LGBT問題で批判される杉田水脈氏を擁護するツイートを巡るSNS的珍妙な攻防とぼくたちの未来
「LGBTには生産性がない」という差別発言で悪名を馳せている自由民主党所属・2期目の衆議院議員をつとめる杉田水脈(みお)氏ですが、理学博士の琳さんという方が、その杉田氏を擁護する内容のツイートをしています。
一連のツイートの中で、
「自分の知り合いにも性的少数者の人はいるが、そうした人から差別されているというような話は聞いたことがない」
という趣旨の発言があり、これに対し、ブックマーク・コメントが183もついていますので、その中身をちょっと見てみましょう。
- 「差別は存在しない」と自分の経験だけで言い切ってしまう誤謬
- 「誤謬」としか言いようのない意見にネット上で出会ったとき、どうすればいいのか
- もともとの杉田氏の発言に戻って、ニッポンの未来のお先真っ暗感を味わってみましょう
「差別は存在しない」と自分の経験だけで言い切ってしまう誤謬
琳さんは問題となっているツイートで次のように言っています。
友人のゲイは彼氏と楽しく暮らしてるし、バイの友人も普通に生活してる。もちろん彼らには僕らにはわからないような悩みもたくさんあるだろうけど、少なくとも「俺達は差別されてる」なんてセリフ聞いたことない。
「LGBTは差別されていて欲しい」と思ってるの、お前らなんじゃねーのかって思う。
これに対して id:Dragoonriders さんは、
周囲の人間が言ったかどうかをただ漫然と観測してるだけでは、わからないことだらけの世界。言っても理解しない人だから言わないだけかも、って自分を鏡で見る感性が必要。
と述べていて、まったく正論と言えましょう。
しかしながら、琳さんのような「差別される側」の気持ちを想像できないタイプの人に、「自分を鏡で見る感性」を期待することは残念ながらかなり無理なことでしょう。
id:tabidachi_nam さんは、
理系の癖に差別に関する当事者へのアンケート結果すらも見てないのかよ。観測範囲を極狭い範囲に絞ってレポート提出してんのかお前は。
と書いてらっしゃっており、琳さんの差別問題に関して、実際のデータに基づかずに主観だけでものを言っていることへの批判はもっともです。
ただし、彼女/彼が自分の専門の研究でどのような仕事をなさっているかということは、まったく分かりませんので、しっかりと科学的な真実を追求する姿勢で研究してくださっていることを祈るのみです。
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「誤謬」としか言いようのない意見にネット上で出会ったとき、どうすればいいのか
琳さんのツイートについたコメントの多くは、おおむね二つの種類に分けられます。
- 皮肉っぽくからかうもの、と
- 明らさまにバカにするものです。
どちらもそれぞれの方の意思表明として大いに意味はあるのですが、もともとの琳さんの発言の中に、
「弱者を仕立て上げ、悪者を作り上げ、攻撃しやすいフレーズで、よってたかってその『悪者』を叩く」というパターンが、東北震災からこっち、特に顕在化したと感じている。
彼らは、騒ぐだけ騒いで焼け野原にした後は、知らんぷりで次の獲物に向かう。
もういい加減、踊らされるのやめましょうや。
という言葉があるのことを考えると、ユーモアでからかうのはともかく、ぎらぎらと怒りをぶつけるような言葉には、やはり違和感を感じてしまうのです。
杉田水脈氏の発言も、琳さんの発言も「限りなく誤謬としか言いようのないもの」だとは、ぼくも思います。
けれども、それを「攻撃して叩き潰してなきものにしよう」と思って発言してらっしゃる方には、
- 「そういうやり方ってホントに有効ですかね?」
と聞いてみたいのです。
データに基づいて有効性を示してくれ、というわけではありませんが、自分の胸に手を当てて、
- 「これはただ自分のストレス解消のためにやってるだけではないのか?」
と自問してみてほしいと思うのです。
もちろん「ストレスの解消」も大切なことですから、それを分かってやってらっしゃるのなら、何も言うことはありません。
そうではなく、
- 「民主主義的原理」を「勘違い」して、「ディベート原理主義」に落ち入っていないか、
- 相手を叩き潰していけば世の中はよくなる、という到底ありそうにない「空想」を信じこんでいないか、
そういうようなことがもしあったなら、ここらで少しネット上での発言のスタイルを変えることをご考慮していただけたら嬉しいなと思うのです。
確かに世の中には「誤謬」に基づく発言があふれています。
そしてそうした発言に対して「どう応答していけばいいのか」ということは、簡単に答えが出るものではありません。
そうであればこそ、いろいろな応答を実際にやってみて、どんな方法が楽しく、共感を呼び、社会を変えていくような契機になりうるかを試していくことには、創造的な喜びがあるはずだと思うのです。
もともとの杉田氏の発言に戻って、ニッポンの未来のお先真っ暗感を味わってみましょう
お騒がせとなり世間に周知された杉田氏の発言は、
LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり「生産性」がないのです。
というものですが、これについて琳さんが、
あまりに変な騒がれ方をしているので、おかしいと思って杉田水脈氏の全文(http://blog.livedoor.jp/skeltia_vergber/archives/51543955.html …)を読んでみた。
案の定、いつもの「悪意ある言葉の切り取り」。
つまるところ、メディアが火をつけ、野党が喚き、一般市民が騒ぐいつものヤツだ。
と書いているので、「へー、そうなのかな」と思って杉田氏の原文(を誰かがネットに無断掲載したもの)を見てみました。
琳さんが杉田氏の文章をどう評価したのかはよく分かりませんが、ぼくの感想は、
- 切り取られた部分を文脈に沿って考えると、いよいよ論理が破綻している上に、
- 文章全体も一切説得力を持たない、時代錯誤のものだな、
というものです。
過去の価値観にどっぶり使った杉田氏が、変化していく時代についていけずにとまどっている様子には同情しますが、比較的若い、しかも女性の衆議院議員の方が、自民党に所属している方とは言え、このような「古臭い」価値観で発言しているかと思うと、
- ニッポンの未来は本当に真っ暗だな、
というのが実感です。
しかし、お先真っ暗だからといって、意気消沈して投げやりになる必要はありません。
第一次大戦で負け、大きな負債を背負ったドイツが、極めて民主的なワイマール憲法を持ったにも関わらず、ナチスの全体主義によって破滅的な帝国主義に落ち入ったことは、みなさんもご存知でしょう。
そのように二度に渡る過ちを繰り返したからこそ、現在のドイツは様々な問題を抱えながらも、日本のように全体主義が復活してくるようなことにはならずに済んでいるのです。
つまり我々おろかな人間が一度の失敗から十分な教訓を得ることなど、まったく期待できないわけであって、今まさにニッポンという国家は、二度目の過ちの時代に突入しているわけです。
そうであるからこそ、ぼくたち国民の一人ひとりが、五十年先、百年先の未来を見据えて、今という時代を、そして今日という一日をしっかりと生きていくことが大切になってきます。
戦争のない、民主的で平和な世界というものは、今この瞬間には存在しません。
けれどもそれを「遠くない将来に実現するのだ」という夢と希望を持って、ぼくたちは日々を生きていくのです。
その道のりは決して平坦なものではないでしょう。
それでもぼくたちは決して諦めずに、その厳しい道のりを嬉々として歩いていくのです。
以上、今日も長文を最後までご精読ありがとうございました。
ではではみなさん、ナマステジーっ♬