ソウル・フラワー・ユニオンの「満月の夕(ゆうべ)」は、ぼくにとって思い出深い歌です。

神戸の震災をモチーフに、やるせない思いを力強く歌い上げるその歌を、ぼくは友だちの弾き語りで知りました。

星が降る
満月が笑う
焼け跡を包むようにおどす風

解き放て
すべてを笑え
満月の夕(ゆうべ)

ソウル・フラワー・ユニオン「満月の夕」


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1995年の3月末、知り合いに誘われてぼくは神戸に行き、公園のテント村に張られたティピーと呼ばれるアメリカ・インディアン式のテントに寝泊まりして、震災後の空気を吸いました。

神戸について駅から外に出たとき、朝の通勤の人々の列が日常の光景を繰り広げているのに、少し歩くと震災の爪あとはまだ生々しく、焼けてタイヤのなくなった車や、一階が崩れて二階が地面に接している木造家屋、そして、家をなくした人たちは、テントで生活をしているという光景の日常との対比に、今までに感じたことのない「非日常の現実」を感じたものです。

「満月の夕」を教えてくれた友だちとは、震災後しばらくして精神福祉の現場で出会いました。

彼に出会って、ぼくもギターを持って歌うようになりました。

人生というものは、今日と同じ明日が、永遠に続くような錯覚に落ち入りがちですが、実のところぼくたちは日々年老いていき、いつかはこの世を去る日が来ます。

今日の幸せは明日には崩れているかもしれないし、ある日突然が死が訪れないとも限りません。

それでもぼくたちは日々を生きていかざるをえません。

73年前の戦争や、23年前の神戸の地震、そして7年前、福島の原発を破壊し、たくさんの命を飲み込んだ東日本大震災、ぼくたちの「平和な日常」の影には、いつもそうした「非日常の現実」が隠れて存在しています。

そうした数々の「困難」を越えて、今のぼくたちの「平和な生活」があるのです。

ある意味しんどい、現実の冷酷な側面を忘れず、それに堂々と立ち向かっていくために、歌や音楽というものは、力を与えてくれるものだと思います。

山猫さんの記事
23年前のあの夜、街灯りが消えた神戸を満月が見下ろしていました。 - 森の奥へ
を読んでそんなことを思っていたら、言葉が湧いて来ました。

みなさんの心に、何か伝わるものがあったら幸いです。

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やおよろずのかみがみよ
ブッダよ、イエスよ、モハンマドよ
いまこそあの日の苦しみを
しずめたまい、はらいたまい、きよめたまえ

あおいそら、しろいくも
なみはしずかに、かぜそよぐ
やがてゆうひにそらそまる
まんげつがのぼり、よるがくる

うたおう、おどろう
いのりをささげよう
うたおう、おどろう
すべてのいのちのために

うたおう、おどろう
あしたのせかいのために

うたおう、おどろう
いのりをささげよう

うたおう、おどろう
いのりをささげよう

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てなところで、この記事はおしまいです。
それではみなさん、ナマステジーっ♬