『一瞬で「完全に自由」に生きられるようになる「魔法」の考え方』なんてあるわけないじゃないか。

あなたがそう思うのも無理はありません。

人生は思わぬできごとの連続です。その中で「思いのままに」そして「自由に」生きることのなんとむずかしいことか......。

けれども、本当は自由に生きるのは簡単なことなんです。

いえ、「簡単」どころではありません。

あなたは、最初から「完全に自由に」生きているのです。

この記事では、「完全に自由に」生きているのに、なぜ、それを実感できないのか、それを実感するためにはどうすればいいのかを、書いてみることにします。

あなたのすることは「すべて」あなたが決めている

「あなたは最初から自由なんだ」

と言われていも、そんなわけないよ、と思うでしょう。

したいことはいっぱいあるのに、なかなかできないし、したくないことをたくさんやらなくちゃならない。

それなのに完全に自由だなんてありえない、と。

でも、考えてみてほしいのですが、あなたがやってることは、
「全部あなたが自分で決めてやってる」
ことじゃありませんか?

あなたは勉強したくないかもしれませんし、働きたくないかもしれません。

けれども、実際にやっている以上、それはあなたが

「やりたくはないけれど、しかたがない、やろう」

と思ったからということですよね?

誰かにおどかされて、やりたくないことをやる、というような極端なケースの場合はどうでしょうか。

その場合も、やらなかったときとやったときのメリットとデメリットを考えて、あなたはそれを「やることにする」か「やらないことにする」かを決めることができます。

たとえ自分の命がかかっていたとしても、同じことです。

自分の命を捨ててでも、「やりたくないことはしない」のか、
自分の命を優先して、「やりたくないことをするのか」、
それを決めるのはあなたなのです。

自分ですることは、すべて自分で決めているのですから、あなたは「最初から完全に自由」なんです。

このことを忘れないだけで、あなたは「いつでも完全に自由」です。

「自分は完全に自由だ」と紙に書いて、いつも目に入るところに貼っておいてください。

それを見るだけで、あなたは「自分が完全に自由」なことを、一瞬で思い出すことができるようになります。

自分で決めているのは分かった。でも「自由」の実感なんてないよ?

どうして、自分で「自由に」決めているのにも関わらず、「自由に生きている」という実感がないのでしょうか?

それはあなたの中に、矛盾するいくつもの欲求があるからです。

朝目覚ましが鳴ります。

起きなくてはなりません。

でも、もっと寝ていたい。

「起きよう」とする意志と、「寝ていたい」という欲求の綱引きが起こります。

あなたが本当に寝ていたいのなら、別に起きる必要はありません。

けれども、今日はデートの日です。好きな彼・彼女に会いたい。そのためにはもう起きなきゃならない。

だから、あなたは「寝ていたい」という欲求を捨てて「起きる」ことにするのです。

人間の中には、たくさんの矛盾する欲求や、同時にはかなえられない願望があります。

それ自体は自然なことです。

ところが、「あれをしたい、でもこれはしたくない」といった欲求同士のバランスが崩れてしまい、したくないことばかりを「選択する」ようになってしまうと、「自由を実感する」ことができなくなってしまいます。

けれども、どうして

「したくないことばかり選択する」

などということになるのでしょうか?

「恐れ」があると「自由」が感じられなくなる

  • おいしいものが食べたい、
  • たっぷり眠りたい、
  • 気持よく体を動かしたい、
  • 友だちと楽しく過ごしたい、

こうした欲求は、人間の持つ基本的な欲求ですから、あなたが「自由を実感したい」のならば、これをまず大切にする必要があります。

それに対して、

  • 自分の価値を高めたいから、勉強する
  • お金がほしいから、働く
  • 人に認められたいから、がんばる

といったことは、二次的な欲求です。

「自由を実感する」ためには、「二次的欲求」ばかりが優先されてしまっている状況を改める必要があります。

けれども、それがむずかしい?

お金を得るために働いているはずなのに、十分なお金が得られなかったり、お金はあっても、それを使う暇がなかったり、それどころかいつも睡眠不足だったり。

どうして、そうなってしまうのでしょうか?

それは、あなたが「社会のルール」にしたがうことに慣れすぎてしまって、そこから一歩踏み出すことができなくなってしまっているからではないでしょうか?

あなたは「頑張らなければ生きていけない」という「〈恐怖〉の人生ゲーム」を毎日プレイしているのではないでしょうか?

自分の人生なんだから、変えるも変えないもあなたの「自由」です

もし、あなたが「〈恐怖〉の人生ゲーム」を毎日プレイしているとしても、それもあなたが選んだことですし、それを変えるか、変えないかはあなたの「自由」です。

けれども、ここで考えてほしいのは、それを「変える」のは、実は

「わりと簡単なこと」

かもしれない、ということなんです。

たとえば、今日仕事が終わったあと、長いつき合いの友だちと久しぶりに会う予定があって、あなたはそれをすごく楽しみにしているとしましょう。

ところが、終業間際になって、上司からこの書類を今日中に作ってもらえないかと、頼まれてしまった。

今までのあなたなら、上司の依頼を断れずに泣く泣く残業をしていたところです。

でも、あなたはいつでも自分で決断しているのですから、断ってもいいのです。

いつもと違ったことをするのには、勇気が入ります。

けれど、勇気を出して、それをしてもいいのです。

小さな子どもだったら、大人の言うことに逆らえないかもしれません。

ですが、あなたはもう子どもではありません。

自分の判断で、自分の決断をすればいいのです。

あなたが断れば、上司は唖然とするかもしれません。怒りだすかもしれません。

そうなったとしても、あなたは、静かに「申し訳ありませんが今日はどうしてもできません」とだけ言って、立ち去ればいいのです。

そんなことをしたら、会社にいずらくなる、とあなたは思うかもしれません。

確かにそういう可能性もあります。

でも、それはただの思い込みで、周りの人たちは案外あなたの行動を理解してくれるかもしれません。

そして、ひょっとしていずらくなったら、そのときは転職を考えよう、くらいの気楽な気持ちでいたらいいのです。

みんなが「窮屈」な人生を生きている時代だからこそ、あなたは「自由」に生きていい

今の日本の社会は、多くの人が自分の基本的な欲求を我慢して、社会的な義務のために生きる、「我慢大会社会」になってしまっているような気がします。

ぼくはこの通り、五十を過ぎてインドをふらふらしているだけの、我慢大会社会失格の「ダメ人間」です。

けれども、人間一度きりの人生じゃないですか?

どんな人生を生きようと、その人生の責任は自分で取るだけのことです。

あなたが自由に生きて悪い理由は、どこにもないんです。

なんでもかんでも好き勝手にさせろ、というわけではなくて、
今よりもほんの少しだけ「自分の時間を大切にしたい」
というだけにすぎないんですから。

それに、周りの環境があまりひどくなければ、あなたが風穴を開けることで、風通しがよくなって、周りで窮屈に我慢大会をしている人も、もう少し自由に振る舞えるようになるかもしれません。

なかなかそううまくはいかないかもしれませんが、そういうことを分かってくれる友だちを増やしていくきっかけくらいには、なるかもしれません。

そして何より、あなたが実際にそうした「自由」を、今は使わないにしても、いつでもそれを「使うことができる」ということをきちんと意識しておくだけで、あなたの人生は、ほんの少しですが確実に、楽なものとなるでしょう。

  *  *  *

今日の話はこれでおしまいです。

「自分は完全に自由だ」と紙に書いて、いつでも目に入るところに貼っておくのを忘れないようにしてくださいね。

それを見るだけで、あなたは「自分が完全に自由」なことを、一瞬で思い出すことができるようになるんですから。

それでは、みなさん、ナマステジーっ♬