73年前の夏に無条件降伏という形で敗北を喫した対米戦争について、

  • 極端な精神主義に落ち入った非合理的な軍部の暴走によって行われたもの、

というふうに考える人は多いに違いありません。

けれども、歴史的な資料を検討すると、精神主義的傾向の強かった陸軍においても、「秋丸機関」の報告書によって、圧倒的な経済力を持つアメリカを相手にした場合、その戦争に勝利することが極めて難しいことは、はっきりと理解されていたことが分かります。

にもかかわらず、軍部はなぜ対米戦という「非合理的で危険な賭け」に出ざるをえなかったのでしょうか。

この理由が、軍部の知性の欠如によるものではなく、人間の「自然な心理的傾向」によるものであることが、行動経済学のプロスペクト理論によって合理的に説明できます。

まずはプロスペクト理論について簡単に例を見てみましょう。

人は目先の損失を嫌って、損を挽回するために「危険な博打」を打つ

あなたが仕事でミスをして、3,000万円の損失を出してしまったとします。

このとき、ある取引先から「うまい話」を持ちかけられ、その取引がうまくいけば、3,000万円の利益が得られることが分かったとします。

ただし、3,000万円の利益が得られる確率は 20% で、80% の確率で逆に1,000万円の損失を重ねる可能性があります。

このとき、

A. 「うまい話」には乗らずに、損失の 3,000 万円を確定する。

B. 「うまい話」に乗る。

のうち、選択肢 B. を選ぶと損失の期待値は、

(3,000 万 - 3,000 万) x 80% + (3,000 万 + 1,000 万) x 80% = 3,200 万円

となって、A. の損失 3,000 万円を上回ってしまいます。

ですから、数学的な意味での合理的な判断としては、A. を選んで 3,000 万円の損失を確定したほうがいいのですが、心理学的な実験の結果から、多くの人は、現にある「目先の損失」3,000万円を嫌って、B. という危険なギャンブルを選んでしまうことが知られています。

これは必ずしも人間が「非合理的な思考」をしているということを意味するわけではなく、人間が自然界で生存するためには、このような判断基準が十分に「合理的」なものだったのだということも分かっています。

つまり多くの人間は、数学的な意味での合理的判断とは違う、「心理学的な合理性」の世界を生きていることになります。

対米開戦時の2つの選択肢 - 戦わずして屈服するか、一か八かの賭けに出るか

上で見た構図を対米開戦時の日本の状況に見ることができます。

a. 資金を凍結され、石油を禁輸された日本は、対米開戦しなければ「ジリ貧」になり、 2-3年後にはアメリカに屈服せざるを得ない。

b. 開戦した場合、強大な国力のアメリカに惨敗して「ドカ貧」になる可能性が高い。しかし確率は低いが、短期決戦で一定の勝利を得れば、アメリカに屈服しないですむかもしれない。

この場合、

  • 「ジリ貧」や「ドカ貧」の内容をどの程度に見積もるか、
  • 勝利を得る確率をどの程度と見るか

によって、数学的に合理的な選択がどちらになるかは変わってきますが、プロスペクト理論の効果が働くため、どうしても b. を選びやすい心理状況が起こってしまうのです。

─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─
☆ここでちょっと一休み、<スポンサード・リンク>です。



─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─

対米開戦を選ぶように「仕組まれた」日本

プロスペクト理論は、1979年にダニエル・カーネマンとエイモス・トベルスキーによって提唱されたものですが、権謀術数に長けた欧米の支配階層の人々が、ずっと昔からこうした人間心理を熟知していたことは想像にかたくありません。

ナチスドイツが猛威を振るうヨーロッパ戦線の劣勢を挽回したいイギリスが、アメリカの参戦を実現するため、日本を包囲することで、日本を対米開戦へと向かわせたことは、歴史を振り返ってみれば明らかなものに思われます。

とすれば、勝ち目のない仕組まれた戦争にやすやすと乗ってしまった日本の愚策について、十分に吟味する必要があるでしょう。

「賢い」政策はどうすれば可能になるのか

対米開戦という一か八かの危険な賭けに出て、途中講和のタイミングを見極めることもできなかった大日本帝国について、今の時代から振り返って、

  • 愚かで、非合理的な国家だった、

ということは簡単です。

けれども、人間というものがプロスペクト理論で説明されるような「ギャンブル指向性」を持つ以上、それを理性的な説得で止めることは容易なことではありません。

現にアベノミクスという名の株価維持政策は、短期的には経済指数を好転させても、長期的にはなんら利益を生み出さないばら撒き政策であるにも関わらず、それを止める有効な手段を我々日本国民は持っていません。

「ギャンブル政策」が数学的には非合理であることをいくら言っても、多くの人の持つ自然な「ギャンブル指向性」の前には、まったくと言っていいほど無力なのです。

つまり、ここで必要なのは、単純な合理性による議論ではなく、人の集団を動かすためのメタ論理的な議論なのです。

現在の日本の、憲法9条がなし崩しに無効化されていく状況を見るとき、そこには更なる危険がはっきりと見えます。

株価の操作ではごまかしが効かなくなれば、「賭け金を上げ続ける危険なギャンブル」に依存する安倍政権は、戦争経済という最終手段に安易に手を出すことも当然予想されます。

もちろん、現在の自民党政権も、日本の「優秀」な官僚の現状分析に基づいて施策を講じているわけですから、そこには確かに「合理的な基準」があるはずです。

けれどもその「合理性」というものが、プロスペクト理論で説明される「数学的には誤った、自然な心理的傾向」にすぎないとすれば、いずれ日本の経済が破綻することは避けられないでしょう。

憲法の改変が実現し、緊急事態要項が盛り込まれてしまえば、いよいよ政権の暴走を止めることは不可能になってしまいます。

このような状況で、大きな破局を迎えずに済む未来を構想することができるのかどうか、極めて厳しいところではありますが、長いスパンで考えて、深い意味での「合理的な判断」ができるような組織と人材を創り、育てていくすべを見出す努力が欠かせないのは確かなことでしょう。

以上、具体的な提案まではできませんが、五十年、百年先まで見据えて、日本の未来について考える必要を訴えて、この記事は終わりにします。

最後までご精読ありがとうございました。
それではみなさん、ナマステジーっ♬

帝国陸軍は愚かで非合理だからアメリカと戦争したのか? ~『経済学者たちの日米開戦 秋丸機関「幻の報告書」の謎を解く』牧野邦昭・摂南大学経済学部准教授に聞く~ WEDGE Infinity(ウェッジ) を参考にさせていただきました。

[2019.2.27 追記]
安倍政権の暴走が止められないまま、日本の戦後民主主義はなし崩しに脳死状態に向かっています。
この状況に一石を投じるためには、インドのガンジー氏の運動に習って「非暴力直接行動」を実行していくしかないように思われます。
具体的な考えはまだありませんが、タイの民主運動を真似て「1984年」や「1Q84」を持って街に出ることを一つの「ファッション」にできないだろうかと密かに構想中です。

f:id:suganokei:20180803134832j:plain