仏教では「一切皆苦」といい、「生老病死のすべてが苦である」とも言います。

日本では仏教が葬式と結びついていることもあり、これだけを聞くと、
「仏教って悲観的で辛気臭いよな」
と思ってしまいがちです。

けれども仏教の開祖であるゴータマ・ブッダが実際に言ったのは、
「この世のすべては苦しみの元になりうるが、正しいものの見方を身につければ苦しみを離れて、幸せな人生を送ることができる」
ということです。
実際のところ、ぼくたちの人生は思う通りにはならない、不自由なものです。

お金がもっとほしいと思ったからといって、お金が入ってくるわけではないし、素敵な恋人がほしいと思ったからといって、理想の恋人が見つかるわけではありません。

仏教における「苦」というのは、こうした「思い通りにはならないこと」からくる「不満足」のことであり、また、イヤでもやってくる「ストレス」のことでもあります。

そして仏教では、こうした「苦≒不満足≒ストレス」が生じる原因は、ぼくたちがこの世界の現実をよく理解していないからだ、と説明します。

この無理解のことを「無明」と呼びます。「真実を明らかに知っていない」という意味です。

ここで理解するべきだという「この世界の現実」というのは、
「この世のすべてのものは変化するものであり、不変のものは何もない≒無常」
という事実と
「すべてが無常であるとき、これこそが不変の自分であると言えるようなものも存在しない≒無我」
という事実の二つのことです。

☆無常と無我についてはこちらの記事もどうぞ。
初期仏教における「無我」の考え方。あるいは、自分を体や感情と同一視しないこと。 - *魂の次元*
「怒り」というやっかいな感情とどう向き合うか。あるいは、「怒り」についての私的考察。 - *魂の次元*

無常と無我の考え方を理解してかていないと、「変わりゆくもの」と「自分や自分のものと思い込んでいるもの」に対する執着が生じ、この執着が「苦しみ」原因になるというのが仏教の考え方です。

たとえば「お金がたくさんほしい」と思って、もしも実際にお金が得られても、使ってしまえばなくなってしまいます。

お金を使った得られた満足で、そのときは幸せな気持ちになれたとしても、過ぎ去ってしまえば、もうその満足はそこにはありません。

頭で思い描く「素敵な恋人」に出会えた場合も、恋い焦がれて夢中のときには、会うだけで幸せな気持ちになれるでしょう。

けれども逆に言えば、会えないときは不幸せな気持ちになりかねませんし、最初のときめきが過ぎてしまえば、そこには不満が生まれてくるおそれもあります。

変化するものに執着している間は、瞬間瞬間の満足は得られても、心の安らぎは得られないのです。

ここで発想を逆転させてみましょう。

無常と無我という考え方をよく理解した上で、無常で無我なこの世のものごとに執着することをやめてみるのです。

ほしいものを握りしめて「絶対手放さないぞ」と思ったり、逆にイヤなものを毛嫌いして「こんなものどこかへ行ってしまえ」と思ったりすることをやめます。

ほしいものを手に入れても、それがいずれはなくなることをはっきりと知り、イヤなものが現れても、それもいずれはなくなることもはっきりと知るのです。

そうすれば、ほしいものが手元になくても、イヤな気分にならず、いつも落ち着いた気持ちでいられます。

また、イヤなことが起こっても、それは永遠に続くわけではなく、やがて去っていくのですから、しばらくの間、辛抱してつき合うことにすれば、それによって心が乱されることもなくなります。

このように「選り好みも毛嫌いもしない≒執着心がない」状態になれば、どんな状況に置かれても、苦しみを感じず、不満も感じず、ストレスとも思わないような心境でいることができるようになるのです。

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人生から苦しみをなくしたければ、執着心をなくせばいい。

言葉にしてしまえば、簡単なことです。

けれどもこれを実際に実行するのは、なかなか難しいことになります。

ほしいものが手に入らなければ不満に思い、イヤなことが起これば不愉快に思う。それが人間というものです。

けれども、もしあなたが本当に幸せになりたいのなら、今この瞬間にも「執着心をなくすぞ!」と決意する必要があります。

「自分にはできる!」と信じて決意し、それを持続的に実行していくことができれば、あなたは少しずつ理想の状態に近づいていくことになるのです。

まずは鼻から三回深呼吸をして、体と心の余分な力を抜いてみてください。

力を抜いてリラックスすれば、今までは使えずに垂れ流しになっていた心の力が、意味のあることに使えるようになります。

つまりその力を、執着心を捨てるために使っていけばいいのです。

選り好みや毛嫌いをしている自分に気づいてください。

「またやってるなー」と何度でも確認するのです。

そして「やってしまった自分」のことを決して責めないでください。

「やってしまうのも自然なことだ」と認識して、その上で「そのうち、しないですむようになる」ということを知っていれば、いずれは本当にしないですむようになります。

ぼくたちの意識は、非常に高度なモニター・システムです。

そして、モニターしたことに対して、自動的にフィードバックを加え、よりよい方向へ変化をうながすことができる、極めて精緻な自己調整機能を持っているのです。

この自己調整機能を発揮させることが、仏教のかなめである瞑想や、マインドフルネスであると言えます。

あなたが瞑想やマインドフルネスをすでに練習したことがあれば、どうぞその練習を続けてください。

まだやり方を知らない場合は、気がついたときに、鼻から三回深呼吸をするだけで、とりあえずは十分です。

自分の人生を変えたいのならば、今こそがそのチャンスです。

思い立ったときに、小さな変化でいいので、実際に実行してみる。

その変化の積み重ねが、あなたの人生を、新鮮で生き生きしたものに変えてくれるのです。

仏教の考え方をヒントに、あなたが幸せな毎日を送ることができますように、心よりお祈りします。

それではみなさん、ナマステジーっ♬