数々の含蓄ある記事を生み出してきた「分裂勘違い君劇場」で、はてな村のみなさんにはおなじみの、ふろむださんのデビュー作
『人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」できまっている』
は、みなさんもう読まれましたか?

9月16日(日)22時、TBS系列の「林先生が驚く初耳学」で取り上げられて、いよいよ人気沸騰してますね。

ようやく購入してぼくも全部読みました。
めちゃくちゃ面白いです。[以上2段落 2018.9.17追記]

親切なふろむださんは、ネットで最初の五章を読めるようにしてくれていて、それだけ読んでも彼の主張の面白さは十分伝わってきます。

ふろむださんは、

  • 人生は「実力」よりも「運」よりも「錯覚資産」によって決まってくる、

というのですが、一体これはどういう意味なのでしょうか。

というわけで、今日はふろむださんの説く「錯覚資産の活用」についてのお話です。

成功する人には後光が差している。ハロー効果と錯覚資産について。

  • 「あなたの判断は、大抵の場合、錯覚にもとづいているのだ」

と要約できるふろむださんの主張は、シンプルにしてラディカルです。

心理学の世界で「ハロー効果」と呼ばれる現象があります。

ハロー halo というのは「後光」のことで、まったく同じことを主張しても、

  • 立派そうに見え、地位のある「後光の差している」人が言えば、「本当のこと」に思え、
  • さえない外見の、どこの馬の骨とも知れない人が言っても、「説得力がない」と感じてしまう、

これがハロー効果というものです。

halo-effect

たとえば、「採用面接で、身だしなみが、どのような影響を与えるか」という研究がある。
その結果、「仕事に必要な資格よりも、身だしなみのよさのほうが、採用決定に大きな影響を与えていた」ということがわかった。

そして、ここでも、面接官自身は、「外見は、ほとんど採用決定には影響しなかった」と考えていたのだ。
つまり、面接官は、「外見で採用したわけじゃない」と、自分では思っていたが、実際は、外見で採用していたということだ。

(画像、文章とも、ふろむださんのページ https://www.furomuda.com/entry/2018/08/04/011000 より)

このとき面接官が「外見で採用したわけではない」と思っていたことは、面接官が「ウソを言ったわけでもなく、バカだったからでもない」というところが、この話のポイントです。

これは、ぼくたち人間の「判断」というものの、そのかなりの部分が「無意識的」に行われており、言葉によって説明される「理由」というのはあと付けのものにすぎず、実際の理由とは違う場合が多々あるのだし、それは「知能が高い」とされる人でも普通に起こることだ、ということです。

ふろむださんはこれを「脳のセキュリティホール」と呼び、

  • 「自分は大丈夫」と思っている人ほど危ない、

と書いています。

この「脳のセキュリティホール≒思考の錯覚」は、「人を外見で判断してしまう」ということだけでなく、物事のあらゆる「判断」に関わってきます。

というのは、

「プラスのイメージを引き起こすもの」であれば、
なんでも「全体的に優秀」という思考の錯覚を引き起こしてしまうから

です。

そして、学歴であれ、経歴であれ、「プラスのイメージ」につながるものなら、どんなものでも「思考の錯覚」を引き起こす力を持ちますから、

「人々が自分に対して持っている、自分に都合のいい思考の錯覚」は、一種の資産として機能する

というわけです。

これがふろむださんのいう「錯覚資産」というものです。

また、「全体的に優秀」という錯覚は、思考の錯覚のほんの一部にすぎないので、様々な種類の錯覚を掛け合わせることで「とんでもない威力の錯覚資産が作り出される」とも書かれています。

そして、

「自分の得になるような、他人の勘違い」(=錯覚資産)は、生涯賃金に換算して、何千万円、何億円ものお金を生む。

のだから、錯覚資産は大変重要なものだし、他人に騙されないためにも、この錯覚資産についてよく知っておく必要があるのだ、というわけです。

なかなか面白い話ではありませんか。

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錯覚資産の有効活用について。

ふろむださんは、「錯覚資産」という切り口で、「実力社会」というものの欺瞞を暴き、私たちが生きている「ニセ実力社会」で成功するための「リアルな成功法」を説いてくれます。

あなたが「社会の中で正当に評価されていない」と感じているのなら、「社会的な評価とは一体どうやって決まっているのか」という「心理学的事実」を知るためにも、そして、その上で「自分をどうやって評価してもらえばいいのか」という問題について考えるためにも、この本を読めばたくさんのヒントがもらえるに違いありません。

ぜひ実物を手に取って、確かめていただきたいと思います。

☆ネットで試し読みはこちら。
人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている - 第一章 - 分裂勘違い君劇場 by ふろむだ

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ふろむだ『人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」できまっている』(2018 ダイアモンド社)

あとは蛇足ですが、「錯覚資産に頼らず生きるのもいいんじゃない」って話

ふろむださんがスゴイ人物であることは、たとえば、
意外と知られてない、おっさんでも頭のキレと集中力が一日中続くようにする方法 - ふろむだ@分裂勘違い君劇場
という記事を読んでもよく伝わってきます。

「分裂勘違い君劇場」の華麗なる記事を読み込んで行けば、

  • 「ブログは毎日更新すべし」

といったお題目が「思考の錯覚」にもとづく、「うすっぺらい」意見でしかないことは、はっきりくっきり分かっちゃいますよね。

(「ブログは低品質でも毎日更新しよう!」という初心者を惑わす発言について考えてみました - 結論: 成功したければ自分なりのスタンスを確立せよ! - *魂の次元*もよろしく)

でまあ、ビジネスの世界でばりばりやりたい方は、「錯覚資産」でもなんでも活用して、人の迷惑にならない範囲でどんどんやったらいいわけですが、ここ数年なんちゃってヴィパッサナー瞑想を続けているぼくとしては、

  • 「錯覚資産」についてもよく知った上で、「錯覚資産」に頼らず生きるのもすっきりしてていいんじゃないかなー、

とか思ってしまうわけです。

ふろむださんは「頭のキレと集中力」のために、瞑想も実践して自分なりの方法論を持っている方なので、バランスよく「錯覚資産」を使っている空気が感じられて、その文章も決して「嫌味」なものではありません。

けれどもやはり、ご著書を売るためにいくらかの脚色はなさってるわけでして、さきほども引用した部分ですが、

「自分の得になるような、他人の勘違い」(=錯覚資産)は、生涯賃金に換算して、何千万円、何億円ものお金を生む。

とあたかも「事実」であるかのようにいうのは、

  • 実際には「そういう場合もある」(n=1のケース)

というだけのことを、

  • 「必ずそうなる」かのように上手に錯覚させる

表現になってますよね。

まー、そんな「小さな脚色」まで気にしなくていいじゃないか、と言われれば、それもその通りなんですけど。

ちなみにふろむださんは、「頭のキレと集中力」の向上に役立つことから瞑想をすすめているわけですが、実際に瞑想をするときのポイントとして、次のようなものを挙げています。

  • ココロとカラダを静かにして、自分の中に何が起きているのか、ありのままを観察し続ける。
  • 意図的に、今の瞬間に、評価や判断と無縁の形で、注意を払う。
  • 「今、ここ」に100%心を向ける。
  • 心を込めて、なにもしない。
  • 呼吸に意識を集中する。
  • 注意がそれたら、それをそっと戻す。
  • 存在することを喜ぶ。
  • あるがままでいる。
  • 脳は、バランス良く活性化している。
  • 唇を閉じ、歯を噛まず、舌先を前歯のすぐ後ろの口蓋につける。

こうした「瞑想状態」の言語化は、瞑想の初心者には十分役に立つものと思います。

その上で、ここに一つつけ加えたいのは、

  • 瞑想によって自分の心が落ち着くことで、周りの人にも心の落ち着きが広がっていく

というものです。

これは初期仏教で「慈悲の瞑想」と呼ばれるものをぼくなりに言い換えたものですが、お釈迦さまことゴータマ・シッダルタさんの教えのうちでも、核心に当たるものの一つであると言えましょう。

初期仏教は、ゴータマさんが「自分の悟り」、「自分の幸せ」を求めた末に見出したこの世についての「真理」を説いたものです。

そこでは、「自分がきちんと幸せにならない限り、人の幸せの手助けなどできない」ことが説かれます。

逆に言えば、「瞑想の実践によって自分が幸せになれば、周りの人の幸せの手助けができるようになる」わけです。

そして、幸せになるためには、

  • 「思考の錯覚」についてよく知って、「事実をありのままに見る」ことができなければなりませんし、
  • 人を誘導するような「物言い」をして、人を錯覚させるようなことは慎まなければなりません。

瞑想を正しく実践すれば、「頭のキレ」がよくなり、「集中力」も持続するようになります。仕事での成果も期待できるでしょう。

これらについては、ネット上を検索すればfMRIを使ったさまざまな実証研究があることが分かります。

けれども、「仕事の成果を期待して瞑想をする」というのは、やっぱり「邪道」なんですよね。

瞑想は、

  • 「自分が幸せになるため」

にやるべきだし、

  • 「自分が幸せになって、人の幸せの手助けをするため」

にやるべきものなんです。

これこそが瞑想の第一原理なんです。

「錯覚資産」についてよく知るためにも瞑想は役立つのですが、この第一原理を踏み外すと、「錯覚資産」を増やすことに血道を上げたり、資産や権力を増やすことが人生の目的になったり、果ては人類を救うために同胞を虐殺したりと、ロクなことになりません。

まあ、これを書いているぼくも含めて、凡人はさまざまな錯覚から逃れ得ませんし、逃れることができなくても、そんなに大きな事件を起こしたりは普通しないので、気にしすぎず気楽に生きればいいだけのことではありますが。

とまあ、そんなわけで、多数派として社会の中で生きるみなさんは、「錯覚資産」の活用も、それはそれで役立てていけばいいものと思いますが、万年少数派の、生涯マイナー指向人間のわたくしといたしましては、できる限り誠実な言葉を心がけながら、余計な錯覚資産などには頼らずに生きていける日々を夢見て、ネット上で見かけた文章から沸き起こる雑感をつづり続けるというわけなのでした。

以上、今日も最後までご精読ありがとうございました。
それではみなさん、ナマステジーっ♬

☆初期仏教の瞑想法ヴィパッサナーについては、こちらの本をアマゾンでどうぞ。
「ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門―豊かな人生の技法」(1999 春秋社)