はてな村在住のみなさま、おはようございます。
本日はもっともらしいタイトルのもと実話形式にて、面白半分に昔話を展開しようと思います。 ぼくが就職したのは、1980年代も終わりに差しかかり、けれどもまだ泡ぶく景気(バブル)まっさかりの頃のことでした。
製造業でしたので、同期で就職したみなさんは、残業が月100時間越えるのは当たり前みたいな感じでしたが、ぼくは幸い、閑古鳥部署に配属され、二年弱勤務したにも関わらず、実質残業はゼロでした。
そんな楽勝な部署だったにも関わらず、会社勤めがどうにも性に合わず、ラッシュとは逆方向なのでガラ空きの通勤列車の中、毎朝、あー、あと何駅で、会社の最寄り駅についちゃう、あー、もう、次の駅だ、あーーー、などと思っていたのが、昨日のことのように思い起こされ、腰に緊張が走ります(うっ!!)。
お医者に診断してもらえば、「適応障害」ということにでもなりましょうか。
とまあ、そんなこんなのぼくの会社勤めの日々だったのですが、大手企業なので、入社してから三ヶ月ほど研修が続きます。
しかも営業系が強い会社でしたから、技術系で就職しても、販売実習というのがあるんですね。
見知らぬ人と話すのが苦手な、引きこもりニート系SFオタクの私には、まったく地獄としかいいようのない制度でありました。
販売実習の期間はたかだか二週間ほどだったかと思いますが、二、三日やってみて、
「これは無理、ぼくには無理、ぜったい無理、二週間なんて無理に決まってるからやめさせてもらうわ」
と思って、実際にはまだ配属されていない、配属先の担当上司に連絡を入れました。
「あまりに無理なので販売実習はパスしたいんですけど」という趣旨で。
そしたら、じゃあ、会って話を聞くから、会社の近くの駅まで来い、というんですよね。
それで、よし販売実習途中でやめるぞと、気合を入れて行ってみると、五十くらいのおじさんと、三十くらいの若めの方(こちらが新人担当の方)が二人でぼくを出迎えてくれました。
そして、どういうことになるのかと思ったら、寿司屋に連れていかれてしまったのです(笑)。
日本の社会というものが分かっていなかった世間知らずの若者は、そこで大いに拍子抜けしてしまいました。
行くまでは、
「販売実習は絶対もうやらない、ひとりぼっちでもいいから、先に配属先に
行って、どうにかさせてもらう」
みたいなことを勝手に考えてたんですが、寿司屋でビールを注がれながら、
「まあ、きみもしんどいだろうけど、どうだね、あと十日ほどじゃないか、なんとか、がんばってみないか」
とかなんとか言われたら、
「うーむ、まあ、それでもいいか、こうやって、日本企業の対応の仕方を身を持って経験させてもらって、いい勉強になったし」
というような気持ちになって、結局、販売実習は続けることにしたのでした。
「続けた」といっても、時間を持てあまして、一人ビリヤード屋に入って暇つぶしをしたりしてたのは、内緒の話。
(当時ビリヤードが流行ってたんですよね。トム・クルーズの「ハスラー」なんて映画もありまして)
なお、ぼくの短い会社員生活と「別に会社勤めなんてしなくていいじゃん」という話は、別サイトで
・魂の次元: 気分はオフグリッド・あなたは自由に生きたいですか、生きられますか
という記事も書いていますので、よろしかったらどうぞ。
なお、この記事のタイトル
『新卒で「プログラマ」として入社した一部上場精密機器メーカーを、ぼくが2年足らずで辞めた「理由」』
は、さかがみさんの
・新卒で入社した超有名大企業を1年で辞めた話 その32(久しぶりに課長と話して考えたこと) | さかめも
をもじってつけさせていただきました。
ぼくの謎の前記事をブックマークしていただき、さかがみさん、どうもありがとうございましたーー。
今日はこんなところです。
てなことで、みなさん、ナマステジーっ♬
インターネットに集う善男善女のみなさん、こんにちわー。
今日は仰々しい表題になっておりますが、次のようなお題目で書いてみますよん。
医療用大麻の話 Medium.com の話 weblog には何をどう書けばよいかという話 医療用大麻の話 今日も今日とてネット上を散策していましたら、たまたま目に止まった記事がこちらです。
・Israeli Cannabis Brand Tikun Olam Expands to US | Cannabis Industry Journal
『イスラエルのカンナビスのブランド「ティクン・オラム」がアメリカでの事業を拡大』
というようなタイトルの記事です。
日本ではまだまだ「麻薬」としか考えられていない「カンナビス=大麻」ですが、アメリカでは医療用としてだけでなく、嗜好品としても「自由化」が進んでいます。
この記事では、嗜好品としての「大麻=マリファナ」ではなく、「医療用に特化した大麻=カンナビス」を提供する「ティクン・オラム」というイスラエルの会社が紹介されています。
「マリファナ」という言葉には「麻薬」的な悪いイメージがつきまとうため、アメリカでは大麻草の学名カンナビス・サティバから取った「カンナビス」という言葉を使うことが好まれているようです。
この記事でも以降カンナビスの呼び名で基本的に統一します。
「ティクン・オラム」という会社名は、ユダヤの人たちが使うイディッシュ語で、「世界の修復」を意味するそうで、
「社会をよくするために優しさを提供する」
のがこの会社のモットーだということですから、とても結構なことです。
さて、この会社は、2007年からイスラエルでカンナビスの育種・販売に実績を積み、昨年2016年よりアメリカでの事業を開始しました。
カンナビスには、いわゆる酩酊作用を持つ THC という成分のほかにも、多種多様な成分が含まれているのですが、ティクン・オラムでは、そのうちの CBD という成分がたくさん含まれている品種の開発に成功しました。
CBD には酩酊作用はなく、気分が落ち着く作用が強いので、嗜好品には向かず、医療用に適しているというわけです。
すでにご存知の方もいらっしゃるでしょうが、この CBD のオイルについては、酩酊成分である THC が含まれていないため、日本でも規制の対象外で、楽天などで普通に購入できます。
不眠で悩んでらっしゃる方などには、有用なものと思いますが、向精神性の薬物ですので、興味本位での使用はおすすめしません。
どうしても使ってみたい方は、できれば、信頼できる使用経験者につきそってもらうのが、一番のおすすめ、それができない場合は、十分に情報を調べた上で、安全な環境での使用が望まれます。
くれぐれも事故など起こさないようにお気をつけください。
医療用大麻の話に戻しますと、CBD オイルがあるんなら、
「大麻自体はいらないのでは?」
という疑問も出てくると思います。
けれども、このオイル、それなりのお値段がします。
雑草のように強いカンナビスというハーブを、
「自宅で栽培して自分の治療用に使いたい」
という要望があるのは当然でしょう。
ここ数年でアメリカが急速にカンナビスの「自由化」が進んだこと、
安倍総理大臣のご夫人である安倍昭恵氏がカンナビスに好意的であること、
など考えると、日本でもそう遠くない将来に、普通に医療用大麻が流通する時代がやってくるかもしれませんよ!?
Medium.com の話 ところで、上で紹介した医療用大麻の記事は、Medium.com 上の Shinji Nakamura さんという人の記事、
https://www.cannabisindustryjournal.com/news_article/israeli-cannabis-brand-tikun-olam-expands-to…
で知りました。
この方は、「米国マリファナ 株投資家 & アヤワスカ・シャーマン」という肩書きで、なかなかぶっ飛んだ方のようですが、面白い情報を提供してくださっています。
長ったらしい表題で恐縮です。
・うちの奥さんは明太子だった話 - *魂の次元*
・明太子と奈良漬と忘れ去られたものたち - *魂の次元*
・明太子はどこから来たのか、韓・中・露のはざまにて - *魂の次元*
と続いて参りました「奥様は明太子だったのです」シリーズですが、日本語の謎、記憶の謎に挑んできた本シリーズの最終回は、人間の知覚の謎に焦点を当ててみたいと思います。
もう十年以上前の話になりますが、うちの奥さんの実家が熊本だもんで、熊本を訪れた折り、帰りに熊本空港から羽田へと飛行機に乗りました。
その熊本空港で、博多の明太子がおみやげとして売られていたんですね。
東京辺りで普通に見かける明太子は、長さ十センチもあったら割とでかいほうでしょうか。
それが、その熊本空港で売られていた明太子は、なんだかとにかく莫迦でかかったのです。
大・中・小とあって、「大」はとにかく莫迦でかい、「中」もまだまだ莫迦でかい、
...... と莫迦でかい明太子が、ドカンと並べて売られているものですから、「小」を見ると、どうしても見劣りがします。
とはいうものの、「大」はとにかくいいお値段、「中」もまだまだいいお値段、「小」もまずまずいいお値段がするのです。
(といいつつ、お金に弱い上、昔の話なので、具体的な金額ははっきり覚えておりません。たぶん 2,000 円くらいだったのかなぁ)
ですが、こんなに立派な明太子は、東京辺りでは絶対お目にかかれないものですので、せっかくの機会だからと、一番小さいやつを、
「ちょっと見劣りはするけれど、それでも、いつも見てるのよりは、だいぶ大きいよな」
くらいの気持ちで買いもとめ、羽田行きの飛行機に乗り込み、自宅を目指したのでした。
驚いたのは、自宅に帰り着いて、その明太子の包みを開けたときのことです。
「いつも見てるのよりは、だいぶ大きい」
くらいだったはずの「大・中」と比べるとかなり見劣りのした明太子が、
「いつも見てるのの、五倍(体積、重量比。当社調べ)」
は軽くある、蝶巨大明太子に大化けしていたのです。
ここまで、読んでいただいた賢明な読者の皆さまには、すでにこの現象のトリックがお分かりのこととは思いますが、人間の知覚というものは、相当程度に「比較」によって左右されるものなんですよね。
つまり、熊本空港では、「超蝶々巨大」な「大」、「蝶々巨大」な「中」の明太子と並んでいたために、それほど大きく見えなかった「小」の明太子も、いつものおうちのいつもの物に囲まれた環境で見たときには、その本来の実力を十分に発揮して、「蝶巨大」感をしっかりと発揮してくれたというわけなのです。
ちなみに明太子の原料であるスケトウダラの卵巣、八年以上ものでは、1キロにもなることがあるようで、ほんとにとんでもなくでかいです。
(cf: http://www.nishihamaya.com/mentaiko/egg.htm)
「人間の知覚」ネタとしては、「1993年の桜はなぜいつもの桜と違って一生記憶に残るほど美しかったのか」という話もあるのですが、それはまた、機会を改めて書くことにしたいと思います。
というわけで、以上が「蝶巨大明太子のお話」でした。
それでは、みなさん、ナマステジーっ♬
ぴんぽんぱんぽーーんんん。
本日も当「人生のぶろぐラミング教室」にお越しいただき、まことにありがとうございます。
当教室のモットーである「本気でホラを吹け」を日々実践いただいているみなさまには、まことに申し訳ないことではありますが、昨日の記事
・ブログで100万の読者を獲得したいなら、本気で「大ボラ」を吹きなさい - あるいは、俺は「相田ケイ」に惚れなおしたぜ - *魂の次元*
には、大きな間違いがあることが判明いたしました。
本記事におきましては、その間違いについてお詫びするとともに、性懲りもなく、大法螺貝を吹きまくらせていただこうかと存じ上げ申しますところで御座候、。・!?
まずは、軽く「間違い」についてお詫び 夜中たわし師匠の「ドリルするんかい......」が導く「1立方cm」の世界 いや、そしたら、それが、東大出の電通の彼女の話につながっちゃってさ 「それで、なんなのか」と言われても困るんですけれども というわけで、今日もお別れの挨拶です まずは、軽く「間違い」についてお詫び [前の記事]では、相田ケイさんの記事、
文章嫌いだった僕が、ブログで数万PVを叩き出すために意識した3つのこと - オモロク
をまたまたネタにさせていただき、
「ブログで100万の読者を獲得したいなら、本気で『大ボラ』を吹きなさい」
というメッセージをお送りしたわけですが、早速相田さんご本人より、次のコメントをいただきました。
(相田さん、いつもコメントありがとうございます)
大ボラが大ボラに終わらないバランス感も大事です。3回に2回は本当に狼がくる狼少年のごとくです。
(http://b.hatena.ne.jp/entry/339175263/comment/kk3marketer より)
相田さんの書く記事が「大ボラ」以上のものであることは、みなさまはよくご理解のことと思いますし、当方も当然にして当たり前であり「がってんがってん承知」の上のことではありますが、ここで改めて確認したいのは、
『ただ「大ボラ」を吹いていれば百万の読者が集まる』
わけではないということでありまして、まったくその点、相田さんのご指摘の通りであります。
そうです、いくら「本気」でホラを吹いても、それだけでは、百万読者の獲得にはつながらないのです。
百万読者をあなたのものとするためには、「六割打者」のバランス感をベースに「大ボラ」を吹く必要があったのですっっっ。
というわけで、前記事の表題につきましては、「本気で大ボラを吹きなさい」から「バランス感を大事にして大ボラを吹きなさい」に改めさせていただくと同時に、深くお詫びを申し上げる次第でごじゃります。
夜中たわし師匠の「ドリルするんかい......」が導く「1立方cm」の世界 さて、話題は脈略もなく変わりますが、わたくしの敬愛する夜中たわし師匠の記事、
(追記あり)家にパソコンを持たないプログラマー達 - 夜中に前へ
が「ぷち炎上」したことは、みなさまの記憶に新しいところかと存じます。
その「ぼや」に対する師匠の対処のしかたも、わたくしめのような、野暮な人間からすると、「うーみゅ、こりゃ、りっぱだわ」としか言いようのないもので、大変勉強になりました。
それはともあれ、パソコンを持たないプログラマー志望の諸氏には、
「ドリルをしたらええよー」
という、たわし師匠のおおもとのネタを見て、わたくしの脳裏に浮かんだのは、「そういえば、東大入学者のかなりの割合が、公文やってるみたいな記事どっかで見たなー......」というものでした。
で、[こちらの記事]によると、
現役東大生・東大院生360名にアンケートを実施したところ、
65%(234名)が小学校時代に学習塾に通っており、
そのうち具体名を明記した147名の中で、
約30%となる44名が公文式をやっていた、
とのことでありました。
これを単純に 360 名中 44 名、と考えても一割以上の東大生が公文式をやっているわけで、「東大生がどう」とかいう話はちょっと横におくとしても、
「公文式おそるべし」
という結論が得られそうなデータではないかと思われます。
(なお、『なんや、その「そうな」とか「思われ」とかゆうんわ』という、表現に関するつっこみも、大歓迎いたします)
というわけで、この項の締めの予言といたしましては、
「パソコンも持たずにプログラマーになろうという新人のみなさまも、じき公文式のドリルによって、『asicii も ebcdic も自由自在、0x20を減算するくらいなら0x5fとの論理積の方がマシ』というのが一発でわかるくらいの実力は簡単に身につく時代が到来いたしますので、御心配なくーー」
ということになるのでありました。
いや、そしたら、それが、東大出の電通の彼女の話につながっちゃってさ まあ、そーゆーわけで、「東大、公文」とかで検索してたら、東大新聞オンラインの記事、
・http://www.todaishimbun.org/takahashi_matsuri20170516/:taitle
に行き当たっちゃいましてね。
この件については、「うつ的反応と自殺」の問題として、しばらく前にこんな記事
・魂の次元: 死を想って空を見る - 絶望空間から抜け出すために
どうしたらブログで百万の読者を獲得し、
指先一つで巨万の富を得ることができるのだろうかと、
日夜、灰色の脳細胞を駆使して研究中のみなさん!!
今日はみなさんに朗報があります。
グッドニュースです。
グレートなお知らせです。
uucp によりモデム経由バケツリレー方式でメイルやニュースが配信されていたプレ・インターネット時代より、30年の長きに渡ってネットコミュニケーションの研鑽にハゲんできたわたくし那賀乃とし兵衛(ながのとしべえと読んでください。なお私は坊主頭ですがハゲてはおりません)が、ゴエンカさん方式のヴィパッサナー瞑想十日間合宿参加五回目にして、ついに、weblog で成功するための「究極の真理」を獲得することに成功したのです。
なんとも驚くべきことですが、ブログで成功することは、実は
「とーーっても簡単なこと」
であるのが判明してしまいました。
その方法とは、
「本気で大ボラを吹く」
ということだったのです。
これだけでは、なんのことやら、さっぱり...... でしょうから、一から五まで順に説明していくことにしましょう。
1. この記事で俺は「相田ケイ」に惚れなおしたぜ 2. 「相田ケイ」が教えてくれたこと 3. あなたの文章には、人の意識を「変容」させる力があるか 4. つまりは、『本気で「大ボラ」を吹け』ってことなんよ 5. 「成功」の定義を自在に操るとき、「成功」はすでにあなたの手の中にある 1. この記事で俺は「相田ケイ」に惚れなおしたぜ 以前にも二つの記事、
マストドンで「〜丼」というインスタンスを100個作ってみたい、あるいは、記事のタイトルはいかにしてつけるか - *魂の次元*
weblogの「たったひとつの冴えた」書き方、あるいは拡散・量産・龍角散 - *魂の次元*
で、相田ケイさんの記事をネタにさせていただきましたが、相田さんのこちらの記事、
文章嫌いだった僕が、ブログで数万PVを叩き出すために意識した3つのこと - オモロク
これには、ほんとうに心を揺さぶられました。
(ちなみにこちらの記事タイトル、35文字あります。何がなんでも32文字以内に収めようとして苦労なさっていたみなさん、こいつも朗報ですね。これでもう、タイトルの文字数を調整するために冷や汗を流す必要もなくなりました。3文字オーバーでも合格圏間違いなしです♬)
この記事は、的確な情報をシンプルな文章で読ませるための「お手本」として、one of the best なものだと思いますが、実質的な結語が素晴らしい。
あなただけの「対話」空間を、あなたの手で創りましょう。
ブログの記事を
『「対話」空間』
と捉え、それを
『あなた自身の手で作ること』
ができれば、
「『無敵のブログ』が一丁あがり」
というわけです。
2. 「相田ケイ」が教えてくれたこと さて、相田さんは先ほどの記事で、
「読者にとって」余計なものは入れない 具体的に説明する 「私」と「あなた」を文中に入れる この三つをきちんと意識するだけで、「記事を読んでもらえるようになる」と書いています。
そして、それによって、読者のみなさんに、
「ほら、こんなふうに『読んでもらえる』記事が書けるんですよ」
と、実例で示してくれているわけですから、これほど説得力のある記事もなかなかありません。
しかし、です。
ここでみなさんに、一つ考えていただきたいのは、この相田さんの記事は、本当に先ほどの三つの心がけだけで、このような「説得力」を生み出しているのでしょうか?
「それって、ちがくなーい?」
と、ぼくは思っちゃうんですよね。
3. あなたの文章には、人の意識を「変容」させる力があるか 相田さんの話術の「巧みさ」は、手品師の技の「巧みさ」です。
というわけで、はてな村のみなさま。
...... と、申しますのも。
なにがなんだか分かりませんし、どこがどういうわけなのかは、さて置くことにさせていただきますが、標高 1,800 m のカトマンズから、標高は知りませんけれども、とにかくインドと地続きの平野部の、ルンビニに戻ってきてしまったもので、暑さにうだり、蚊の猛攻に苦しめられているとし兵衛でございます。
それでは、皆さんのご要望通り、とっとと、本題に入りましょう。
「夜中たわし」の秘密発見、致命的「欠陥」と言及されざる「真実」(再度、敬称略) はい、この見出しの意味ですが、これは、
『夜中たわしさんが何かの「秘密」を発見した』
というのではなくて、ぼくが
「たわしさんの秘密を発見したーーっ」
と、勝手に思っているだけの話なのですので、誤解は禁物ですよ。
さて、しばらく前のたわしさんの記事、
・夢の中へのアイテム持ち込み制度 - 夜中に前へ
に「インスピレーションする」という話があったことは、はてな村住民のみなさまには周知の事実と思います。
たわしさんの記事には、いつもその愉快さに楽しませてもらっていますが、こちらの記事は、たわしさんのアイディア出しの舞台裏が書かれた「相当にグッド」な記事、言いかえれてみますれば、「ヴぇリーグーーっど」な記事であります。
で、その、「インスピレーションする」ということなんですが、これは、たわしさんが記事のネタを考えるときに、布団に入って考えることを意味する「たわしさんち用語」なのですが、たわしさん曰く、この方法には「致命的な欠陥」があるというのです。
その「欠陥」というのは、9割以上の確率で寝てしまうこと。
これは一読して「致命的」に思えますよね。
ところがです。
たわしさんのすごいところは、この一見無用に思える方法をここで捨てさったりせずに、しっかり改良を試みるところです。
なんと、眠ってしまうのを防ぐために、たわしさんは
「寝床の中で、ガムを噛む」
ことにしたのです。
これなら、簡単には寝たりしないはずですよねー。
ところが。
ガムを噛みながら、やっぱりたわしさんは寝てしまいます。
(さすがは、たわしさん、やるやるとは聞いていたが、ここまでやるとはっ、はっはっはっっ)
さて、このあとに続く更におもしろい話は、たわしさん自身の筆にお任せしましょう、ここで、もう一度リンクを貼っておきますよ。
・夢の中へのアイテム持ち込み制度 - 夜中に前へ
そしてぼくは、「夜中たわし」の秘密を見た、書かれざる「真実」の光を (再度、敬称略) というわけで、今日は、カトマンズからルンビニへと、
「ネパール横断・悪路・サス悪バス・十二時間移動」
をして疲れ果てておりますので、「起」部から、いきなり「結」部に入らせていただきますが、わたくしは、夜中たわしさんという、「闇を背負ってウン十年」的な名前を持っている方の、どうにもおちゃらけた記事の中に、なんと、一縷の「真実の光」が隠されていることに、気がついてしまったのです。
それは、たわしさんの記事に反応して、
秘伝・悪夢解消術・悪役編 - *魂の次元*
という記事を書いてから数日後のことでした。
そのころのぼくは、寝ても覚めてもはてなに書く記事のことを考えるほどの熱の入れようだった(当社比)のですが、その晩、なんのはずみか丑三つ時に目を覚ましたぼくは、次々に weblog に書くべきネタが生まれてくるのに気がつきました。
そして、そのとき、
「ほぇー、寝たあとで、こんなにネタが出てくるとはなぁーー」
と思っているうちに、さらに一段深い悟りへと至ったのです。
「これだったのかっっっ!!!」ぼくは思いました。
察しのいい読者の皆さんには、もはや、わざわざ言うまでもないでしょうが、夜中たわし尊師は、実は夢使いの達人だったのです。
「寝ちゃうからアイディア出しの役に立たないよーん」
と記事ではいいながら、実際には、
「寝ちゃうからどんどんアイディアが出てくるんだもんねーー」
という一子相伝のはずの「秘技」を、われら衆生のものに授けてくれていたのです。
なんという僥倖でしょうか。人に生まれたというだけでも、身に余る幸せであるというのに、「アイディア出しの仏陀」とまで言われる夜中たわし師匠が、惜しげもなくその「神技」を、実にさりげなく、
「あーら、こんなこと、あたくし、ただ日常茶飯にボケとツッコミをやってるだけですのよ」
風な現場に託して、われら凡夫に指し示していただく場面に遭遇していたとはっっっっっ !!!!!?????
というわけですので、みなさんも、無理に夜ふかしせずに、さっさと布団に潜り込むのがアイディア出しの秘訣だったりするかもしれませんですのよのことよ。
いえ、逆に「徹夜ハイ」でのアイディア出しとかもあると思いますから、皆さんのお望みのままにやっていただければいいだけの話なんでございますけれどもねぇー。
てなことで、今日の記事も無駄に長くなってしまいました。
ほいでは、みなさん、ナマステジーっ。
はてな村の皆さん、日夜不眠不休で電網怪海を漂流する全世界推定百億の昼と千億の夜の皆さん、今日も今日とて、他人のふんどしを借りて言葉の阿呆踊りを続けるぷちウェブ作家のとし兵衛です。
いかにしてタイトルをつけるか、あるいは辛子明太を漬けるか、それが本題だ 今日の意味不明の表題は、相田ケイ(関西系大学四年)さんの記事、
一瞬で驚くほどアクセス数を急増させたいなら「感情マーケティング」を学べ - オモロク
に載っていた「ダメ出し」タイトルの末尾に「い」を追加して作成させていただきました。
ぼくが相田さんの記事への「莫迦」ブックマークから流した tweet に星をくださり、follow までしていただいて相田ケイさんには、謹んで感謝の意を表したいと思います。ぼくもこうしたマメさを見習いたいところです。
ちなみにこの相田さんの記事は、はてなのお隣さん id:mamichansan がブックマークしておかげで、目に入りました。
お隣さんのブックマークを紹介してくれる「はてなブックマーク - マイホットエントリー」には重宝しとります。
それで、最近「頭より心」みたいなことを考えていたもので、
「ふーん、感情マーケティングね、何が書いてあんのかな」
と思って読んだら、
「損得、新ネタ、限定ネタ、共感が受けるよ」
みたいな話で、当たり前と言えばそれまでの内容ではあるのですが、素直な書きっぷりで、そこそこにギャグも決まり、なかなかおもしろく読ませていただきました。
はてなで地道に記事を書いている方の場合、この記事の内容をそのまま真似してもあまり意味がない、というか、むしろ読者を減らすような内容かしらとも思いますが、「多くの人に見てもらいたい」という人情からすれば、こういう話も押さえておいて損はないと思います。
なお、当方、マストドン・インスタンスを立てる予定はとりあえずなく、マストドンは、Medium で知り合った若い友人のところに間借りしております。
id は tosibee@don.de-liker.com とすればよいのかな。
ほとんど使ってませんけども。
そして、予告だけでなかなか書かれない「巨大明太の逆襲」もう少々お待ちくださいね。
というところで、明日移動で今日は時間があまり取れないもので、これにて幕引きとさせていただきます。
ほいでは、みなさん、ナマステジーっ。
はてなのみなさん、こんにちわ。
このところ毎日更新が続いているもんで、今日も更新します。
でもでも、あんまり長い記事を書ける心境ではないので、短いネタを二つ組み合わせてサクッと行きます。
はてな村の「巫女」さんと知り合ったような話 弾き語りの「巫女」さんをおすすめる話 はてな村の「巫女」さんと知り合ったような話 はてなのサービスは、横のつながりができると、いろいろと楽しいと思っておりまして、「はてな村交遊録」などと勝手に名づけておりますが、ぼくは人のページはロクに読めない人間で、へんてこ雷理さんのページも表題以外ほとんど読んでませんでした。
けれども、やっぱり人間、人付き合いは、無理のない範囲で積極的にするのがいいですよね。
それで、雷理さんの記事、
中学・高校の時 アルバイトしていた件 - へんてこ雷理の
を読んでみたら、なかなか情緒があっていいじゃないですか。
そして、そこに紹介されている、はてな初めての記事、
巫女(みこ)だった - へんてこ雷理の
こいつはすごく気に入りました。
雷理さんがアルバイトで巫女さんをしていたときの思い出を綴ったものですが、これまたいい雰囲気の文章です。
ぼくは日本の文化にはうといので、巫女さんが神楽を舞うなんて見たことがありませんが、なんとも幽玄ですばらしい。
しばらく前に広島に住んで、神楽の面白さは堪能しましたが、まだまだ知らない世界があるのを再確認しました。
もう半世紀以上生きてしまいましたが、これからの余生が楽しみです wW
というわけで、まだ「知り合った」というほどではなく、「交友」に至っていませんが、とにもかくにも「はてなの巫女さん」のご紹介でした。
弾き語りの「巫女」さんをおすすめる話 「巫女」さんというと、思い出さずにおれない友だちがいます。
森田智子さんというシンガーソングライターで、こちらがホームページです。
・森田智子 ::: 倭美 x Blues ::: Top
音楽を言葉で表現するのは難しいですが、「ジャパニーズ・ガール」の頃の矢野顕子にも似た
「日本の伝統的な味わいをベースに、現代的な雰囲気で飾った音楽」
とでも言えばいいでしょうか、なかな独特な、情念の歌を聴かせてくれる人です。
で、その彼女が、巫女さん姿でライブをしていたんですよね。
(というのは、今もしてるのかどうか知らなくって......)
初めて彼女のライブを見たとき、
「今日は巫女さんのかっこうじゃなくてごめんなさい」
と言われて、
(ははぁ、世のおじさんは、そういう「制服」が好きなんだなぁ)
と、思ったのをよく覚えています。
ぼくは特にそういう趣味はないので、ジーパンにTシャツで歌っていた彼女の、爽やかな姿と、その歌いの情念のバランスが素敵だなぁ、と思って聴いていたのですけれども。
ぼくは見てないのですけれど、youtube にも動画が載ってますので、興味のある方は検索してみてください。
てなわけで、今日は、二人の「巫女」さんの紹介をさせていただきました。
それでは、みなさん、ナマステジーっ。
ボン・マタン、はてな村のみなさん。
今日は朝からマトンの赤ワイン煮ネパール風をシルブゥプレっ。
...... とのっけから、わけの分からない挨拶で申し訳ありませんが、ぼくの頭の中が意味不明なのはいつものことですので、その点につきましてはご寛恕いただくことにいたしまして、先を続けさせていただきます。
うちの奥さんは明太子だった話 - *魂の次元* 明太子と奈良漬と忘れ去られたものたち - *魂の次元* 明太子はどこから来たのか、韓・中・露のはざまにて - *魂の次元* と続きました、「奥さまは明太子だったのです」シリーズは、今日はお休みしまして、次回作「蝶巨大めんたいこの逆襲」は、もう少々お待ちいただきます。
今日はメンタイからイクラへといくらか話をそらし、言葉のお遊びを続けることにしましょう。
メンタイからイクラへ、知りもしないロシア語で遊ぼう イクラはとってしまったので、他人のふんどしだけ借りてみよう メンタイからイクラへ、知りもしないロシア語で遊ぼう 前回の記事では、メンタイというスケトウダラを意味する言葉の語源はどうやら韓国・朝鮮語にあるらしいことを書きました。
ただし、朝鮮・韓国語では「ミョンデ」のような発音ですので、中国語やロシア語を経由して「ミンタイ」の音が変化して伝わり、日本語の「メンタイ」となったのではないかと思われます。
この場合、逆にロシア語の「メンタイ」がもとで、それが中国や半島に伝わったのではないか、という推測も成り立ちますが、ロシア語の音韻構造からすると、その可能性は低いようです。
ちなみに、イクラもロシア語由来の言葉であることは、割とよく知られているかと思いますが、これは ikra といった発音で、真ん中の「ク」はもともとは子音だけの音ですね。これはイクラ自体を指すのではなく、魚卵一般の意味とのことです。
この辺りの海にまつわる言葉でロシア語からきたものでちょっとおもしろいのが、セイウチです。
セイウチはロシア語の「シヴッチ sivuch」が訛ったものですが、「シヴッチ」は「アシカ・トド」類の総称で、「セイウチ」とは別の仲間なんですってよ、ご存知でした、奥さま?
えー、つまり、こういうことですね、セイウチを指して、日本人が
「あれはなんだ?」
と聞いたら、アシカかトドのたぐいだと思って、
「シヴッチ」
と答えたロシアの人がいた、ということなのでしょう。
カンガルーの語源はさらに有名だと思いますが、ちょっと似てますよね。
カンガルーを指して白人さんが
「あれはなんだ?」
と聞いたら、オーストラリアの先住民族の方が
「カンガルー(知らない)」と答えたのを、名前だと勘違いしたという話です。
イクラはとってしまったので、他人のふんどしだけ借りてみよう 先日の記事で、食堂でうなぎを頼むときの「ぼくはうなぎだ」とようなタイプの文章を「うなぎ文」と呼ぶ話をとりあげましたが、id:watto さんから、「こんにゃく文もあるでよ」というお知らせをいただきました。
「こんにゃくは太らない」、「しいたけも太らない」というたぐいの文です。
せっかく差し出されたふんどしを借りて、相撲は取りませんが、よれよれと言葉の踊りでも踊ることにしましょう。
「こんにゃく文」は「は」が主語を表す助詞だとすると、こんにゃくが太ったり、太らなかったりすることになってしまいますから、おかしなことになります。
けれども「は」はほんらい主題の提示を意味してるんですよね。
「こんにゃくについて言えば、太らない」といった意味です。
また、「こんにゃくは太らない」というのは、あくまで口語的な表現で、完全な文章とするためには必要な要素が省略されています。
省略をおぎなえば、
「こんにゃくは食べても太らない」
というようなものになるでしょう。
英語などでは主語がいつも必要ですから、そこを説明のためにあえてつけ加えれば、
「人は、こんにゃくは食べても太らない」
のようになりますが、日本語としてはこれは返って不自然になってしまいます。
省略可能な主語はつけないほうが、日本語としては自然ですよね。
なお、何がどの程度省略できるか、というところは、言語によって異なり、日本語はかなり自由な省略が可能です。
ですから、たとえば英語圏の人からすると、その辺りの読み取りが難しいのも当然で、twitter などで活躍しているガメさんという日本語堪能なイギリスの方も、日本語は書くのは簡単なんだけど、記事を読むのは時間がかかる、とおっしゃっており、なるほどなぁ、と思いました。(もちろん、文化的背景知識の問題やら何やら、ほかの要因もあるとは思いますけれども)
最後に「こんにゃく文」の例でネット上で見つけたおもしろいものを一つ。
日本語教師になろう! 外国人が「???」と思う日本人の日本語
という日本語教師の方の書く記事にあった話です。
駐車場に「子どもは危険ですから、ここで遊ばないでください」の看板。
それを見たカナダの人が、
「日本の子どもは、そんなに悪いことをするのですか?」
「は」が主語を意味すると習っていたら、「子どもは危険な存在である」としか解釈できませんもんねぇ。
日本語を教える立場としては、こういう文章が出てきたときに、
『「は」は主語を示すときもあるが、機能的には主題を表す』
ということと、
『英語とは違って自明の主語は省略されること』
を説明し、だからこの文章は
「子どもについて言えば、ここで遊ぶことは危険だから、あそばないように」
はてな村のみなさん、アロハ・オエーっ。
と、いっても、別にハワイでフラダンスのレッスンをしているわけではなくって、ネパールの山の上の気持ちのよい田舎街から、ほこりっぽい首都カトマンズに戻り、明太子の研究を続けているとし兵衛でございます。
うちの奥さんは明太子だった話 - *魂の次元* 明太子と奈良漬と忘れ去られたものたち - *魂の次元* と続き、大きにご好評に預かり、ご愛顧いただいております「奥さまは明太子だったのです」シリーズですが、前回予告いたしました「蝶巨大めんたいこの逆襲」は、前人未到の大作とするべく、現在鋭意構想を練っているところでありますので、今日は明太子の起源を巡る小冒険に出かけたいと思います。
「蝶巨大めんたいこはどうしたっ」と機嫌を悪くすることなく、賞味期限切れになる前に、できたてほやほやの「めんたいこ起源めぐりの旅」をお楽しみください。
それでは、みなの衆、レッツ・ラ・ゴーっ!!
1. まず、東京あたりでは明太子と言えば、たらこの唐辛子漬けである「辛子明太子」を意味します。
そうして、明太(めんたい)は韓国・朝鮮語でスケトウダラを意味するミョンデからきたものですから、明太子は朝鮮・韓国語と日本語の重箱語と考えられます。
(半島では「明太子」ではなく「明卵・ミョンナン」というようです)
ただし、明太という言い方は中国でもするので、ひょっとして中国系のどこかの民族の言葉かも、と思わないでもないのですが、一応ここでは韓国・朝鮮語起源らしい、ということにしておきます。
なお、ロシア語でもスケトウダラのことを「ミンタイ」と言うそうで、これも朝鮮・韓国語起源の言葉と考えられています。
以上のように、明太子は「スケトウダラの子」の意味ですから、もともとはタラコと一緒ですよね。
「明太子=タラコ」というのは、五十を過ぎた東京原住民のぼくには、割と当たり前のことですが、「フラット化した」現代の日本を生きる最近の若い人たちには、必ずしも当たり前ではないのかもしれません。
この周辺の話題として、「辛子、唐辛子、胡椒」問題もとても興味深いのですが、それはまたいずれの話としまして。
2. 次に、辛子明太子の起源はどこか、という問題の核心にいきなり迫ってしまいましょう。
ぼくは今日調べるまでは、辛子明太は、「韓国のキムチと日本のタラコが出会ってできあがった、日本発のフュージョン料理」なのではないか、と勝手に想像していました。
ところが、これは間違いで、朝鮮・韓半島の食材である明卵漬(ミョンナンジョッ)が起源で、これを
「『ふくや』創業者の川原俊夫氏が日本風にアレンジし、辛子明太子の名前をつけた」
ということで間違いなさそうです。
ちなみに半島では現在、明卵漬はほとんど作られておらず、韓国でも辛明太子が日本のものだと思っている方も多いようです。
3. さいごに取ってつけたような、おまけの話となりますが、韓・中・露と日本の関係について少しだけ。
といってもロシアはちょっと遠い国ですので、「アイヌの人たちがもともと住んでいた場所を、ロシアと日本で取り合いをするもの、なんだよなー」くらいの感想にとどめまして、韓・中と日本の間の、兄弟げんかというか、親族争いの話をごく簡単に。
まず、韓国・朝鮮と日本は、兄弟といってもいいくらいもともとの文化は親しい存在であり、日本は弟分といっていいと思います。
なお、ネット上には、この見解を認めない方も多いかと思いますが、そうした方々と論争する気はさらさらなく、ただぼくはそのように思っている、というだけのことです。
どちらが兄で、どちらが弟であるにせよ、兄弟げんかもたいがいにしたほうがいい、というのがぼくの考えで、まあ、実際の兄弟でありましても、結婚して「家」の外の人間の思惑が絡んでくると、「生ぐさい」相続争いなどが兄弟間で起こるのが現実のようですから、国家同士の間で勢力争いが起こるのも、いた仕方のないことなのでしょうけれども。
また、中国との関係について言えば、辺境の国「日本」からすれば、長らく進んだ文化を輸入させてもらっていた国なのですから、やはり敬意をもって友好な関係を持ちたい「大国」であると思います。
もちろん、明治に入って急速な工業化に成功した日本の文化は、大いに評価すべきものと思いますし、十五年戦争について言えば、日本の植民地拡大戦争としては、今以上にしっかり反省する必要を感じますが、欧米列強の植民地であったアジア各国の独立運動に強い息吹を吹き込み、日本敗戦後にアジア諸国が独立するきっかけを作ったことを考えれば、単純に否定するのではなく、肯定できる部分はきちんと肯定する必要を感じるところです。
昨今のメディアでの扱いなどを見ますと、ロシアとの関係も含めて、韓国・朝鮮や、中国に対する悪いイメージを振りまき、「関係性」をわざと悪くすることで、権力を拡大したり、経済的な利益を得ようというような思惑が、どうにも強まってきているのではないかと思われます。
もちろん、各人各様に、それぞれの立場でのご意見はありましょうが、極東における無用の衝突により、無益に人命が損なわれるような事態に落ちいることのないよう、お釈迦さまの生まれた国ネパールより、心より祈る次第であります。
てなことで、やや、よれよれな文章になっておりますが、とにもかくにも、今日も最後までおつき合いいただきまして、誠にありがとさんでござんした。
ほいでは、みなさん、ナマステジーっ。