(奇言と戯言) 不安を抱えて軽々生きる
不安を抱えているのに、軽々と生きるだなんて、まったく言語矛盾した話だと思われるかもしれません。
でもまあ、言葉なんてのは初めから矛盾だらけなのでありまして、矛盾が嫌いな人は数学でもしていればいいのであります。
こいつは鏡の国に紛れ込んでしまったんだろうかと思って、では軽々と不安を抱えてみることにしようかと考えるあなたならば、ぼくが言いたいことや言いたくないことや、あるいは、ほんとは言いたいんだけど言わないようにしてることまでもきっと読み取ってくださるでしょうから、高々百年ほどの短くて貴重な人生のうちの数分か数十分をこの進みも止まりもしない文章のために費やしてくださるものと確信しております。
それにしてもどうしてぼくは、スマホにテンキーまでついたフルサイズのキーボードをつないでこの文章を打ち込んでいる今まさにそのときに、奇妙な不安を腰の辺りに痛烈に感じながら、言葉のダンスを続けているのでしょうか。
文章を入力する準備を整えたのは、実は他の記事を書くためだったのですが、いざキーボードを目の前にすると、言葉にして説明すれば「書こうとしていた記事が書けなかったらどうしよう」というような不安がやってきてしまいました。
その不安を抱えたまま記事を書くのは苦しい闘いになるのが目に見えていました。
そこでぼくは軽々と文章を打ち出し続けるために作戦を変更して一時退却し、この不要不急にして浮揚感の漂う、腐朽の名作にはなりえないことが初めから明らかな随想にとりかかることにしたのです。
ですからこの文章は、ぼくにとっては不安感をしっかりと味わいながら、それが溶けて消えていく過程を積極的に見つめるための方策であり、同時にこれを読んでいるみなさんにとっては、ぼくのうちに生成消滅する不安を垣間見ていただくことによって、共感・予行演習・他山の石・対岸の火事・軽蔑・暇つぶしなどなどといった、さまざまな効用が期待できる一石二鳥・一挙両得・一目瞭然にして一網打尽の、まああえて言いますならば、こういう文章だけは自分は書くまいという反面教師としての価値だけはどなた様にもお認めいただけるものと自負しております。
さてここで本考察のテーゼに永劫回帰し、不安とはいかなるものかについて一言述べさせていただきましょう。
果たして人は不安をいかにして認識するのか。
それは体に現れる様々な感覚の変化を通して認識されるものなのです。
─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─
☆ここでちょっと一休み、<スポンサード・リンク>です。
─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─
世界を言語によって切り取り、切り取った言語を貼りつけては張りぼてを作り、作った言語の張りぼてを実際の世界だと勘違いしてしまうと、「我不安を感ず。ゆえに我あり。我不安とともにあり!」と声たかだかに叫びたくなってしまうものですが、最近の心理学的知見を持ち出すまでもなく、賢明なる読者諸賢におかれましては懸命にそしてつぶさに自分の感覚を観察することによって、「自分はいま腰の辺りに強い緊張を感じているな。そしてそのことから脳の中で不安や恐怖などの情動を司る扁桃体が活発に活動して世に『不安』として知られる情動がこの体に起こっていることが知れるのだ」と例えばそのように、体の感覚と情動との関係を理解することができるわけであります。
ここまで筆を進めてまいりましても、もちろん進めるべき筆など持ち合わせはなく、キーボードを打ち続けるしか能のないわたしではありますし、そもそも脳があるのかどうかも分からない脊髄反射的な意味不明な文章の羅列になっていることは平にお謝りするしかない次第ではありますが、つまり残念なことにわたくしの不安は一向に消滅の方向に向かっていってはくれていなことを報告せざるをえないのが現状であります。
ところが、人間心理というものは実に不思議なものです。
「一向に消滅の経方向に向かってくれない」と書いてしまったためでしょうか、その文章を打ち込んでいるうちに少し腰の緊張が軽くなったかな、どうだろうな、うん確かに少し軽くなってるな、まだすっと消えるほどではないけど、初めのとんがった緊張からは確かに軽くなってるぞ、というくらいには緊張がゆるみ、不安感が減じていることをここにご報告できるのは、ここまで読みにくい文章を読み進めてくださったみなみなさまのおかけでありますから、これを読んでくださっている多数の方々が住んでいらっしゃる東の果ての国ジパングには、足を向けて寝ることができないのでございます。
グローバルでワールドワイドで、フラットだけど球状の、天網恢恢疎にして漏らさずなご時世に、生物と無生物の間の顕微鏡的な存在が世の中を騒がせてはおりますが、みなさまにおかれましては、虚の中に実を見、うつつも夢と決め打ちし、覆われたものを敢えて白日の元に晒すも晒さぬもあなた次第、不安を抱えて軽々と生きる術を身につけるための、これを絶好の機会と心得て、日々ことのはを紡いで、言葉の彼方へと飛び去ろうではありませぬか。
以上、天竺国の聖地、ガンジスのほとりハリドワルより、緊張と共に機嫌よくつづり上げた奇言の羅列でありました。
[即興作文のため、誤字脱字はご寛恕ください]
☆ロックでカッコよかったアベマが「ゴシップとフェイクニュースにまみれた」凡庸なメディアに「成り上がった」経緯がこれです。
この記事では、プロ奢ラレヤーこと中島太一氏(多分21歳)の
「働かないで生きる人生」 を紹介するとともに、彼がなぜアベマのアイドルキャスターに
噛みつかざるを得なかったか を、この事件の当事者双方を傷つけることなくお伝えします。
なお、簡単に経緯をまとめますと、
プロ奢氏の生き方に「当てられた」キャスター氏が番組中泣いてしまい、 プロ奢氏はそれに淡々と対応していたために、「逆恨み」を買い、 その結果「いやらしい」質問をされたプロ奢氏がキャスター氏に噛みついた、 また、キャスター氏はその他にも番組中で事実と異なる説明をしており、 プロ奢氏は、そのような内容を放送するアベマを「フェイクニュースを流している」といって批判、 結論としては、この事件の「責任」はお二人にではなく、アベマtvにある ということになります。
プロ奢ラレヤーこと中島太一氏って何者? アベマでのアイドルキャスターとの因縁の出会い。なぜプロ奢氏は彼女を泣かせてしまったのか? 大晦日のリターンマッチ。キャスター氏の「反則技」からプロ奢氏も場外乱闘へ。 プロ奢ラレヤーこと中島太一氏って何者? ここではプロ奢さんについて、簡潔に紹介します。
中学二年のとき、友だちが亡くなったことをきっかけに、彼は「生きるとは何か」を考えるようになります。(中二病そのものですね!)
彼は「『何か』を残さなきゃ」生きていることにならないと思って、それが何なのかを考え続けました。
大学進学半年で彼は、その問いに一つの答えを見つけます。
それは、未知でした。
私のいままでの「なにか」は、いつも未知の世界にありました。わからないことを思い切ってやってみると、なんだか、いまを生きている心地がしたのです。友人や初対面の人たちに、いままでの私の人生について尋ねられ、意識的に記憶を振り返ってみたときに思い出す「こと」は、いつもその瞬間に生きた心地のしていた「こと」でした。
わからないこと。生きた心地。
それが私の、「なにか」になるのかもしれない。
もう怒ったぞ。全部タダで見せてやる。|プロ奢ラレヤー|note そうして彼は大学をやめ、「未知」を生きるために、5,000円の寝袋とコンビニで買い占めたホッカイロと現金3万円を持って、冬のプラハに旅立ちます。
英語もロクに話せず、現地の言葉はまったく分からない。そんな彼が零下20度にもなる冬のプラハでの三ヶ月を、どうやって生き延びたのか……。
とにかく彼は三ヶ月を過ごしたチェコをあとにして、元気に日本に帰ってきます。しかもスロヴァキアの姉さん女房までお持ち帰りして。
帰国後 VALU と出会った彼は、そこを舞台に大活躍します。
https://valu.is は個人が会社のように「資金調達」できるようにするサービスで、彼はここで「自分の生き方」をお金に変える方法を学び、のちにそれが「奢られて生きる」という、プロ奢ラレヤーの誕生につながるわけです。
窮屈な日本社会で、 働くのが苦手な若者が、 軽々と自分らしく生きる。 この3つの要素によって、プロ奢さんが今ネット上で静かに熱いブームを作り出している理由を説明することができるでしょう。
ここまで読んでプロ奢氏に興味を持たれた方は、彼が書いた次の2つの記事を読むと、「うーむ」とうなること請け合いです。
・もう怒ったぞ。全部タダで見せてやる。|プロ奢ラレヤー|note
・「6カ月でフォロワー2万人を獲得した ツイッター戦略」|プロ奢ラレヤー|note
─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─
☆ここでちょっと一休み、<スポンサード・リンク>です。
─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─
現役の東大生がご自分の受験の経験を書いた記事がネットの片隅で話題になっています。
・東大を舐めている全ての人達へ|tonoike19950604|note
今日はこちらの記事を題材に、わたしたちが
東大に対して抱(いだ)く幻想と錯覚について 少しばかり考えることにします。
平均してみれば、東大生は頭はいいものの、あなたやわたしと変わらない、
利己的かつ偽善的で、欺瞞に満ちた愛すべき愚者である というのが一つの結論です。
なお、これは上にあげた記事を書いたtonoike氏がそのような人間であるといっているわけではありません。氏はむしろ、率直で自分の限界を心得た、極めて謙虚な人物であると感じます。
東大お受験狂騒曲 - ぶんなぐられながら勉強する子どもたち 東大を「舐めている」人たちへの伝言 - どんどん「舐めて」やってください 東大お受験狂騒曲 - ぶんなぐられながら勉強する子どもたち 「これはまったくヒドイことになっているな」 というのが、tonoike氏の中学受験の体験談を読んで真っ先に浮かんだ感想です。
母親がPS2を餌に子どもに勉強をさせる。
「そんなやり方はやめといたほうがいいのに」とこのことについても思いますが、それは序の口です。
子どもが勉強をするまでつきっ切りで干渉し、あげくの果てには手を上げてまで勉強を強要する。
それでも子どもがやらないと父親まで動員して暴力を振るわさせるとは、
このお母さんは気が狂ってるのだろうか、 と正直ぼくは思いました。
けれども、それを書いている東大生のご本人は、そのときは地獄だったけれども、「今は家族関係は良好だ」というし、「そんな程度の話は周りでいくらでもあるんだ」というのですから、このお母さんがおかしいというわけではなく、日本の社会そのものが「異常」であるというべきか、あるいは、
人間自体が「標準」を常に逸脱し続ける「異常」な存在なのである、 とでも考えるしかないのでしょう。
けれども、世のお母さんにここで一つだけ考えていただきたいのは、
暴力を使うかどうかに限らず、子どもの意志をねじ曲げてまで勉強させようとすれば、あなたの大切な子どもが死んでしまう場合だってある、 という冷酷な事実です。
tonoike氏が書いている
部活を親が半ば強制的にやめさせようとしたら人生の方をやめてしまった人もいました。
というのは、ぼくの読み間違いでなければ、彼のごく身近にもそのような形で亡くなった方がいるということですよね。
あるいはしばらく前に社会的な大問題にまでなった「電通過労死事件」についてはどうでしょうか。
東大卒の女性が「過労死」したあの事件も、見方を変えれば、お母さんがわが娘を「殺してしまった」事件なのだと見ることはできないでしょうか?
これは娘の死に関して、お母さんに責任があると言っているわけではありません。
お母さんの期待に答えて、一所懸命に勉強して東大に入り、世間知らずだったために電通という「魑魅魍魎」の会社に入社してしまい、嫌ならやめればいいだけなのに、「よい子」でいなければならないので会社をやめることもできずに「死んでしまった」彼女に、期待をかけすぎ、その自由をしばってしまっていたのはお母さんなのではないのか、という推測にもとづく仮説を述べているだけのことです。
彼女がお母さんを思っての言葉を残して亡くなっているだけに何とも不憫ですし、このような形で娘に先立たれたお母さんの気持ちを考えると言葉もありませんが、もしも彼女とお母さんとの関係が、もう少しだけ素直に気持ちのやりとりができるものだったならばと考えると、本当に心が痛むのです。
もし、これを読んでくださっているみなさんの周りで、自分の子どもに勉強を無理強いしているのではないかと思われるような親御さんがいらっしゃったら、どうかそのお子さんに声をかけてあげてはいただけないでしょうか。
そういう親御さんに考えを改めてもらうことは非常に難しいと思いますが、お子さんに暖かい理解の言葉をかけることは、そのお子さんの苦しい心情を救う大きな力になりえます。
うまく声をかけられなくても、気をかけてあげ、微笑んであげるだけでもお子さんにとっては力になるでしょう。
「東大」に行かさせられるために、肉体的、精神的な虐待を受けるなどということは、極めて特殊な事例ではありますが、言われない苦痛を受ける子どもたちが少しでも楽に生きられるようにと願ってやみません。
─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─
☆ここでちょっと一休み、<スポンサード・リンク>です。
─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─
note.mu で公開されている生活学習さんの漫画
殺人予告|生活学習|note、 タイトルは物騒ですが、心を揺さぶるインパクトがあり、深く考えさせられる作品です。
線維筋痛症を患い、苦労して毎日を生きている生活学習さんが、通りすがりの男たちから侮蔑の言葉を投げかけられた経験が、激アツの筆致で描かれています。
見下された者の悲痛な叫び、「お前らを殺してやるからな」 「殺してやる」という言葉に象徴的に込められた作者の思い 漫画『警察をクビになった話』のハルオサンに続く、ヘタウマ・ネット漫画の新しい波 線維筋痛症という「難病」 見下された者の悲痛な叫び、「お前らを殺してやるからな」 (画像は生活学習さんのnote.muのページより再掲、ご本人に許可をいただいています)
2018年10月31日16時半頃、杖をついて薬局に入っていく坊主頭の私を見て、「初老だねえ!!」と言って笑った2人組の男どもに告ぐ。
殺してやるからな。
殺人予告|生活学習|note 記事タイトルでは分かりやすさを優先して「女性蔑視」と書きましたが、「男たち」の言葉には、
若くて美しい女性以外は価値がない という偏見だけでなく、弱いもの、苦しみを背負っているものに対する侮蔑の込められています。
現在の日本社会に蔓延している「弱者蔑視」を象徴する場面です。
この不愉快きわまりない言葉に、作者が感じたとてつもない怒りが、1ページ目で十二分に炸裂しています。
「殺してやる」という強烈な言葉と、終始一貫して「笑顔」で描かれる「語り手=作者」の表情のギャップに、怒りに震えながらも、その状況と心境を冷静に描写しようとする作者の「執念」を感じます。
─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─
☆ここでちょっと一休み、<スポンサード・リンク>です。
─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─
「殺してやる」という言葉に象徴的に込められた作者の思い 『殺人予告』というタイトルといい、「お前らを殺してやるからな」というセリフといい、過激きわまりない表現ですが、作者は暴力を肯定しているのではありません。
この漫画は、侮蔑によって引き起こされた収まりようのない怒りを原動力に、わたしたちが住む「弱者蔑視の社会」を変えるために描かれています。
作者が「殺す」と言っているのは、現実社会での暴力を振るうということではなく、漫画という表現によって、「弱者蔑視」がまかり通る社会のあり方を変えていく、ということです。
ですから、
お前らが窮屈で暮らせなくなる世界を、態度を改めなければ生きていけない世界を作るまで、
殺人予告|生活学習|note 作者は「弱者を蔑視する者」を「殺し続ける」のです。
この「殺す」という表現が強すぎると思い、違和感を持つ人がいること、なんでここまでの言葉を使うのか、という異論があるのも分かりますが、作者の思いはこの言葉なしには表現できなかったに違いないと思うのです。
日常的に刺激的な表現が溢れかえって、感覚が麻痺しがちな読者に向けて、十分に声を届けるためには、このくらい過激な表現をして丁度いいくらいではないでしょうか。
漫画『警察をクビになった話』のハルオサンに続く、ヘタウマ・ネット漫画の新しい波 生活学習さんは「事件」があったその日のうちに、12ページの漫画を描いてツイッターに3つのツイートとして投稿し、さらにnote.muにもまとめて掲載しています。
勢いで描いているので、若干雑な印象も受けますが、そのときまさに感じていたリアルな怒りに裏打ちされているために、多くの人の心を動かしたものと言えるでしょう。
・生活学習 on Twitter: "『殺人予告』①… "
は、21,000 リツイート(2, 3 も合わせると全部で37,000)され、
はてブ・アディクトのみなさんにはお馴染みのしんざき@不倒城さんが、『子どもの感性は、「性的なコンテンツ」一つで悪影響を受ける程脆弱なんだろうか』という素敵な記事を書いてらっしゃって、600近いブックマークがついてるもんで、今日はしんざき氏の論法について、みなさんと一緒に詳しくみていきたいと思いまーす。素晴らしき「しんざき話法」に、いつも「はてな?」と首をかしげてるみなさん、よろしくお願いしまーす。
「漫画版・警察官をクビになった話」の衝撃。新時代の漫画家ハルオサン誕生す!!
あれは2016年11月のことでした。*1
野生の天才児ハルオサンが、警察をクビになった体験談を引っさげて、はてな村からネット界へと、彗星のごとくデビューしたのは。
ブログの名前は「警察官クビになってからブログ」。
警察をクビになったエピソードだけでも十分衝撃的なのに、次から次へと繰り出されるブラック企業ネタ。
ハルオサンは、なんともアンハッピーな人生をネタとして、独特のユーモアと絵柄で読者を惹きつけたブログの内容に加筆・修正を加え、 2017年12月には KADOKAWA / 中経出版より
「天国に一番近い会社に勤めていた話」 という書籍も出版されています。
この記事では、まず簡単に「ハルオサンとは何者なのか」を簡単にご紹介してから、
「【漫画】警察官をクビになった話」のすごさ についてお伝えしようと思います。
ハルオサンって一体ナニモノ!? 「【漫画】警察官をクビになった話」はちょっと凄すぎるでしょう、ネット時代の「新しい波」が生まれたと思いますよ、こいつは!!! ハルオサンの超絶ヘタウマ画にしびれる。 何なの、この色使い、こんなの他で見たことないよ! コ、コマが、大きくなったり、小さくなったり……、してるぞっ。 これからのハルオサンの活躍が楽しみです。 ハルオサンって一体ナニモノ!? ハルオサンは自分が警察をクビになった話を書きたいがためにブログを始めました。
・【漫画】警察官をクビになった話 - 警察官クビになってからブログ
を読んだ方はすでにお分かりの通り、彼は子どものころに脳の病気になり、手術をして一命を取り留めたため、「障害」があります。
ハルオサン自身はそれがどのような「障害」であるかは書いていませんが、いわゆる「発達障害」だと考えればおおむね間違いないでしょう。
「警察官になる」という子どものころからの夢を実現しようと18年間努力をして、せっかく警察官として採用されて警察学校に入ったのに、その「障害」のために最終的に警察をやめざるをえなくなるわけです。
ここで読者のみなさんに一つの疑問が浮かぶかもしれません。
そんな「障害」がある人が、こんなに上手に話を書けるものかな? ハルオサンは、その文章も実に読ませますが、ヘタウマなイラストも絶妙のセンスで人の目と心を引きつけます。
そして、今度のとんでもない漫画です。
彼がブログを書き始めて間もないころ、「発達障害」についてよく知らず、「知能が遅れている」とか「能力が低い」とかいう先入観を持っている人の中には、
こんなものを「障害者」が書けるわけがない。やらせに違いない。 と決めつける人もいたくらいです。
けれども「発達障害」というものは、単純に「知能や能力が低い」というものではありません。
平均的な人が普通にできることができない一方、普通の人にはできないことが簡単にできてしまったりもするのです。
言ってみれば、「脳の使い方が違う」んですね。
ですから、警察学校では「人並みにできない」ハルオサンが、プロ並みに読ませる文章や漫画を書くことにも、まったく不思議はないことになります。
なお、ハルオサンの人生の詳細については、取るもの取り敢えず、彼のブログをご覧ください。
こちらの記事あたりから読むのがお勧めです。
・クソみたいな人生をまとめてみた - 警察官クビになってからブログ
─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─
☆ここでちょっと一休み、<スポンサード・リンク>です。
─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─
あなたが大学へ行きたいのに「親のお金は当てにできない」という場合、奨学金を借りて大学へ行くという選択肢はもちろんありえます。
けれども、その選択があなたにとって正しいものかどうかということは、よく考えてみる必要があります。
この記事では、大学というものが、
「日本学生支援機構」という名前の「貸金業者」から借金をしてまで 行くに値するものなのか、ということをメインにして考えてみます。
というのも、高校を出てすぐに「借金をしてまで」大学に行かなければならない理由はありませんし、
大学に行かなくても、明るい人生はいくらでもありうる ということが言いたいからです。
大学ばかりが学ぶ場ではない 大学にはいつでも行ける それでも奨学金を使って大学へ行きたいあなたへ 日本学生支援機構はただの貸金業者なのか 大学ばかりが学ぶ場ではない ツイッターでこんな発言を見かけました。
大学で自分探しをしたい!→頑張って!
大学で色々な人に出会いたい!→色々な人がいて面白いですよ!
行きたいという強い気持ちがあれば、動機は何でもいいと思います。奨学金を借りて行く価値、学ぶべき多様性はある。
この方の意見が間違っているとは思いませんが、こうした自分の主観に基づく世間話的メッセージには、
「奨学金が自己破産に結びつく」 という社会的事実が考慮されていないという点で、危うさを感じてしまいます。
自分探しをしたいにしても、いろいろな人に出会いたい場合でも、どうしても大学に行かなければ、ということはありません。
多くの人が大学でモラトリアムの時間を過ごし、それなりに「有意義」な時間を過ごしているからといって、それが借金を背負ってまでするべきことなのかどうかは、よく考えたほうがいいでしょう。
つまり、「遊び」に行くために「借金を背負うのは危ない」って話です。
自分探しや人との出会いが目的なら、ほかにいくらでも選択肢はあります。
ネットを使って情報を集め、いろいろな集まりに出かけ、新しい人と会い、新しい考えを得ることもできるでしょう。
あるいは実家にこもり、自分の一生を見つめなおしてもいいのです。
専門学校に行くという選択肢もあるでしょうし、高卒で働くという選択も当然あります。
大学で遊んでる人がみんな幸せなわけじゃありませんし、大学を卒業すれば安定した人生が待ってるわけでもありません。
自分の人生を人の人生と比べ、人並みの人生を送ろうとしても、必ずしもうまくいくものではありません。
自分の居場所は自分で見つけ、自分の「人生の意味」というものを自分で作っていくことこそが、よく生きるために一番大切なことです。
「自分は何をやりたいんだろう?」と問い続けさえすれば、自分のいる場所がどこであろうと、道は必ず開けるはずです。
大学にはいつでも行ける こんな記事を書いている方がいました。
・奨学金で借金地獄になるくらいなら、社会人やってから大学行くのが一番楽しいよって話。|ちーぼー|note
この方は、高校を卒業して短大に進学し、中退して社会人となりました。お金を貯めて23歳のとき専門学校に行き、Web デザイナーとして就職、その後フリーランスとなり、インターネットの大学で勉強しているそうです。
日本では「高校出たらすぐ大学へ行く」のが当たり前とされてますが、それってただの思い込みですよね。
みんながそうやってるからって、あなたもそうしなくちゃならないわけじゃない。
社会人として働き、自分でお金を貯めてから大学に行けば、余計な借金をする必要はありません。
あるいは会社勤めをしながら通信制の大学で勉強する方法だってあります。
結局のところ「あなたが何をしたいか」、これが一番大切なポイントだってことです。
そしてもし「自分が何をしたいかが分からない」としても大丈夫です。
何をしたいか分からなくて、迷いに迷って進路を決めて、やっぱりうまくいかないかもしれません。
そんなことがあったらどうしようと心配する必要はありません。
一度決めたことだとしても、あとからいくらでも変更が効くんですから。
人生いつだってやり直しは効きます。
「高校を卒業して、いい大学へ入って、いい会社に入る」みたいな一直線の道は、ごく少数の例外を除けば、もう、どうせないんですから、自分の道を自分なりに歩いていけばいいってだけのことなんですよ。
─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─
☆ここでちょっと一休み、<スポンサード・リンク>です。
─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─
「神は細部に宿る」という言い回しがあります。
「何をやるにしても細部をおろそかにしてはいけない」という意味の警句ですね。
英語ではこれをもじって「悪魔は細部に潜む」とも言うようです。
「神」と「悪魔」では180度方向性が変わってきますが、「細部が大切」という意味は一緒です。
どうして「神」が「悪魔」に入れ替わってしまったのか、英語の勉強がてら、少しばかりネット上で調べてみました。
「神は細部に宿る」の語源はフロベール? そして「金食い虫」の神さま。 21世紀、悪魔が細部に潜む時代がやってきた。 クリエイターのみなさんに向けて、この記事の教訓を一言。 「神は細部に宿る」の語源はフロベール? そして「金食い虫」の神さま。 「神は細部に宿る」という言い回しは、もともとヨーロッパの言葉から翻訳されたもので、その大本の形は、
善き神は細部に宿る "Le bon Dieu est dans le détail" (英語では "the good God is in the detail") というもので、「ボヴァリー夫人」で知られるフランスの作家、フロベール(1821-1880)の言葉とされています。*1
これをドイツの美術史家アビ・ヴァールブルグ(1866-1929)が
「われわれは、おのれをそこに見出すところの自分の無知を探索し、打ち倒さなければならない。神は細部に宿りたまう」 "Der liebe Gott steckt in Detail." というモットーとして使ったことから世間に広まります。
そして、 20世紀のモダニズム建築を代表するドイツ出身の建築家であり、第二次大戦後はアメリカで活躍したルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ(1886–1969) が標語として使ったことで、世界的に広まったもののようです。
ミース・ファン・デル・ローエが1951年にアメリカのイリノイ州に建てたファンズワース邸は、四面をガラスで囲んだ内部空間に、キッチン・浴室・トイレを収めたコアがあるだけという「合理主義」的建築で、コアを取り巻くゲスト用スペースはまったく区切られておらず、また内部には柱がないため、完全なワンルーム構造とのこと。
(画像は「スケッチズム」さんから拝借)
外壁を兼ねるガラスの外側に垂直に配置された8本のI型鋼が、床と屋根を支えています。
8本のI型鋼は組立後、研磨されてさらに白く塗装されるなど、《ファンズワース邸》は工業製品を使用しながらも一品生産品以上に建設コストがかかっており、予算超過による訴訟事件が起こされたことでも有名である。
《ファンズワース邸》artscape.jp どうやら細部に神を宿すためには、「お金がいくらあっても足りなかった」ようです。
─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─
☆ここでちょっと一休み、<スポンサード・リンク>です。
─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─
男であれば誰だろうと「おっぱい(巨乳)」という言葉に反応するだろう。
そして男が反応する以上、女だって「おっぱい(巨乳)」という言葉に反応せざるを得ないのだ。
ところであなたは「ナッジ」という言葉を知っているだろうか。
英語で nudge というのは、「肘でつついて軽くうながす」というくらいの意味だが、行動経済学では、
「強制的に何かをさせるのではなく、自発的にそれをするような選択肢を提供する」 というような方法論を意味する。
この記事では、月間100万PVを目指すあなたのために、いかにして「おっぱい(巨乳)」をナッジとして使うかを考えてみることにしたい。
実例: さいちゃんは「おっぱい(巨乳)」で1日37,000PV達成。月間100万も夢じゃないぞ。 なぜ「おっぱい」はナッジとして使えるのか。その生理学的な根拠と100万PVへのヒント。 人は見た目で出会いを決めるのか。出会いサイトのデータが語る真実。 実例: さいちゃんは「おっぱい(巨乳)」で1日37,000PV達成。月間100万も夢じゃないぞ。 軽やかな筆致でユーモアたっぷりのブログをつづっているさいちゃんの記事、
・【悲報】Googleはおっぱいに屈しました。Google推奨Chrome砲で1日3万7千PVを記録。 - さいちゃん、銀行辞めたってよ
は、みなさん読みましたか。
Netflix のリアリティ番組「テラスハウス軽井沢編」を
・テラスハウスを見て巨乳は絶対的正義ではないことが判明した - さいちゃん、銀行辞めたってよ
という記事で紹介したところ、Chrome砲の直撃を受け、1日37,000PVを記録したことをおもしろおかしく語ってらっしゃいます。
1日37,000PVですから単純にこれを30倍すれば、月100万PVを超えます。
もちろん現実はそんなに甘い予測を許してはくれませんが、「おっぱいの底力」を感じさせる実例として、まずは以上、紹介させていただきました。
なぜ「おっぱい」はナッジとして使えるのか。その生理学的な根拠と100万PVへのヒント。 人間がこの世に生まれ落ちて最初に求めるもの。
それがおっぱいです。
だがしかし、工業化された現代社会に生まれ育った我々の中には、不幸にもおっぱいと戯れる無邪気な幼年時代を経験することのできなかった者たちもいます。
粉ミルクの発明によって、幾多の不幸な子どもたちが生まれたことでしょうか。
そのことを考えると、胸が痛み、夜眠ることもできなくなるほどですが、その話はこのくらいで切り上げることにしておきましょう。
結局のところ、あなたが哺乳類として生まれてきた以上、女か男かなんてことはこの際一切関係ないってことなんです。
つまりあなたは、「おっぱいを求める者」としてこの世に誕生したのです。
そして世のヘテロセクシャルな男どもが、夜な夜なおっぱいを求めて、現実の夜の街へ繰り出し、ネットの広大な海原へと冒険の旅に出ること自体が、誰にも否定しようのない自然の摂理としかいいようがないではありませんか。
以上見てきたように、男性の視線というものは、ごく自然な反応としてて「おっぱい(巨乳)」に焦点を当ててしまうように幼年時代から条件づけられているのであります。(一部の例外を除く)
アムステルダムのスキポール空港では、小便器の内側に一匹のハエの絵を描き、
「人は的があると、そこに狙いを定める」 という「習性」を利用して
清掃費を8割も減少させること に成功しました。*1
そうであれば、あなたが自分の記事に
「おっぱい(巨乳)」という「的」を置くこと で、男たちの狙いをそこに定めさせることができるのは、ナッジ理論に照らし合わせて明らかとしか言いようがありません。
そしてです。
人間の注意を惹きつけるものは、決して「おっぱい」だけではありません。
あれだって、これだって、さらにはそっちのほうのものだって、やっぱり人間の注意を惹きつけてしまうというのが、この世界の現実なのです。
であるからには、どんなものが、人間の注意を惹きつけるのかを注意深く観察し、それを有効に利用することによってこそ、我々は「100万PVへの道のり」を一歩々々着実に歩いていくことができるのであります!
─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─
☆ここでちょっと一休み、<スポンサード・リンク>です。
─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─
※東大で行われた「姫野カオルコ『彼女は頭が悪いから』ブックトーク」について追記しました。
東大生ないし東大OGの「高学歴BL女性」と思われるみくさ (id:tomananaco)さんが書いた
・東大生強制わいせつ事件傍聴人が「彼女は頭が悪いから」を読んだから - 人生万事こじらせるべからず
という記事がとても面白かったので、その紹介をかねて、小説と現実の違い、知的エリートの心的貧困などについて書いてみようと思います。
東大生強制わいせつ事件とは? 姫野カオルコさんの「彼女は頭が悪いから」という小説 エム1容疑者の派手な暴行より、エム2容疑者のサイコパス性が核心か 「モテる東大生」というフィクションと、可哀想な東大生の現実 「東大生への下心」を嫌う東大生の蝶屈折心理 [追記 2018.12.15] 東大で行われた「姫野カオルコ『彼女は頭が悪いから』ブックトーク」について 東大生強制わいせつ事件とは? 2016年5月、5人の東大生が強制わいせつの疑いで逮捕されました。
5人は「誕生日研究会」という女性目当てのサークルの仲間で、そのうちの一人の部屋に被害者の女性を誘い、無理やり酒を飲ませて、わいせつ行為を行なったのです。
主犯格のエム1容疑者は、女性を全裸にした上で馬乗りになり、その状態でカップ麺を食べ、その具や汁を女性にかけて遊んだり、股間にドライヤーの熱風を当てるなどの暴行を加えたとされます。
被害者の女性は、共犯格のエム2容疑者と恋人関係だったことがあり、被害にあったときも、エム2容疑者とセックスフレンドの関係にあったようです。
何の罪もない女性をこうしてモノのように扱い、辱めることは、決して許されることではありませんが、こうした事件の背景にはどのような人間心理が隠されているのでしょうか。
姫野カオルコさんの「彼女は頭が悪いから」という小説 姫野カオルコ「彼女は頭が悪いから」(2018 文藝春秋)
という小説は、この東大生強制わいせつ事件を題材にしたフィクションです。
報道ではエム1容疑者の「鬼畜性」が全面に出され、「異常な東大生」がクローズアップされたのに対し、この小説では、
被害女性がエム2容疑者とセフレの関係にあったこと に焦点を当てることで、被害女性の心理に迫ります。
アマゾンの内容紹介では、
私は東大生の将来をダメにした勘違い女なの?
深夜のマンションで起こった東大生5人による強制わいせつ事件。非難されたのはなぜか被害者の女子大生だった。
現実に起こった事件に着想を得た衝撃の書き下ろし「非さわやか100%青春小説」!
横浜市郊外のごくふつうの家庭で育った神立美咲は女子大に進学する。渋谷区広尾の申し分のない環境で育った竹内つばさは、東京大学理科1類に進学した。横浜のオクフェスの夜、ふたりが出会い、ひと目で恋に落ちたはずだった。しかし、人々の妬み、劣等感、格差意識が交錯し、東大生5人によるおぞましい事件につながってゆく。
被害者の美咲がなぜ、「前途ある東大生より、バカ大学のおまえが逮捕されたほうが日本に有益」「この女、被害者がじゃなくて、自称被害者です。尻軽の勘違い女です」とまで、ネットで叩かれなければならなかったのか。
「わいせつ事件」の背景に隠された、学歴格差、スクールカースト、男女のコンプレックス、理系VS文系……。内なる日本人の差別意識をえぐり、とことん切なくて胸が苦しくなる「事実を越えた真実」。すべての東大関係者と、東大生や東大OBOGによって嫌な思いをした人々に。娘や息子を悲惨な事件から守りたいすべての保護者に。スクールカーストに苦しんだことがある人に。恋人ができなくて悩む女性と男性に。
この作品は彼女と彼らの物語であると同時に、私たちの物語です。
となっています。
小説では「分かりやすい物語」にするために、加害者のエム2容疑者が被害者を「愛していた」という設定になっていますが、現実にはそのような事実はなかったようです。
その辺りを、みくさ (id:tomananaco)さんの記事で確認してみましょう。
エム1容疑者の派手な暴行より、エム2容疑者のサイコパス性が核心か この事件では、逮捕された5人のうち、2人は示談となり不起訴、エム1容疑者、エム2容疑者のほかに、部屋を貸したケイ容疑者が起訴され、この三人には一審で執行猶予付きの有罪判決が下りています。
裁判の傍聴もした上で、みくささんは三人について、
私の主観だけで言えば、エム2容疑者はサイコパスクズ男、エム1容疑者は際限を弁えずにやりすぎてしまったバカ、ケイ容疑者は家を貸しただけの善人に思えた。
(原文で実名になっている部分は仮名とした。以下同)
と書いています。そして、
確かに、エム1容疑者とは面識はほぼ初対面だったのであるが、被害者女性はメンバーの一人エム2容疑者に惚れていた。飲み会の最中、松本から「こいつ俺の女だから」という旨の発言をされても強く否定しなかったという。
エム2容疑者は、彼女からの好意には気づいていたが、それに応じる気が無かった。当時本命の恋人もいた。何より彼自身の特性としてサイコパス気味だった。
人間、自分の興味の無い相手からの好意はうっとうしいものだ。そして、自分に惚れこんだ相手は「都合のいい」存在になり、軽んじる。
だからエム2容疑者は、飲み会の盛り上げ役として、この都合のいい女を持ってきた。
と述べ、派手な暴行をした主犯格のエム1容疑者よりも、共犯格のエム2容疑者の「サイコパス性」がこの事件の核心にあることを強調しています。
そうして、被害者の女性は
勘違いした女でも、セカンドレイプされるべき対象でもない。どこまでも、ひとりの普通の人間だ。
と、彼女にはなんら責任がないことが、はっきりと述べられています。
─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─
☆ここでちょっと一休み、<スポンサード・リンク>です。
─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─