しばらく前の medium.com にこういう記事が載っていました。
The Myth of Independent Thought – The Polymath Project – Medium

直訳すると「独立思考の神話」というような意味ですが、「他の人に一切頼らないで考えることはできないよね」みたいな話です。

学校教育では、なんでもかんでも「自分で考えなさい」みたいに押しつけられますので、

  • うまく考えられない人は、自分がだめな人間になったような気がしますし、
  • 上手に考えられる人は、自分ができる人間になったような勘違いをしたりする

わけですが、ほんとにそんなふうに考えてて大丈夫なのかな? というおもしろい視点を提供してくれる話だと思うので、その内容を紹介するとともに、ぼくたちがどんなふうにすれば「集合知」を使いこなすことができるかを少し考えてみましょう。

地球は丸いってほんとに知ってますか?

ぼくたちは学校で教わったり、テレビやネットで見聞きしたり、たくさんのことを知っているわけですが、「知っている」という言葉は、実際のところどんなことを意味してると思いますか?

そんなことを突然聞かれても答えに詰まるかもしれませんね。

そこで質問です。

あなたは、地球は丸いってほんとうに知ってますか?

頭のいいあなたは、いろいろな状況証拠をあげて、だから「地球は丸いはずだ」ということができるかもしれません。

でも、だからって「地球は丸い」と知ってると言えますかね。

「確かに丸い」っていう実感はありますか?

サッカーのボールだったら、「丸い」のを知ってますよね。

それと同じ意味で「地球は丸い」っていう実感がありますかね?

千人に一人か、一万人に一人かは、「地球は丸い」って実感を持っている人もいるかもしれないとは思うのですけど、普通の人は、「地球は丸い」はずだって思ってるだけで、「知っている」はずのことでも、実際には「信じている」にすぎなかったりするわけです。

頭のいい科学者の人や、自分が信頼できる多くの人が「地球は丸い」と言っているから、あなたは自分も「地球は丸い」と信じることにしたのです。

自分は知らないのに、人を信じて知っていることにする。

これが「集合知」の一つの働きです。

そんなふうにしてあなたは、さまざまな「集合知」に頼って生きているわけで、それは人間が言葉を使う社会的な生き物である以上、当たり前のことなんですね。

というわけで、集合知を使いこなすための一つ目のポイントは、

  • あなたはすでに「集合知」を使いこなしている、
  • 「集合知」なんて特別なものじゃない、

ということなのでした。

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自分だけで考えられる人なんて、どこにもいません

デカルトというフランスの哲学者がいます。

「我思う、故に我あり」という言葉で有名な人ですね。

この世界について、「疑うことのできない、一番の基礎は何か」ということを突き詰めて考えていった結果、

  • 「自分が考えている」ということは確かである

ということに気づき、彼はそれをすべての思索の出発点としたわけです。

デカルトが自分で考えぬいてその結論に達したことは確かにその通りでしょうが、彼はほかの人の影響は何も受けずに、自分一人だけですべてのことを考えたのでしょうか?

そんなわけはありませんよね。

どうして彼は「疑い得ない一番の基礎」を探したのかといえば、それをもとに解くべき哲学的な問題があったからです。そしてなぜそうした哲学的問題に興味を持ったかと言えば、様々な先人がそうした問題に取り組んできた歴史があったからです。

つまり、彼はすべてを自分だけで考えて結論に達したわけではなく、先人の思考の影響のもとに、独自の結論に達したわけです。

あるいは、話を現代の科学研究に移してみましょう。

科学者たちは、自分の実験室で様々な研究をするわけですが、同時に世界から優秀な科学者たちが集まる学会というものに参加して、自分の研究の成果を披露し、他の科学者の研究結果を聞きます。

こうした機会に、科学者同士が交わすちょっとした議論の中から、新しい研究が生まれてくることもあるのだそうです(うろ覚えの話で出典が示せずすみません。ぺこり)。

もちろん、科学者たちは、自分の頭で考えぬいた上で様々な研究をするのですが、そこには、学会における「ちょっとしたヒント」が大きな影響を与えていたり、あるいは日頃の同僚とのディスカッションから「思わぬヒント」を得たり、といったことが多々あるということです。

というわけで、こうした「知の最先端」においても、「完全に独立した思考」はありえないのですから、まして、ぼくたち普通の人間が「自分だけですべて考えぬく」というのは現実的なやり方ではありません。

自分にできる限りのことをきちんと自分でするのは、もちろん大切なことですが、自分の手に負えないことは、手に負えないとはっきり認め、他の人に助けを求めることも大事なことです。

なんでもかんでも自分でやろうとしないこと。
必要なときには、人の知恵を借りられること。

逆に、何かが分からなくて、人が困っているときには、さっと知恵を貸して上げるのも大事なことです。

こうして「自分の知恵を出し合って、お互いに助け合うこと」が、「集合知」の使いこなしの二番目のポイントとなります。

あなたにとって「真実」って何? 自分の道を歩いてますか?

  • 本当は知らないことでも、知ってるつもりにしている

というちょっと意外な事実や、

  • 知らないことは、人に聞けばいい

という、ある意味当たり前のことを書いてきましたが、 どちらにしても、ぼくたちが「知っている」ことには限界があります。

分からないことが、いーっぱいある中で、ぼくたちは判断し、決断し、日々を生きていかなければなりません。

北朝鮮や中国は危険な国でしょうか?

原発は再稼働しても大丈夫でしょうか?

憲法は改定するべきなのでしょうか?

いろいろな問題について、たくさんの人が自分の意見を述べます。

それぞれの意見を聞くと、どれももっともらしく思えます。

一体どの意見が正しくて、どの意見が間違っているのでしょうか?

「すべての問題に対して、自分なりの見解を持つ」ということも、「限界を持つ」人間には無理なことでしょう。

「分からないことは分からない」と正直に認めるのも、大切なことです。

そのとき、自分が「何を大切にしているのか」ということは、少し考えておいたほうがいいことかもしれません。

「真実」などという言葉を使うと大げさに思われるかもしれませんが、あなたにとって「本当に大切なもの」は何か、ということです。

「何が大切なのか」を自分なりに知っている人は、きちんと「自分の道を歩いている」人です。

そして、自分の道を歩いている人同士は、様々な問題に対する意見や立場は違っても、「真実を追い求める」姿勢や「自分にとって大事なものをきちんと大切にする」といったあり方において共通するものを持っていることから、互いの生き方を尊重することができます。

そこに仲間意識が生まれます。

そうして、社会の浮ついた流れに振り回されることなく、かといっていたずらに流れに逆らうわけでもなく、淡々と自分の道を歩くものは、数は少なくても、よい仲間に恵まれて、自然に「集合知」に守られることになるはずだと思うのです。

というわけで、

  • ぼくたちは初めから「集合知」の中にあること、
  • 自分だけで頑張りすぎず、積極的に「集合知」の助けを求めること、
  • しっかりと自分の道を歩いて、よき「集合知」の仲間を得ること、

以上が、ぼくの考える「集合知」を使いこなす三つのステップということになります。

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ネット上では、「議論」が「喧嘩」になって、お互いに相手を否定しあうだけ、といった光景がよく見られますよね。

そういうのを見かけるたびに「集合愚」という言葉が浮かんでしまうのですが、ぼく自身がそういう「愚」を抱えた人間なので、ついついそんなのばかり目に入ってきてしまって、しょうがないんですわー、まったく。

思考がそうした「泥沼」にはまらないように、用心しながらネット散歩を楽しみたいと思います。

てなわけで、この記事はおしまいです。
それではみなさん、ナマステジーっ♬