はてな村のみなさん、こんにちわ。

別サイトにしてありますが、ぼくはこんな「怪しい」記事も書いてます。
瞑想で、無限の時間を、あなたのものに。 - 24 時間の瞑想術

瞑想が深まると、「今」という瞬間が「永遠」になるので、無限の時間が得られる、という趣旨です。

この記事では少し違った角度から、瞑想で無限の時間を得られるのか、ということを考えてみます。

科学的といっても割と数学的な話で、時間が連続なら、一分間も永遠も同等と見なせるから、やっぱり無限が手に入っちゃうよね、というような話です。

0から1までと、0から無限までは、数学的には一緒、という話

さてみなさん、0から無限までの数を考えてみてください。

0、1、2、という自然数だけじゃなくて、0.1, 0.01, 0.001 というような少数も含めての話です。

割り切れない少数、1/3 とか 1/7 とか、そういうのも全部含め、さらには、平方根とか円周率とか自然対数とか、分数でも表せないような数も含めます。

そうやって、作り上げた数、実数というのは、連続で切れ目のないものになります。

この連続な実数の観点から見ると、0から1までと、0から無限までは、同じ濃度を持っていて、それぞれの数に一対一の対応をつけることができるんですね。

ですから無限(ここで言っているのは、数学的には非可算の無限ということになります)という、人間には非常につかみ難い概念を考えるとき、0から無限、ということを考える必要はなくて、0から1までのことを考えれば十分ということになります。

これを時間にあてはめたとき、人の一生は有限ですけれども、その中に無限を見出すことが可能になりますし、もっと言えば、一分、一秒の中にも無限を見出すことが可能になるわけです。

以上、ぼくは数学、あまり得じゃないので、かなり雑な話です。おかしなところがあったらごめんなさい。

でも、時間ってほんとに連続なの?

現代の物理学では、時間は不連続なものとして扱われるようです。

量子力学的な世界観では、観測の限界というものがあり、これ以上短い時間については観測できない、という限界があるんです。

プランク時間と言って、wikipedia によると、

5.39116(13) × 10 ^ −4 4 秒

となっています。
( 「^」 はべき乗の意味。小数点以下0が44個続く、めっちゃ短い時間ということです)

けれども、これは物理的な観測限界の話であって、ぼくたち人間が知覚・認識できるレベルとはかけ離れた世界の話です。

ですから、ここでの議論としては、時間は連続として扱って差し支えないでしょう。

知覚・認識の最小時間はどうなの?

知覚については、聴覚、触覚、視覚の順で長くなって、0.0045〜0.03秒程度、

認識できる時間の最小単位は脳内の神経振動によって決まり、0.03秒程度、

脳内で感覚情報は3秒単位でまとめられているため、「現在」として意識されるのは、3秒単位、

という研究結果があるようです。

この辺の話は、こちらのページに詳しく書いてあります。

知覚の時間錯覚効果:日々の覚え書き

時間は連続で、一秒の中に無限が見れるのは分かった。でも、認識や近くの限界を考えたら、無限なんてとても無理じゃない?

前節で「現在意識」は3秒単位という話を書きましたが、ぼくたちは1秒、2秒、3秒、と数えられるんだから、ある知覚情報のまとまりとしては、3秒というのが意味をなすのでしょうが、実際にはもっと短い単位で時間を認識していることは間違いないでしょう。

そして、瞑想の練習を深めていくことで、とても短い時間感覚の中で、自分の体の中にさまざまな反応が連鎖的に起こっていることが、だんだん分かってきます。

もちろん知覚の限界はありますから、それ以下の時間単位については、知りようがないのですが、瞑想によって「無駄な思考」が減ることによって、
脳内で無数に同時進行している「計算」が自分に与える影響を、以前よりも精密に「認識」することができるようになり、結果として、同じ1秒の「密度」が何倍にも感じられるようになるんですね。

そのとき、「現実の知覚の最小時間がどうか」ということではなく、「実感としての最小時間」はいくらでも小さくなっていきます。

それを数学的に「無限」というわけにはいかないでしょうが、

「練習次第で、時間の最小単位は『いくらでも小さくできる』し、
時間の密度は『いくらでも濃密にできる』」

のですから、普通にいうところの「無限」と考えることができるだろうと、いうことなのです。

だいぶ雑な議論ですので、うまく説明できたか不安なところですが、以上で、「瞑想をすることで無限の時間が手に入る」という命題の証明の概略とさせていただきます。

ちなみに、みなさんが瞑想の練習をして「無限の時間」を手に入れたとしても、その時間を「無限のお金」を稼ぐために使ったりしたら、だめですよ。

瞑想は心の浄化のためにあります。

瞑想の副次的効果として「無限の時間」が手に入った場合は、利己心を捨て、生きとし生けるもののために、その時間を使ってくださいね。

それが、仏の慈悲心であります。

てなわけで、おあとがよろしいようで。
それでは、みなさん、ナマステジーっ♬

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