※ 参考記事 http://delete-all.hatenablog.com/entry/2018/08/17/190000 誰にでも苦い過去というものがある。 苦い過去の記憶を、苦いままに持ち続けて悪い理由もないのだが、その苦さに曇った結ぼれの記憶を、洗い浄めて水晶のように澄み切った結晶にすることもできる。 一度限りの人生を最大限に楽しむためには、苦労してでも知っておく価値のある命の技法だ。 この世に生まれ落ちて、誰かに頼らなければ生き延びることのできなかったぼくたちは、周りの価値観を手当たりしだいに飲み込まざるを得なかったのだし、そうやってエゴを育てることで、今のキミは創られてきたのだ。 けれどもエゴというものは奇妙な存在で、快楽を求めるがゆえに、不快な感覚にすら慣れ親しんで、そこからも快楽を得ようとする。 たとえば自己憐憫という甘い快楽だ。 どうしてあのときキミは、あんなことをしてしまったのだろう。 友だちのためを思って、優等生のキミは行動していたはずなのに、実際にはキミは友だちにウソをつき続けていたのだ。 友だちにだけではない、キミは自分にもウソをつき続けていたのだ。 だからキミはその友だちに「嘘つき」と呼ばれたときの、恥ずかしいような逃げ出したいような気持ちを忘れることができず、その気持ちを思い出しては自己憐憫に浸ることになる。 そうして、その自己憐憫を抱え続けている間は、キミは自分を欺く人生を生き続けるのだ。 ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ☆<スポンサード・リンク>です。 ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ 自己憐憫とは「偽りの自分」を甘やかし、「本当の現実」からキミの目を背けさせるための甘い誘惑だ。 一度限りの人生を心の底から楽しみたいのなら、そんな自己憐憫に浸っている暇はない。 過去の自分の罪悪感など、その気になればいつでも捨て去ることができる。 そのことをまず、キミは思い出さなければならない。 記憶というものは結局、脳神経に刻み込まれた動的で複雑怪奇なパターンにすぎない。 手品のようにそのパターンを、一瞬のうちに書き換えることはできないが、それを変えようとキミが本気で望むのならば、丸ごと捨て去ることだって不可能ではないのだ。 キミはまず、子どもだった自分が、自分を騙し、友だちを騙しながらも、ベストを尽くして生きてきたことを思い出さなければならない。 「子どもだったキミの限られた経験値の中では、あのとき自分に正直になった上で、友だちにも正直に接することはできなかったのだ」 という過去の現実を、罪悪感なしに客観的に見ることが、大人になったキミには可能だ。 「自分は嘘つきで友だちに責められるダメな人間だ」 という記憶を 「子どもだったぼくには嘘をつくことしかできなかったけれど、そこから学んだぼくはもう嘘をつく必要はない」 という新しい記憶に置き換えてやればいいのだ。 そのとき「嘘をついた自分」に「嘘つき」と言ってくれた友だちの姿は、光り輝く大切な記憶となって、キミの心の奥底にしまわれて、いつもキミに生きる力を与えてくれる存在になるだろう。 過去を書き換える方法を知らないキミは、今日も自分に嘘を言い続けている。 うんざりしながらも、他人に親切な振りをして、自分の心をすり減らし続けているのだ。 そうして自分にはこのやり方しかないのだと、自己憐憫の甘い快楽に浸り続ける。 けれども過去を書き換える方法が分かった以上、いつまでも昨日のやり方にしがみつく必要はない。 キミが他人に親切にするのは、誰かから押しつけられた価値観によってではなく、それがキミにとっても気持ちよいときだけにするのだ。 無意識のうちに取り入れてしまったルールを一つひとつ検討し、記憶と行動のパターンを再構成してやるのだ。 あせらずにできる範囲で、できるところから、自分の記憶を書き換え、自分の行動を置き換えていけばいい。 話としては簡単でも、実行はもちろん難しい。 満足できるところまで書き換えるのには、うんざりするような長い道のりが待っているかもしれない。 それでもキミは、今からその道のりを歩み始めるのだ。 自分の人生に納得できないのは、自分に嘘をつき続けてきたからだと、キミはもう知ってしまったのだから。 最高の人生を生きるためには、それ以外の道はないことに気づいてしまったのだから。

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反航路 (id:giveus) さんの記事 ・机の上にある絵 - いのちばっかりさ を出発点に、つれづれに考えたことをしるします。 メメント・モリ - 死を想って、人生を謳歌する メメント・モリ - 死を想って、人生を謳歌する ぼくには三つ年上の兄がいるのですが、その兄が中学の工作で、ドクロと "memento mori" という文字を彫った小さな木箱を作っていたのを、四十年以上たった今でもよく憶えています。 反航路さんが、「メメント・モリ=死を想え」というフレーズに、どんな想いを込めているのかは知る由もありませんが、その言葉が「いつも手を伸ばせば届くところ」にあるという共通点に、いくばくかの「縁」というものを感じて、そこを出発点に文章をつづってみている次第です。 ぼくが好きなアメリカの作家カルロス・カスタネダのドンファン・シリーズには、"death as an advisor" という言葉が出てきます。死を助言者にしろ、というわけです。 カスタネダが弟子入りしたメキシコの呪術師ドン・ファンは、「死」というものが、いつでも左後ろを振り向くと「そこにいるのだ」と言います。 そして、その存在を忘れず、「死」を助言者とすることで、よりよく生きることができるのだ、と。 この言葉が第一に意味するところは、 人間というものは、いずれ遠からず死んでしまうのだから、今を精一杯生きるべきだ、 ということです。 日常というものに慣れ親しんでしまい、日々をのんべんだらりと生きてしまいがちなぼくたちにとって、一瞬一瞬を十分に味わってしっかりと生きるために「死」を意識することは、確かに大切なことでしょう。 一方で、仏教的な「無常」という観点から見ると、 やがては「死」で終わるのだから、「無常」でしかないこの世の価値観にとらわれることなく、自由に真実の命を生きよ、 という解釈も成り立ちます。 自分で望んで生まれたわけでもないのに、わけの分からない世間のしがらみに縛られて、砂を噛むような毎日を過ごしていると、なんのために生きているのかも分からなくなり、 さっさとこの世から消えてなくなりたい、 というような思いも湧いてきます。 そんなとき、自分が縛られていると思っている「世間のしがらみ」というものが、本当のところは実体のない、ただ移ろいゆく「観念」の集まりにすぎないことを思い出すことができれば、その「観念」を手放して、肩から力を抜き、全身をゆるめて、 心も体もゆっくりと休めるだけの「小さなゆとり」を持つこと だってできるはずです。 ぼくらを縛っている「観念」というものが移ろいゆく「無常」のものであるのと同様、ぼくらの「命」自体もまた移ろいゆく「エネルギーの流れ」にすぎません。 それはやがては「死」によって終わることになる「他愛のない自然現象」にすぎないのですから、それにまとわりついて今ここにある「しんどさ」もやはり「どうということのない」移ろいゆく自然現象にすぎません。 雨降りが嫌いでも、降る雨を止められないように、「しんどさ」を嫌っても、それを止めることはできません。 雨が降ったら、降り止むのを待ち、あるいは濡れないように傘をさします。 同じように、今ここにある「しんどさ」も毛嫌いすることなく、ただ認めてやり、それが自然に消え去っていくだけの時間と注意を与えてやればいいだけのことです。 そうやって「不快な感覚」を毛嫌いすることをやめられれば、そのもととなっている「観念連合」も弱まり、やがてはほどけていきますから、今はあなたを執拗に縛っている(としか思えない)「観念連合」の全体ですら、いずれはまったくなくしてしまうことだって、理論的には可能なことなのです。 こんなことを書いているぼくの頭の中にも、自分を縛りつけている「観念連合」はまだまだたくさんあるのはもちろんですが、こうして「死を想え」という言葉を思い出すことで、少しずつ心の奥底に溜まった澱をきれいにしていけたらなー、などと思いながら、こんな文章を書いているわけでして。 ですから、「人生を謳歌する」というような境地には、なかなか達することができないのですが、いつかはそんな境地に達することを願って、「一歩いっぽ歩いていくしかないのよね」という当たり前の結論を書いて、この短い記事はおしまいにします。 なお、カスタネダのドンファン・シリーズのうちでは、四冊目の ☆「力の話(新装・新訳版)」(2014 太田出版) https://amzn.to/2nHNO9B (←アマゾンでご覧ください) がおすすめです。 これ一冊で十分完結していますので、西洋的な合理主義とも、東洋的な世界観とも違う、また別の価値観に興味のある方は、一読してみると必ず得るところがあるものと思います。 てなわけでみなさん、ナマステジーっ♬

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omion さんの7月7日のツイート*1、 オウムでサリンつくった人たちだって蒔いた人たちだって「人を殺す犯罪」をしようとしたんじゃなくて「理想の社会を作る正義」のための戦いをしようとしてたんですよ。良かれと思っての行動なんですよあれ。 当時は「宗教ってやばいな」と思ってたけど、今は「正義ってやばいな」と思うようになった。 が、25,000件以上リツイートされており、そこについたリプライを見ると、多くの方が「絶対的な正義はない」という健全な理解をしていることが分かります。 この記事では、「絶対的な正義はない」と考えるとき、ぼくたちはどのように判断の基準を持てばいいのか、また人間の振る舞いを「権力ゲーム」と見たとき、そこで「幸せなプレイヤー」になるためにはどんな資質が重要なのかを「自己肯定感」というキーワードを使って考えてみたいと思います。 結論: 人の意見を鵜呑みにしないこと、分からないことは分からないままに判断を保留すること、きちんと自分に自信を持つこと なぜ正義は「やばい」のか。すべての正義は「やばい」のか。 権力ゲームの遊び方 「世界の偶然性」に向き合うために「自己肯定感」を育てる 結論: 人の意見を鵜呑みにしないこと、分からないことは分からないままに判断を保留すること、きちんと自分に自信を持つこと 「絶対的な正義」という確実な判断基準がない中で、幸せに生きるためのぼくなりの「三つの指針」をまず明らかにしておきます。 それは、 人の意見を鵜呑みにしないこと、 分からないことは分からないままに判断を保留すること、 きちんと自分に自信を持つこと(自己肯定感) の三つです。 それぞれの意味するところについては、順に説明していくことにして、まずは、「正義のやばさ」に話を戻しましょう。 なぜ正義は「やばい」のか。すべての正義は「やばい」のか。 omionさんがオウム事件に関して、 当時は「宗教ってやばいな」と思ってたけど、今は「正義ってやばいな」と思うようになった。 と言っているのは、 宗教は全部やばい、とか あらゆる正義がやばい、 という意味ではおそらくないでしょう。 宗教にしろ、正義にしろ「盲信することは恐ろしい」ということが言いたいのだろうと思います。 けれども、ゆっちさんが引用するドラえもんの言葉、 「どっちも、自分が正しいと思ってるよ。戦争なんてそんなもんだよ」 https://twitter.com/Yutti114514/status/1015882463514537984 を見ても、国家が「正義」と呼ぶものですら、十分吟味する必要があることは明らかでしょう。 とすれば、 「オウムのような狂信的な正義がやばい」 というよりは、 「どんな正義も、それが場合によっては他者を抑圧しうることを考えれば、ある程度のやばさを隠し持っている」 と考えたほうがいいでしょう。 ですから、三つの基準の一つ目に挙げた、 「人の意見を鵜呑みにしないこと」 ということが大切になってきます。 どんなに偉い人や、どんなに頭のいい人が言うことでも、またどんなにたくさんの人が信じていることでも、 いつでも確実に正しいと言えるわけではない、 のですから、なんとなく信じて、鵜呑みにしてしまうようなことには、危険がともないます。 もちろん、一人の人間が自分の経験からあらゆることについて正しい意見を持つことなどできませんから、信頼できる人の言うことを「多分そうなんだろうな」と少しだけ疑問を残しながらとりあえず信じておくことは、生きる上で役に立つことです。 けれども、偉い人や、賢い人が、あるいはたくさんの人が言っていることだからと言って、 「きっとそうに違いない」 と条件反射的に思ってしまうとしたら、非日常的で重要な局面では命を落とすことにもなりかねません。 2011年3月11日の津波で「大人の常識」にしたがったために命を落とすことになった宮城県石巻市の大川小学校の子どもたちのことを考えれば、ぼくが言っていることの意味は分かってもらえるでしょう。 リチャード・ロイド・パリーの「津波の霊たち」によれば、教員の指示で子どもたちが校庭にとどまっていたとき、二人の子どもが「危険だから山に逃げるべきだ」と言っていたことが記されています。 このとき大人たちに「子どもの直感」に耳を貸す知恵の持ち合わせがなかったために、「児童・教職員合わせて84名が死亡・行方不明」という大惨事を引き起こすことになってしまったのです。 この二人の子どもが「健全に教師を疑って」裏山に逃げていたら、命を落とさずに済んでいたのに、と残念でなりません。 ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ☆ここでちょっと一休み、<スポンサード・リンク>です。 ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─

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この記事のタイトルを読んで、 「なにっ、若者をリスペクトするだとっ!」 と思ったあなた、この記事はあなたのために書かれたようなものなので、どうかもう少し読み進めてみてほしい。 ヒデヨシさんの OSSAN NO OWARI 計画(仮称)が泣けた 世のオッサンたちよ、若者をリスペクトして、OSSAN NO OWARI 計画を補完せよ ヒデヨシさんの OSSAN NO OWARI 計画(仮称)が泣けた ヒデヨシさん(https://twitter.com/cook_hideyoshi)の記事、 ・心のオッサン化を防ぐためにはどうすればいいか真剣に悩み、そして解決策を考えた。 - 俺の遺言を聴いてほしい は、30代に入り「心のオッサン化」が進んでいるあなたなら、共感するところ多いものに違いない。 彼の言葉を引いてみよう。 心のオッサン化は無関心から始まる。 服に興味がなくなり、テレビの話題はわからず、若者が理解できない。 若者の文化に否定的になり、今どきのアプリにも音楽にも触れようとしない。 今の時代が全くわからなくなって、自分が若かった頃の思い出にしがみついて生きていく。 これが心のオッサン化である。 「今」が分からなくなり、「昔」の思い出にしがみつく。 ぼくくらいの50過ぎのジジイになれば、それもいいだろうが、30代に入り自分の「老い」に気づくのは、なかなかさみしいものだ。 そこでヒデヨシさんは三つの対策を考えた。 仮に OSSAN NO OWARI 計画と名づけよう。 毎週1曲、iTunesで音楽を購入する、という試み。ダウンロードランキングで上位の曲をランダムに購入し、一週間聴くことで、最新の音楽に精通する。 毎月1回は本屋に寄って、ファッション雑誌を購入するという試み。 そして、テレビの話題の収集。 どの対策もヒデヨシさんらしい、生真面目で、しかしどこかトボけた論考が添えられてあり、みなさんにも是非ご一読をおすすめするが、ここではテレビの話題に関して、もう少し紹介してみよう。 ネット全盛のこのご時世に、なぜ「テレビ」なのだろうか。 ご存知の方は少ないかもしれないが、ヒデヨシさんは、読者が 2,500 人近くもいるはてなブロガーであり、twitter のフォロワーは 33,000 人を超えるという大物ツイッタラーである。 そのヒデヨシさんが、裏垢大物ツイッタラーとしての自分の知名度を、渋谷で街行く人に該当直撃インタビューした記事がこちらである。 ・ツイッターのアルファアカウントが実際にどれくらい知名度があるか、街でアンケートを取って調べてみた。 - 俺の遺言を聴いてほしい これまた大変おもしろい記事なので、お時間のある方は是非ともご一読願いたいが、結論だけ述べると、 フォロワー数 3 万の匿名アカウントなんて、知名度ゼロに決まってるじゃん というあまりにも当たり前の事実である。 ヒデヨシさんは、こう語る。 リアルに生きる人達は、テレビで見るお笑い芸人のことは知っていても、フォロワー数万人のツイッターアカウントの存在は知らない。 というわけで、テレビの話題が重要になるのだ。 しかし、である。 哀しいかな、オッサンにはテレビを見る時間がない。 そこで策士ヒデヨシ(以下敬称略)は、考えを巡らせた。 「おれには確かに時間はない。だがおれは、フォロワー数 3 万を超すアルファツイッタラーだ。おれはツイッターによってテレビを制する。名づけてアルファ・カダブラの術!」 「テレビをじっくり研究する」時間が取れないヒデヨシは、 ツイッター検索の「話題」のところに出てきたテレビ番組のタグを使って検索し、 キャプチャやコメントを高速読破して知ったかぶりをする という高等戦術を編み出したのである。 果たしてヒデヨシは、このアルファ・カダブラの術で、情報の断片を拾い、実戦で通用するほどの知識を集めることができるのか?

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ニッポンのがんばりすぎの皆さん、おはようさんです。 ぼくは五十を過ぎて、奥さんともどもインド辺りをふらふらし、ロクに仕事もしないで、瞑想ごっこをしているような人間です。 世の真面目に働いている方々のうちには、「ダメ人間の典型」みたいに思われる方もいらっしゃることでしょう。 けれどもぼくは、自分にはこの生き方しかないんだし、それでいいんだ、と思っています。 そして、今の日本の「しんどい」状況の中、「がんばれない」で悩んでいるあなたに、 「無理にがんばる必要はない」 ということを伝えたいんです。 「がんばるのをやめて別の道を選ぶ」ことには、勇気がいるかもしれません。 でも、先のことばかり考えていると身動きが取れなくなって、自分が潰れてしまうこともあります。 人生には、長い目で見なければ分からない、不可解な経験がつきものです。 その意味では、自分が潰れる危険をおかすのも、一つの経験なのですが、できれば、そうならないうちに手を打ったほうがいいかもしれない……。 「思い切りよく、その場その場の感覚だけで、人生を生きてきた」ぼくのこれまでの経験が、ひょっとしてあなたの参考になったらいいなと思って、この記事を書いています。 ちょっと、無茶苦茶すぎる人生なんで、あんまり参考にならない気もしますけど(笑)。 そして、「あなたの参考に」とは書きましたが、途中まで書いてみて分かったのは、ぼくは、心の底に淀んでいる澱を、こうやって記事にして、きれいさっぱり捨て去ってしまいたいんだなぁ、ということ。 結局のところ、それがこの記事の意味ですので、ぼくのカルマの成仏を手伝ってくださるみなさん以外は、これ以上読み進める必要はないかもしれません。 はじめて会ってからひと月ちょっとで結婚した話 二回目の結婚も知り合ってひと月ちょっとでした話 そして数々の修羅場を越えて今に至った二度目の結婚 はじめて会ってからひと月ちょっとで結婚した話 それは、バブル景気もそろそろ崩れ始めたころ、ぼくが27歳になる年の5月のことでした。 当時はインターネットというものはまだなかったのですが、パソコン通信というテキストベースでやりとりをするシステムは世の中に存在していました。 東京の江戸川区に住んでいたぼくは、友だち数人と一緒に小さなパソコン通信のサイトを運営していたのですが、そこで友だちの友だちである、二歳年下の女の子と知り合ったのです。 そして、知り合ってひと月も経たないうちに「結婚しない?」と軽くプロポーズしてしまったのです。 すると意外なことに、相手の女の子から、イエスの返事が貰えてしまい、しかも彼女が「ジューン・ブライドがいい」というので、なんの準備もないまま、とにかく双方の親に挨拶だけは済ませ、6月中のある日に役所に婚姻届だけを出したのです。 その頃、ぼくは男の友だちと鉄筋アパートをシェアしていて、彼女の方はアパートで一人暮らしでした。 それで、ぼくらは一緒に住むこともせず、最初の半年ほどは、ぼくが彼女のアパートに頻繁に遊びに行くという形で、通い婚のようなことをしていたのでした。 とまあ、そんな次第ですので、全然普通の結婚じゃありません。 この調子で話を続けると、超大作になってしまうので、はしょりますが、そんな普通でない結婚に応じてくれた彼女でしたが、ぼくの余りの常識知らずな行動にそのうち見切りをつけることになります。 ぼくは無謀にも東京を捨てて、南伊豆に引きこもる計画を立て、彼女はそこまではついてきてくれたのですが、いつまで経っても仕事もせずに、畑のまね事をする以外は、ぼーっとしているだけのぼくに、やがて愛想をつかし、離婚すると言い出したのです。 今から考えれば、まったく当たり前の話ですが、ぼくの頭の中はどうも少し普通ではないようで、どうして彼女がそんなことを言い出すのか理解することができず、なんとか考えを変えてもらえないかと、しばらくの間、彼女を説得しようとしました。 けれども、そんな状況で説得がうまくいくはずもなく、彼女の意志が固いことを思い知らされて、離婚を受け入れました。 結婚して四年ほど経ったときのことでした。 喧嘩別れしたわけではありませんでしたので、離婚してからも時々顔を合わせることはあり、なんとか復縁できないものかと、ぼくのほうは思っていたのですが、あるとき、彼女から「最終的な別れ」の手紙をもらい、「あー、これでもう、彼女とはお別れなんだな」と分かりました。 今思い出しても、悲しさが込み上げてきますが、ぼくという人間の身勝手さを教えてもらった彼女には、本当に感謝しています。 彼女は再婚して、子どももおり、幸せに暮らしているということを、ネットづてで知り、ああ、やっぱり、あれでよかったんだなと、今では納得しています。 二回目の結婚も知り合ってひと月ちょっとでした話 前の項を読んで、このこの項のタイトルを見たあなたは、 「きみは一回目の結婚から何も学ばなかったのか」 と思われたかもしれません。 たぶん何も学んでいなかったのかもしれません。 人間って、何度でも同じ間違いを繰り返すものですよね。 えっ、あなたはそんなことはない? それはすばらしいことです。 でも、世の中にはぼくのように、何度でも同じ間違いを繰り返す人間は少なからず存在するのです。 これがカルマってやつでしょうか。 最近は瞑想をやって、カルマ落としに励んでるんですけれども。 それは、ともあれ、一回目の結婚から十分には学んでいなかったと思われるぼくは、離婚してから四年が経ち、33歳のときに再び、出会ってひと月ちょっとの、今度は同い年の女性と結婚することになったのです。 そして、十分な学びができていなかったぼくは、結婚して二年ほど経った頃に、またしても奥さんから「別れ話」を切り出されてしまうのです。 そして数々の修羅場を越えて今に至った二度目の結婚 ぼくという人間は、「人の気持ちを感じ取る能力」にかなりの「欠損」があるようで、最初の奥さんについても、ぼくの身勝手な行動で彼女が「どれだけ困っていたか」をまったく理解できていませんでした。 同じように、二番目の奥さんについても、ぼくと一緒に暮らすということが、彼女にとって「どれだけ負担になっているのか」が、これもまったくといっていいほど理解できていませんでした。 けれども、彼女に別れ話を切り出されたとき、ぼくは 「きみがどうしても別れたいというのなら、それでかまわない。だけれども、今までぼくたちが一緒に暮らしてきた時間には意味はなかったんだろうかねぇ」 と言って、涙を流しました。 彼女はとても優しい人なので、それで思い直してくれて、それ以降、そのような形で「別れよう」と言うことはありませんでした。 とはいえ、それで問題が片付くはずもありません。 というか、それからが本番だったのです。 ことあるごとに、彼女は、ぼくの行動の身勝手さや嘘やずるさを、巧みな論理と感情に対する揺さぶりで、情け容赦なく攻撃してきます。 (なお、攻撃の内容は、ぼくの行動が彼女の気持ちを傷つけたことや、ぼくがロクに働かないこと、金銭に意地汚いこと、などです) そのたびにぼくはノックアウトされて謝り、彼女の言うがままに約束をするのですが、その約束を守ることがぼくにはできません。 まさに、ダメ人間です。 けれども不思議なもので、ノックアウトされるごとに、こちらの覚悟もできてくるというのか、彼女の言う正論の中にも「身勝手」さがあることに気づいてきますし、お互いの関係性というものが、徐々に変わってくるんですね。 そうして、この六年ほどは、二人ともヴィパッサナ瞑想をやるようになったことも手伝って、互いに感情のぶつけ合いをするようなことが、だんだん少なくなってきました。 ぼくの身勝手な言い分としては、「どうしてぼくばかりこんなに責められなければならないのか」という気持ちでいたのですが、ある意味それは自分で撒いた種なんですよね。 でも、同時にそれはお互いの関係性の問題でもあるので、彼女のほうがぼくを「変えよう、変えよう」としても、ぼくはやっぱり変わらないし、変えられない。それぞれが少しずつ変わっていく中で、それが相手にも伝わって、また互いに変わっていく。 そういうことなんだと思います。 そんなこんなで、今の奥さんとの結婚は、もうじき18年になろうとしています。 この18年、ぼくはぼくなりに頑張ってきたのだと思いますが、何かを無理に我慢するというのは、嫌いなんですよね。 もちろん、好き勝手にすればいい、というものではないのですが、「社会的な常識」とか「人の思い込み」に勝手に嵌めこまれても困る、といった感じでしょうか。 日本ではどうしても「周りに合わせるためにがんばる」ことになりがちです。

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としべえ2.0β

北インド・ハリドワル辺りに出没中。

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宇宙のど真ん中