はてな村殺人事件・再考
中川淳一郎氏によるH氏への追悼記事に寄せて [2018.12.17 追記]
H氏について、実のところぼくはほとんど何も知らないまま、この記事を含めて三本の記事書きました。
それは彼がネット上で「危険な」挑発をした結果、命を落とされたことに関して、彼の死を無駄にしないためには、早い時点でその意味を明らかにしておいたほうがいいと思ったからです。
ぼくの記事を読んで、H氏を批判していると思い、遺族や関係者の方々に配慮が足りないと思った方もいらっしゃったかもしれません。
それについてはここで改めて謝りたいと思います。つたない文章で気分を害していたとしたら、本当に申し訳ないです。
中川淳一郎氏の書かれたブロゴスの追悼記事を読んで、H氏はとても有能な方であっというだけでなく、人間的にも素晴らしい方だったんだなということがよく分かりました。
H氏のご冥福を改めまして心よりお祈りいたします。
中川氏の追悼記事には、H氏の直截で忌憚ない人柄と、裏側もしっかり確認するきちんとした仕事に対する姿勢が描かれると同時に、
だからといって彼による揶揄を正当化する気は毛頭ない
と冷静な筆致でしるされています。
このような素晴らしい追悼記事を書かれた中川氏にも敬意を表して、この追記を終わります。
・ ・ ・
2018年6月25日、福岡市で開催されたネット関係のセミナーで、講師のHさん(41歳)が殺害されるという事件が起こった。
警察の調べなどから、容疑者のTさん(42歳)は、ネット上での言葉のやりとりによるトラブルから、Hさんと面識はなかったにも関わらず、犯行に及んだものと見られている。
この件についてはすでに二つの記事を書いた。
・なぜブロガーH氏は殺されなければならなかったのか - 批判と侮辱の心理学 - *魂の次元*
・はてな殺人の深層 - きみの一言が容疑者を焚きつけていたとすれば - *魂の次元*
この記事では、亡くなったHさんのご冥福を改めて祈るとともに、ロマン優光氏の記事
・福岡セミナー講師刺殺事件に思うこと:ロマン優光連載112 - ブッチNEWS
からいくつかの論点をお借りして、この事件について再度考えてみることにする。
他者を見下すような発言、特に弱者を見下すような発言は「危険」なんだってばさ
ロマンさんは
H氏が、彼に何をしたかというと、彼の荒し行為と彼に対する通報に関する株式会社はてなの対応をblogに書いたこと、程度の低いことに関するたとえとして「T先生」の名を出したこと、それぐらいだ。容疑者を運営会社に通報したり、そのことを公言してた人間は他にもいるだろう。そればかりか、容疑者に対する酷い罵倒を書いていた人たちだって何人もいることだろう。別にH氏が彼を必要以上に攻撃していたというようなことは、特にないのだから。
(被害者と容疑者の名前に関わる表現は、通称の頭文字に置き換えた)
と言って、今回の事件の「通り魔性」を主張してて、まあ、それは一理あります。
だけど、Hさんが記事で、Tさんのことをおもしろおかしくネタとして書いてるのもまた事実で。
(参照 http://hagex.hatenadiary.jp/entry/2018/05/02/112825 http://hagex.hatenadiary.jp/entry/2018/05/10/132154)
それがTさんの神経を逆撫でしないわけもないよね。
もちろん、「その程度」の発言があんな事件を引き起こすなんて予想できるわけもないから、それを理由に「Hさんに落ち度があった」と言うわけにはいきません。
そして、逆に「あの程度の発言はしていいんだ」というわけにも、もはやいかない。
現にこういう事件が起きちゃった以上、
- 「あんなふうに人を見下して笑いものにするのは危険なことなんだ」
という認識を多くの人が持つべきだと思います。
弱者を見下すのは特に危険ですよね。
失うべき何も持ってない弱者だったからこそ、Tさんは今回の事件を引き起こしてしまったわけで。
- ページビューを稼ぐために特定の弱者を笑いものにするようなことは、絶対やめたほうがいい、
というのが今回の事件から得られる一番大きな教訓でしょう。
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我慢できない人は勝手にやってればいいと思うけど、報復は報復を生むだけでしょ?
ロマンさんは
彼らはカウセリングを必要とする人たちだったり、何らかの精神的な疾患を患っているのかもしれない。だからといって、彼らがネット上で振り撒く理不尽な暴力を向けられた人たちに我慢しろというのは、おかしな話だ。
というふうにおっしゃっています。
「我慢しろ」というのはおかしいということには同意します。
そして「我慢できない気持ちをどうしたらいいのか」ということについては、即効性のある答えの持ち合わせはありません。
ただ、
- 我慢せずに言い返したところで、状況はよくならないのだ、
ということは、よくよく考えたほうがいいのではないかと。
暴言は暴言を呼び、報復は報復を生むだけなんだから、賢いやり方は、相手の攻撃をかわして、相手にしないことですよね。
数に頼って相手を言い負かすような行為の集積が、今回の事件として帰結したのかもしれないことを、冷静に考えるならば、
- ネット上では、見ず知らずの人間に突然暴言を投げつけられる可能性があることを予め知って、
- そうした暴言を受けても、怒って感情のままに行動するのではなく、
- 相手の暴言を今後見ないで済むように、落ち着いて対処する
といったことが大切でしょう。
多くの人が言っている通り、
- スルー能力こそ最強の防備
ということです。
まあ、こうやって書くのは簡単でも、実際にやるとなると、なかなか難しいことですけどね。
救うことはできなくても、自分の考えや行ないを改めることはできる
ロマンさんはさらにこのように書いて記事を締めくくってます。
彼らのような人間を救うことこそ、真に必要なことなのだろうけど、彼らのような人達を救う方法は私にはわからない。ただ、陰鬱な気持ちで眺めているだけだ。
身近で接する人なら、声をかけて話を聞くこともできるけれど、ネット上ではそうしたことも、なかなか難しい。
そもそも救うなんて、たぶん誰にもできないことで、でも本人が苦しんでいて、その状態から抜け出したいと本気で思うのなら、周りの人が手助けできることは、何かしらあるはずで。
ネット上でのあなたの一言で救われる人もいるかもしれない。
今回の事件を起こしてしまったTさんは、いわば「助けを求めた結果」孤立することになって、こじれにこじれた挙句、最終的に「こういう行動しか取れなかった」という実に可哀想な人なのかなと思います。
「そんなことで殺された人間はどうすればいいんだ」と問われたら答える言葉もありませんが、事件というものは「個人の責任で起こる」というよりは、社会の歪みがある特定の個人を通して現れるものだと考えているぼくとしては、
- 社会を構成しているぼくら一人ひとりが、自分の考えや行ないを振り返って、変えるべきところは変えていく、
という地道な作業を続けることでしか、社会はよくならないんだろうなと思います。
こうした痛ましい事件が起こってしまったことを、
- 一人でも多くの人が自分の問題として受け止め、自分に何ができるのかを考えていくことが、社会を少しでも良くしていくためには大切なのだ
という、月並みな結論でもって、この記事を終わることにします。
最後までご精読ありがとうございました。
それではみなさん、ナマステジーっ♬
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