初期仏教における「無我」の考え方。あるいは、自分を体や感情と同一視しないこと。
「瞑想で一番大切なのは、物質や心理的現象を自分と同一視することをやめることだ」とビルマの僧侶ウ・ジョーティカ師は言っています*1。
別の言葉で言えば、初期仏教における瞑想の大きな目的の一つは、「無我を体験的に理解すること」なのです。
そして「無我」という考え方が腑に落ちれば、人生における厄介ごとは格段に減ります。
「無我」というのは、「普段あなたが自分だと思っているものは、よくよく観察すれば自分だとは言えない。『これが自分だ』と言えるようなものは何もない」ということです。
「自分」とか「自分のもの」とかいう考えに慣れ親しんでいるわたしたちは、「自分は存在しない」などと言われたら、驚き、傷つき、がっかりしたり、否定したりするかもしれません。
けれども、落ち着いて検討してみれば、この考えは決しておかしなものではないことが分かります。
たとえば誰かが、あなたを傷つけるようなことを言ったとします。
あなたは不愉快に思い、何か言い返してやろうかと考えます。
つまりあなたは「怒った」のです。
ですが、これを「無我」の視点から眺めると、別のことが言えます。
イヤなことを言われたあなたの中に「怒り」の感情が起こります。けれどそれを自分と同一視する必要はないのです。
ただ「自分の心に『怒り』が生じたこと」を観察するにとどめ、それに反応して「相手に言い返す」ことはやめておきます。
言い返せば相手はさらにイヤなことを言ってくるかもしれません。
余計なことは言わないのが得策というものです。
こうして「自分が怒った」と捉えることをやめ、「自分の中に怒りが生じた」と考えるようにするのが、「無我」を理解する第一歩です。
この視点に慣れてくれば、自分と感情を同一視しないですむようになり、自分の体を自分だと勘違いすることもなくなっていきます。
いずれは、「自分は歩いている」と考える代わりに、「この体が歩くという動作をしている」というように、完全に自分を取り払った捉え方もできるようになるはずです。
そうなれば、自分を特別視することもほとんどなくなりますから、執着や怒り、好き嫌いなどの感情に左右されることも、格段に減ります。
☆『自由への旅: 「マインドフルネス瞑想」実践講義 』(2016 新潮社)
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こちらの本はウ・ジョーティカ師によるヴィパッサナー瞑想のマニュアルです。
中級者以上向けの詳細な記述ですが、意欲的な初心者の方にもおすすめします。
*1:"snow in the summer" p.11, https://holybooks.com/snow-summer-sayadaw-jotika/