TOKIO山口達也氏の「強制わいせつ」と「アルコール依存」を巡って
国民的アイドルグループTOKIOのベーシスト山口達也氏が、酒に酔って、未成年の女性知人を自宅に呼び、無理やりキスをした事件が世間を騒がせています。
山口氏は今年46歳。「いい大人が何をやってるんだ」というのが「常識」的な反応のようです。
この記事では、この事件についてあれこれ感想を書いてみたいと思います。
第一に被害者の方の安全、次に山口氏の「弱さの問題」と「病状の回復」を考えたい
今回の事件では、被害者の女性の方とは示談が成立しており、「強制わいせつ」事件として書類送検されたものの不起訴処分が決まっています。
ですから法律の枠組みとしては、すでに決着がついているわけです。
しかしながら、社会的には「はい、一件落着!」と言えるような状況には到底ないわけで、テレビやネットでは大騒ぎをしている人たちが目立つ状況です。
この事件は「強制わいせつ」ということで、未成年の女性が被害者となっていますが、この女性を特定しようという悪質な行動もネット上では取り沙汰されており、事件だけでも十分に心に大きな傷を追ったであろう被害者に、二次被害が出ることのないよう、心から祈るものです。
また、事件を起こしてしまった山口氏については、飲酒が原因で体調を崩してひと月入院していたにも関わらず、退院した当日に泥酔してこのような事件を引き起こしたことを考えれば、彼が「依存症」であることは明らかでしょう。
「依存症」は生まれと育ち、そして大人になってからの環境が複合して原因となるものであり、しかもそうした原因が「本人の弱さ」という見かけを通して「病気」として現れるものですから、そのとき「お前は弱いからダメなんだ」というような厳しい言葉を投げることは、回復につながりません。
「依存症」は、人間関係をうまく築くことができず、絶えず「孤独」を感じることから起こる病気です。ですから、この「孤独感」を乗り越え、周りとの信頼関係を育てていくことによってこそ、この「病気」は克服されえます。
山口氏は、今回の事件をいいきっかけとして、きちんと自分の「病状」と向き合い、回復を目指して十分な取り組みをしていただきたいところです。
また、周りの方々には、彼の「休養」を暖かく見守ってあげてほしいですし、もしも彼に復帰を急ぐ気持ちがあっても、周りはむしろそれを抑えることで、彼が十分「回復」できる環境を整えてあげてほしいものです。
山口氏は、大きなお金が動くビジネスに関わるスターとして、いろいろと取り沙汰されることを逃れられませんが、周りの雑音に心を惑わされてあせることなく、ゆっくり休養されたらいいなと思うのです。
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芸能人が起こした「女と酒」の事件についてのいくつかの考察
サーカスとしての報道について
「パンとサーカス」という言葉があります。
古代ローマの詩人ユウェナリスが、政治に関心を失った市民は「パンとサーカス」すなわち「食べ物と見世物」を求める、と言ったのですが、21世紀の報道はすっかり娯楽化して、政治や経済といった物事の本質から目をそらすための「サーカス=見世物」になってしまっているのではないでしょうか。
事務次官がセクハラをしたとか、大臣が「キャバクラ」ヨガに公用車で通っていたとか、それぞれに報道するに値する社会的意義があるかもしれませんが、テレビのワイドショーを見ていると、そうした「意義」を超えて、いわゆる「覗き趣味」であったり、誰かを叩いて「鬱憤を晴らす」といった、娯楽の役割ばかりが強調されているようで、しかも、それがまったく当たり前のことになっていることに、ある種の違和感を感じます。
スポンサーは視聴率を取れればいいのでしょうし、政治を支えて、経済を回す企業こそがスポンサーなのですから、こうした「見世物」によって大衆が政治から関心を失うのはまさに好都合というわけでしょう。
インターネットがどれだけ普及し、いかに多様化しようとも、「マスメディア」としてのテレビの地位は揺るぎないものと思われ、TOKIOのような国民的アイドルグループは、ニッポンの集合的意識を操作するためにまったく便利な道具になっているようです。
依存症について
山口氏の事件の報道を見ていて、一番感情を動かされたのは、「依存症に対する世間一般の理解のなさ」によるものでした。
ぼく自身がアルコール依存でクリニックにかかり、断酒薬を処方してもらった経験があるためもありますが、この問題について「だらしがない」とか「意志が弱い」とか、はたまた「酒が悪いのではなく、本人の意志の問題だ」というような言葉を聞いていると、どうしても怒りの感情が湧いてきてしまうのです。
ぼくはヴィパッサナー瞑想に出会うことによって、アルコールに振り回されることはなくなりましたが、「依存症」というものは、本人が「今度こそやめるぞ」と思ったからといってやめられるようなものではありません。
もちろん、本人に「やめよう」という気持ちがあることこそ出発点になるのですが、それを支える環境がない限りアルコールをやめることはできないのです。
(一部の例外はあると思いますが、それは本当に稀なケースに限るでしょう)
「酒を飲まずにはいられない」という、その「底なしの孤独」を知らない人が、
- 「自分はこうやって普通に酒と付き合えるんだから、お前だってできるはずだ、できないお前はダメ人間だ」
と烙印を押しても、問題は悪化するだけです。
「酒癖が悪い」ことは確かに問題でしょうが、「酒癖が悪い」ことを責め立てても、その問題の解決には役に立たないのです。
残念ながら、多くの「普通の方々」は、「底なしの孤独」なんてものは知りたくもないようですから、そういう方が何を言おうと、それはただ聞き流すしか仕方のないことです。
けれども、もしもあなたに、「依存症」を抱える方の友だちとして、その問題を解きほぐしていく手助けをしたいという気持ちがあるのでしたら、その「依存症」の方が、どんなに「ダメ」な人間だったとしても、許してやってほしいと思うのです。
ここで「許す」というのは、「酒に逃げるのを許す」ということではありません。
「酒に逃げてしまった弱いその人を許す」ということです。
そしてそれは、「前は酒に逃げざるを得なかったけれども、もう酒に頼らなくても大丈夫なその人を信じる」ということでもあります。
TOKIOの山口氏を含め、「依存症」であり、そして「依存症であることの苦しみが周りに分かってもらえない」ことで苦しんでいる方々が、少しでも楽に生きられるような社会が実現することを心から祈っております。
山口氏には同情あるのみ
テレビのワイドショーのような「下世話」な報道を見ていると、いろいろとうがった感想も湧いてくるもので、
- 被害者の女性と知り合うことになった番組で山口氏が、収録終了後に若い女性たちに優しく接していた
というようなことを聞いて、「それって下心丸出し?」みたいに思いもしました。
けれども、山口氏の「涙の会見」の様子を見ると、彼はそうした下心を持った「悪い」人間には見えません。
「孤独」を抱え、その寂しさをなんとかするために、できる限りいい人間であろうとして、周りの人たちにも優しく接し、周りの人から好かれるように、精一杯努力をしている人なんだろうなと思います。
けれどもそれはあくまでも作った「自分」にすぎませんから、酒に酔えば違う「自分」が現れもするだろうし、夫婦関係のような毎日の関係性では別の「自分」を見せざるをえなかったのでしょう。
2008年、36歳でできちゃった婚をし、二人の子どもが生まれたにも関わらず、妻と安定した関係を作ることができず、2016年に離婚。
離婚の原因も「女や酒の問題」と言われていますが、その背後には「孤独感」や「精神の不安定さ」が隠されているようです。
そんな山口氏に、依存症のみならず離婚経験もあるぼくとしては「同情あるのみ」なのですが、とにかく氏の今後に幸多からんことを祈ります。
てなところで、この記事はおしまいです。
それではみなさん、ナマステジーっ♬