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みなさんは、狼に育てられた少女「アマラとカマラ」の話をご存知ですか。

学校の道徳の教科書にも載っているらしいし、ちょっと興味を惹かれる話ですから、知ってる人も多いんじゃないかな。

でも、この「狼に育てられた」っていう話は、どうやらお金目当てで「でっち上げられた」話だったようなんです。

この話がどうして世間に広まったか、そして今でも実話と思っている人がなぜ多いのか、ちょっと考えてみることにします。

アマラとカマラは実在するけど、狼が育てたわけじゃないみたい

アマラとカマラは1920年にインドの西ベンガル州ミドナプルで保護された二人の少女です。

ミドナプルで妻とともに孤児院を運営するジョセフ・アムリート・ラル・シン(Joseph Amrito Lal Singh )牧師*1によって二人は保護されました。

二人は、狼の巣穴となったシロアリ塚の中から保護され、言葉は話さず、四つ足で狼のように振舞ったのだといいます。

そして、シン牧師は、この二人の「狼に育てられた少女」との、十年近くに渡る日々をつづった日記を出版します。

・J-L-シング「野生児の記録 1 - 狼に育てられた子」

ここに書かれた内容が事実であれば、動物に育てられた「野生児」が人間の社会に戻る過程が描かれた貴重な記録ということになります。

けれども、この本の信ぴょう性は多くの学者から疑われ、スキャンダルに発展します。

日本においても、

  • 狼は人間の子どもに授乳できない
  • 人間の子どもは狼の群れの行動についていけない
  • 暗闇で目が光る、犬歯が異常に発達しているなど、 生物学的にあり得ない記述が多々ある

などの理由から、日記の内容を疑問視する声があります。*2

また、シン牧師の日記に「お墨付き」を与え、"Wolf-Children and Feral Man (狼に育てられた子どもと野生児)" という本をシン牧師と共著で出版したロバート・ジング教授は、シン牧師の記述をきちんと検証しなかったことから、デンバー大学の教授職を失うことになってしまいました。
*3

ジング教授が、「日記」の金銭的価値をシン牧師に強調してその共同出版を持ちかけ、孤児院のために資金が必要だったシン牧師が出版後に500ドルの印税を受け取った事実も報告されています。
*4

こうした「証拠」は他にもいろいろあるのですが、それでもこの話を実話と受け止める人は、英語圏を含め今も多いようです。

けれども素直に考えれば、シン牧師の日記はノンフィクションとは言いがたい、多分に誇張がなされた「フィクション」ということになりそうです。

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「狼に育てられた子ども」という神話は、なぜ「魅力的」なのか

シン牧師の日記はおおむね「フィクション」であると考えられるのに、今でもそれを「実話」と考える人がたくさんいます。

これはどうしてなのでしょうか。

それは「日記」自体の信ぴょう性とは別に、この物語にはある種の「真実」が描かれており、そこに読者の人たちが魅了されるからでしょう。

確かに、狼が人間の乳児を拾って育てるということは不可能でしょう。

けれども、ある程度育った幼児であれば、狼と一緒に暮らし、一定期間生き延びる可能性は否定できません。

人間の子どもが狼と一緒に移動し、狩りをするということも、おそらく不可能でしょうが、狼が人間を子どもとみなし、巣穴において食べ物を与えるということは、十分考えられるのではないでしょうか。

人間が動物に助けられる話は、世界中にたくさんあり、その多くは「神話」であるにしても、事実に基づくものもおそらく存在するでしょう。

人はこうした動物の「優しさ」に魅力を感じるのではないでしょうか。

人間にも「優しさ」はあります。けれども、人間の「優しさ」の中にはどうしても計算づくのものや打算が入り交じってきがちます。

それに対して動物の「優しさ」は「純粋」です。

人間に見捨てられた孤児が、「動物の愛に包まれて育つ」というお話が人を惹きつけることの理由の一つは、動物が持つ「純粋な優しさ」にあるのではないでしょうか。

また、シン牧師の日記に営業上の理由からの脚色があったのだとしても、あそして、仮にアマラとカマラが狼と一緒には生活をしておらず、狼のような振る舞いをすることはなかったのだとしても、なんらかの事情で言葉も話せなかった二人の孤児を引き取り、その社会復帰のために尽力したシン牧師の努力の記録としては、十分に意味があるものと思えます。

事実は「お金目当て」だったのかもしれません。

けれども、そのお金は「孤児院を経営して子どもたちを世話する」という善意の実現のために使われるものなのですから、シン牧師の気持ちのおおもとにも「優しい心」があります。

人のために尽くすシン牧師のこうした行動にも多くの人は共感するでしょう。

人は「矛盾する」現実の中から、いい部分は取り入れ、わるい部分は捨て去って、理想の物語を作り出し、その物語が「神話」となるのではないしょうか。

このように考えれば、

  • 人が「神話」を求めるものであり、その「物語」に一定の力があるとき、- そして、その物語は事実であると著者が主張しているときには、

それがフィクションだと考えられる様々な理由があったとしても、その「真実性」を信じたくなる人がたくさんいるのは、決しておかしなことではなく、実に当たり前のことではないでしょうか。

このような「真偽」が関わる問題について、「こんな明らかな嘘を信じるなんて、おろかな人がいるもんだ」というような感想を持ってしまうことが、あなたはありませんか?

けれども、

  • 「フィクション」を「事実」と信じこむ「愚かな」人たち

といった見方は、本当に妥当なものなのでしょうか。

もう一度ゆっくりと考えてみる必要があるかもしれません。

信じる人がいるのはいいけど、教育で使われるのはおかしくない?

この「狼に育てられた少女」の話のように、学者の間では「フィクション」であり、「間違い」だと決着がついているものが、教育の現場など*5で今でも「事実」として扱われていることについて懸念する声が、ネット上では散見されます。

その主張は、まったく納得のいくものです。

教育や発達心理学を専門とする方々はどうか、こうした「神話を事実として伝える」という誤りのないように、よくよく注意していただきたいものと思います。

そして、教育などの現場でこの話が、

  • 乳幼児期において、親の関わり方や教育が子どもの発達に大きな影響を与えるのだ

という事実を強調するために使われているのならば、同じ「野生児」を題材にするにしても、ほかに適切な話題を探す努力をするべきでしょう。*6

発達心理学だけでなく、心理学という分野は、実験のデザインも難しく、文化的な違いをどう扱うかという問題もあり、「十分に科学的」であることが困難な分野ですから、専門家の方々はもちろん様々な方法で、その正確さのために努力しているわけですが、わたしたち「一般」の人間も、そうした事情をよく理解した上で、

  • 何が事実で、何が事実ではないのか

を見極める力を培っていくことが大切なものと考えます。

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この記事は afurikamaimai さんの
悪気の有無。 - afurikamaimaiのブログ
という記事に想を得て書きました。

そちらの記事では、

という本を紹介していて、これは、世間的には信じられているのに、事実とは異なる「心理学の伝説」について検証した本です。

afurikamaimai さんの書きっぷりはやや「過激」ですが、

  • 「創作が事実として伝わってしまう」ことを許す社会のあり方や
  • 「事実なのかどうか、よく確かめもせずに簡単に物事を信じてしまう」人間自身の性質

というような問題に関心のある方は、ちょっとのぞいてみると面白いかもしれません。

心理学だけでなく、科学全般に興味のあるあなたなら、「あれ、これって嘘だったの?」と思うようなエピソードが結構あるんじゃないかと思いますよ。

てなことで、この記事はおしまいです。
それではみなさん、ナマステジーっ♬

*1:多くの場所で「シング牧師」とされていますが、この名前はインドのマンモハン・シン元首相と同じものですので、ここでは「シン牧師」とします

*2:参照: (Kokusai junior-910170)

*3:参照: アマラとカマラ - Wikipedia

*4:参照: Amala and Kamala - Wikipedia

*5:保健所の妊婦教育の場でもこの話が使われているようです。

*6:日本語のwikipedia のページには十分な記述がありませんが、こちらの「犬と育った少女」は、アマラとカマラの代わりに使うことができると思われます。オクサナ・マラヤ - Wikipedia