないい加減な人間が、本当にちゃんとしたライブハウスでやるのは、ちょっとばかし、大変なことです。
そこで、たまたま知り合いが二人も常連で出ているハコで、しかも、誰でも簡単に出させてもらえる、東京は高円寺の無力無禅寺に出ることにしたのです。
そのときのライブの日取りが、「45ライブ」のちょうど半年後だったもので、今度は「45.5ライブ」と銘打ったわけです。
このときは、ぼくが勤めていた精神の作業所に通っている、うら若き女の子が二人見に来てくれたし、「45ライブ」の仕掛け人の先輩も見に来てくれて「那賀乃さんはこういうライブハウスでやるのが、ホントに似合うねぇー」と言ってくれたり、これまた、充実の経験が持てました。
とまあ、そんなわけで、我輩には、年に三回の誕生日があるわけなんよ。
んでもって、きのうは、「.5」の誕生日だったんよ。
えー、以上で、熊と我輩の誕生日の話はおしまいです。
んでもって、熊の名はパディントンです。
ほいじゃー、またねーーっ。
[那賀乃とし兵衛(ながのとしべえ) 2017.03.20 ネパール・ルンビニ]
はてな村のみなさん。
そして、超時空・電網怪海につどうすべてのみなさん。
今日はわたくし、ぷちウェブ作家那賀乃とし兵衛の52.5歳の誕生日なんです。
みんなで歌ってください、はっぴばーすでー、とーゆー、って。
灯油はいりませんが、ガスコンロ用のガス缶ならご寄付も受け付けております。
インドではなかなか手に入らないんです。
今はネパールのルンビニにいますから、あともう少しでカトマンズまでたどり着けば、手頃な値段で手に入るはずなんですけど。
いつもの通りのとっ散らかった文章で申し訳ありませんが、お時間ある方は何も期待せずにお付き合いください。
今日のテーマは、一応「人生において仕事とは何か」です。
それに対する、アルコール依存と軽い鬱のけがあるぼくの結論は、
「働かなくたって別にいいじゃん」
です。
ぼくは働くのがきらいなんです そういえば勤労の義務ってあったよね 物乞いの権利だって、ありだと思う ポストモダンなぼくたちの憂鬱 実感に裏打ちされた楽観 医療と福祉について ぼくの昨日、今日、明日 ぼくは働くのがきらいなんです ぼくは賃仕事というものがきらいです。
お金をもらうために働きたくなんかないんです。
何を子どもみたいなことを言ってるのか、と思われるかもしれません。
でも、シッダールタさんだって言ってるじゃないですか。
自分は見返りのための説教はしないし、畑を耕しもしないんだって。
彼は賃仕事なんか一度もしたことがないはずですよね。
王子様として生まれて何不自由なく暮らして、やがて出家して乞食坊主として一生を終えたんですから。
もちろんぼくには、シッダルタさんのような魂の器はありません。
そして、彼のようなストイックさの持ち合わせもない。
ですから、ぼくは今のところ乞食坊主としては生きていないし、たぶん将来もそういう生き方はできないでしょう。
インドには、サドゥーと呼ばれ、路上で暮らす乞食坊主の人たちがいっぱいいます。
すごいことだと思います。
ぼくにはとても真似はできません。
それなのに、ぼくは仕事なんかしたくないって、だだをこねてるわけです。
仕事をするのが当たり前、という健全な価値観をお持ちの方からすれば、どうにも手に負えないロクデナシということにもなりましょう。
さてそれで、その健全な価値観っていうのは、どんなものなんでしょうかね。
そういえば勤労の義務ってあったよね わが日本国憲法は、世界中の国々の憲法の中でも、最高に平和的で民主的なものの一つですが、その中に勤労の義務ということが書かれています。
まったく健全な価値観です。
でも、勤労の義務と言っても、利子生活が禁止されてる訳じゃないし、どっちかっていうと、働ける方はどうぞ働いてください、ってことなんじゃないですかね。
日本の社会にありがちな、働かない人間は人非人、みたいな考えって、マゾヒスティックに転倒しちゃいませんか。あげくに死ぬほど働いて、ほんとに死人が出る社会って、なんかおかしくないですか。
物乞いの権利だって、ありだと思う それから、勤労の義務と対をなすかのように、軽犯罪法では、乞食をすることが禁じられてるんですよね。
福祉という仕組みがきちんと機能していれば、そういう法体系も理解はできます。
けれども一方で、イヴァン・イリイチのように、人間にはもともと物乞いをする権利があるんだ、って主張する思想家もいます。
ぼくはこの意見に共感します。
物乞いをする権利というものがなかったら、シッダルタの悟りはなかったでしょうから、仏教というものは存在しえなかったでしょう。
ぼくは別に、仏教最高っ、て思ってるわけじゃないですけど、物乞いが禁じられてしまって、仏教も存在できないような世界は、窮屈すぎて住みたくないなと思うんです。
ポストモダンなぼくたちの憂鬱 憂鬱って文字、字画が多くて、ほんとに重苦しいですよね。
重苦しいことは忘れて、実感に裏打ちされた楽観の話でもしたいところですが、まだそこまでたどり着きません。
工業化された社会で衣食住に困らないぼくたちは、健全な社会の一員である限りは、そこそこ困らずに生きていけるのですが、なんらかの意味でそこからはみ出して、漏れだしてしまうと、得体の知れない不安を感じながら生きていかざるを得なくなったりするんですね。
ポストモダンの憂鬱ってのは、なんかそんなような話です。
ちゃんと社会の一員としてやってらっしゃるみなさんは、ほんとに立派だとぼくは思ってます。
それは、僕の場合、自分が社会の一員として「ちゃんとやってない」自覚があるからこそです。
けれども「ちゃんとやってない」自分はだめな人間なのか、というと、「別にだめじゃないです、これも一つの生き方です」と胸を張って言いたいと思ってます。
不安や憂鬱に負ける必要なんてないんです。
常識にしばられて、自分の首まで締める必要なんて、これっぽっちもありません。
もちろん、働けるということは素晴らしいことです。
けれどそれと同様に、働かないで生きることだって、十分素晴らしいことなんです。
実感に裏打ちされた楽観 ぼくにはアルコール依存と軽い鬱のけがあります。
けれども、今は医者にはかかっていませんし、「障害」があるとまでは言えない、曖昧な立場の人間です。
ここに書いているようなことは、そうですね、かれこれ四半世紀ほどは折りにふれ考え続けている話なんですが、この数年ヴィパッサナー瞑想をするようになって、ようやく頭で考えるだけでなく、体で感じる実感としての理解が芽生えてきたところです。
世間の人は、働けと言うでしょう。
働ける人は働いてもいいんです。
でも、どうしても働きたくなかったら、そして、働くのが苦しくて苦しくてたまらないのなら、無理をしてまで働く必要はないんです。
そのとき、働かない人間になんの価値があるのかと、思ってしまうかもしれません。
でも、この世に生きているということ自体が、あなたの命に価値があることの証明なんです。
このことさえ覚えておけば、あとのことは時間が解決してくれます。
今日はマミー(id:mamichansan)さんのリクエストにお答えし、インドに鍋料理はあるのか、という疑問にお答えしようと思います。
結論から言うと、ないようです(あっさり)。
インドにはヒマラヤの山岳地帯のように相当冬の厳しい地域もありますが、残念ながら、寒い冬に心もぽかぽか温まる、鍋料理の文化は伝搬・発達しなかったものと思われます。
以下、インドに鍋料理が存在しない理由を、極めていい加減に、考察します。
さて、鍋料理の起源はどこにあるのか。
これをまず、特に資料にはよらず、勝手に臆測しますと、やっぱりこれは、中国がかなり怪しいでしょう。
鉄鍋は中国じゃないかなぁ、かなり間違いなく。中国のことはよく知らないので、どこの地方とかいうのは、やめておきますけども。
中国には火鍋という、見るからに辛そうで、食べたらほんとに辛い、真っ赤なとうがらし鍋があります。しかも油ぎとぎと。これは鉄鍋。
むかし中国の雲南省の街で、これを食べたところ、辛いのは得意なので問題なかったのですが、油にやられて食べてすぐに腹を下したことがあります。
海外旅行の際、水や氷に気をつけろ、と言われますが、ぼくの経験では、油が断然あぶないです。
そして、土鍋もいいですよね。日本で鍋といえば、まずは土鍋でしょうか。いや、そんなことはないか、地方によるでしょうね、たぶん。
中国では砂鍋といいます。これは、一人用の小さな鍋をよく食べました。随分前なので何が入っていたかよく思い出せませんが、とにかくやすくておいしかったことだけが記憶に残っております。
とまあ、勝手に鍋の起源は中国と決めたところで、韓国、日本には順調に鍋料理が伝わり、また、タイ、マレーシアなどでも砂鍋はよく見かけます。
しゃぶしゃぶの鍋も使ってますよね。
しかし、どうしてインドに鍋は伝わらなかったのでしょうか。
ちなみに、ヒマラヤの北側チベットには、ギャコックという鍋があるようです。きのこのだしということで、日本人好みかも。
ここで、インドにおける中華料理の影響を考えますと、イギリスの植民地化と関係があるのか、はたまたチベット、ネパールなどを経由してのことなのか、インドの屋台料理には、やきそば、やきめし、そしてそれらの餡かけなどといった中華風の料理はわりと普通にあるんですよね。
見た目に騙されて、普通の焼きそばのつもりで食べると、唐辛子味で辛くて食べられない、といったこともありうるので、要注意ですが。
また、モモというチベット、ネパール風の、中華まんじゅう、ないし、餃子的な食べ物も見かけます。
きのう、ひさしぶりにモモを食べました。大きさや質感は小籠包に近いでしょうか。ベジタリアンで具は野菜だけのものを、唐辛子の辛いタレでおいしくいただきました。
ところで、そもそも、鍋とはいったいどういう食べ物なのかを考えますと。
じっくり考えだすとめんどくさくなるので、簡単に結論だけでいきますが、鍋料理とは、大鍋でみんなと食べる、具と汁、その汁にご飯や麺を入れて楽しむのも嬉しい食べ物、とでもしておきましょう。
このとき、インドにおける対抗馬はといえば。
カレーです。
日本人からしたら、インドにはカレーしかない、とすら思われている、究極のインド料理。
ちなみにカレーというのは、南インドはタミル語でカリーというのが汁料理のことなんですね。
インドの食堂では、こうした汁っぽい料理を、小分けできるように区切られた大皿(ターリーと呼びます)に何種類か乗っけて、チャパティやナン、そしてご飯と一緒に食べます。このセットの定食自体もターリーと呼びます。そして給仕さんがお代りを追加で持ってきてくれたりするのも普通です。
とまあ、そういう食堂では、鍋料理はちょっと馴染まない。屋台でもまあ無理。家でそんな外来のものを食べるわけもない。
というような事情で、ターリーと呼ばれる大皿料理にはばまれて、さすがの鍋将軍も天竺へと攻め入ることには、たたらを踏む結果になったものと思われます。
ですから、カレー鍋が食べたい方は、間違ってカレーの本家・インドにいらっしゃったりせず、どうか鍋の元祖・日本で探して召し上がってください。
以上、今回は、なけなしの食への好奇心を振り絞って、インドの鍋事情を考察してみました。
それでは、みなさん、またねーー。
みなさん、おはようございます。
今日は「蝶科学的ぷちブッダ論」をやり倒そうと思います。
ブッダことゴータマ・シッダルタさんは、フロイトを超え、アインシュタインにも迫る天才だった、というトンデモ論議です。
夜中たわしさんが、こちら
http://www.tawashix.com/entry/yamataikokuHaDokodesuka
で、鯨 統一郎さんの「邪馬台国はどこですか?」という一風変わった推理小説を紹介してます。
なお、この本のブッダに関するエピソードについて、がんがんネタバレさせちゃいますので、よろしく。
たわしさんによれば、
一応「歴史ミステリ小説」という謳い文句なんですが、内容はバーで4人が歴史談義をしているだけというもの。会話の内容は突拍子もなく面白いんですが、バーで殺人事件が起こるわけもなく、話をしているだけで終わります。
とのこと。
ぼくは読んでません。
けど、歴史トンデモ話を、会話形式で楽しめる人だったら、おもしろいんじゃないかな。
さて、ぼくがそそられたのは、「悟りを開いたのはいつですか?」という最初のエピソード。ブッダは悟りを開いていなかったという説です。
この説自体は、科学的な観点から考えれば、多くの人が思いつくことだと思いますが、ネットで内容を検索してみたところ、話のディテールがなかなか凝っています。
そこで、今回は、この「お話」の説を叩き台に、ブッダとはどんな人だったのかを検討してみることにします。
ただし、何ぶん、もとネタの「お話」を読んでいませんので、記述があいまいになるところも出てきますが、そこはご愛嬌ということで。
シッダルタは商人の息子だったって、ほんとかね。 奥さんのヤショーダラ姫が産んだ息子ラーフラは、不義の息子で、それが出家の原因だったのかしら。 悟りを開いてからも、いろいろな誘惑を受けて悩み、座禅を続けたの? それって悟ってないじゃん。 フロイトを超え、アインシュタインにも迫る「ブッダの天才」 シッダルタは商人の息子だったって、ほんとかね。 ここから先、「悟った者」を意味するブッダという言葉の代わりにシッダルタというお釈迦さんの本名を使います。
そして、のっけから曖昧論理でもうしわけありませんが、この商人の息子説の詳細が分かりません。
ここは勝手に、シッダルタの本当の父は、釈迦族の王ではなく、別に本当の父がいて、その父が商人だった、そしてその商人との不義の結果、母マーヤーが産んだのがシッダルタだった、と解釈させていただきます。
たわしさんのところにも一部引用されていますが、「母マーヤーが、天から六本の牙を持つ白い象が降りてきて、お腹の中に入る夢を見たときに、シッダルタを授かり、母の右脇の下から生まれた」という不思議な伝説があります。
これを神話学的に解釈すると、シッダルタは、実際には、父王の子どもではなかった、という読みが出てきます。
つまり、現実にはありえないような不可思議な記述は、世間的には公にしがたい事実を「婉曲的」に表現したものである可能性があるわけです。
イエスさんが、処女懐胎という、現代的観点からすればありえない出自を持つこととも、たいへん似ており、考慮に値する説だと思われます。
このことと、母マーヤーがシッダルタの出産後すぐに亡くなってしまったことが、シッダルタのこの世に対する苦悩の大きな部分を産み、のちのシッダルタの出家につながるものになるのではないでしょうか。
奥さんのヤショーダラ姫が産んだ息子ラーフラは、不義の息子で、それが出家の原因だったのかしら。 このことと関連して、シッダルタは性的に不能だった、という説が述べられているようです。
不能だったかどうかは分かりませんが、シッダルタが性的な快楽にたいした興味を持たなかったことは、出家した、という事実からして明らかなことに思えます。
また、不能かどうかはともかく、性的関係に興味を持てなかったシッダルタが、妻を性的に満足させることができず、その結果、妻が不義の子を持ったということも、ありそうな話です。
そして、自分自身が不義の子であり、さらにまた、妻も不義の結果、子をみごもる、ということが、シッダルタの出家の直接のきっかけになったということも、実にありそうな話です。
ちなみに、このラーフラというシッダルタの子は、妻ヤショーダラがシッダルタの出家前にみごもったにも関わらず、出家の五年後に生まれたという不思議な伝説が残っています。このことも、ラーフラが不義の子であったことの傍証となると思われます。
悟りを開いてからも、いろいろな誘惑を受けて悩み、座禅を続けたの? それって悟ってないじゃん。 ようやく核心の問題に辿りつきました。果たしてシッダルタは、悟りを開いたのか。開いたにせよ、開かなかったにせよ、悟りとは何なのか。
まず、この記事で「悟り」という言葉をどういう意味で使っているのかを、ざっと定義しておきましょう。
生まれてから、生きる必要のために、着々と身につけてきた「十分に検証されていない知識」を、すべて検証しなおして、間違いのない「知恵」とし、しかも、その「知恵」が頭だけのものではなく、気持ち・考え・言葉・行動のすべてが一致している状態。
これを「悟り」の定義とします、おおざっぱで恐縮ですが。
このように定義した場合、その「知恵」には「誤り」はないはずですが、あらゆる「真実」を知っているわけではないので、「悟り」を開いたあとも、「知恵」を増やし、「真実」にちかづくためには、絶え間ない努力が必要なことになります。
この考え方でいくと、かりにシッダルタが「一切皆苦」や「八正道」といった「悟り」を得たのちにも、修行をおこなっていたことは、べつに矛盾でもなんでもありません。
むしろ、「ブッダは究極の真実を知った」というような、仏典上の記述こそが「伝説」にすぎないと考えられますから、シッダルタさんが実際に言ったことというのは、「自分は完全な悟りを得た」ということではなくて、
「悟りに至りうる、すんごく確実な方法を見つけた」 というくらいのことだったのではないかと、思うのです。
フロイトを超え、アインシュタインにも迫る「ブッダの天才」 そして、このくらい控えめにシッダルタの主張を考えるとき、彼が「悟っていたかどうか」に関わらず、「悟りに至りうる現実的な方法」を、2500年前もの昔に示しえたということは、たとえていえば、フロイトを超え、アインシュタインにも迫る天才だった、といえるのではないでしょうか。
フロイトは近代科学の枠組みの中で、無意識を「再発見」しました。そのことが、現代の我々の暮らしに与えている影響には計り知れないものがあります。
けれども、フロイト自身は、その無意識の働きを、自身の歴史背景の限界から、もっぱら性的な抑圧の問題に帰着させるという、いささか狭い仮説に閉じこもることになってしまいました。その点を乗り越えるためには、ユングをはじめ、そののちの様々な研究者の力を要しました。
そのフロイトと比べたとき、西洋的な科学的概念など皆無だった時代に、それまでの宗教的実践をベースにして、フロイトと同じく「快・不快の原理」から出発しながら、呼吸を利用した無意識に至る確実な身体技法を開発し、「身体的なレベルで知恵を確立する方法」をシッダルタが示しえたことは、「奇跡的」といっていいことに思えます。
しかも、その実践法を支える世界認識が、「神を必要としない、世界の法則のみによること」は、まったく科学主義的と言えます。
また「この世界というものは、現実を作り出している微細な要素の、生成と消滅の繰り返しから成り立っている」としたところなどは、量子力学的世界観とも一致する点があり、その素朴な洞察力は、アインシュタインにも迫るものと思われるのです。
ですから、このシッダルタさんの類まれなる洞察力を前にすれば、彼が悟りを開いてたかどうか、なんてことは、はっきりいって「どーでもいー」話であって、「アインシュタインは悟りを開いてなかったから、相対性理論は認められん」という人がいないだろうことと同じで、
「シッダルタさんが畳の水練でにしろ、悟りに至りうる『相当ただしい道』を指し示してくれたこと」 に、わたしとしては、感謝感激雨あられなのでありまして、今日も昼から酔っ払いつつ、三宝に帰依する、「なんちゃって仏教徒」のとし兵衛なのでありました。
というわけで、以上、鯨 統一郎さんの「邪馬台国はどこですか?」の最初のエピソード「悟りを開いたのはいつですか?」を肴に、「蝶科学的ぷちブッダ論」を展開させていただきました。
なお、シッダルタさんの説いた、日々の暮らしにも役立つヴィパッサナ瞑想については、こちらにちょろっと書いてますので、興味のある方はご一読ください。
☆10日間の瞑想コースで頭すっきり - *魂の次元*
ほいでは、みなさん、またねーー。
ぼくはこう見えても、ってどう見えてるか、分かったもんじゃないですが、もともとは、プログラマのはしくれだったんです。
というか、今でもandroidでdroidscriptを使って「毎日が日曜プログラマ」という感じで楽しんでますので、「元sfファン」でしかないのとは違って、「わし、現役のプログラマなんよー」と胸を張って言ってもいいくらいのものなんです。
そこで、たわしさんの記事(http://www.tawashix.com/entry/hitokuiWani)の舞軀眞(ぶくま)には、どなたかにお任せ、と書きましたが、人喰いワニさんのジレンマに、よし、きょうは挑戦してしまおうではないかと、ビールに酔った頭で考えてしまったのです。
というわけで、以下は、酔っぱらいのたわごとですので、間違いがあっても、「あらまあ、おかわいそうに」くらいに思える方だけに、読んでいただければ幸いと存じますです、はい。 さて、分九間(ぶくま)のほうで、ku__ra__geさんがおっしゃっているように、
『人喰い(行動予定, 予言)
= if (行動予定 != 予言) then
「喰う」 else 人喰い(!行動予言, 予言)』
#ku__ra__geさんの「喰わない」を「!行動予言」に変えています。
としたとき、「人喰い(喰う,喰う)」の結果は、「喰う」になってしまいます。
これは単なる実装ミスですね。予定と予言が合っているときは、食べてはいけないのですから。
別の実装、というか、一番シンプルな実装はこうです。
『人喰い(行動予定, 予言)
= if (行動予定 != 予言) then
「喰う」 else 「喰わない」』
この場合は「人喰い(喰う,喰う)」の結果は、「喰わない」になってしまいます。
しかし、これも実装ミスですね。「喰う」という予定なのに、「喰わない」という結果が出ているのですから。
ここまで考えてぼくが分かったのは、なーるへそ、これこそ、論理階梯の問題だったのか、ということです。
つまりですね、人間には、この問題に対して、上の二つの実装があることが理解できて、しかもそのどちらも、当初の問題の解決になっていないことが分かるわけです。
ところが、それは、いわば「コンピュータ」には理解できないわけです。
つまり、コンピュータのレベルで問題解決を与えると「間違った」プログラムしか書けない。
たわしさんが書いたような、「止まってしまう」プログラムは書けない、ということです(たぶん)。
これって、ゲーデルの不完全定理とも関係するような、結構、重要な話って気がするのですが、なにぶん酔っぱらいのおじさんが書いているたわごとにすぎませんので、おかしなところがあったら、びしびし指摘いただけたら幸いです。
てなことで、みなさん、またーーー。
みなさん、おはようさんです。
今日はわっとさんのネタを拝借して、ちょいと書きます。
『おんな城主直虎』の「托鉢は、施す方も受ける方も、見返りを期待してするものではない」という台詞をもう一度もじって、「読者登録はする方もされる方も見返りを期待してするものではない」あるいは「ブログは見返りを期待して継続するものではない(ブログをやっていること自体を楽しめない人はブログに向いていない)」と偉そうなことを言って、締めにしたいと思います。 いやー、しみる言葉ですよね、初期仏教より伝わるヴィパッサナ瞑想を実践しているものとしては、ほんとに。
いやいや、本当はそうじゃなくて、日頃みかえりを期待しては、読者登録をしたりしなかったりしているものとしては(笑)。
ぼくの人生は不純度99%です。
残りの1%でなんとか人間性を保ち、今まで生き延びてきました。
まぁ、しかし、それはそれとして、今回の本題はわっとさんの言う「ブログには失敗こそ書くべきだ」という話です。
ぼくは今までに、「ぷち」とか「ナノ」とかいって、「バズ」の話を小さな成功のように書いていますけれども、まー、こんなのは「成功」にはふつう入らないですよね。自慢できるようなものじゃあない。
☆ぼくのぷちバズ報告と、インドのバス旅の愉しみ - *魂の次元*
☆はてな村まであと何歩。あるいは、ナノ・バズしたの、ほんとなの - *魂の次元*
気持ちとしては淡々と事実を書いているつもりなんですが、どちらかというと恥をさらしているようなもので、こんなのも考えようによっては「失敗」のうちかなー、と思ったんです。
「成功」ではないもの、それは「失敗」である、というわけで。
そんな失敗話のついでで書きますと、ぼくは何か一つのことをきちんと続けてやるというのが苦手なんですよね。
☆アマゾン・アフィリエイト、note.mu 、そしてアドセンスまで - ぼくのネット上小遣い稼ぎの黒歴史 - *魂の次元*
こちらにも書きましたが、あちこちのサービスをつまみ食いして、どれもロクな結果が得られていないという体たらくです。
とはいえ、一つのことを継続してはできなくても、「なんとなくこの辺のこと」は続けてやってるらしいのが、ぼくの人生で、ヴィパッサナ瞑想も、途切れ途切れに六年ほどやってきて、ようやく最近、形がついてきたような次第で、ネット遊び自体は嫌いじゃないし、こっちももうしばらく適当に遊んでたら、なんかしら目鼻がついてくるのかなーー、などと思って、こんな記事を書いてます。
ある意味で、「失敗」を続けることが成功につながるかも、みたいな。
もちろん、わっとさんのような先輩が、着実に書いて、しっかり読者がついてるのを見ると、ぼくもがんばらんとなぁ、などと、うっかり思ったりもするのですが、いえいえ、それはぼくにはできない相談なんです。
わっとさんのおっしゃる通り、見返りを期待しないのが大切で、自分の気持ちのおもむくまま、自分のペースにしたがって、ただ淡々と記事を書いていく、それしかやりようはないのであります。
てなことで、今日のところはおしまい。
それではみなさん、またーー。
☆別サイトで「あーす・じぷしー」というおもろい双子の姉妹の本の紹介を書いてます。こちらもよろしければ、どうぞ。
魂の次元: あーす・じぷしーの物語 - 「思い込み」から自由になるって、どーゆーこと?