この記事では「東大卒」という烙印が、人生にどんな影響を与えるかを、主に負の側面から、特に文系女性の場合において考察します。

「『東大生』というと人間扱いされない!」という、ぼくの男友だちの悲痛な叫び

まずは個人的な話から入りましょう。

ぼくは東京の人間で、私立の中高一貫制の男子校を卒業して、1980年代の半ばに大学生活を送りました。

そのときの同級生で東大卒の友だちが何人かいますが、ぼく自身はそんなに勉強はできなかったので、別の国立理系大学に進学しました。

大学時代も高校からの友だちとつき合いを続け、よく酒を飲みましたが、その中に、仲間のうちでも一番頭のよい、そして感受性も人一倍強い奴がいました。そいつは東大で数学を専攻していました。

彼は酒の席で、同じ店にいる見知らぬ人とも平気で喋る、ちょっと変わった奴だったのですが、その彼があるときこう言ったのです。

「『東大生』だと分かると、人間扱いしてもらえないから、酒の席で見知らぬ人と喋るときは、『千葉大に通ってる』と話すことにしている」のだと。

当時のぼくは彼が少し過敏すぎると思っていたので、そんなことまでしているとは「こいつはホントに変わった奴だな」くらいにしか思わなかったのですが、今となれば、感受性の強い彼が、実際の経験から相手の反応をよく確かめた上で、「実質のある」会話をするためにはそうせざるをえないと考え、わざわざそのような手の込んだフェイクを使っていたのだな、ということがよく分かります。

つまり、世間一般の人間というのは、それほどまでに「東大生・東大卒」というものを

  • 恐れ、敬い、軽蔑し、バカにしている

ということです。

こんなふうに書いても、そうした経験のないみなさんにはにわかには信じがたいことかもしれません。

現役の東大生が書いた
東大を舐めている全ての人達へ|tonoike19950604|note - (1) tonoike
という記事や、東大卒の20代女性が書いた
それでも世の人は、東大を舐めずにはいられない|桂|note - (2) 桂
という記事を読んでいただければ、

  • 東大生の特殊性と、
  • それに対する周りの人たちの特別な反応について、

いくぶんかは納得していただけるのではないかと思います。

東大卒文系、一般企業就職の女性が受ける「受難」の日々

次に上に挙げた (1) の桂さんの記事から引用して、東大卒の女性が社会において受ける「差別」のひどさと、その錯覚資産*1ならぬ錯覚負債について少し見ることにしましょう。

まず、桂さんの子ども時代の経験から、彼女がいかに精神的に「虐待」され、屈折した「エリート意識」を持っているかを確認します。

私は小学校からエスカレーター式の私立高校から東大に進学しました。なのでこれを書いた彼のように中学受験こそしていませんが、東大に入学するために同じだけの苦痛を強いられてきた自覚があります。テストや模試の点数が最高点やAランクでないと、既に東大現役合格していた兄と比べられ「お兄ちゃんと同じように育てたのに、どうして同じに育たないの?」「妹は産まない方が良かったのかな」と母から言葉の暴力を受ける毎日。そんな中で「勉強しないと/東大に行かないと生きている意味がない」という謎の強迫観念に迫られ「起きている時間はずっと勉強」状態となり、なんとか現役合格しました。

「謎の強迫観念」と冗談めかして書いていますが、「起きている時間はずっと勉強」をしているとは、「ほとんど病気」としかいいようがありません。

この方はこのような「地獄」を切り抜けられて、現在は健康に過ごされているようですが、

  • 一歩間違えれば人生が破滅しかねないレベルのストレスを受けていた

といっても言いすぎではないでしょう。

この「苦痛を乗り越えた」という実感が、「屈折したエリート意識」につながります。

新入社員として自己紹介をし、学校を聞かれて「東大」と言った瞬間、周りの人の目から光が消えたのを覚えています。

「まあ、仕事には勉強は関係ないからね」

東大、と言ったそのすぐ後に、その場にいた一番偉い役職者の方が仰いました。私は「東大だから仕事ができます」のようなことは一切口にしていません。ただ、学校を聞かれたから、東大です、と事実を答えただけでした。

その場にいた一番偉い人がそんなこと言うもんだから、周りの先輩がたも次々に同調しました。「仕事は人と人との関わりですからね、勉強できることは関係ない」「ですよねー、俺の同期の高学歴のやつも全然営業できなくて」「経験の方が大事ですよね」・・・。私は、東大卒というプロフィールを持っているだけで、なぜこんなに怒られているんだろう、そういう違和感をその時、初めて抱きました。

ここまでは、世間を知らなかったお嬢様が、初めて現実世界の冷たい風に晒されたときの実感が、実に率直に述べられています。

私は一般企業に入社して最初の一年、東大を卒業したことを心底後悔しました。
大学名を聞かれ、言った瞬間に構えられる。
マウントを取っていないのに逆にマウンティングされる。
人より苦手なことがあると、人の数倍バカにされる。
東大を出て、一般企業でいいことなんて何もなかったです。

この最後の一文に、彼女の「屈折したエリート意識」が見え隠れしています。

つまり、
「東大を出たのだから、一般企業でもいいことがたくさんあると思っていたのに、こんな目に合うのはおかしい。みんなはもっと自分の優秀さを認めてくれていいはずだ」
という

  • 「虐待」されて育った
  • 可哀想な「子ども」の
  • 悲しい「自意識」が見て取れる

ということです。

これを「エリート意識」という言葉で説明するのは、少し誤解を招くところかもしれませんが、うまい言葉が思いつきませんもので、「屈折したエリート意識」とさせていただきました。

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東大卒、文系、一般企業就職の女性をどうすれば「地獄」から救えるのか?

さて、初めにあげたぼくの友だちの例は、男であり理系であり、しかも彼は今は大学で先生をしていますので、桂さんの例とは対極にあります。しかし、彼の人生を間近に見るものとして、彼の持つ「東大卒」という烙印はやはり重たいもののように思えます。

また、(2) の tonoike さんの場合も男性ですが、他者を「コバエ」呼ばわりする彼の感性は、現代の若者の率直な言葉使いであることを差し引いても「エリート意識丸出し」のものであり、「虐待経験」から言っても彼の抱える「重荷」というものをひしひしと感じさせられるところです。

ですから、この東大卒という極めて重い「烙印=錯覚負債」のことも、一般的な問題として大いに検討に値するわけですが、ここでは問題を絞って、

  • 東大卒、文系、一般企業就職、女性

という錯覚負債の四重苦の場合だけを述べることにします。

そのとき、東大卒の人物を評価するときに、ありのままのその人の言動や行動を見るのではなく、先入観と錯覚にもとづいて、

  • こいつは東大卒だから人をバカにしてる、
  • こいつは文系なんだからもっと人間の気持ちが分かって当然だ、
  • こいつは一般企業に就職したのに、一般企業の常識が分かってない、
  • 女のくせに東大卒だからって気取りやがって、

などなどなどと、周りから寄ってたかってやられては、健全な精神状態の人間でもストレスでまいってしまいかねません。

実際、電通過労死事件の東大卒女性は、単に長時間労働をしていたためということではなく、そのような過剰なストレスのために精神のバランスを崩されたのではないでしょうか。

この記事のタイトルには「コミュ障」という言葉を使いましたが、人間関係が苦手な「ウブ」な女性が、電通のような「魑魅魍魎」の跋扈する企業に間違って入ってしまったとき、それはまさに「地獄」としか言いようのない毎日だったのではないかと推測します。

一旦彼女のような事態に落ち入ってしまうと、なかなかそこから抜け出すことは難しい。

そこで、ひとつの方法として、このような錯覚にもとづく差別が蔓延する社会を変えていくということが考えられます。

そのためには、一体どうしたらいいのでしょうか。

桂さんは、

私はこうした社会に対して、東大卒業生本人が頑張る、以外の解を見つけられていません。

というのですが、これははっきり言って逆効果でしょう。

彼女は、一年目はつらかったが、頑張って乗り越えたからもう大丈夫だ、というのですが、それは日本の会社社会というものを、まだまだ分かっていないからなのではないでしょうか。

旧態依然とした日本の一般企業は、お世辞にも実力主義の文化風土を持つとは言えません。

彼女への目に見える差別は今はないのでしょうが、彼女が実力を発揮すれば発揮するほど、周りからの妬みや嫉みはいよいよ増していくことになりかねません。

よい上司に恵まれ、かばってもらうことができれば、問題なく会社を勤め上げることもできるかもしれませんが、一歩間違えれば、せっかくの努力も水の泡、どうしようもない子会社に出向かされて不遇の一生を終えるなどの最悪シナリオも、当然想定すべきではないかと思われます。

(そもそも一旦入った会社で頑張らなくては、という発想自体が旧態依然としていて危険です。電通過労死の彼女の場合も傍から見れば、なんで会社やめなかったの? という話です。もちろん彼女は可哀想にもやめられないと思い込んでいたわけですが)

そうした危険を考えれば、それなりに実績を積んだところで、さっさと安心して働ける外資系の企業にでも転職したほうが、人生を棒に振らずにすむのではないかと、おせっかいではありますが考えてしまうところです。

結局、「東大卒業生本人が頑張る」というのは、むしろ差別を助長し、陰湿化させるだけであり、なんら問題の解決にはつながらないということです。

そもそも問題解決のために、

  • 「世間の東大への偏見をなくす」

という方向性が間違っているように思えます。

明治以来日本という国家が築き上げてきた東大という権力機構が持つ「偉大な」イメージの虚像として存在する、東大という虚構的構築物への「烙印・偏見・錯覚負債」をなくすことなど、不可能とまでは言えなくても、まったく至難の業としか言いようがありません。

そして、そんな難しいことをしなくても、四重苦の東大生を救う簡単な方法があります。

それは、東大で進路指導を行なうときに、

  • この四重苦の事実をきちんと伝える

というたったそれだけのことです。

人間は、予期しない異常な環境に投げ込まれるからこそ、それを「地獄」だと思うのです。

文系の女性が一般企業に入ったりすれば、

  • 「東大卒だというだけで人間扱いされない」

という事実をあらかじめ知っていれば、それを避けられる人は避けるでしょうし、それでも入りたい人は、それなりの対策を打つこともできるのです。

まったく簡単な話ではありませんか。

ところが現実には、当の東大がこのような当然の就職指導を行なうことは、よほどの外圧がない限り、ほぼありえないことでしょう。

日本の恥の文化というやつのためなのかどうか、理由は分かりませんが、とにかくこのような、現実的な就職指導を東大当局が行なうとは、ぼくには到底思えません。

なぜなら、当局はこのような事実を当然知っているに決まっているのに、今の今までこの現実を放置しているのですから。

ですから、桂さんを始めとする東大卒文系女子のみなさんが今するべきことは、東大で就職活動をしている学生にこの事実を明らかにすることです。

そして東大当局にも働きかけて、公的に就職指導のカリキュラムにこの事実を盛り込むことです。

それは決して簡単なことではないでしょうが、日本のトップの高等教育機関の女性すら

  • 自分の将来の情報をきちんと得る

というあまりにも当たり前な権利すら十分に守られていないとしたら、その他の普通の、あるいは恵まれない女性の権利を守ることなどできるわけがないではありませんか。

東大を卒業して、人並み以上の生活をしている先輩の女性のみなさんが、後輩たちを守らなかったならば、一体だれが守ってあげられるというのでしょうか。

ぼくは東大とはなんの関係も持たないただの一般人にすぎませんので、この件で特別に何かをすることはできませんが、こうした文筆活動を通じてもしもお手伝いできることがあるならば、なんなりと仰せつかりたいと思います。

以上、かなり手厳しい意見を申し述べましたが、東京大学で学ばれる知性豊かのみなさまには、この文章の意図するところがきっと伝わるものと確信して、タブレットを置くことにします。

東大在学中、また東大卒の、そしてすべての女性のみなさまのご健勝を心よりお祈りします。

それではみなさん、ナマステジーっ♬

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*1:錯覚資産についてはこちらの記事をご覧ください。https://dimofsoul.mitona.org/entry/sakkaku-sisan