はてな匿名ダイアリーに投稿されたほんのイタズラ程度の短い書き込み
ニセ科学には怒り狂うけど「ネコは人語を解する」には寛容なはてなー
に330以上のブックマークがついているもので、今日も今日とて「ニセ科学」ネタで「ネット上での意見表明」というものについて考えてみようと思います。

「猫は人語を解するのか」についての心理学的コーサツ

件の匿名記事のタイトルを素直に受け止めれば、この記事を書いた匿名さんは、

  • 猫が人語を解するわけがない、

と言いたいのでしょう。

「言葉を理解する」ということを「一つ一つの単語の指すものを理解し、全体としての文章の意味を理解する」というように考えれば、「猫には人の言葉が理解できる」という主張には、無理があるように思えます。

けれども、恋人にふられた飼い主がペットの猫に「くやしい、悲しい」といった意味のことを言ったときに、猫がそれを「理解」してくれて「優しく寄り添ってくれる」というようなことならば、猫好きの人なら当然「あるある」と思うに違いありません。

それは厳密には言葉を「理解」しているわけではないかもしれませんが、飼い主からすれば、「確かに自分の気持ちを理解してくれている」と思って当然の経験ですし、これをして「猫は人の言葉が分かるのだ」という人がいるとき、「科学的な分析」に基づいて、「猫に人の言葉が分からない」などとわざわざ言う人がいるとしたら、無粋の極みと言えましょう。

というわけで、「猫が人語を解するかどうか」という問題は、自然科学の問題というよりは心理学的な問題であり、「科学的真実の前には人間関係なんてどうでもいいのだ」という超原理主義的科学オタク以外の人が、わざわざ「猫・人語」問題にケチをつけるなどということは、実質的にあるわけもない「戯れ言」ということになりましょう。

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「ニセ科学批判」という名の「ニセ科学商法批判」と社会正義の恣意性について

さて、件の匿名記事の全文は次の通りです。

まあ猫様はヒトカスの上にあるから仕方ないよね!
……正直にいうと、騙されたり金儲けでない程度の与太話ならいいんでないの。なのでEM菌商法は滅びるべき。

つまり、「ネコは人語を解する」という話題は、この書き込みをした匿名さんからすれば、ただの「ツリ」にすぎないわけで、

  • はてな界隈の人たちが好きそうな「ニセ科学批判」のネタをちょっと突っ込んでみました、

という書き手の意図は、まったくはっきりしています。

そこで「ニセ科学批判」とは何のことで、それにはどういう意味があるのかについて少し考えることにしましょう。

この場合についても、科学原理主義者の方々が「科学的におかしな言説が世の中に広まることはけしからん」という観点から、さまざまな「疑似科学」についてそのどこが「非科学的」なのかを啓蒙するために、意見を表明するということは、社会的にもそれなりの意味があるものと思います。

けれども、はてな界隈の言説をしばらく観察していて分かったことは、「ニセ科学批判」をする多くの人は、そうした「科学的真実」について語りたいわけではなくて、科学的な言説が詐欺的な商法に使われることに嫌悪感を感じているために、いわば社会正義の観点から「ニセ科学『商法』批判」をしているのにすぎなかったんだな、ということです。

「猫が人語を解する」という話題をネタにした匿名さんもまさにこうした主張の持ち主であり、

  • 人を騙して、金儲けをするために「ニセ科学」を使うな、

ということをおっしゃっているわけです。

これも、確かにそれなりに意味のある意見表明と言えます。

というわけで、ここでは「ニセ科学批判」と言われているものは実質的に「ニセ科学商法批判」なのであり、それには確かに社会的意義も十分ある、という立場で話を進めていくことにします。

しかしながら、

  • EM菌やホメオパシーは「ニセ科学利用の詐欺商法」であるからけしからん、

というような個別の事例についての意見を考えるときには、「EM菌」や「ホメオパシー」といったものが、はたして本当に「詐欺商法」なのか、ということを、自然科学的見地だけからでなく、社会科学的見地からも検討する必要があるでしょう。

それでなければ、せっかくの批判も、単に自然科学オタクの人たちが仲間同士で「仮想敵」を攻撃するだけのごっこ遊びの域を出ないだろうことに、十分注意が必要なのではないかと思うのです。

EM菌やホメオパシーを信じて、現に救われる人がいるからこそ、そうした「擬似」科学を元にした経済行為が成り立つわけであり、それがプラシーボ効果でしかないとしても、そうしたサービスを喜んで利用する人がいる以上、そこに効用以上の明らかな害悪がないかぎりは、社会がそれを禁じることなどありえません。

ですから、

  • EMもホメオパシーも、そんなん信じてる奴はアホや

というような言説をネット上で発するだけで、社会正義の実現に役に立つとナイーブに思っている方々には、

  • なぜニセ科学を信じる人は多数いるのか、
  • それを是正するためにはどういう言説が有効なのか、

といった基本的なことがらを、今一度ご深慮願いたいと思うのでありました。

ある言説が「ニセ科学」であるかどうか、という社会正義に関わる判断には多分に「恣意性」があることを考慮した上で、しっかりとその言説の問題点を指摘するのならば、社会的にも大いに意義あるものとなりにちがいありません。

「批判という名のストレス発散」にはもちろん存在意義がある

さてしかし、「EM、アホ」と言った切れ味シャープなブックマーク・コメントをなさる方々は、おそらく社会正義がどうこうなどという面倒なことを考えてらっしゃるわけではなく、ただ自分が不愉快と思う対象に対して「くさす」コメントをしてささやかなストレス発散をなさっているだけなのでしょうから、そうした娯楽的行為を誰かが「やめたほうがいいよ」などというのもまったくの野暮の極みというものです。

「批判という大義を背にしたストレス発散」も大いに結構なことではありませんか。

互いにいがみ合うことはあまり得策ではないにしても、それぞれにクラスターを作り、棲み分けをした上で「悪口」を言ってストレス発散をするのなら、そこには一定の社会的ガス抜き効果が期待できますから、人類の安全保障上もきっと有効なものとなりうるに違いありません。

「ニセ科学批判」を錦の御旗にして、集団で弱いものいじめをするようなことは、決しておすすめできませんが、匿名ダイアリーのネタ記事にピカリと輝くコメントをつけて、みんなで楽しむことができるのなら、それこそインターネットという地下牢迷路のよじれた網目をうろつき回ってする人生の壮大な暇つぶしにうってつけの一大娯楽というものではありませんか。

てなところで、この記事は終わりにいたします。
それではみなさん、ナマステジーっ♬

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(いらすとやさんの画像を加工して利用してます)