「本当に幸せに生きたい」人が知っておくべきたった一つのこと - あなたの幸せはあなたしか知らない
世の中には、
- 好きなことを仕事にして、楽しく生きよう、とか、
- 好きなことを仕事にするなんて夢のようなことは考えるべきじゃない、
とか、いろいろな意見がありますが、みなさんはどんなふうに考えて、仕事をやったり、やらなかったりしてますか?
今日は、はてな村の秀逸な書き手ふろむださんが十年以上前に書いた文章、
・「好きを貫く」よりも、もっと気分よく生きる方法 - 分裂勘違い君劇場
を肴に、「幸せに生きるために知っておくべき二、三のことがら」について書いてみようと思います。
なお、本当に幸せに生きるためには、
- あなたの幸せはあなたにしか分からないのだし、
- したがって人の考えを鵜呑みにしてはいけない、
のだという、ごく当たり前の結論が十分分かってらっしゃる方は、本文をわざわざ読むには及びませんので、念のため。
- 頭のいい人、成功した人の意見は「もっともらしい」けど、それがあなたにも当てはまるとは限りません。
- 自分が何を本当にやりたいのか、あなた本当に分かってますか?
- 本当は「みんな好きなことをやっている」という身も蓋もない事実に気づいてますか?
- それでも「おれは好きでこんな仕事をしてるわけじゃない」と思うあなたへ - 自分の無意識との賢いつき合い方
- あなたが「今の仕事にすっかり疲れ切っている」のならば
- あなたの幸せはあなたにしか分からない - 自分だけを頼りに世界の幸せを願う
頭のいい人、成功した人の意見は「もっともらしい」けど、それがあなたにも当てはまるとは限りません。
テレビや新聞、様々な書籍、もちろんネット上の各種メディアにも、どんなふうに生きたらいいとか、どんなふうに生きるべきだとか、いろんな意見が溢れています。
頭のよさそうな人や、大成功してるように見える人の意見は、どれも「もっともらしく」思え、そうした考えをうまく真似して、自分の人生を充実したものにしたいと思うのは、ごく当たり前のことでしょう。
ここで気をつけなければならないのは、たいていの人の意見というのは
- 自分はこうやったらうまくいった、
というだけの「個人的な体験談」にすぎないのに、
- こうするとうまくいく、
という「一般論」の形で語られるため、読み手が注意深くないと、簡単に間違った方向に誘導されてしまう危険があることです。
ですから、もしあなたが、人の文章を読んで、「確かに言えてるなー」と納得しやすいタイプの方だったら、
- 「おっと、また納得しちゃったけど、これが本当かどうかは、少し判断を留保しておくか」
と思うくらいのほうが、真実に迫れる可能性が増すというものです。
現実には様々なメディアで、「好き」と「稼げる」が一致して成功している人がたくさん発言していますので、結果として「好きを仕事にするべきだ」といった言説が「真実」であるかのように流布することになります。
しかし、それを「鵜呑みにしてよいのか」ということが問題です。
これについては、ふろむださんが、
・「好きを仕事に」という欺瞞に騙されず、心の底から気持ちよく好きなことをやる方法 - 分裂勘違い君劇場
という記事で、十分に分析してくださっています。
窮屈な日本の社会では「匿名ブログでしか書けない」本音が読めますので、一読をおすすめします。
自分が何を本当にやりたいのか、あなた本当に分かってますか?
そもそも「好きを仕事にする」といっても、仕事にしたいほど好きなことがある人って、どのくらいいるんでしょうかね?
あるいはぼくのように、「ぐうたら寝て過ごすのが好き」な人間は、どうやったら、それを仕事にできるのでしょうか?
一生をかけて一つのことを仕事としてやり続けて、それをずっと好きでいられる人って、ごく少数の幸せな人でしかないのが、現実というものでしょう。
どちらかといえば、現実に「自分ができる職」について、その仕事を「楽しくできるように工夫する」、というのが多くのみなさんにとっては、有効な方法論になるはずです。
このとき、日本のさえない社会状況の中では、「楽しく仕事をする」ことが難しくなっていることが、大きな問題になるわけですけれども。
本当は「みんな好きなことをやっている」という身も蓋もない事実に気づいてますか?
さて、みなさんは「好きでもない仕事を、生活のために仕方なくやっている」と感じているかもしれません。
けれども、その状況は
- 「あなたが好きこのんで選んでいるものなのだ」
と言われたら、どう思うでしょうか。
- 「いや、自分は好きでこんな状況を選んでるわけじゃない、状況さえ許せば、もっと自由に他の道を選ぶに決まってるじゃないか」
と考えるでしょうか。
もしもそうお考えでしたらば、ここで少し検討していただきたいのは、いくらかの限定はあるにしても、
- あなたの今の人生は、あなたが選んできたことの結果としてあるのではないか、
ということです。
みなさんの中には本当に地獄のような状況を生き延びてきて、生き延びるためには他の選択肢はあり得なかった、という方もいるかもしれません。
そうであったとしても、死を選ぶか、生き延びることを選ぶか、という究極の選択に対して、「生き延びる」という選択をしたのは当然あなたなのです。
みなさんが自分の人生において「何を基準に選択してきたか」は人それぞれでしょう。
ときには「打算」で、ときには「自分の欲求」を最優先して、ときには愛する人のために「自分を犠牲にして」、あなたは様々な選択をし、その結果として、あなたの人生の今があるのです。
その選択はどれをとっても「あなたが好きで選んだもの」です。
たとえそれが「親に強制された選択肢」であったとしても、「親に逆らわない」という選択を好きでしたのは、あなたなのですから。
このように考えれば、「好きを仕事にする」という夢のような話も、実はみんなが普通にやっていることになってしまいます。
「こんな仕事やりたくない」とあなたが思っているとしても、現にあなたがその仕事をやっている以上、それは「好きでやっている」ことに決まってますもんね。
─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─
☆ここでちょっと一休み、<スポンサード・リンク>です。
─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─
それでも「おれは好きでこんな仕事をしてるわけじゃない」と思うあなたへ - 自分の無意識との賢いつき合い方
そうはいっても、
- 「おれは好きでこんな仕事をしてるわけじゃない」
と思うあなたの気持ちももっともなものです。
おもしろくもない仕事を、したくもない気遣いをしながら、体力と精神力の限界までやっているとしたら、それに対して
- 「好きでやってるわけじゃない」
と感じることはまったく自然なことだからです。
ここで問題となるのは、
- 「こんな仕事はやりたくない」
という気持ちと
- 「それでもこの仕事を続けなければならない」
という矛盾するもう一つの気持ちの間で、どのように折り合いがつけられるのか、ということです。
あなたの「意識」は、仕事をやっていてつらいことがあれば、「こんな仕事はやりたくない」と言います。
けれども仕事が終わったあとで、少し落ち着いて振り返ってみると、「そうはいってもこの仕事をやめるわけにはいかない」と言います。
結局あなたの「意識」というものは、そのときどきに頭に浮かぶ考えを確認しているだけで、大抵の場合、現実の行動には結びつかないのです。
こうしたときに、他人の意見は実はあまり役に立ちません。
もちろん客観的なデータを増やして現状を分析する、という意味では、人の意見も参考にはなります。
けれども最終的にはあなたが、
- 「自分の気持ちを大事にして今の仕事をやめる」という決めるか、
- 「弱音は吐かずに今の仕事を続ける」という決心をするか、あるいは
- 「今はやめられないが、やめられるように準備をする」
という第三の選択をするかして、自分の気持ちを決めない限りは、いつまでも堂々巡りをするだけですし、他人の意見に頼って決定したとすれば、あとから後悔する可能性も大きくなります。
このとき論理的に分析することで事態の打開が図れる方もある程度はいらっしゃるでしょうが、多くの方の場合、自分の「本音」、自分の「無意識の欲求」というものに耳を澄ますことが、解決の大きなヒントになるはずです。
あなたが「今の仕事にすっかり疲れ切っている」のならば
もしあなたが、「今の仕事にすっかり疲れ切っている」のに「絶対この仕事はやめられない」と思い込んでいるのでしたら、日々の生活の隙間の時間を集めて、
- 「自分は今のままのペースで、この仕事を続けられるだろうか」
と自問するべき段階にあるかもしれません。
そのとき理性的に状況を分析するのではなく、ゆっくりと深呼吸をしながら、自分の体と心の奥深くからやってくる、普段は無意識的な領域に押しやられている「自分の本当の気持ち」に耳を澄ませてみてください。
あなたが幸せに生きるためには、まず自分の「本音」を知らなければなりません。
普段の生活の中で、抑え込み続けて、心の奥深くに沈殿してしまった「本音」を知ることは、必ずしも簡単ではありません。
けれども、あなたが「限界」に近い状況で働いているのならば、「答え」は比較的簡単に得られるでしょう。
そのときあなたが、その「答え」を信じられるかどうかが大きなポイントです。
本音は「もうやめたい」なのに、
- 「やっぱりやめられない」
と考えてしまったら、出口がなくなってしまいます。
実際に「仕事をやめるべき」なのか、「休職」すればいいのか、ここでもいくつかの選択肢がありうるでしょう。
心療内科などにかかることも含めて、将来について考えるべきときなのかもしれませんし、思い切って転職をすればいいだけのことかもしれません。
あなたの気持ちはあなたにしか分かりません。
ご自分の気持ちを大切にして、よい人生を歩まれることをお祈りいたします。
あなたの幸せはあなたにしか分からない - 自分だけを頼りに世界の幸せを願う
ここで、ふろむださんの話に戻ります。
ふろむださんとは、どんな人物なのか、本人の言葉をお借りして、紹介することにしましょう。*1
筆者は、複数の企業を創業した経験がある。そのうち1社は上場した。
それなりに有名な本の監訳、翻訳、執筆をしたし、海外講演もした。
それは、私の実名を知る本書の編集者が保証してくれる。
今まで書いたブログ記事の累計読者数も、少なくとも数百万人にはなる。
もちろん、いわゆる「成功者」の知り合いも、普通の人よりは、はるかに多い。
資産が数億円、数十億円になった元同僚もけっこういる。
彼らとは、のべ千時間以上、同じ経営会議・人事評価会議・戦略会議・役員合宿・役員飲み会などに出席して、さまざまな議論を重ねてきた。
このように「充実した人生」を送っているふろむださんが、十一年前に書いた文章には、
普通の人が普通にやっている「一つの仕事をやり続けてキャリアを積む」という「選択と集中」の人生を嫌った彼が、
そのときの気分しだいで、その時々のやりたいことだけやって、
いいかげんに生きてきた。もし、ボクが選択と集中という牢獄につながれて生きることを選んだなら、
もしかしたらぼくは、何者かになって、それなりの地位と名誉を確立していたかも知れない。しかし、それと引き替えに、多様な料理を味わう自由を失い、
「大好きなステーキだけを朝昼晩強制的に食わされ続けるという地獄」
で一生を終えなければならなかったとしたら、そこまでして
そんな地位だの名誉だのを欲しいとは、とうてい思えないのである。
ということが書かれています。
ここでふろむださんは、「好き」という感情が移ろいゆくものであることを知った上で、
- 本当に「好き」なように生きるためには、「仕事」にしがみつくべきじゃない、
という極めて真っ当な意見を述べているわけです。
もちろん、彼がそのように「自由な生き方」を実践できるのは、能力の裏付けがあってのことです。
ぼくも含め、多くの凡人には、そうした「自由で快適」な生き方は望み得ません。
ですから、ぼくたちはぼくたちなりの「自由で快適」な生き方を編み出す必要があるのです。
結局のところ、あなたの人生の幸せというものは、あなたにしか分からないものであり、あなたが自由に決められるものです。
そして、現にあなたが手にしている人生に幸せを見出す以外、幸せに生きる方法はありません。
ないものねだりをして、他人の暮らしをうらやみ、お金を稼ぎ、物欲を満たしても、それはさらなる欲望を生み出すだけで、決して幸せにはつながらないのですから。
よい家族を持ち、よい友を持ち、よい人間関係の中で生きることは、幸せの一つの形ではあるでしょう。
けれども往々にして人間関係というものが互いに互いを縛り付けるものになりがちであることを思えば、むしろお釈迦さまの考えに学んで、まず自分の幸せをこそ、充実させる工夫が必要かもしれません。
そうして自分の心の安定に幸せを見出すことができたとき、周りの人の幸せの手助けの準備が整うというのが、初期仏教の考え方でありますから、
- 自分を頼りに、自分の幸せを実現することが、巡り巡って世界の幸せにつながっていく
ことになるのです。
ふろむださんの文章に溢れる「きちんと自分で考える姿勢」に触発されて、とりとめもないことを書き連ねました。
最後までご精読ありがとうございます。
てなわけでみなさん、ナマステジーっ♬
☆はてな村の秀逸な書き手、ふろむださんの初めての本、
『人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」できまっている』
もとってもおもしろいので、アマゾンでご覧くださーい。