ニッポンのがんばりすぎの皆さん、おはようさんです。 ぼくは五十を過ぎて、奥さんともどもインド辺りをふらふらし、ロクに仕事もしないで、瞑想ごっこをしているような人間です。 世の真面目に働いている方々のうちには、「ダメ人間の典型」みたいに思われる方もいらっしゃることでしょう。 けれどもぼくは、自分にはこの生き方しかないんだし、それでいいんだ、と思っています。 そして、今の日本の「しんどい」状況の中、「がんばれない」で悩んでいるあなたに、 「無理にがんばる必要はない」 ということを伝えたいんです。 「がんばるのをやめて別の道を選ぶ」ことには、勇気がいるかもしれません。 でも、先のことばかり考えていると身動きが取れなくなって、自分が潰れてしまうこともあります。 人生には、長い目で見なければ分からない、不可解な経験がつきものです。 その意味では、自分が潰れる危険をおかすのも、一つの経験なのですが、できれば、そうならないうちに手を打ったほうがいいかもしれない……。 「思い切りよく、その場その場の感覚だけで、人生を生きてきた」ぼくのこれまでの経験が、ひょっとしてあなたの参考になったらいいなと思って、この記事を書いています。 ちょっと、無茶苦茶すぎる人生なんで、あんまり参考にならない気もしますけど(笑)。 そして、「あなたの参考に」とは書きましたが、途中まで書いてみて分かったのは、ぼくは、心の底に淀んでいる澱を、こうやって記事にして、きれいさっぱり捨て去ってしまいたいんだなぁ、ということ。 結局のところ、それがこの記事の意味ですので、ぼくのカルマの成仏を手伝ってくださるみなさん以外は、これ以上読み進める必要はないかもしれません。 はじめて会ってからひと月ちょっとで結婚した話 二回目の結婚も知り合ってひと月ちょっとでした話 そして数々の修羅場を越えて今に至った二度目の結婚 はじめて会ってからひと月ちょっとで結婚した話 それは、バブル景気もそろそろ崩れ始めたころ、ぼくが27歳になる年の5月のことでした。 当時はインターネットというものはまだなかったのですが、パソコン通信というテキストベースでやりとりをするシステムは世の中に存在していました。 東京の江戸川区に住んでいたぼくは、友だち数人と一緒に小さなパソコン通信のサイトを運営していたのですが、そこで友だちの友だちである、二歳年下の女の子と知り合ったのです。 そして、知り合ってひと月も経たないうちに「結婚しない?」と軽くプロポーズしてしまったのです。 すると意外なことに、相手の女の子から、イエスの返事が貰えてしまい、しかも彼女が「ジューン・ブライドがいい」というので、なんの準備もないまま、とにかく双方の親に挨拶だけは済ませ、6月中のある日に役所に婚姻届だけを出したのです。 その頃、ぼくは男の友だちと鉄筋アパートをシェアしていて、彼女の方はアパートで一人暮らしでした。 それで、ぼくらは一緒に住むこともせず、最初の半年ほどは、ぼくが彼女のアパートに頻繁に遊びに行くという形で、通い婚のようなことをしていたのでした。 とまあ、そんな次第ですので、全然普通の結婚じゃありません。 この調子で話を続けると、超大作になってしまうので、はしょりますが、そんな普通でない結婚に応じてくれた彼女でしたが、ぼくの余りの常識知らずな行動にそのうち見切りをつけることになります。 ぼくは無謀にも東京を捨てて、南伊豆に引きこもる計画を立て、彼女はそこまではついてきてくれたのですが、いつまで経っても仕事もせずに、畑のまね事をする以外は、ぼーっとしているだけのぼくに、やがて愛想をつかし、離婚すると言い出したのです。 今から考えれば、まったく当たり前の話ですが、ぼくの頭の中はどうも少し普通ではないようで、どうして彼女がそんなことを言い出すのか理解することができず、なんとか考えを変えてもらえないかと、しばらくの間、彼女を説得しようとしました。 けれども、そんな状況で説得がうまくいくはずもなく、彼女の意志が固いことを思い知らされて、離婚を受け入れました。 結婚して四年ほど経ったときのことでした。 喧嘩別れしたわけではありませんでしたので、離婚してからも時々顔を合わせることはあり、なんとか復縁できないものかと、ぼくのほうは思っていたのですが、あるとき、彼女から「最終的な別れ」の手紙をもらい、「あー、これでもう、彼女とはお別れなんだな」と分かりました。 今思い出しても、悲しさが込み上げてきますが、ぼくという人間の身勝手さを教えてもらった彼女には、本当に感謝しています。 彼女は再婚して、子どももおり、幸せに暮らしているということを、ネットづてで知り、ああ、やっぱり、あれでよかったんだなと、今では納得しています。 二回目の結婚も知り合ってひと月ちょっとでした話 前の項を読んで、このこの項のタイトルを見たあなたは、 「きみは一回目の結婚から何も学ばなかったのか」 と思われたかもしれません。 たぶん何も学んでいなかったのかもしれません。 人間って、何度でも同じ間違いを繰り返すものですよね。 えっ、あなたはそんなことはない? それはすばらしいことです。 でも、世の中にはぼくのように、何度でも同じ間違いを繰り返す人間は少なからず存在するのです。 これがカルマってやつでしょうか。 最近は瞑想をやって、カルマ落としに励んでるんですけれども。 それは、ともあれ、一回目の結婚から十分には学んでいなかったと思われるぼくは、離婚してから四年が経ち、33歳のときに再び、出会ってひと月ちょっとの、今度は同い年の女性と結婚することになったのです。 そして、十分な学びができていなかったぼくは、結婚して二年ほど経った頃に、またしても奥さんから「別れ話」を切り出されてしまうのです。 そして数々の修羅場を越えて今に至った二度目の結婚 ぼくという人間は、「人の気持ちを感じ取る能力」にかなりの「欠損」があるようで、最初の奥さんについても、ぼくの身勝手な行動で彼女が「どれだけ困っていたか」をまったく理解できていませんでした。 同じように、二番目の奥さんについても、ぼくと一緒に暮らすということが、彼女にとって「どれだけ負担になっているのか」が、これもまったくといっていいほど理解できていませんでした。 けれども、彼女に別れ話を切り出されたとき、ぼくは 「きみがどうしても別れたいというのなら、それでかまわない。だけれども、今までぼくたちが一緒に暮らしてきた時間には意味はなかったんだろうかねぇ」 と言って、涙を流しました。 彼女はとても優しい人なので、それで思い直してくれて、それ以降、そのような形で「別れよう」と言うことはありませんでした。 とはいえ、それで問題が片付くはずもありません。 というか、それからが本番だったのです。 ことあるごとに、彼女は、ぼくの行動の身勝手さや嘘やずるさを、巧みな論理と感情に対する揺さぶりで、情け容赦なく攻撃してきます。 (なお、攻撃の内容は、ぼくの行動が彼女の気持ちを傷つけたことや、ぼくがロクに働かないこと、金銭に意地汚いこと、などです) そのたびにぼくはノックアウトされて謝り、彼女の言うがままに約束をするのですが、その約束を守ることがぼくにはできません。 まさに、ダメ人間です。 けれども不思議なもので、ノックアウトされるごとに、こちらの覚悟もできてくるというのか、彼女の言う正論の中にも「身勝手」さがあることに気づいてきますし、お互いの関係性というものが、徐々に変わってくるんですね。 そうして、この六年ほどは、二人ともヴィパッサナ瞑想をやるようになったことも手伝って、互いに感情のぶつけ合いをするようなことが、だんだん少なくなってきました。 ぼくの身勝手な言い分としては、「どうしてぼくばかりこんなに責められなければならないのか」という気持ちでいたのですが、ある意味それは自分で撒いた種なんですよね。 でも、同時にそれはお互いの関係性の問題でもあるので、彼女のほうがぼくを「変えよう、変えよう」としても、ぼくはやっぱり変わらないし、変えられない。それぞれが少しずつ変わっていく中で、それが相手にも伝わって、また互いに変わっていく。 そういうことなんだと思います。 そんなこんなで、今の奥さんとの結婚は、もうじき18年になろうとしています。 この18年、ぼくはぼくなりに頑張ってきたのだと思いますが、何かを無理に我慢するというのは、嫌いなんですよね。 もちろん、好き勝手にすればいい、というものではないのですが、「社会的な常識」とか「人の思い込み」に勝手に嵌めこまれても困る、といった感じでしょうか。 日本ではどうしても「周りに合わせるためにがんばる」ことになりがちです。

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はてな村の皆さん、おはようさん。 はてな匿名ダイアリーの記事 ・働かざる者はどのくらい食えるべきなの? を題材に、頑張らない人生の話を書きます。 ぼくの考えは「頑張らなくても生活保護水準で食えるのは当然」です。 そして、頑張りすぎてるみなさんに、「もう頑張るのはやめたら?」という提案です。 なお、匿名ダイアリーについては、こちらで説明してますので、ご存じない方はどうぞ。 ・ニートの夢、ブッダの夢 - *魂の次元* すなお君の問題提起 - 頑張らない人のほうが、頑張ってる人より食えてたらヘン 「引き篭もってネトゲ三昧」は許される水準? 頑張ってる人が報われない社会 富裕層を敵視しても、頑張ってる人が報われる世界は訪れない 「長いものには巻かれろ」の社会で一人ひとりにできること あなたは「横並びゲーム」から降りられますか 今日から頑張らない - 長いものに巻かれずに生きていくということ すなお君の問題提起 - 頑張らない人のほうが、頑張ってる人より食えてたらヘン 件の匿名ダイアリーの記事を書いた方を、ここではすなお君と呼ぶことにします。 「アリとキリギリス」の寓話を素直に受け止めて、 頑張らないと生きていけないってのが共通認識だと思っていた。 とおっしゃっているからです。 すなお君は、「頑張れない」人が生きていけない社会には疑問を感じながらも、 「頑張らない人が頑張ってる人以上に食えるとしたらなんかすごい変。努力が報われるところにやりがいがある、それが自然だと感じる。 ということを問題提起した上で、 「じゃあ、頑張らない人には、どのくらいの水準が保障されるべきなのか?」 と問いかけています。 「引き篭もってネトゲ三昧」は許される水準? すなお君は、「生活保護水準」が保障されるのは当然で、その先の具体的な話がしたかった、と書いており、 ・はてなブックマーク - 働かざる者はどのくらい食えるべきなの? では『「引き篭もってネトゲ三昧」くらいは許されるべき』というコメントがあり、この意見には星が45ついていて、賛同者がたくさんいます。 これはこれで、まったく結構なことなのですが、どなたかのブックマークコメントにもあったように、保障された収入の中で何をするかは、まったく「個人の自由」ですから、具体的にどういう内容が保障されるかについては「議論して合意を得る」というような性質のものではないと考えます。 収入を節約して貯めたお金で、「飲み屋で豪遊」しようが、「海外旅行」をしようが、それは本人の自由のはずです。 生活保護だから、「車を持ってはいけない」とか「決められた家賃以上の物件に住んではいけない」というような現状での運用に、むしろ疑問を感じます。 頑張ってる人が報われない社会 すなお君が提起している問題のうち、 「頑張って働いている人のほうが、働かないで生活保護を受けている人よりも収入が少ない場合がある」 というところが、重要なポイントに思えます。 しかし、すなお君の話の進め方では、 「だから生活保護の人間はつましく生きろ」 とかいうほうに流れがいってしまいがちです。 すなお君自身は、ほんとに素直な方なので、そういうつもりはないようですが、「素直」であるということは「社会の流れ」に流されているということであり、それはある意味、 『「統治者」に都合のよい考えに慣らされている』 ということでもあります。 ですから、ここではむしろ 「頑張っている人も頑張らない人も報われる社会」 を構想したほうがいいじゃないか、と思うのです。 富裕層を敵視しても、頑張ってる人が報われる世界は訪れない 資本主義的な「弱肉強食」の社会に対して、社会主義的な「平等」な社会というのは、アンチテーゼとしては当然ありうるのですが、戦後72年間の日本と世界の情勢を振り返ってみると、「富裕層」を「敵視」するような形での「共産主義思想」はすでに破産しているように思われます。 富裕層からきちんと税金を取り、国民全体の福祉を充実することで、社会全体の安定をはかる社会民主主義的な施策は、今後の日本にも当然必要ですが、そうした施策が「富裕層」に対する「敵視」から生まれてくるとは思えません。 国民一人ひとりが「長いものには巻かれろ」で、「お上には楯突かない」生き方をしているのですから、いくら「お上」を「批判」しても、鬱憤は晴れるでしょうが、現実に対して大きな影響力を持ち得ないことは、近頃の安倍政権のあり方とそれに対する批判を見ていれば明らかではないでしょうか。 「長いものには巻かれろ」の社会で一人ひとりにできること ブックマークにつけられたこのコメント フランスで売れ残り食品をフードバンクに提供させる法律ができたらしいけど、日本でまだ食べられるのに捨てられる食品ロス(コンビニ廃棄とか賞「味」期限切れとか)は年間632万トンでニート3500万人は養える計算です http://b.hatena.ne.jp/entry/339683827/comment/mcgomez には、83の星がついています。 この計算の妥当性はぼくには分かりませんが、現代の高度消費社会というものが、さまざまな「無駄」の上になりたっており、その「無駄」を減らすことで、いろいろな問題を解決できる可能性があるのは確かでしょう。 しかし、日本の現状の政治・経済体制の中で、フランスと同じ施策が行なわれうるかというと、そこはまた難しいところでしょう。 難しくても、その実現のために努力していくことは当然ですが、それが実現されないからといって、ただ政府を責めているだけでも仕方がありません。 そのとき、ぼくらにやるべきなのは、「長いものには巻かれろ」の社会の中で、けれども自分は「長いものには巻かれずに生きていく」ということのように思うのです。 あなたは「横並びゲーム」から降りられますか こんなことを書いているぼく自身は何者かというと、五十を過ぎて定職にもつかず、インドあたりをふらふらしているだけの、「生産活動ゲーム」にはほとんど何も貢献していない「穀潰し」人間です。

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のっけから妙な話で恐縮ですが、汚かったり、不衛生だったりするのが苦手なあなたにはインドはおすすめできません。 そんなあなたの場合は、はじめはタイくらいが無難でしょう。何より日本から近いですし、異国情緒は十二分にありますし、カレーも食べられるし、瞑想もできます。 けれども今日はタイの話じゃなくて、インドのカレーと瞑想の話です。 人生に疲れたからと言って、気軽にインドまで旅をするわけにもいかないかもしれませんが、心だけでも旅に出れば、少しは気も晴れるというものです。 タイトルに関わらず、特に入門記事にはなってませんのであしからずーーっ。 カレーの話 瞑想の話 カレーの話 ・http://dimofsoul.mitona.org/indo-no-sora-ni-sita という記事で、インドに「カレー」や「カレー粉」はあるのか、という話を書いたら、はてなブックマークの「あわせて読みたい」の欄の ・北インドカレーと南インドカレーが全く違う理由を調べてみたらインドに行きたくなった - ソレドコ という記事が目についたんですよ。 綺麗な写真もいっぱい使ってあり、スパイスに関する情報などもこまごまと書いてありますので、インドカレーに興味のある方はどうぞご一読を。 で、その記事では、 北インドカレーは「濃厚」で「ガラムマサラ」を使う 南インドカレーは「シャバシャバ」で「辛味」が効いている と表現しています。 そして、北インドと南インドのカレーの違いとして、インド人シェフの 「北インドは寒いからこってりしたカレーが、南インドは暑いからさっぱりしたカレーが食べたかったからなんじゃないか」 という言葉が紹介されています。 まあ、そうかもしれません。 でも、北インドの料理でも、豆のカレー(ダル)はかなり汁っぽいことも多いですし、豆のカレーでも、街によって辛かったり、そうでもなかったり、ほんとにいろいろなんですよね。 そして、北のヒンディー語圏と、南のドラヴィダ語圏では、同じヒンズー教文化とはいっても、文化的にもかなりの違いがあり、食文化もまったくといっていいほどの違いがあるんです。 しばらく前にネットを見ていたら、 「インドというのは、ヨーロッパ全体が一つの国になったくらい、州ごとの文化が違うのだ」 という表現を見かけて、なるほどなー、と思いました。 南インドのタミルナドゥ州に行ったときのことですが、現地のおじさんが話しかけてきて、 「お前はどこから来たんだ、日本か、オレはタミルだーっ、がははははっ」 とという感じなんですね。 アイデンティティがインド人じゃなくて、タミル人なんです。 というわけで、食べ物の違いは風土の違いからくるのも当然ですが、風土の違いから生む文化の違いがベースにあるんだよねー、という話でした。 日々の暮らしに疲れたら、辛いカレーでも食べて体に喝を入れるのも、いいかもしれませんよ!? えっ、辛いものは苦手? 間違って辛いものを食べちゃったときは、ヨーグルトが効くのでお試しを!! 瞑想の話 雷理さんの記事、 ・「周りの人たち瞑想」のススメ - 無知の知ノート が面白いなーと思いました。 気分が凹んだときには、周りの人たちの人生を思ってみたらいいよ って話です。 周りのいろいろな人の人生のことを、ぼんやりとでいいからいろいろ想像してみると、 みんなも頑張ってはるし 私も頑張ろっ♪ ってなる って気持ちになるんですって。 ぼくがやってるゴエンカさん方式のヴィパッサナー瞑想でも、慈悲(メッター)の瞑想というのがあって、これは、まず自分の幸せを祈り、次に周りの人の幸せを祈り、最後に生きているものすべての幸せを祈ります。 具体的に周りの人の人生を思うわけではないのですが、とても近いニュアンスを感じます。 瞑想の基本は、呼吸を見ること、体の感覚を見ることなどで、雑念を消していくことにあるのですが、雑念が起こること自体は自然なことなので、無理に消す必要はありません。 雑念に気づいたら、呼吸に戻る、体の感覚に戻る、ということを坦々とやっていけばいいだけなんですね。 ぼくのやってる瞑想は自己流で、相当いい加減ですから、最初の頃は、気にせず雑念に身をまかせていました。そうすると、自然と周りの人のことが頭の中に浮かんできて、その人との関係性が、それまでは気づかなかった角度から見れたりして、新たな発見があったりするんですよね。 こういうのも、副次的なものではありますけれども、瞑想の一つの効果ということになりましょう。 というわけで、わざわざインドまで来なくても、瞑想は自宅でもできますので、寝る前に寝床の中で五分間だけでも、気が向いたらやってみてください。 瞑想についてはこちらの記事 ・マインドフルネスとヴィパッサナー瞑想について・蝶入門編 - 24 時間の瞑想術 でも書いてますので、よろしく。 てなわけで、ちっとも「入門」になってないいい加減な記事に、最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。 それでは、みなさん、ナマステジーっ♬

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昨日の大変あやしい記事 ・http://dimofsoul.mitona.org/yatyoukinenbi に雷理id:hentekomuraさんからコメントをいただきました。 インドの空の下 何をされてる人なのでしょう 気になりますww というところで、今日はインドという混沌の大地にて、一体なにをしているのかについて、赤裸々な記事を書いてしまいましょう。 何もしないのが理想 このようなラチもない文章をネットで綴って小遣いが稼げるのか ここでいきなり、インドにカレーはないのか、という話をしてみます 何もしないのが理想 ・52.5歳からのグッバイワーク - *魂の次元* という記事にも書きましたが、ぼくは働くのが嫌いです。 ですから何もしないのが理想なんです。 できるものなら、お釈迦さまのように何もかも捨て去り、乞食坊主になって瞑想三昧の暮らしをしてみたい...... と、ほんとにそのように思っているかというと、いや、無理です、ぼくにはそこまでの覚悟はありません。 今は仕事もせず、奥さんと二人、インド辺りをふらふらと漂っていますが、食べるためには少しは稼ぐ必要があります。 それで、「お小遣い程度でいいから、ネットでなんとか」というような甘い考えで文章を綴っている...... 。それが今ぼくがやっていることでしょうか。 このようなラチもない文章をネットで綴って小遣いが稼げるのか たとえば、相田ケイさんの記事 ・http://www.kk3marketer.com/entry/SEO_1 などを参考にして、多くの人に読まれる記事をきちんとポイントを抑えて書いていって、やがてそれが収入につながる、というのが、weblog 上で稼ぐための真っ当な方法の一つと言えるでしょう。 ところが、このとし兵衛という人間は、「真っ当」なやり方が嫌いなんですから、話になりません。 メジャーなものに、なんの恨みがあるのか知りませんが、徹底的なマイナー好み、自分が関心を持つ「奇妙にマイナーなもの」にも需要があるはずだと信じて、おかしな記事を自分なりのスタンスで書いてみますが、なかなか多くの人には興味を持ってもらえません。 当たり前です。わざわざマイナーな話題を選んで書いているんですから。 けれども、大当たりを狙うのではなく、マイナー路線ながらも一定の読者に読んでもらえるような、そういう記事を書き続けていくということが、 できるのではないか、 いや、できるはずだ、 いやいや、できたらいいなぁーー、 みたいなことを考えながら、今日も文章の綴方の練習を続けている次第です。 ここでいきなり、インドにカレーはないのか、という話をしてみます ところでみなさん、カレーは好きですか? カレーといえば、インドが発祥の地、ということになっていますが、日本で普通に知られている小麦粉を使ってとろみを出すタイプのやつは、あれはイギリスの人がアレンジしたものなんでしょうかね。 インドのカレーでも、さらさらっと汁っぽいものもあれば、どろどろっとしたタイプのものもありますが、小麦粉は使わないんですね。 で、そのイギリス風のカレーを日本の海軍が軍隊食として採用したのが、日本にカレーが普及するきっかけだったようです。 それで、インドにはカレーもなければ、カレー粉もない、という説について、ちょっと書いてみますが、結論から言いますと、カレーはもともと南インドの汁料理を指す言葉であり、それが転じてインド全般のスパイスの効いた料理を指すものとなった、ということになります。 北インドの主要な言語であるヒンディー語には、カレーを意味する言葉はもともとはありません。(今は英語からの借用語として普通に使われますけれども) それで、インドにはカレーはないのだ、と言われたりするのですが、それは北インドの話。 インドを植民地としていたイギリスは、南インドのタミルナドゥ州とも深い関わりがあり、同じくイギリスの植民地だったマレーシアでは、イギリス人とともにやってきたインド系の住民が今も多いのですが、この人たちはタミルナドゥから来た人たちなんですね。 そのタミルナドゥの言葉タミル語には、そのものずばりカリーという言葉があり、これが汁料理を表す言葉なんです。 そして、カレー粉についてですが、確かにインドでは普通「カレー粉」というものはありません。しかし、スパイスミックスとして「マサラ」というものが多数あり、これがいわば「カレー粉」に相当します。 日本では「カレー」と分類される様々なインド料理のそれぞれについて、「なんとかマサラ」のような名前でスパイスミックスが売られてたりするわけです。 日本でもカレーの隠し味として使われる「ガラム・マサラ」というのも、こうしたマサラの一つというわけです。 そういうわけで、インドには「カレー粉」はないのですが、「カレー粉」に相当する「マサラ」というスパイスミックスが存在しますし、マレーシアやタイでは日本と同様の「カレー粉」が売っています。 これは華僑の人たちがマレーシア辺りでインド料理に出会い、自分たちの料理にそれを応用することによって普及したものと思われます。 タイ料理の「パッ・プー・ポン・カリー」は、カニ(プー)のカレー粉(ポン・カリー。ボン・カレーじゃないよ)炒め(パッ)であります。 カニとカレー粉? と思われるかもしれませんが、これがなかなかおいしいんですよ。 それから昔、たまたま上海で食べた刀削麺が、カレー味でおいしかったなぁ。 中華風のカレー粉使いも、よいものです。 (なお、この項は記憶だけにたより、まったく事実の検証をしておりませんので、情報に誤りがあっても、当方では一切責任を持つことができません。この情報の利用につきましては、お客様のご責任において行なっていただけるようくれぐれもお願い申し上げます。ぴんぽんぱんぽーん) というわけで、今日はこの辺で。 それでは、みなさん、ナマステジーっ♬

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はてな村のみなさん、こんにちわ。 防備録として、はてなブログ・プロにおいて独自ドメインの設定が無事できたので、その経緯をこちらにしるしておきます。 インターネットの世界においては、DNS というサービスがありまして、これによって、url と呼ばれるアドレスが、実際にはどこのコンピュータによって処理されるかが定まるような仕組みになっております。 んっ、むずかしすぎる? あまり、気にしないでください。 具体的な話で説明しますと。 今日からこのサイトのアドレスは dimofsoul.mitona.org となりました。 でも、そのアドレスで表示されるコンテンツの処理をしてるのは、昨日までと同様、dimofsoul.hatenablog.com で指定されてるコンピュータなんです。 あなたが、はてなブログのページを独自ドメインで運用したい場合、この、「mitona.org (に当たるもの)を hatenablog.com に転送する」 設定が必要になる、というのが、この記事の一番のポイントです。 * * * 独自ドメインで運用したほうがいいのか? ということについてまず話をしますと、個人的なブログの運用ならば、正直必要ないと思います。 でも、かっこいい感じがしますし、独自ドメインの取得も、一年で千円くらいとか、ものによってはもっと安くとか、気軽にできる値段ですので、よしやるぞ、と思ったらやってみたらいいと思います。 ぼくの場合は、はてなをプロにすると、記事ごとのアクセス数とかがお手軽に見れますし、何より広告を消せますので(adsense の広告は貼ってます。広告嫌いの方、ごめんなさい)、ついでに別件で持っていたドメインを利用してみた、という感じです。 * * * さて、実際の手順ですが、 ドメインを取得した登録業者での設定 はてなでの設定 の2つが必要になります。 ぼくは value-domain という登録業者でドメインを取得しているので、「DNS情報/URL転送の設定」の項目で cname dimofsoul. hatenablog.com. のように指定しました。 この部分はドメイン登録業者によって違ってきますが、基本は、 「dimofsoul」が来たら、「hanetablog.com」に転送する というものですので、あなたが「anata.com」というドメインを取得して、「www.anata.com」でブログの運用をしたい場合には、 「www」が来たら、「hatenablog.com」に転送する という設定をすればよいことになります。 (はじめ、ここのところが分からず、「逆向きに転送」する設定にしちゃいまして、なんでうまくいかんのやー、としばらく悩みました) この辺りのことは、たけのこさんの記事、 ・はてなブログで独自ドメインを設定する方法!ドメインは【お名前.com】で取得したよ♪ - iPhoneのこととかいろいろ が分かりやすいかと思います。 お名前.com でドメインを取得する場合、こちらのページを見れば一発です。 * * * さて、ドメイン取得業者側の設定が終わったら、はてな側の設定です。 「はてなブログ」の設定から「詳細設定」を選んで、「独自ドメイン」の欄に、上の例で言えば、「www.anata.com」を入れることになります。 そして、画面最下部の「変更する」をクリックして設定を反映させると、「独自ドメイン」欄に「ドメイン設定をチェック」というボタンが表示されていますので、それをクリックします。 「ドメインの設定状況: 有効」の表示が出れば、設定完了です。 * * * ......と、これで設定は完了したはずなのに、なんかおかしいんですよ。 ブラウザで「dimofsoul.mitona.org」と入れると、問題なくページは表示されます。 でも、表示されるアドレスが「dimofsoul.hatenablog.com」になってるんですよね。 「これじゃ、独自ドメインになってないじゃんかー、こんなんじゃ、夜も眠れんわーー」 と、短気なわたしは思ってしまいました。 でも、安心してください。

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[2017.06.18 追記] 「公務員でも副業としてブロガーをすることができる」というこの記事の内容について、記事中に「ぼくは公務員でもなければ、法律の専門家でもありません」と正直に書いたことから、この記事の信ぴょう性を疑う方がいるかもしれません。 けれども、この記事に書いていることは、「法律上」まったく正しいことです。 (専門家の方で、もし間違いを指摘していただけるならば、ぜひお知らせください) 「公務員でも副業としてブロガーをすることができる」というような情報は、責任ある立場で公務に関わっている方や、法律の専門家である弁護士の方からすれば、「事実」ではあるものの、わざわざそれをネットで言うことにメリットがありませんから、そのような情報はネット上で見当たりません。 逆に、隠れて「副業」をすることをすすめるような記事が散見されますが、隠れて「副業」をしたために問題が生じたケースは、ネット上にもいくらでも転がっています。 上司にきちんと相談して、それを認めてもらえるかどうかは、あなたの「腕」にかかっているかもしれませんが、危うい道を選ぶよりは、正攻法のほうが間違いないと思いますので、改めて、ここで「事実」を再確認させていただきます。 「公務員は、決して副業を禁じられているわけではありません。ブロガーをやりたい方は、きちんと上司に相談してください!!」 * * * はやぶささんの記事、 ・【違法?】公務員ブロガーってアリ?? - はやぶろぐ に「公務員ブロガーは違法なのか」という問いかけがありましたので、この記事では、それに答える形で、法律にまつわる話を少し書いてみることにします。 なお、この記事の結論は、 「公務員の副業としてブロガーは当然できます」 となるのですが、 ぼくは公務員でもなければ、法律の専門家でもありませんので、この結論をあなたの人生に適用する場合は at your own risk でよろしくお願いいたします。 公務員の副業は、そもそも「禁止」されていません で、ブロガーの副業は「許可」してもらえるの? 「法律」という名の「呪文」の被害者にならないために 公務員の副業は、そもそも「禁止」されていません この記事の表題には 『公務員副業「禁止」伝説』 と入れました。 というのも、公務員の副業は、実質的に「禁止」されていないからです。 法律の文言というのは、まったくややこしいもので、ある行為を「禁止」したうえで、その「禁止」の例外を定める、ということがよくあります。 はやぶささんが、正しく引用している通り、「国公法第103条」では、「ならない」という言葉を使って、「副業を禁止」しています。 けれども、103条2項には例外規定があって、「許可を貰えばオッケー」となってるんですよね。 (もちろん許可を得られないケースもありえます) 地方公務員法についても同様です。 ですから、 「公務員の副業は、許可さえ貰えば大丈夫」 というのが、正しい「解釈」といってよいでしょう。 で、ブロガーの副業は「許可」してもらえるの? というわけで、「許可」をもらわずにブロガーとして「収入」を得た場合は、「問題」が生じますので、ブロガーという副業は「許可」してもらえるのか、ということが次のポイントとなります。 これについて、id:ore_de_workさんが、はやぶささんの記事に、 「普通に上司に相談すれば許可されると思う」 http://b.hatena.ne.jp/entry/339190427/comment/ore_de_work とコメントをつけてらっしゃいます。 基本的にはこれが「正解」なのだろうと推測します。 (ブログの内容が「妥当」なものであれば「許可されるはず」ということです) けれども、世の中、「例外」というものが、いつでもありうるわけです。 はやぶささんが紹介している、ハルオサンの記事、 ・警察官をクビになった話その① - 警察官クビになってからブログ を読むと、「公務員」の世界でも、時としてたいへん奇妙な現象が起こり、いとも簡単に「労働者としての権利」が侵害されてしまうことがあるらしいなぁ、ということが実によく分かります。 (それにしてもハルオサンの記事、涙なしには読めません) ですから、「副業としてのブロガー」という公務員として「当然の権利」も、法律上意味のある制限とは違う、なんらかの理由で侵害されないとは限りません。 副業を申請したのに「どうしても許可がおりない」といった、おかしな「いじめ」に遭わないように、十分な注意が必要かもしれない、ということです。 たとえば、許可をもらうまでは、アドセンスは外しておくとか、仕事に関わる話は絶対書かないとか、どのくらいの閲覧数や収入があるかは基本的に口外しないとか...... また、収入があった場合に、確定申告をするのは、当然のことでしょう。 「法律」という名の「呪文」の被害者にならないために 法律というのは、言ってしまえば「呪文」のようなものです。 たとえば「公務員は副業禁止」という呪いをかけられてしまった多くの方々は、社会の現実というものに、なかなか気づくことができません。 そもそも、法律には何かを「禁止」することができるのだろうか、などとも思います。 日本の法律は、大麻の所持を「禁止」しているのでしょうか。 ただ、大麻の所持を「規制」しているにすぎないのではないでしょうか。 あなたの知り合いがガンを患って、その方が、抗癌剤の副作用止めとして「大麻を所持・使用」していることに、たまたまあなたが気づいてしまったとします。 そのときあなたは、「大麻は日本では禁止されているのだから」と言って、その方をとがめることができるでしょうか。 ご本人が「規制」を承知の上で、ご自分の責任で行動なさっているのならば、他人がどうこういう問題ではないのではないかと、ぼくとしては考えます。

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はてな村のみなさん、こんにちわ。 ぷちウェブ作家のとし兵衛です。 今日も今日とて、他人のふんどしで明太子漁に出かけましょうかねー。 * * * ネパールの国境近いゴラクプルというインドの東北部の街から、南西のムンバイに近い、イガットプリという小さな街へと、鉄路を揺られること 36 時間、1,552 km 、はるばる来ましたマハラシュトラ州。 インドには何回来たかもう忘れましたが、この州に来るのは初めてです。 そして明日より、ヴィパッサナ瞑想十日間の合宿コースが待っています。 その合間の時間を利用して、ネット上での「爆発的に共有されるかもしれない」記事の書き方について、相田ケイさんの、 ・拡散される記事を量産するための、ただ1つのシンプルな考え方 - オモロク を肴に考えさせていただきます。 勝手ながら、相田さん、どうもでーす。 * * * 「せっかく書いた記事を、多くの読者に読んでもらいたい」 多くのみなさんが、密かにこう思っていらっしゃることでしょう。 ただし、夜中たわし id:tawashix さんのように我が道を行く方は、また別です。 ぼくの先日の記事、 「交遊」でいくか、「検索」でいくか。はてなで読者を増やす二つの方法 - ブックマークとサーチコンソール - *魂の次元* に対してたわしさんから、次のようなコメントをいただきました。 検索されやすい記事を考えたり分析するの、面倒なんだよなぁ?。なのでサーチコンソールなんかはほぼ活用せず、フィーリングでやってます。 実に素晴らしい生き方です。「検索エンジン最適化」などという邪道の手法は使わず、勝負の武器は「フィーリング」のみ。 加速装置の他には「勇気」だけが武器の、サイボーグ009 並みの潔さです。 思わず、訳詞: なかにし礼、歌: ハイファイセットの「フィーリング」のメロディーが頭の中に、大音量で響こうというものではありませんか。 というわけで、たわしさんも、布団の中でうたた寝をしながら記事のアイディアを練りつつ、自分の記事が百万バズする夢を見ているかもわかりませんが、わたくしのように小賢しくも 「いかにしてたくさんの読者に読んでもらうか」 などということを考えていないことだけは確かであります。 たわしさんはじめ、id:watto さん、マミー id:mamichansan さんの三師匠にならい、わたくしめもきっちり自分の記事を書いていくという本道を歩んでいきたいところなのではありますが、あいにく本日のネタは、 「いかにして記事は拡散されるのか」。 さあ、それでは、いよいよ本題に入らせていただきましょう。 * * * それにしても、相田ケイさんの記事は分かりやすいですよね。 多くの人に読んでもらうためには「共感」が大切。 「共感」の三要素として、「分かりやすさ」、「あざとさ」、「みんな知ってる」を押さえておくべき。 「分かりやすさ」のためには、小学生にでも分かる文章を。 「あざとさ」としては、読者層を意識した上で、読者に適した刺激的な演出を。 「みんな知ってる」も、読者層に適したよく知られている話題を上手に盛り込む。 というような内容が、よく整理された形で、分かりやすい例とともに書かれていますので、無理なく「共感にもとづく記事作り」を理解することができるでしょう。 その他の細かい点については、相田さんの元記事、 拡散される記事を量産するための、ただ1つのシンプルな考え方 - オモロク をぜひお読みください。 いろいろと学ぶことがあると思いますよ。 * * * さて、ここで、相田さんの記事を読んで、ぼくが面白いと思った部分について、野暮を承知で解説させていただくことにします。

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グーグルのアドセンスを使って「お小遣い」を稼ぎたい。 この記事は、そんなあなたのために、「愛情一本、チオビタドリンク」の気持ちで書かせてもらっています。 ちなみに、ことの発端は id:watto さんの記事にあります。 Google AdWords からキャンペーンメールが届いた件 - しいたげられたしいたけ しかし、そんなことは、電網怪海を漂うみなさんには関係のないことでしょうから、とにかく本題に入ることにしましょう。 グーグルのアドワーズを無料で賢く使うためのヒントです。 アドワーズ、使ってますか。 アドワーズはどう役に立つのか アドワーズ、使ってますか。 アドセンスで「お小遣い」を稼ぎたいと思って、あれこれとネット上で情報を探しているあなたならば、このくらいのことは常識に決まっていますが、「検索流入」を狙うならば、アドワーズの利用は当然でしょう。 「自分の書いた記事を多くの人に読んでもらいたい」という場合、はてなでは、地道に読者を増やしていくのが正攻法ではありますが、グーグルやら何やらの、検索から読んでもらうというのも、もう一つの王道です。 そのとき、どんな検索後があなたの書く記事にマッチするかを調べるためには、 「アドワーズが役に立ちます。しかも無料でもかなりいけますっ」 と、そういうわけなんです。 なお、アドワーズを使う、具体的な手続きについては、たとえば、 【新時代!?】キーワードプランナーの月間平均ボリュームの詳細が出なくなってからのキーワード選定方法【絶対保存してね】 | ブログマーケッターJUNICHI をご覧ください。 こちらの記事を書いてらっしゃるじゅんいちさんは、大阪的にユーモアに富んだ方で、しかも、決してあこぎな方ではありませんので、 「自分の書いた記事を多くの人に読んでもらいたい」 と切に願うわたしのような人間にとって、とーーーっても参考になる記事をいつも書いておられる方ですので、チェックしておいて損はないと思いますよ。 アドワーズはどう役に立つのか さて、「検索流入」について、アドワーズで調べられる情報には大きなポイントが2つあります。 「検索語のボリューム」 と 「検索語の入札単価」 です。 この2つを調べるだけならば、まったくの無料ですみます。 とはいえ、これが使えるようにするためには、 「アドワーズで有料広告を出そうと思ってまーす」 というフェイクの申告が必要です。 申告しても、お金を払わなければ、無料で使えちゃうのですが、そういうやり方が気持ち悪い、と思う場合は、やめておいたほうが無難です。 もちろん、グーグルとしては、そういう「不良」ユーザでも、いつか「有料」ユーザになってくれるかも、という太っ腹な考えで、われわれ「無料主義者」にも使わせてくれているわけですから、それを使わない手はないよなぁぁ、と思うのですけれども。 ここで、「ボリューム」というのは、その検索語がどのくらい検索されているのかを表す数値で、「稼ぎたい」人の間では「高ければ高いほどいい」かのように言われていますが、ぼくのような隙間狙いの場合「月間1万」くらいのボリュームでも十分にターゲットとして参考になります。 そして、「入札単価」ですが、これは 「広告を出す側の人が、この検索語に対してこのくらいの広告料を払ってますよ」 という目安でして、アドセンスでお小遣い稼ぎをしたいあなたの場合は、 「この検索語をうまく入れれば、ワンクリックでこのくらい稼げる」 という目安になるわけです。 というわけで、以上の2つの情報を組み合わせて使うのがアドワーズの王道となりますが、ぼくの場合ですと、「瞑想」を検索語として入れて、 ふむふむ、これはまずまずボリュームがあるな、 と確認した上で、この「瞑想」に組み合わせる言葉としては、 どういうものがいいのかなーー、 みたいな感じで使ってみたところ、最初はワンクリック十円未満だったのが、ワンクリック五十円程度にまで伸びた実績があります。 ほかにも、『「瞑想」と「メディテーション」とどっちがいいか』みたいなこととか、多くの人に届く記事を書くためのヒントが、いろいろ得られる可能性がありますので、「儲けに血眼になる」みたいなことじゃなくて、楽しみながらゲーム感覚で使ってみたら、ネットで遊ぶ毎日が、さらに充実するんじゃないかなー、と思うのです。 というわけで、今日は、グーグルのアドワーズを楽しく使うためのヒントを書いてみました。 それでは、みなさん、ナマステジーっ♬

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というわけで、はてな村のみなさま。 ...... と、申しますのも。 なにがなんだか分かりませんし、どこがどういうわけなのかは、さて置くことにさせていただきますが、標高 1,800 m のカトマンズから、標高は知りませんけれども、とにかくインドと地続きの平野部の、ルンビニに戻ってきてしまったもので、暑さにうだり、蚊の猛攻に苦しめられているとし兵衛でございます。 それでは、皆さんのご要望通り、とっとと、本題に入りましょう。 「夜中たわし」の秘密発見、致命的「欠陥」と言及されざる「真実」(再度、敬称略) はい、この見出しの意味ですが、これは、 『夜中たわしさんが何かの「秘密」を発見した』 というのではなくて、ぼくが 「たわしさんの秘密を発見したーーっ」 と、勝手に思っているだけの話なのですので、誤解は禁物ですよ。 さて、しばらく前のたわしさんの記事、 ・夢の中へのアイテム持ち込み制度 - 夜中に前へ に「インスピレーションする」という話があったことは、はてな村住民のみなさまには周知の事実と思います。 たわしさんの記事には、いつもその愉快さに楽しませてもらっていますが、こちらの記事は、たわしさんのアイディア出しの舞台裏が書かれた「相当にグッド」な記事、言いかえれてみますれば、「ヴぇリーグーーっど」な記事であります。 で、その、「インスピレーションする」ということなんですが、これは、たわしさんが記事のネタを考えるときに、布団に入って考えることを意味する「たわしさんち用語」なのですが、たわしさん曰く、この方法には「致命的な欠陥」があるというのです。 その「欠陥」というのは、9割以上の確率で寝てしまうこと。 これは一読して「致命的」に思えますよね。 ところがです。 たわしさんのすごいところは、この一見無用に思える方法をここで捨てさったりせずに、しっかり改良を試みるところです。 なんと、眠ってしまうのを防ぐために、たわしさんは 「寝床の中で、ガムを噛む」 ことにしたのです。 これなら、簡単には寝たりしないはずですよねー。 ところが。 ガムを噛みながら、やっぱりたわしさんは寝てしまいます。 (さすがは、たわしさん、やるやるとは聞いていたが、ここまでやるとはっ、はっはっはっっ) さて、このあとに続く更におもしろい話は、たわしさん自身の筆にお任せしましょう、ここで、もう一度リンクを貼っておきますよ。 ・夢の中へのアイテム持ち込み制度 - 夜中に前へ そしてぼくは、「夜中たわし」の秘密を見た、書かれざる「真実」の光を (再度、敬称略) というわけで、今日は、カトマンズからルンビニへと、 「ネパール横断・悪路・サス悪バス・十二時間移動」 をして疲れ果てておりますので、「起」部から、いきなり「結」部に入らせていただきますが、わたくしは、夜中たわしさんという、「闇を背負ってウン十年」的な名前を持っている方の、どうにもおちゃらけた記事の中に、なんと、一縷の「真実の光」が隠されていることに、気がついてしまったのです。 それは、たわしさんの記事に反応して、 秘伝・悪夢解消術・悪役編 - *魂の次元* という記事を書いてから数日後のことでした。 そのころのぼくは、寝ても覚めてもはてなに書く記事のことを考えるほどの熱の入れようだった(当社比)のですが、その晩、なんのはずみか丑三つ時に目を覚ましたぼくは、次々に weblog に書くべきネタが生まれてくるのに気がつきました。 そして、そのとき、 「ほぇー、寝たあとで、こんなにネタが出てくるとはなぁーー」 と思っているうちに、さらに一段深い悟りへと至ったのです。 「これだったのかっっっ!!!」ぼくは思いました。 察しのいい読者の皆さんには、もはや、わざわざ言うまでもないでしょうが、夜中たわし尊師は、実は夢使いの達人だったのです。 「寝ちゃうからアイディア出しの役に立たないよーん」 と記事ではいいながら、実際には、 「寝ちゃうからどんどんアイディアが出てくるんだもんねーー」 という一子相伝のはずの「秘技」を、われら衆生のものに授けてくれていたのです。 なんという僥倖でしょうか。人に生まれたというだけでも、身に余る幸せであるというのに、「アイディア出しの仏陀」とまで言われる夜中たわし師匠が、惜しげもなくその「神技」を、実にさりげなく、 「あーら、こんなこと、あたくし、ただ日常茶飯にボケとツッコミをやってるだけですのよ」 風な現場に託して、われら凡夫に指し示していただく場面に遭遇していたとはっっっっっ !!!!!????? というわけですので、みなさんも、無理に夜ふかしせずに、さっさと布団に潜り込むのがアイディア出しの秘訣だったりするかもしれませんですのよのことよ。 いえ、逆に「徹夜ハイ」でのアイディア出しとかもあると思いますから、皆さんのお望みのままにやっていただければいいだけの話なんでございますけれどもねぇー。 てなことで、今日の記事も無駄に長くなってしまいました。 ほいでは、みなさん、ナマステジーっ。

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はてなのみなさん、こんにちわ。 このところ毎日更新が続いているもんで、今日も更新します。 でもでも、あんまり長い記事を書ける心境ではないので、短いネタを二つ組み合わせてサクッと行きます。 はてな村の「巫女」さんと知り合ったような話 弾き語りの「巫女」さんをおすすめる話 はてな村の「巫女」さんと知り合ったような話 はてなのサービスは、横のつながりができると、いろいろと楽しいと思っておりまして、「はてな村交遊録」などと勝手に名づけておりますが、ぼくは人のページはロクに読めない人間で、へんてこ雷理さんのページも表題以外ほとんど読んでませんでした。 けれども、やっぱり人間、人付き合いは、無理のない範囲で積極的にするのがいいですよね。 それで、雷理さんの記事、 中学・高校の時 アルバイトしていた件 - へんてこ雷理の を読んでみたら、なかなか情緒があっていいじゃないですか。 そして、そこに紹介されている、はてな初めての記事、 巫女(みこ)だった - へんてこ雷理の こいつはすごく気に入りました。 雷理さんがアルバイトで巫女さんをしていたときの思い出を綴ったものですが、これまたいい雰囲気の文章です。 ぼくは日本の文化にはうといので、巫女さんが神楽を舞うなんて見たことがありませんが、なんとも幽玄ですばらしい。 しばらく前に広島に住んで、神楽の面白さは堪能しましたが、まだまだ知らない世界があるのを再確認しました。 もう半世紀以上生きてしまいましたが、これからの余生が楽しみです wW というわけで、まだ「知り合った」というほどではなく、「交友」に至っていませんが、とにもかくにも「はてなの巫女さん」のご紹介でした。 弾き語りの「巫女」さんをおすすめる話 「巫女」さんというと、思い出さずにおれない友だちがいます。 森田智子さんというシンガーソングライターで、こちらがホームページです。 ・森田智子 ::: 倭美 x Blues ::: Top 音楽を言葉で表現するのは難しいですが、「ジャパニーズ・ガール」の頃の矢野顕子にも似た 「日本の伝統的な味わいをベースに、現代的な雰囲気で飾った音楽」 とでも言えばいいでしょうか、なかな独特な、情念の歌を聴かせてくれる人です。 で、その彼女が、巫女さん姿でライブをしていたんですよね。 (というのは、今もしてるのかどうか知らなくって......) 初めて彼女のライブを見たとき、 「今日は巫女さんのかっこうじゃなくてごめんなさい」 と言われて、 (ははぁ、世のおじさんは、そういう「制服」が好きなんだなぁ) と、思ったのをよく覚えています。 ぼくは特にそういう趣味はないので、ジーパンにTシャツで歌っていた彼女の、爽やかな姿と、その歌いの情念のバランスが素敵だなぁ、と思って聴いていたのですけれども。 ぼくは見てないのですけれど、youtube にも動画が載ってますので、興味のある方は検索してみてください。 てなわけで、今日は、二人の「巫女」さんの紹介をさせていただきました。 それでは、みなさん、ナマステジーっ。

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としべえ2.0β

北インド・ハリドワル辺りに出没中。

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