はてな村のみなさん、こんにちわー。
一昨日は
うちの奥さんは明太子だった話 - *魂の次元*
なる記事で、「妻が椎茸」な話や、「奥さまは明太子だったのです」といった話題を展開させていただきましたが、ふだんは記事ひとつ書いて閲覧数が 20 もいけばいいくらいの当閑古鳥サイトといたしましては、破格の三桁越えの来訪者を数えましたことにつき、読者の皆さまのご愛顧の程に深く感謝する次第であります。
そこで今日は、「超巨大めんたいこの逆襲」と銘打って、好評の明太子シリーズ第二弾を...... 、と思ったのですが、ちょっと疲れて気味でいるものですから、その話はまたいずれ、ということにさせていただいて、前の記事の「奥さまは明太子」の続きと、そこにいただいたコメントを紹介する形で、人間の記憶の不思議について軽く思いを巡らせてみたいと思います。
昨日の記事では、うちの奥さんが、いつも食べてるにも関わらず、「明太子」という文字をメニューで見て、「明太子ってなんだっけ?」と聞いた、という話を紹介しましたが、まずは、この不思議な「ど忘れ」について、もう少し話を続けることにします。
うちの奥さんはものを思い出すとき、そのものの映像が頭の中に浮かぶタイプの人です。
ですから、普通なら「明太子」という文字を見ると、「明太子の映像」が頭の中に浮かぶわけです。
逆に言うと、「ど忘れ」してしまったときには、「明太子の映像」が出てこなかったわけです。
そして、今日話していて分かったことは、彼女は普段漢字の「明太子」ではなく、ひらがなの「めんたいこ」として、[明太子] を捉えているということでした。
つまり、「めんたいこ」というひらがなの文字映像から「明太子の映像」への記憶回路は、いつも使っているからすぐ出てくるのに、「明太子」という漢字の文字映像を見たときには、「明太子の映像」が出てこず、[めんたいこ] という「読み=音」は出てきたのだけれども、その先の「明太子の映像」にまでは至らなかったものと思われます。
さて、id:ad2217 さんにいただいたコメントですが、彼は「明太子」と「めんたいこ」がつながらないことはある、とのことで、察するに、彼も映像想起型の記憶回路の持ち主と思われます。
ちなみにぼくの場合は映像想起型ではなく、「明太子」という文字映像を見ると、まず頭の中に [めんたいこ] という音のようなものがぼんやり浮かびます。と同時に、なんらかの「明太子複合体」が活性化され、「明太子ってのはあんなのだよなー」というようなぼーっとした何かが想起されるのが、ぼくにとって「何かを思い出す」ということを意味します。
(あんまり説明になってなくてすんません)
そしてこのとき、決して映像は出てきません。
というのも、ぼくは頭の中で線一本、丸一つ描くことのできない特殊無能力者だからです。
小学校の国語の時間に先生に、「ではみなさん、目を閉じて、このお話の情景を想像してみてください」などと言われて、まあ、先生に言われるんですから、一応目を閉じてみたりはするのですが、頭の中に絵を描くなんて、そんなことができるわけはないのですから、先生の言っている意味が分かりません。
「ほかのみんなは目をつぶって何をしてるんだろう」などと思いながら、そっと目を開けて周りを見回していたりしたのも、今となるといい思い出です。
それはともあれ。
id:mamichansan からは、食べ物の名前はしょっちゅう忘れる、直近では奈良漬を忘れた、というご報告をいただきました。
また、id:tawashix さんの奥さんも、食べ物の名前はしょっちゅう忘れるそうで、しかも何を忘れたかも思い出せないという、ストレートなお答えをいただきました。
ぼく自身、人の名前や場所の名前は忘れても、食べ物の名前はあまり忘れないことを考えると、女性と男性の行動の違いから、女性のほうが食べ物の名前を忘れやすいと言えるのかもしれません。
ちなみに、うちの奥さんの場合は、頭の中に [明太子] を思い浮かべて「明太子」という言葉が出てこなかったわけではなくて、逆に「明太子」という文字を見て、[明太子] が何か分からない、映像が出てこない状態だったわけですので、こちらのタイプの「ど忘れ」が、どのくらい普通のものなのかについては、今後の研究課題とさせていただきます。
また、うなぎ文である「奥様は明太子」関連のコメントとして、id:watto さんより、「こんにゃくは太らない」、「しいたけも太らない」というたぐいの「こんにゃく文」の存在をご教示いただきました。これについても「明太子はやせるのか」など、調査研究を続行したいと思います。
そして、id:kenzy_n さんからは、今回はじめてコメントをいただきましたが、こちらは「妻が椎茸」ネタで、「みんな前世は美味しいものだった」という心温まるお言葉でした。
わたしも、かつて日本海を泳ぐ鱈の腹の中で明太子だったころの記憶が、うすぼんやりと頭の中よみがえってきたような気がします。あっ、漁船が近づいてきて、お母さんが網にかかってしまった...... 。
とまあ、そんなところで、おあとがよろしいようで。
それでは、みなさん、ナマステジーっ。
はてなのweblogサービスを利用なさっているみなさん、こんにちわ。
みなさんは、はてな匿名ダイアリーというサービスはご存知でしょうか。
匿名のサービスとしては、蝶有名な巨大掲示板の 2 チャンネルというものがありますが、あちらはかなり癖があり、ぼくのようなシロウトにはやや縁遠く感じられる存在です。
それに比べると、はてなの匿名ダイアリーは、だいぶライトなタッチでありまして、書き込みをしたことこそありませんけれども、ブックマーク経由で知った記事をたまに読むことがあり、日本の社会環境の中では、こうした匿名サービスにも一定の役割があるものだよなぁ、と感慨に耽る今日このごろです。
というわけで、今日ははてな匿名ダイアリーの
[ニート日記]ニートが夢から覚めたとき
という記事について、つらつらと書いてみることにいたします。
今日の結論は、
「ブッダの夢、最高。呼吸と体の感覚を見るだけで、幸せが手に入るんだもん」
です。
「大学を出れば何とかなる」というニートの夢 重い「想い」を吐き出して、悲観から楽観へ 心のもつれを解くために体を動かす ふたたびのニートの夢、そしてブッダの夢 「ブッダの夢」は、とある王子の苦悩から生まれた ブッダの教えた「苦しみを越えるシンプルな方法」 正しく見るためのシンプルな瞑想法、ヴィパッサナー ぼくたちは、いかに「ありのまま」を見ていないか 呼吸と体の感覚を見るだけで、なぜ「真理」に到達できるのか ブッダの夢ふたたび 「大学を出れば何とかなる」というニートの夢 上記の匿名ダイアリーの記事では、現在、三十路目前で、ずっと在宅で引きこもり浪人をされてきた青年が、
「大学に入りさえすれば明るい未来が開ける」という夢を見続けてきたが、現実を直視したとき、浪人や留年が 2 年以上になってしまうと就職に不利であるという定説からすれば、十年も引きこもりをつづけた自分が、どんな大学のどんな学部を卒業しようが「まともな職につけるはずがない」、「大学さえ出ればなんとかなる」などという夢を見るのはもうやめて、「就職を考えたほうがいいのだろうか」
といった内容を書いてらっしゃいます。
ところで、匿名ダイアリーは英語では「アノニマスダイアリー」ということになっており、こちらの中三文字を取って、「マスダ=増田」というのを、記事の書き手の呼称として使う習いになっていますが、こちらの増田さんを、当記事では「三十路目前」というところから「もくぜん」さんと呼ぶことにします。
このもくぜんさんの記事に対して、29歳で大学三年の別の方が、
現在29歳で大学3年生の者です。将来のことを不安に思うお気持ち、よくわか.. で、
「20代後半から30代で大学に入りなおす人間は意外に多いし、大学には相談できる職員やカウンセラーもいるので、必ずしも就職のためではなく、経験の幅を増やすためにも大学に行くことをすすめる」
という内容の記事を書いてらっしゃいます。
こちらの方には「就職しなければならない」というようなこだわりは一切感じられず、まったく健全かつ楽観的な方ですので、「けんぜん」さんと呼ぶことにしましょう。
もくぜんさんの「悲観」に対し、けんぜんさんの「楽観」のほうが生きる力に満ち溢れているのは明らかですが、もくぜんさんタイプの方がけんぜんさんタイプの楽観を身につけるためには、何が必要なのでしょうか。
また、「健全な楽観」に価値があるのは明らかですが、「病的な悲観」にはなんの価値もないのでしょうか。
根拠のない「楽観」と、人生に対する「投げやり」な態度、そして、油断すると頭をもたげてくる「うつ的気分」とともに、ニート的半世紀を生きてきた年寄りとして、その辺りのことについて、考察を続けることにしましょう。
重い「想い」を吐き出して、悲観から楽観へ もくぜんさんは記事中、
まったく自信を無くし、食欲がなくなり、悪寒と冷や汗、夜は眠れず朝は早く目が覚めます。
無意味かもしれないと思いながら机に向かいます。不安で真っ黒の頭は計算ミスを繰り返すばかり。
こみあげる吐き気と闘いながら机に向かいます。
と絶望的な不安感と壮絶なまでの闘いを繰り広げながら、勉強をし続ける様子をつづっています。
読んでいるこちらまで思わず緊張してしまい、胃のあたりに軽いむかつきを感じるほどです。
けれども、もくぜんさんは、こうして自分の様子や気持ちを素直に表現し、ネット上で助言を求めることができました。
また、ネット上にはもくぜんさんに共感し、暖かい言葉をかけ、助言をしてくださる方々も多数おります。
しんどい気持ちを手放し、暖かい気持ちをまわりから受け取ったもくぜんさんは、現在の状況を肯定的に受け止めることができるようになり、夜間や放送大学などにも視野を広げて「大学を目指してもいいのかな」と前向きな気持ちになります。
そして、その前向きな気持ちが家族にも伝わったのでしょう。記事の追記にこのようにあります。
どういう風の吹き回しか今日は母と焼き鳥屋へ行きました。酒の席は生まれて初めてのことです。
酒が入って口が軽くなったので腹を割っていろいろ話しました。今までこのように話したことはありませんでした。
私はずっと何も言わない家族を、腫れ物に触わるような扱いをされているのだと疎外感を感じていました。
干渉すれば反発してやる気を失うと思ってずっと見守ってくれていたそうです。
こうしてお母さんとお互いの気持ちを話すことができたもくぜんさんは、思い込みの「孤独」から解放されて「健全な楽観」に着地します。
やっと勉強ができるようになったのだから続けてほしいというのが母の希望です。
今日はぐっすり眠れそうです。まったく勉強しなかったけれどいい一日でした。
自分の気持を、まず、ネット上で表現し、そのことがご家族との対話につながり、もくぜんさんがその悩みに解決の糸口を見いだせたことを、我がことのように嬉しく思います。
心のもつれを解くために体を動かす もくぜんさんは、自分の置かれた状況を客観視し、その状況の中での自分の気持ちを表現し、それがご家族との対話につながって、心理的なもつれを解くことができたわけですが、記事中には、このようなことが現実に起こる前に、彼の中で起きた注目すべき変化がしるされています。
それは、彼がこの三年間、日記をつけていることと、二年前から運動を始めたことです。
日記をつけることによって、状況を客観視すること、気持ちを表現することができたのが、今回の記事を書くことにつながったことは、容易に理解できます。
同時に、運動を始めたことによって、うつ的な気分が改善されたことも、間違いないことと思われます。
もくぜんさんは、「はじめは家で筋トレをし、それを日記に記録」していたのですが、「そのうち週に何回か外を走れるようになり」ます。
そして、「走れる距離とスピードが面白いように伸びていき、自信をつけた」といいます。
こうやって体を動かすことで、精神状況が改善した結果、勉強時間も増やすことができました。一か月前、インターバルタイマーをつかって時間を管理したところ、一日 2 - 3 時間だった勉強時間が 8 時間まで伸びたというのです。
はてな村の皆さん、まいどお早うございます。
今日は watto さんの、
ダブルミーニングについて - しいたげられたしいたけ
と、夜中たわしさんの、
『妻が椎茸だったころ』を読んだ嫁、謎の大号泣 - 夜中に前へ
をネタに、言葉と人間の記憶について、つらつら考えたことをつづります。
ナポリタンがコーヒーのお代りをする話 ぼくの奥さんは明太子だった話 ナポリタンがコーヒーのお代りをする話 さて、watto さんは、上記の記事で、夜中たわしさんの記事につけた
「確かにしいたけは私だ」
というブックマークコメントを披露してらっしゃいます。
この文章の意味するところは、『「妻が椎茸だったころ」という本をたわしさんに贈ったのが、自分である』ということと同時に、その『自分というのが「しいたげられたしいたけ」を名乗る watto である』ことをも意味する、「watto さんは、このギャグが書きたかったから、わざわざ贈り物までなさったのですね」と褒め称えるしかない、高度なコミュニケーション技法と言えます。
ここで、『「しいたけ」を贈ったのはわたしだ』を意味するほうの、「しいたけは私だ」という言い方を「うなぎ文」と呼ぶことは watto さんも書いているとおりです。
これは、食堂で
「きみは何にする?」
と聞かれたとき、
「ぼくはうなぎだ」
と答えることで、うなぎを注文することを表すことからつけられた呼び名なのですが、
『「ぼくは人間」なのに「ぼくはうなぎ」とはおかしいじゃないか』
というようなことから、日本語の助詞「は」にはどういう機能があるのか、といった観点など、いろいろと取り沙汰されている話なのでした。
(詳しい話が知りたい方は、うなぎ文の一般言語学 | marges de la linguistique や 「フランス語のウナギ文」再び - 翻訳論その他 などをご覧ください)
ちなみに、「ぼくはうなぎだ」の形の文は日本語に特有のものではなく、英語では、むしろ日本語よりも広い範囲での使い方がなされることがあるようです。
たとえば、アメリカのハードボイルド小説で、探偵がカフェの中、二人の男の動向を観察している場面を思い浮かべてみてください。
ナポリタンがコーヒーのお代りを注文した。すると、カルボナーラが突然立ち上がった。
ナポリタンを食べていた男と、カルボナーラを食べていた男のことを、それぞれ、「ナポリタン」と「カルボナーラ」で表しているわけです。
これは言語学的には比喩表現の一種である「換喩」表現と考えるようで、
「この間、白バイにつかまっちゃってさ」
のような表現だったら、日本語でもありえますよね。
「白バイに乗っている人」のことは「白バイ」と呼び、「ナポリタンを食べていた男」は「ナポリタン」と呼ぶ、というわけです。
というわけで、「うなぎ文」ちっともおかしくないし、日本語に固有のものでもありません。
ですから、日本語は、それほど特殊な言語というわけではないし、「非論理的」な言語などではまったくありません。
英語など、西洋の言語形式とは少し異なる構造を持つというだけの話で、むしろ「非論理的」なのは、「学校で習う国文法の説明」のような気がする今日この頃です。
ぼくの奥さんは明太子だった話 すでに少し触れましたが、watto さんはたわしさんの「しいたけ画像」を自分のアイコンとして使っているので、そのお礼に「妻が椎茸だったころ」という不思議な題名の本をたわしさんに贈ったのだということです。
こいつは、はてな村で生まれうる、暖かい交流を象徴するかのような、実に麗しいエピソードでありまして、後世に語り継がれること間違いのない美談ですが、
『妻が椎茸だったころ』を読んだ嫁、謎の大号泣 - 夜中に前へ
で紹介される「妻が椎茸」な話には、また泣かされます。
(ところでたわしさん、「葬儀から週数間過ぎた頃」は、「数週間」の打ち間違いと思います。こんなところでのお知らせで失礼っ)
「妻が椎茸だったころ」というのは、中島京子さんの短篇集の表題作なのですが、作中、60歳の主人公が亡くなった妻のレシピ帳に、
「もし、私が過去にタイムスリップして、どこかの時代にいけるなら、私は私が椎茸だったころに戻りたいと思う」
という謎の記述を見つけます。
そして、妻が通っていた料理教室の先生にそのことを話すと、先生は
「人は誰でもそうだ」
と答えるのです。
はてな友だちのマミーさんが、
富士山を見て感じること。 - こたつ猫の森
という記事で、「富士山を見ると恥ずかしく感じる」というおもしろい現象について書いてらっしゃいます。
今日はこの不思議な現象について、私見を述べてみたいと思います。
マミーさんは件の記事で、「富士山を見るとどうにも恥ずかしく思うのだが、一体これはどういう心境なのだろうか」との問いを投げかけています。
これに対するぼくの仮説は、
「偶像を知ったあとで、実物を知ったときの違和感が、時によって恥ずかしさとなって現れる」
というものです。
もう少し説明すると、
実物より前に富士山の「理想化」ないし「戯画化」された「偶像・絵」を知っている。 そのあとで、実物を知る。 「絵」と「実物」の「ギャップ」あるいは逆に「特徴がうまくつかまれている点」に違和感を感じる。 この「違和感」について、日本人はいろいろなことを「恥」としてとらえることから、実物が「俗っぽい絵」(銭湯の壁のタイル絵など) に似すぎている点が「恥ずかしさ」として感じられる。 ここで感じる「恥ずかしさ」は、実物に「もっとかっこよくなければ、あかんやろ」みたいな気持ちの表れ、ということになりましょうか。 マミーさんの記事では、太宰治が「富嶽百景」( http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/270_14914.html ) で「どうにも注文どほりの景色で、私は、恥ずかしくてならなかった」と書いていることや、絵本作家の長谷川義史氏がテレビで富士山に対して「恥ずかしい」を連発していたことを傍証に、この「富士山恥ずかしい症候群」がマミーさん固有のものではなく、普遍的なものであることを示唆しております。
そして、このとき、
マミーさんは大阪の方、 太宰は青森の人 (ですよね) 、 長谷川氏も大阪の方、 というところに、「実物より先に偶像を知っている」という共通性が見出されます。
また、似たような現象として、
「キンモクセイの香りをトイレのにおいとして知っている子どもが、実物のにおいを知ったときに感じる『花がトイレのにおいをハナつ』ことに対する違和感」
というものが知られております。
なお、これに関しては、「金木犀は恥ずかしい」といった文豪がいるかどうか今のところ不明ですので、今後の研究が待たれるところです。
ちなみにこれを書いているぼくは東京生まれの世田谷原住民であります。
幼少の頃、幼稚園に行く道すがら、冬の晴れた日には坂の上から、遠くに雪をかぶった小さな富士山を友だちのお母さんが指差すのを見て、「あー、今日は富士山が見えるなーー」などとぼーっと思ったりしながら育ちました。
でありますので、太宰が、
東京の、アパートの窓から見る富士は、くるしい。冬には、はつきり、よく見える。小さい、真白い三角が、地平線にちよこんと出てゐて、それが富士だ。なんのことはない、クリスマスの飾り菓子である。しかも左のはうに、肩が傾いて心細く、船尾のはうからだんだん沈没しかけてゆく軍艦の姿に似てゐる。
と書いたりするのに対して、
「あらまあ、太宰さん、そいつは大変ね、さぞかし苦しい人生だったことでしょう」
と同情こそすれ、内容についてはまったく共感するところはなく、
東京から見る富士は、どうにもちつぽけではありながらも、わたしにとっては日本の原風景とも言えるやうな存在であつた
というような感想が浮かんできますね、ぼくの実感としては。
富士山については、ほかにもいろいろ思い浮かぶ挿話や感興がありますが、それについてはまたいつか書くかも、ということにして、今日はこの辺でおしまいにしようと思います。
てなことで、みなさん、ナマステジーっ。