前回の記事、
共謀罪法という名の「凶暴」な法律について考えてみたよ - *魂の次元*
に対してid:ad2217 さんより、次のようなコメントをいただきました。

国民と独立して政府が存在するわけではないので、政府にうんざりする時には同時に、国民にもうんざりしてしまうんですよ。

確かに、政府の現状にはいい加減「うんざり」させられますし、政府を「支持している」国民の「多数派」のみなさんに対しても「うんざり」したくなる気持ちは分かります。

けれども、その「うんざり」感こそが、現政権を支えてしまっているのではないか。

そして、その「うんざり」を、現状を変えるためのエネルギーに昇華することはできないのか。

今日はそんなことをつらつらと考えてみます。

「政治不信」こそが「うんざり政権」の支持基盤ですので、ぜひ選挙には行きましょう

ニッポンの政府、国会、司法、官僚、財界、メディア、教育機関、その他もろもろのあり方に、良識あるみなさんが「うんざり」しているだろうことは、想像にかたくありません。

とはいえ、ニッポンが曲がりなりにも「民主主義国家」を標榜している以上、こうした現状を変えていくためには、政治のあり方を変える、というのが、一つの王道としてありましょう。

ところが残念なことに、あるいは為政者の方々には好都合なことに、ニッポン国には「政治不信」が蔓延しています。

たとえば、先日の千葉県船橋市の市長選の投票率は過去最低の 28.1% であり、市長に当選した現職の松戸徹氏は、有権者の 17% からの信任しか受けていないことになります。

今回投票しなかった有権者は、71.9% にものぼるわけで、仮にその4分の1の人が松田氏以外の人に投票した場合を考えても、結果は大いに違ってきた可能性があります。

別サイトの記事、
魂の次元: 政治なんてアホらしいですか? ライフネット生命の出口治明氏はこう言ってます
にも書きましたが、もしあなたが現状の政治に満足していなかったら、ぜひ選挙に行って、現在の与党ではない候補者に投票してください。

ライフネット生命の出口さんによる、ヨーロッパにおける選挙の常識はこれです。

ヨーロッパの人と話をすると、選挙は学校で次のように教えられるのです。メディアが事前に選挙結果を予想しますが、その予想通りで良かったら三つ方法があります。投票に行ってその通り書く、白票を出す、棄権をする。すべて同じ結果になります。もしメディアの予想に反対なら、方法は一つしかない。行って違う人の名前を書く。これが選挙ですよと教えるのです。
日本ではこういう当たり前のことが教えられていないから、「ろくな候補者がいなかったら堂々と棄権しなさい」などと変なことを言う評論家がいたりするのです。ヨーロッパでは中学生以下のリテラシーです。

出口治明さん「日本はお金の教育をしていない」 ライフネット生命会長に聞く教養とは

というわけで、以上

「政治にうんざりしているあなたにこそ、選挙に行ってほしい」

という話でした。

選挙に行っても変わらない現実を前に、とにかく動いてみよう

しかしながら、ぼくがこんなところで、「みんな選挙に行こうっ」と言ったからといって、

明日から投票率がうなぎ登りに上がって、日本の政策が大幅に変わる、

わけはありませんよね。

メディアぐるみ、社会ぐるみの「出来レース」になっちゃってますから、この事態は簡単には変わりません。

そのとき、自分が投票に行くだけでは、やはり状況は変わりませんから、その他に自分ができることはないのか、ちょっとしたことでもいいので、少しずつでも動いていくことが大切でしょう。

ネット上で「うんざり」した気持ちを表現することもいいでしょう。

ネット上で共感できる人の存在を知るだけでも力になります。

けれども、そうやって表現して、仲間内でやりとりするだけで何かをした気になってしまってはもったいありません。

その「うんざり」に秘められたエネルギーをさらに昇華して、現実の行動につなげていくことが大切です。

デモやパレード、あるいは学習会に参加してみたらどうでしょうか。

そうした行動に、なんの意味があるのか、という疑問や、そんな行動をして大丈夫だろうか、というためらいも、あるかもしれません。

けれども、一歩踏み出すことで、新しい人との出会いが生まれ、他の人からエネルギーをもらうような経験も得られるかもしれません。

とにかく、現実に体を動かしてみる。そこから何かが生まれるはずです。

無理のない範囲で、一歩を踏み出してみることをおすすめします。

あらためて、「政府」や「国民」にうんざりしてしまうあなたに

限りのあるあなたの一度きりの人生ですから、わざわざ「うんざり」する人たちと付き合う必要はありません。

そういうあなたは、もう政治のことなど忘れて、自分の世界をきちんと生きればいいのです。

その代わりに、「うんざり」する現実を、ただそのまま受け止めることにすれば、いいでしょう。

多分これは、ヒトという種族の愚かさからして避けることのできない事態なのかもしれません。

あなたがあなたの世界をきちんと生きていれば、社会がどうあろうと、あなたの人生は完璧です。

ヒトが「病」を完全に克服できないのと同じで、人間の社会も「共謀罪法」のような「病んだ」法律を克服することはできないのかもしれません。

「病」を過度に恐れてもしようがありません。

あるいは、医者の宣告通りに死期を受け入れてそのまま死んでいくのも莫迦ばかしいことです。

今日も明日も、ぼくたちは自分自身で人生を選んで生きていくだけのことです。

願わくば、あなたの人生が、そして生きとし生けるものの命が、輝きに満ちたものでありますように。

てなわけで、この記事はおしまいです。
それでは、みなさん、ナマステジーっ♬