仏教の三原則「無常・苦・無我」を「予測・満足・制御の不可能性」として読み直す
仏教の教えは、人生で出会うあらゆることが「苦」を生むという事実を確認することから始まります。
その上でその「苦」を乗り越えて「涅槃」という絶対的な安らぎの境地を実現する具体的な方法としての「八正道」が説かれます。
この記事では「苦」というものが、「どんなに満ち足りても満足することができない人間の限りない欲望」を原因とすることと、それを解決するためには「今ここをいつも意識する」というマインドフルネスの方法論が有効であることについて、
「予測・満足・制御の不可能性」という観点から説明します。
- 無常だから苦が生まれる。予測と満足の不可能性について。
- 自分と言えるものは本当はない。「無我」と「制御の不可能性」
- 八正道とマインドフルネス。「今ここを意識する」ことからすべては始まる。
- 今ここに意識をしぼることができれば、予測も満足も制御も、意識的にする必要はなくなる。
無常だから苦が生まれる。予測と満足の不可能性について。
仏教では、この世のすべての現象は「無常」であると説明します。
変化しないものはない、物事はやってきては去っていく、生まれたものはいずれは死ぬときを迎える、ということです。
そして、この「無常」の物事に執着することから「苦」が生まれると考えるのです。
恋人と過ごす時間は甘美で幸せなものですが、それが永遠に続くことはありません。
いずれは関係性は変わらざるをえないのに、いつまでも「今の幸せ」を握りしめて手放そうとしないとすれば、いつの間にかそれは変質して、幸せだった二人の時間が、互いに相手を支配しようとする苦痛の時間になりかねません。
この「無常」ということを別の視点から考えると、「将来を予想できない=予測の不可能性」ととらえることもできます。
今は幸せな恋人との関係が、将来どうなるかが分からないために、不安をいだき、今の状態に執着することにつながるわけです。
そして将来への不安や、関係性の悪化という「苦しみ」は、「現状に満足できない」ということでもあります。
今ある幸せな関係に満足できず、それが壊れたときにも、壊れてしまったという事実を受け入れることができないとき、そこには不満が生まれ、苦しみが生まれます。
「苦」という言葉の意味は、「この世では完全な満足は得られない」ということなのです。
自分と言えるものは本当はない。「無我」と「制御の不可能性」
「無常・苦・無我」の三番めの無我は、「これこそが自分と言えるものは本当はない」ということを意味します。
このことの一つの考え方として、「自分といえるものがあるなら、それを制御(コントロール)できるはずだ、だけれど本当に制御できているだろうか」という問いかけがあります。
仏教では生老病死を「苦」の代表として考えますが、あなたは生まれるかどうかを自分で決めて生まれてきたでしょうか。
老いることが嫌だからといって、老いないことにできるでしょうか。
病気になるかならないかを自分で決められますか。
そしていつか死ぬことは避けられません。
自分の行動は自分で決めている、とあなたは言うかもしれません。
けれども、それだって本当でしょうか。
あなたは怒りたいから怒るのですか。周りの状況に反応して怒っているだけではないですか。怒ってしまったときに、怒るのをやめることができますか。
喜びや悲しみなどの感情も同じことです。自分でコントロールできないのに、その感情は自分のものだと本当に言えるでしょうか。
ここで「自分が本当はない」という考えに納得がいくかどうかは、一旦置くことにしますが、「無我」という考えが「制御(コントロール)の不可能性」と大きく関連していることは理解していただけたことと思います。
さてそれでは「予測・満足・制御」が十分にはできない人生を幸せに生きるためには一体どうしたらいいのでしょう。
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八正道とマインドフルネス。「今ここを意識する」ことからすべては始まる。
仏教では「苦から逃れ、幸せに生きるためには八正道を実践すればいい」と考えます。
八正道とは、正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定の八つです。
正見、正思惟は、正しい見解と正しい考え方のことで、この二つを合わせて、智慧とします。
正語、正業、正命は、正しい言葉、正しい行ない、正しい生計の立て方のことで、この三つを、倫理とします。
最後に、正精進、正念、正定は、正しい努力、正しい注意力、正しい集中力のことで、これが瞑想を意味します。
以上のように八つの道が、智慧(慧え)・倫理(戒かい)・瞑想(定じょう)の三つに分類されます(戒定慧の順番で呼びます)。
この八つの道がそれぞれに支えあって、幸せな人生が実現していくのですが、このうちの一番大切なものといってよいのが、瞑想(定)に分類される正念(しょうねん)、正しい注意力で、これがマインドフルネスのことです。
今ここで起こっていることを価値判断を加えずに観察すること、それがマインドフルネスであり、呼吸に注意を向けることがその第一歩になります。
今ここに意識をしぼることができれば、予測も満足も制御も、意識的にする必要はなくなる。
予測できない、満足できない、制御できない。
人生における困難や不幸はすべてこうした状況で起こります。
そして、こうした困難な状況を乗り越えるための基礎的な力として、マインドフルネスは役立ちます。
わたしたちは意識的に考えることで困難を乗り越えようとしますが、思考というものは情動によって左右されるため、冷静に考えるためにはまずは波立つ感情を静めなければなりません。
困難な状況では、精神的・肉体的ストレスによって、情動的にも負荷がかかり、感情が波立ってしまいますから、それを静めるために日頃からのマインドフルネスが役に立つのです。
一日に五分でもいいですから、静かな場所で楽な姿勢を取り目をつむって、ただ呼吸を見つめる練習をしてみてください。
呼吸に意識を向けることくらい簡単だ、と思うかもしれません。
けれども、初めは呼吸を見ていたのに、しばらくすると何か考えごとをしている自分に気づくでしょう。
呼吸を見ること自体は簡単でも、それを続けることは決して簡単なことではないのです。
自分の体の感覚や、聞こえてくる音などに反応して、自動的に考えが沸き上がってくるのです。
あなたは、自分の思考が制御できないことに気づくことになるのです。
この先は、時間をかけてマインドフルネスの力を培っていただくしかありません。
十分なマインドフルネスの力が育てば、予測などしなくても、その場その場で最適な選択ができるようになり、欲望に振り回されることなく、今あるものに満足できるようになり、制御できなくても、微調整をすることによって人生の航路を安定した状態に保つことができるようになります。
そう、今ここであなたが呼吸を意識した瞬間に、マインドフルネスをはぐくむ道への第一歩を、あなたは踏み出すことになるのです。
てなことで、それではみなさん、ナマステジーっ♬
☆マインドフルネスの背景にある仏教の世界観については、こちらの本をおすすめします。
ウィリアム・ハート「ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門: 豊かな人生の技法」(1999 春秋社)
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