書評家の冬木糸一氏が
薬物はどのように精神を変質させるのか?──『幻覚剤は役に立つのか』 - 基本読書
という記事で、幻覚剤のもたらす変性意識の医療的意義について紹介しています。
アメリカのジャーナリスト、マイケル・ポーラン氏が自らの幻覚剤体験を踏まえて書いた
「幻覚剤は役に立つのか」
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を通して、冬木氏の紹介は興味深くも的確ですが、残念ながら氏にとっては「LSDやマジックマッシュルームは『やばいドラッグ』」であって、氏自身はそうした薬物の経験をお持ちではありません。
この記事では、マジックマッシュルーム、大麻などの経験とともに、ヴィパッサナー瞑想も練習している者として、幻覚剤の効果と社会的意義を、その危険性も含めて素描してみます。
ガン患者の世界観変容 幻覚剤による変性意識の実際 バッドトリップの恐怖 幻覚剤は脳神経をどう活性化させるのか 幻覚剤の使用は倫理的に許されるのか? ガン患者の世界観変容 冬木氏はまず、ガンの末期患者に対して行なった、マジックマッシュルームの主成分サイロシビンの投与実験を紹介しています。
これは、余命宣告をされ、自分の死と向き合うことを余儀なくされた人たちが、幻覚剤による意識変容によってQOL(クォリティ・オブ・ライフ)を高めることができるか、という問いかけです。
それぞれが、身体によって認識する自己というものを超越し、自我からの解放を経験する。ジャーニーから戻ったとき、患者さんたちは新たな視野を手に入れ、すべてを受け入れる境地に至っている。
実験をした研究者はこのように述べたとニューヨーク・タイムズは伝えているそうです。
これについて「一時的にラリってハッピーになってるだけなのか」というのが、冬木氏の関心の置きどころです。
そして氏は、幻覚剤の投与による変性意識状態の脳科学的考察を経たのち、
「一時的に死の恐怖を忘れられるだけでなく、長期にわたって死に対する恐怖感などが減じ、世界観自体ががっと切り替わる(ことがある)のは確かなようである」
と結論しています。
ぼく自身の経験に即して言えば、マジックマッシュルームによる変性意識の体験*1は、理性的な思考だけでは届かない、体感と情動が一体となった深い認識への扉を開いてくれることになりました。
アルコールでしか変性意識の体験がない日本の多くの方は、薬物を摂取して得た、「歪んだ認識」にどんな価値があるのか、と疑問を感じるところでしょうが、人間がいつも経験している普段の認識こそが、「理性や習慣の枠に狭められて歪んだ色眼鏡越しに見ている、一種の催眠状態にすぎない可能性」をここで思い描いていただけたらと思います。
幻覚剤による変性意識の実際 マイケル・ポーラン氏はLSDによって、家族の顔が次々と浮かび、深い愛情に満たされる経験をします。
またサイロシビンによっては、
「私は確かにここにいるのだが、私自身とは別の何かになっている。そして、感情や感覚を持つ自分はもういないのに、なんとなく穏やかで満ち足りた感じは残っている」
と感じます。
そしてソノランデザートヒキガエルからとれる幻覚剤*2を摂取したときには、
「私が消失し、紙吹雪のごとく吹き飛ばされて、「私は存在する」という感覚すら消え、「死ぬとこんな感じがするのか?」 という問いが浮かんだとのことです。
ここに引用したポーラン氏の体験では、自意識の体験の変容が強調されていますが、人により、時により、体験は多様です。
マジックマッシュルームによるぼくの体験で印象的だったものの一つは、空に浮かぶ雲が、巨大で邪悪なマシュマロマンに見えたことです。
我々の理性は「空にマシュマロマンなどいない」と言ってそれを否定します。けれども自分の脳の神経回路がそこにマシュマロマンを見てしまっている以上、その体感を否定することはできません。
記憶や感情を司る領域が視覚情報処理領域とじかに交流するようになれば、希望や恐怖、先入観や感情が視覚に影響を与えはじめる。まさに、原初的意識の特徴であり、魔術的思考につながるレシピである。
とポーラン氏が書くように、魔術的思考が自分の身のうちに存在することを、幻覚剤は教えてくれるのです。
そしてこのような「幻覚作用」は、単に奇妙で興味深いものであるにとどまらず、普段の意識ではつながらないものをつなげることで、新しい科学的発見につながる可能性もあれば、世界観の変容をもたらす可能性も持つのです。
さて、サイロシビンなどの幻覚剤は、脳内のさまざまな神経伝達物質の作用に対してアクセルを踏んだり、ブレーキを踏んだりすることで意識の状態を変性させます。
こうした意識変性作用は、幻覚剤をどのくらいの量摂取するかによっても当然異なってきますが、同時にどういう気持ち(セット)で、どういう環境(セッティング)のもと摂取するか、によっても大きな影響を受けます。
ポーラン氏や実験を受けたガン患者の人たちは、安全かつ十分な効果がある量の幻覚剤を、落ち着いた気分で、安心できる環境のもと用いることで「よいジャーニー」をすることができたわけです。
逆に言えば、不安がある状態で幻覚剤を摂ることは、精神の安定をそこない危険を招くことにもなります。
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バッドトリップの恐怖 たとえば、世界最強の幻覚剤であるLSDを不用意に摂った結果、自分に体があるのかないのかが分からなくなり、自分に体があるのを確かめようとして、体を切り刻んでしまったというエピソードを何かの本で読んだことがあります。*3
みなさん、マズローの欲求5段階説はご存知ですか?
ビジネスの世界でも有名な話ですし、5段階説は聞いたことががなくても、「承認欲求」という言葉は聞いたことがある方も多いでしょう。
アメリカの心理学者アブラハム・マズローの説では、人間の欲求には次のような段階があり、
自己実現欲求 承認欲求 社会的欲求 安全欲求 生理的欲求 の5つが、下から順に満たされていく必要がある、ということになっています。
ところが、このよく知られた説に対して、
マズローの着想は時代遅れであり「もはやアカデミックな心理学の世界では真面目に取り上げられてはいない」 と真っ向から否定する意見があるのですね。*1
マズローの説については、ふろむださんのこちらの記事でも、「マズローの思想には価値があるが、科学的には根拠がない」という意味のことが述べられています。
・ネットに時間を使いすぎると人生が破壊される。人生を根底から豊かで納得のいくものにしてくれる良書25冊を紹介 - 分裂勘違い君劇場 by ふろむだ
さて、本当のところマズローの説は、もはや時代遅れの無意味な仮説なのでしょうか。もう少し詳しく見ていくことにしましょう。
マズロー説に科学的根拠はあるの? 進化心理学からの「反論」、自己実現よりも「結婚して子孫繁栄」が重要? とはいえ、「自己実現」もやっぱり重要。マズローのピラミッドは永遠です! マズロー説に科学的根拠はあるの? 冒頭で紹介したマズローの欲求5段階説を否定する言葉は、ウィキペディアのアブラハム・マズローの「批判」という項目から引用したものです。
ここでもう一度該当箇所を全文引用すると、
2006年には、Christina Hoff SommersとSally Satelが経験的実証の欠如により、マズローの着想は時代遅れであり「もはやアカデミックな心理学の世界では真面目に取り上げられてはいない」と断言した。
ということです。
これは英文ページからの引き写しで、そちらを見ると、Christina Hoff Sommers, Sally L. Satel の "One Nation Under Therapy" からの引用であることが分かります。
*2
これだけでは、「ある本がマズローをディスってるだけじゃん」という感じですが、
・Maslow's hierarchy of needs - Wikipedia
のCriticismの項を見ると、「検証可能なデータに基づいていない」ことや、「文化による違いを考慮していない」などの批判があることが分かります。
一方、
・Abraham Maslow - Wikipedia
のCriticismの項には、イリノイ大学のEd Diener と Louis Tayの研究で、123ヶ国、60,865名についての調査で、文化の違いによらずマズローの説が当てはまることが確認できたことが書いてあります。
つまりマズローの説にもそれなりの科学的根拠はあるのです。
マズローの説に限らず、心理学上の仮説というものは、どのような調査をするかで結果が違ってくることが起こります。
たとえば、心理学の話としては有名な「マシュマロ実験」についても、
「幼児期の我慢強さは、成長してからの学業成績や社会的成功に大きく影響する」 というスタンフォード大学での研究結果に対して、
「幼児期の我慢強さが直接成長してからの結果に影響するのではなく、家庭の経済環境が両者に大きく影響するのだ」 という別の研究結果が存在します。
(つまり、経済的に恵まれた家庭の子どもは、マシュマロを我慢する力が強いし、成長してからの学業成績が優れ、社会的成功も大きくなる、ということ。我慢と成功が直接関連しているわけではない)
ですから、心理学上の「事実」については、様々な条件次第で結果が変わってしまうことを理解した上で、「事実」というよりは一つの「研究結果」であり、
みなさん、神さまは信じてますか?
神さまがこの世界を創ったのか、それとも人間が神さまを考えだしたのか。
今日は、
E.フラー・トリー「神は、脳がつくった 200万年の人類史と脳科学で解読する神と宗教の起源」(2018 ダイヤモンド社) という本を紹介しながら、そんな話について考えてみようと思います。
「神さまがこの世界を創った」と考えることは、科学と矛盾しません。 「神々の誕生」は進化の副産物なんでしょうか。 「神々」の誕生と「ゴッド」の誕生 早すぎた「神々の黄昏」としての仏教、そしてデカルト・ニュートン・ニーチェからマインドフルネスへ 「神さまがこの世界を創った」と考えることは、科学と矛盾しません。 神さまを信じるか? と言われたら、答えに困るかもしれませんが、「この世界が神に創られた」というような考え方はしていなくても、日本では願い事を神さまに頼んだりするのは、割と普通ですよね。
そういう曖昧な信仰の形とは違って、ヨーロッパやアメリカでは、「唯一・万能の神がこの世界を創った」というようなきっちりした信仰が生きています。
アメリカのキリスト教原理主義者の方などは、キリスト教の考え方と矛盾するから進化論を学校で教えるな、と言ったりするようです。
でも、進化論って、神さまが世界を創ったっていうような話と、別に矛盾しないと思うんですよね。
聖書に書かれているとおりに、何千年か前に神さまがこの世界をお創りになったとしましょう。
でも、それは万能の神さまがなさったことなんですから、あたかも
「138億年前にビッグバンがあって、46億年前に地球ができて、そうして生命が生まれ、途方もない時間をかけて進化した結果人間が生まれた」 かのように見せかけて、この世界を創ったからなんだってことで、十分説明がつくじゃないですか。
ですから「神を信じるか否か」はあくまで個人の考え方の問題であって、科学的な思考とも合理主義的な人生観とも矛盾せず共存できるものだと思うんです。
「神々の誕生」は進化の副産物なんでしょうか。 この世界を神さまが創ったかどうかはさておいて、とにかく人類は猿の仲間から長い時間をかけて進化してきたようです。
トリーさんの「神は、脳がつくった」という本の説明では、人類200万年の進化の歴史の間に、次のような神の誕生を準備する「5つの段階」があったとしています。
そして、この進化の副産物として、神々は生まれたっていうんですね。
200万年前、脳の大きさ、知能が増大し、道具を使うようになる。 180万年前、自意識が誕生し、狩りや共同生活といった自他の意識を必要とする行動が可能となる。 20万年前、「心の理論」が発達し、他者の心を推測する能力が生まれ、相手を思いやる行動が生まれる。 10万年前、「内省的意識」が発達し、他者が自分をどう見ているかを考えるようになる。その結果、飾りを身につけたり、様々な自己装飾をするようになる。 4万年前、自伝的記憶が発達し、自分の過去や未来について考えられるようになる。道具や武器、洞窟で見つかる絵画、貴重な副葬品を合わせてする埋葬などといった技術・文化が加速度的に進展する。 このようにしてヒトが、
「自分の過去と未来を考え、死後の世界について思いをめぐらすようになったとき、神々が生まれたのだ」 というわけです。
進化によって人類が巨大な脳を獲得し、類まれな知能を駆使するようになったことの副産物として「神々を発明する必要があった」のだとするトリーさんの考えは、確かに理に適っているように思えます。
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「神々」の誕生と「ゴッド」の誕生 さて、トリーさんは、
生者と死者の関係における革命がもたらした結果の一つが、最初の神々の出現だったように思われる。(……)神々は八〇〇〇年前から七〇〇〇年前に現れた可能性があるが、もしかしたらもっと早く現れたかもしれない。
*1
と書いていて、これは農耕が始まることによって、定住が進み、死者を居住地のそばに埋葬するようになったことが祖先崇拝へとつながって、そうして神々が生まれたのだ、というのですが、ここのところはちょっとどうでしょうね。
というのは、現在でもアマゾンの奥地などには、狩猟採集を中心として半定住の原初的暮らしを続けている、たとえばヤノマミといった人々がいるのですが、彼らは死者を埋葬することはしません。
どうしてマインドフルネスの練習をすると人生が楽しくなって、仕事もできるようになるのか、今日は超絶簡単に説明してみます。
好き嫌いをなくせば、人生は楽勝モードになります。 なぜ「好き嫌い」をなくすと、「悩み」もなくなるのか。 「好き嫌い」をなくすなんてできるの? 「好き嫌い」をなくしたら、人生味気なくなりそうなんだけど……。 はじめは3回の深呼吸だけでオーケー。マインドフルネスの練習の基礎の基礎。 仏教と瞑想・ヴィパッサナー・マインドフルネスの関係。 最後にひとつだけ注意点を。魔境に入り込まないために。 好き嫌いをなくせば、人生は楽勝モードになります。 マインドフルネスという方法論は、
「今自分に起こっていることを、価値判断せずにただ観察すると、悩みはやがて消え去っていく」 という、あまりに簡単すぎて
「いきなり信じろと言われても困っちゃうなー」 的な人間心理の原則にもとづいています。
「価値判断をしない」ということを言い換えてやると、
「好き嫌いをしない」 ということになります。
というわけで、マインドフルネスの練習をすると、
「好き嫌いがなくなって、すると悩みもなくなり、つまりは人生楽勝モードになっちゃう」 という話なんですね。
「悩み」がなくなっちゃうんですから、仕事も人生も、それまでより充実するのも当然です。
とはいえ、いくらなんでも話が簡単すぎて、「そうは言われてもなー」と思われる方も多いでしょうから、もう少し説明を続けましょう。
なぜ「好き嫌い」をなくすと、「悩み」もなくなるのか。 「悩み」というのは、「いやなことが起きてしまったけど、どうしたらいいだろう」とか、「いやなことが起こるかもしれない、どうしよう」とかいったように「いやなこと」によって引き起こされます。
ですから「いやなこと」をなくしてしまえば、「悩み」もなくなります。
つまり「いやなこと=嫌い」をなくせばいいわけです。
ではどうして「好き」もなくしたほうがいいのでしょうか。
それは「好き」があると、その
「好きなことが得られないことが『悩みの種』になる」 からです。
結局「好き嫌い」をなくせば「悩み」もなくなることになります。
「好き嫌い」をなくすなんてできるの? 「好き嫌い」をなくせば「悩み」がなくなるのは、分かっていただけたとして、果たして「好き嫌い」をなくすなんてできるのでしょうか。
これは確かに簡単なことではありません。
ぼくたちは生まれてからずーっと長い時間をかけて、無自覚に「好き嫌い」を作り続けてきてしまったのですから、それを
「『好き嫌い』は今日からやめた」 といって、簡単にやめられるものではありません。
けれども、もしあなたに「やる気」さえあれば、「好き嫌い」を少しずつなくしていくことは可能です。
そしてその基本原理は
「今自分に起こっていることを『価値判断せずに観察する』」 という、ただこれだけのことなんです。
どうしてこれだけで「好き嫌い」がなくせるかというと、そもそも
あなたは自分が何を好きで何を嫌いか、「本当は何も分かってない」 からなんです。
「そんなアホな」と思うでしょうか。
もちろんあなたは「自分はこれが好きで、これは嫌いだ」と説明することはできるでしょう。
けれどもそれはあなたの「理性」が言葉で説明していることに過ぎず、氷山の一角にすぎません。
あなたが「本当のところ何を欲していて、何を避けようとしているのか」は、実のところ、「自分の体に起こる反応」を細かく見ていかないと分からないのです。
これは心理学的な実験によって確かめられていることですが、人間が自分の気持ちを知ることができるのは、まず自分の体に反応が起こるからなんですね。
体の反応を無意識のうちに察知して、それによって人間は
自分は今怒ってる、とか 自分は今悲しい、とか 感じるようにできているんです。
ですから、「今自分に何が起こっているか」を丁寧に観察する練習をすることで、自分の「好き嫌い」を体の反応のレベルで知ることができるようになったときに初めて、あなたは自分の「好き嫌い」を手放し、同時に「悩み」も手放すことができるようになるのです。
ちょっと話が難しくなってきたでしょうか。
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みなさんは「魔術」という言葉を聞いて、何を思い浮かべるでしょうか。
魔法使いのお婆さんが鍋でぐつぐつ秘薬を煎じているところ、なんてのは、ちょっとレトロすぎますかね。
何しろアニメの魔法少女がダークファンタジーの世界で活躍する時代ですもんね。
あれ、でも、魔術と魔法って、同じものなんでしょうか?
この記事では、その辺りの言葉の使い方を入り口にして、SF作家、森下一仁氏の「魔術師大全」という本を肴に、魔術を巡る駄法螺を吹くことにしましょう。
魔術と魔法と呪術とまじないの関係をコーサツする 森下一仁著「魔術師大全」を読めば、西洋における魔術師の歴史が一目瞭然! 魔術とは果たして何なのか、それは本当に存在するのか 魔術と魔法と呪術とまじないの関係をコーサツする 魔術とか魔法とかいうのは、たぶん英語のマジック magic の訳語として作られた言葉なんでしょうね。
マジックの語源は、古代ササン朝ペルシアの神官を意味するマギ magi からきていて、西欧世界の人々がペルシアという東洋の異教の儀式を「魔術」として捉えたということのようです。
日本語でマジックと言ったら、奇術や手品のことになってしまいますが、これはアメリカあたりから見世物として入ってきたマジックショーの影響でしょうか。
試しにアメリカのフリーの辞書アプリを引いてみますと一番最初に「呪文や特別の身振りによって不可能なことを実行する不思議な力」といった意味のことが書いてあります*1。
ちなみにマジック以外に魔術に当たる言葉としては、ソーサリー sorcery というのもあります。
異世界ファンタジーの分野で「剣と魔法もの」というのがあって、これは sword and sorcery の訳ですね。英雄が剣を振り回し、魔法を使って活躍する物語のことです。
また、ぼくが好きなカルロス・カスタネダの「呪術師と私」というノンフィクション・ノベルでは、メキシコの呪術師に弟子入りしたアメリカの人類学者の姿が描かれますが、この呪術師は sorcerer の訳ですから、魔術師と言ってもかまわないはずです。
この辺の使い分けは、西洋的な魔術師に対して、それ以外のアジア・アフリカ世界などの場合は呪術師になるといった感じでしょうか。
ここで改めて魔法と魔術の違いを考えてみると、
魔法は、おとぎ話やファンタジーに出てくるもの、 魔術は、西洋世界で現実に誰かが実践しているもの、 というニュアンスの違いがあるような気がします。
というところで、森下一仁氏の「魔術師大全」の話に入ることにしましょう。
森下一仁著「魔術師大全」を読めば、西洋における魔術師の歴史が一目瞭然! さて、森下さんの「魔術師大全」ですが、副題が「古代から現代まで究極の秘術を求めた人々」となっています。
アマゾンのページで内容を見ると、
魔法・魔術は奇跡を生む技であり、古くから魔術を実現するため人々は試行錯誤を続けてきた。錬金術、テレパシー、占星術、未来予知、不老不死、テレポーテーションなど、人間が古代から求め続けた魔術の真髄を解き明かす。
とあります。
つまりこの本は、古代より現在に至るまで、西洋において実践されてきたとされる「魔術」について、様々な文献からその実像を解き明かす書物ということになります。
例えば古代ギリシアのビタゴラスといえば、ピタゴラスの定理でお馴染みですから、幾何学を研究した哲学者くらいに思っている方が多いかもしれませんが、彼が数学を研究したのは、神の持つ神秘の力が数字に現れるという数秘学の思想があったからこそなのです。
現代の数学観、科学観からすれば、不思議に思えるかもしれませんが、自然を統べる法則こそ神の力の顕れであり、古代においてはその研究はまさに魔術だったわけです。
SF作家のアーサー・C・クラークは「十分に発達した科学技術は魔法と区別できない」という意味のことを言いましたが、こうした歴史を鑑みれば、そもそももともとは魔術と科学の間に区別などなかったことが分かります。
* * *
さて、時代は下って17世紀、中世のフランスの話です。
太陽王ルイ14世の愛人モンテスパン夫人が起こしたとされる黒魔術の事件は、なんともおどろおどろしいものです。
この時代、魔術はキリスト教社会では当然のように禁じられていたにも関わらず、実際にはカトリックの神父が黒ミサと称される魔術的儀式をとりおこない、世俗の人間の欲望を叶える手伝いをしていたのでした。
モンテスパン夫人はルイ14世に見初められ寵愛を受けるのですが、やがて年月が流れば、王の心は更に若い愛人へと移っていきます。
その王の心を繋ぎとめようと、夫人は黒魔術に手を染めてしまったのです。
夫人の依頼を受けて、ギブールという神父が初めに行なったのは、夫人の希望が叶うように祈る程度のまだまだ常識的な範囲のミサでした。
しかし王の心を失うことを恐れた夫人の不安は収まることがなく、ギブール神父と彼を手引きした魔女ヴォアザン夫人に、更なる魔術や惚れ薬を要求していくことになります。
やがて鳥を生贄にする怪しい儀式を行なうことになり、それでも飽きたらずついには自らの体を祭壇とする黒ミサを行なうまでに至ります。
この血に染まった黒ミサでは、モンテスパン夫人は全裸になって自らの体を祭壇としたばかりでなく、なんと人間の赤子を生贄としたというのです。
しかしそうした儀式の甲斐もなく、王の心は夫人から離れてしまい、逆上した夫人は、王の呪殺、毒殺までをも依頼しますが、当局の手がヴォアザン夫人とギブール神父に及んだためにこの暗殺計画は頓挫します。
この事件で逮捕された関係者は360人を超えたにも関わらず、その顧客に宮廷内の有力者が多かったことから、実際の告訴は110人にとどまったとのことで、有罪となった者たちは、流刑、終身刑、死刑などに処されたのですが、ギブール神父は終身刑、ヴォアザン夫人は主犯として火炙りの刑を受けることとなったのでした。
王の寵愛を受けたモンテスパン夫人には特段のお咎めはなく、その後10年の間王との親交は続き、敬虔なカトリックの信仰に戻った夫人は、16年後にひっそり息を引き取ったとのことです。*2
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wired.jp にこんな記事が出ていたました。
・悲鳴にゾッとするのは「甲高いから」ではなかった──米研究結果で判明した「絶叫のメカニズム」|WIRED.jp
ここで取り上げられている研究は二年前のもので、どうして今これを記事にしたのか不思議なのですが、ちょっとおもしろい内容なので紹介します。
甲高くて大声なら悲鳴? 音量のばらつき、ラフネスが悲鳴を決める 悲鳴の「ラフネス」が恐怖の中枢「扁桃体」を乗っ取る 「扁桃体」の過度の乗っ取りにはご用心 甲高くて大声なら悲鳴? 音量のばらつき、ラフネスが悲鳴を決める ニューヨーク大学教授で、神経科学者のデヴィッド・ペッペル(David Poeppel) さんは、15年もの長きに渡って、「恐怖による叫び声」の研究を行なってきました。
彼は同僚と共に、インターネットを隅々まで検索し、悲鳴のデータを集め、また、実際に人々を研究所に招いて悲鳴を上げてもらう、といった方法も使って「悲鳴データベース」を作り上げました。
当初、「悲鳴」を特徴づけるのは、「大声であること」や「甲高いこと」ではないかと考えましたが、実際にこの「悲鳴データベース」を音声分析した結果、悲鳴の特徴は「音量」や「音の高さ」によるものではなく「粗さ=ラフネス roughness」によるものであることが分かりました。
ラフネスは、音の大きさの変動率を意味します。
つまり「ただ大きい」のではなく、「大きくなったり小さくなったりする」ことが、人の注意を引くためには必要だということです。
普通の会話では、音の変動率は一秒あたり 4 - 5 倍程度なのに、悲鳴の場合は 30 - 150 倍にも及ぶとのことです。
悲鳴の「ラフネス」が恐怖の中枢「扁桃体」を乗っ取る ちなみに、この「ラフネス」が関係するのは、人の発する「悲鳴」には限りません。
救急車のサイレンや、家庭内のアラームなどにも同じ特徴があり、それによって人の注意を引くという役割を果たしているのです。
そして、この研究で、たいへん興味深いところは、こうした「ラフネス」で特徴づけられる音が、人間の脳の中でも「恐れ」といった感情の処理に関わる「扁桃体」という部位を活性化させたという事実です。
(ラフネスが大きいほど、扁桃体の活性化の度合いも大きくなります)
「扁桃体」が活性化されることによって、「緊急事態」用のシステムのスイッチが入ると、動物の場合は「攻撃か逃避か」といった行動をとることが知られています。
人間は、普段は比較的「理性」的に行動していますが、「扁桃体」が活性化すると「感情」優位の行動になることから、これを「扁桃体」による「乗っ取り=ハイジャック」と言ったりもします。
この研究によって、「悲鳴」というものが、この「乗っ取り」に関わるスイッチの役割を果たしていることが、実験的に確かめられたわけです。
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「扁桃体」の過度の乗っ取りにはご用心 目覚ましのアラームが「扁桃体」を刺激してくれるおかげで、毎朝遅刻をせずに、学校や会社に行けるのは助かりますが、社会生活の中で無闇に「扁桃体」に乗っ取られ続けていては、落ち着いた行動が取れなくなってしまいます。
「悲鳴」のような特殊な音のパターンだけでなく、ちょっとした音でも気になって集中力がそこなわれるようなことって、ありますよね。
毎日よく寝て、週末にはゆっくり休んだり、気分転換をしたりして、生活が健康的に回っていればいいのですが、なんだか「妙に音が気になって集中できない」とか「テレビの音がやけに頭に突き刺さってくる」みたいなことが、もしもあったら、日頃のストレスが積もり積もって「扁桃体の乗っ取り」が恒常化しているおそれがあります。
そんなときは、しっかり休みを取るのが一番です。
無理をせず、自分を十分いたわってあげてください。
あなたの感情は何種類ありますか?
のっけから変な質問で恐縮ですけど。
日本では喜怒哀楽といいますから、四種類でいいですかね。
んっ、「感情なんて、そんなふうに数えられるわけないじゃないか」って?
それも言えてます。
なんと、今までの心理学では、「幸せ、悲しみ、怒り、驚き、おそれ、嫌悪」の六つ*1が、人間の基本感情とされていたのだそうです。
それに対して、今日紹介する研究では、
被験者にビデオを見てもらい、沸き起こった感情を表現してもらったところ、 連続的に変化しつつ重なりをもつ、27種類の基本的な感情の状態が見出された、 というんですね。
というわけで、この記事では、人間の心理について、経済学との関係も含めて、ぷち考察してみようかと思います。
(元記事はこちら、英語です。→Researchers Pinpoint 27 States of Emotion - Neuroscience News)
はじめに「感情」という言葉について一言 で、感情が27種類って、どんなのがあるの? 27種の基本感情に訴えれば、キミの記事も大ヒット間違いなし - マーケティングや経営の技術としてもてはやされる心理学の話 ノスタルジアに怒りが混ざる!? 人間の気持ちの「キミョーな二重性」について はじめに「感情」という言葉について一言 ところでみなさん、「性的欲求 sexual disire」って感情だと思いますか?
日本語で「感情」という場合、「気持ち」という言葉と大体意味が重なりますよね。
そうすると、「愛情 romance」は、相手を好きに思う気持ちですから「感情」ですけれど、「性的欲求≒相手を抱きたい」というのは、「欲求」や「欲望」であって、「感情」のうちには入らないのではないでしょうか?
今回紹介する論文のタイトルは、
Researchers Pinpoint 27 States of Emotion
というもので、「研究者グループ、感情の27種類の状態を特定」みたいな意味です。
それで、この emotion という言葉を「感情」としているわけですが、もう少し正確に言えば「情動」とすべきところです。
(「情動」=「感情+欲求」くらいの意味ですね)
ですが、この記事では馴染みやすさを優先して「感情」という言葉を使いますので、ここでは感情という言葉を「感情+欲求」くらいに読み替えてね、という話です。*2。
で、感情が27種類って、どんなのがあるの? さて、27種類もの感情を羅列して説明するのも退屈ですので、
連続的に変化しつつ重なりをもつ 基本的な感情というものについて、例を上げて説明することにしましょう。
*3
下記ページを見ていただくと、27種類の感情とその重なり具合が大体わかるのですが、その左上には、「不安 anxiety 、おそれ fear 、ホラー horror 、嫌悪 disgust」が並んでいて、やや「グロい」ので苦手な方は要注意ですが、感情を説明する写真も入り、イメージはつかみやすいと思います。
https://s3-us-west-1.amazonaws.com/emogifs/map.html
(このページの図では、27の感情に A から Z と Ω の記号が割り当ててあり、図中の色がついてモヤモヤと見える部分は、拡大してみると、その記号が重なりあって表示されているのが分かります)
今まで基本とされてきた「幸せ、悲しみ、怒り、驚き、おそれ、嫌悪」と比べると、
「おそれ」と「嫌悪」に
[xevraさん、間違えてzevraさんにしちゃってました。ごめんなさーい]
この記事では、xevra さんの
・神は居る でも宗教は無力である事は証明されてる - xevra's blog
について、納得のいく点と、そうでもない点についてつらつらと書いてみます。 xevraさんが書くに、
人間、より良く生きていく上で現実を正しく認識する事は大切だ。
まったく同感です。
今我々が生きているのは、今から138.2億年前にビッグバンと言う大爆発があって宇宙が出来上がったからであるが、もし、神が居るとするならばここに関わった存在以外には考えにくい。
これは、ビッグバン仮説を信じるならば、という前提で、納得します。
しかし、こういう考えはどうでしょうか?
たとえば、ニュートンが考えるように、4000年前に全能の神がこの宇宙を無から創り出したとしたら?
もちろん全宇宙の従う物理法則から何からと、初期値としての世界のあり方もすべて含めてです。
あたかも宇宙全体が、138.2億年前のビッグバンから始まったかのような初期設定で、また、地球は45億年前に生まれ、その上で生物が生まれ、進化し、人間が誕生したかのような、精密な初期状態で世界を創り出したとしたら?
全能の神が、そのように世界を創り、しかも全能の神のみを信じるものを救うような、人類には計り知れない計画を持っていないと、論破する根拠はありうるでしょうか?
これは別に、ぼくがそのような世界観を信じるという意味ではありません。ただ、例えば、アメリカのキリスト教根本主義の方々が、このような信仰を持っていたとしても、ぼくには論破できない、という話です。
* * *
人生において大切なのは、いい人生を形作るために合理的なアクションを重ねる事だ。科学的に運動、瞑想、睡眠、野菜摂取の徹底が大脳生理にいい効果を持ち、脳の動作が安定する事は判明している。であれば、これらを徹底する事が一番重要であり、でっち上げられた宗教に入れあげる事など止めるべきだ。
「運動、瞑想、睡眠、野菜摂取の徹底が大脳生理にいい」ということは、概ねその通りだと思います。
しかし、前節で述べたように宗教的観念には一定の合理性がありますから、それを「でっち上げ」というのは、かなり「片寄った」考え方に思えます。
xevraさんの、「運動、瞑想、睡眠、野菜摂取の徹底」という考え方自体は悪くないと思いますし、ぼく自身、日頃大切にしていることです。
しかし、「宗教よりも睡運瞑菜がいい」というのは、事実というよりもxevraさんの信念でしょうし、とすれば、それを他者に「強要」するかのような言説は、ただの「原理主義的」言説にしか思えません。
xevraさんが「睡運瞑菜」を信じることで「心の安定」を計っているように、宗教によって「心の安定」を計っている方もいるわけですし、あるいは、「原子力」を信じることによって「心の安定」を計っている方もいらっしゃるわけですから、残念ながらxevraさんの「強弁」には説得力がない、としか言いようがありません。
とはいえ、人は自分がしたいことをすればいいわけですから、xevraさんが「睡運瞑菜」原理主義を貫くことは誰にも否定できないことです。
願わくば、瞑想を通じてxevraさんが「原理主義の限界」を体得していただけますように。
以上、中途半端な瞑想の心得しかないものが、余計な口出しをしてもうしわけありませんでした。
最後まで読んでいただいたみなさん、いつもありがとうございます。
それでは、みなさん、ナマステジーっ♬
カラパイアという「不思議科学系」のサイトがあります。
そちらにこんな記事が出ていました。
・多次元にもほどがある。人間の脳は最大11次元の構造を持つ可能性(代数的位相幾何学) : カラパイア
従来の数学をまったく新しいやり方で用いて、脳の構造を覗き込んだ神経科学者がいる。そして明らかになったのは、脳は最大11次元で動作する多次元幾何構造を持つということだ。
というのですから、何やら神秘的でおもしろそうな話に思えますが、さて、その実際はというと......。
この研究はスイスが主導するブルー・ブレイン・プロジェクトの一環として行なわれたもので、スーパーコンピュータを用いて、脳の機能を解明しようとするものです。
そこで使われた数学的手法は「代数的位相幾何学」だ*1というのですが、これは「グラフ理論」といったほうが適切でしょう。
そこで使われた数学的手法は「代数的位相幾何学」*2なのですが、ここでは「グラフ理論」と考えたほうが分かりやすいので、その範囲で説明します。
この研究では、
「ラットの脳の新皮質に11次元の動的な構造が見つかった」
というのですが、このときの「次元」は、「グラフ理論」においての「次元」を意味しますから、
「最大12個の神経細胞同士のすべてが互いにつながっている動的な構造が、ラットの脳の新皮質で見つかった」
という話であり、超弦理論や超重力理論の 10次元や11次元といった話とはまったく関係がありませんし、みなさんの頭の中で、高次元の不可思議な幾何学体が生成・消滅を繰り返して、人間の意識という神秘的現象が発生することが分かった、というわけでもありません。
あくまでも、「『わりと複雑なネットワーク』が脳の中で活動している」ことがコンピュータモデルで確かめられたといった程度の話です。 * * *
上記の表現で「11次元の構造」なのに「12個の神経細胞」と書いてあるので、おや? と思われた方もいるでしょう。
グラフ理論で扱うのは、「頂点」と「頂点と頂点を結ぶ辺」を扱います。
(なお、この研究では、辺に向きがある有向グラフを基本的に扱っています)
頂点が3つのとき、すべての頂点を互いに結ぶと、三角形ができます。
このように、「すべての頂点が互いに結ばれたグラフ」を「クリーク」と呼びます。
頂点の数を n とすると、クリークの次元は n - 1 となります。
3つの頂点のクリークの次元は、3 - 1 = 2 です。これは三角形が2次元の構造であることを意味します。
頂点が4つの場合はどうでしょうか。
この場合は、三角形を四枚貼り合わせた四面体の形になります。
頂点は4つなので、そこから1引いて、3次元になります。確かに、四面体は3次元の構造になっています。
この研究中の実験では、31,000 の神経細胞を含むラットの大脳新皮質から得られたデータ・モデルを用いました。
そのモデル上で、8,000万の3次元クリークが発生する中、6次元から7次元までのクリークが恒常的に現れ、最大11次元のものまで発生した例があった、ということです。
このような高次のクリークについては、今まで、生物学的な神経ネットワークとしても、人工的なニューラルネットワークとしても知られていなかったとのことです。
このような高次のクリークが作る動的構造から、実際にどのようにして脳の様々な認識機能を生まれてくるのかは、今のところ分かりませんが、大脳新皮質の神経細胞の連絡に、このような動的構造が存在することが実験的に示されたことは、脳の機能の解明に向けて一歩前進したことになりましょう。
* * *
というわけで、11次元といっても、別に「神秘的」な話ではなかったのですが、脳の神経細胞レベルの機能の解明は、まだこの程度だったのか、と逆に驚かされました。
まだまだ、これからの機能解明が楽しみですね。
なお、元記事、
・The human brain can create structures in up to 11 dimensions - ScienceAlert
には、ちゃんと、この研究でいっている「次元」が、「縦・横・高さ」の「次元」とは異なることが書いてあるんですけど、なぜか、カラパイアさんの記事ではその説明がなくなってしまっています。
そして、カラパイア版のこちらの部分。
同チームは、代数的位相幾何学(形状の変化にかかわらず、物体や空間の特徴を記述する数学)を用いて、神経細胞集合が”クリーク(小集団)”に接続されており、クリークの中の神経細胞の数が高次元幾何的オブジェクトとしてのサイズを決めることを突き止めた。
この部分はちょっと誤解があって、前にも説明したように、
[2019.05.16 更新]
みなさん、こんにちわ。
GIGAZINE のこちらの記事、
・「瞑想」で生じるデメリット「魔境」について科学的な調査が始まる - GIGAZINE
タイトルはやや大げさですが、瞑想のデメリットの一つとしても考えられる魔境についての研究を紹介しています。
この記事では瞑想と魔境について、ぼくの経験もまじえて書いてみます。
瞑想であなたも魔境に入れるのか 深い瞑想に「魔境」はつきもの そして、魔境のその先 瞑想であなたも魔境に入れるのか 「魔境」というのは禅の用語で、いわゆる「幻覚」や「自我肥大的妄想」のたぐいを表すことばなんですが、アメリカでは日本から入った禅が、マインドフルネス・ブームの前からかなり普及して実践されているもんで、そのまま「makyo」という言葉が使われてるというのが、面白いですね。
(wikipedia にもちゃんと乗ってます。・Makyo - Wikipedia)
GIGAZINE で紹介されている研究は、「魔境」とは言っても、瞑想にともなう様々な「不快な副作用」についての心理学的調査で、60人の西洋の瞑想実践者に聞き取り調査をして、「魔境」の特徴を調べたものです。
60人の中には初心者も含まれているものの、ほとんどの人が一万時間以上の瞑想をしているベテランとのこと。毎日二時間やっていたとしても、13年以上以上の経験があることになりますから、初心者で「魔境」を経験する人は少ないのかもしれません。
そういえば、映画作家の森達也氏が、自分の体験として、しばらく座禅会に通っているうちに、「視界がぐにゃりと歪んだ」ということを書いており、そのことをお坊さんに相談すると、「きみは座禅が向いてないようだからやめたほうがいい」と言われたそうです。
(この話は、オウムに関するドキュメンタリー映画「A」の続編「A2」の撮影日誌に出ていた話のはずです。記憶がおぼろなので、もし違ってたらごめんなさい)
このように、瞑想の初心者でも「敏感」な人は、「魔境」に落ちいる可能性はありますので、ご注意ください。
深い瞑想に「魔境」はつきもの さて、件の研究では、60人の瞑想者から、59種類の「魔境」が確認されたとのことで、それを
「認知的」「知覚的」「感情的」「身体的」「意識的(モティベーションに関わるもの)」「自覚的」「社会的」
の七種に分類したそうです。
報告された「魔境=不快な感覚」には、
「不安」「恐怖」「意図しない痙攣」「不眠」「感情が自分のものとして感じられない」「光と音に対する過敏症」「時空のゆがみ」「吐き気」「幻覚」「いらつき」「過去のトラウマの再体験」
*1
などが含まれ、比較的、症状の軽度な「一時的」なものから、効果が継続する「持続的」な重度なものまであったとのことです。
一日10分くらいまでの軽い瞑想では、こうした「魔境」経験はあまり起こらないでしょうが、毎日一時間もする人ならば、多くの人がなんらかのこうした経験をお持ちなのではないでしょうか。
ぼくも十日間合宿の瞑想コースでは、「これが永遠というものかー」とか思ったことがあります。
また、もともと緊張しやすいタイプだったのですが、瞑想をすることで体に対する感覚が敏感になったことが合わさり、このところ始終「腰の緊張」を意識せざるを得ないはめになり、結構精神的にきつい状態になっています。これを受け止めてきちんと瞑想を自分のものにしようと目下健闘中です。
(現在は落ち着いています。2019.5.16記)
瞑想には、心の中のもつれを解いてくれる効果がありますが、心の底に沈殿していた「問題」が浮上してくることにより、このような一時的な「悪化」も起こります。
このとき周りからの支えがないと、一人で乗り切るのはきつい場合もありますので、一人で深い瞑想を試みる場合は、その辺りのことをしっかり覚悟しておくことが必要です。
そして、魔境のその先 GIGAZINEの記事で紹介された研究は、聞き取り調査による体験者の経験にもとづいて「魔境」の経験を調べたものですが、LSD・マリファナ・シロシビンなどの幻覚剤を使った脳神経科学的な研究も欧米では盛んです。
LSDのような強い幻覚剤ではバッドトリップと呼ばれる「魔境」体験がつきもの。ぼくも法律で規制がかかる前の2000年頃にはマジックマッシュルームという幻覚作用を持つきのこを摂って恐ろしい「妖怪」世界を経験しました。
このような幻覚作用を持つ向精神性物質による変性意識と、瞑想による変性意識との比較研究も今後ますます盛んになっていくと思われます。
仏教的な瞑想では、こうした「魔境」をただ心が創りだした「幻」であるとして、それを何か重要なことであると見ることをせず、また異常なものとして恐れて追い払うこともしない、「いつでも平常心」であることを理想とします。
2,500年前にお釈迦さまが考案した瞑想法が形を変え、マインドフルネスと名前を変えてビジネス界でももてはやされる今日このごろですが、科学的な技術の進歩によって、
「ようやく西洋の先端が、東洋の叡智に追いついてきた」 といってもいいのではないでしょうか。
というところで、今日は、ゴエンカさん方式ヴィパッサナー瞑想を練習中のわたくしが、瞑想と魔境について大風呂敷を広げさせていただきました。
どうやら、おあとがよろしいようで。
それでは、みなさん、ナマステジーっ♬
☆こちらの記事もよろしければ、どうぞ。(別サイトの記事です)
・ネットで瞑想の危険性を調べているあなたへ - 24 時間の瞑想術
・魂の次元: 不思議なきのこを科学する - そして瞑想と悟りへ
*1:この部分GIGAZINEの訳が原文と少し違うので訳し直しています。原文: feelings of anxiety and fear, involuntary twitching, insomnia, a sense of complete detachment from one’s emotions, hypersensitivity to light or sound, distortion in time and space, nausea, hallucinations, irritability, and the re-experiencing of past traumas