性的コンテンツが子どもに与える影響についての「しんざき話法」ぷち考察、あるいは、萌え絵が燃えてもうええわ、なんちゃって。
はてな村のみなさん、こんにちわー。
今日も楽しくブックマーク・サーフィンしてますかーー。
はてブ・アディクトのみなさんにはお馴染みのしんざき@不倒城さんが、
・子どもの感性は、「性的なコンテンツ」一つで悪影響を受ける程脆弱なんだろうか | Books&Apps
という素敵な記事を書いてらっしゃって、600近いブックマークがついてるもんで、今日はしんざき氏の論法について、みなさんと一緒に詳しくみていきたいと思いまーす。
素晴らしき「しんざき話法」に、いつも「はてな?」と首をかしげてるみなさん、よろしくお願いしまーす。
- まずは『「性的なコンテンツ」一つで悪影響を受けるか』という問いかけに潜む二重性について
- 『余程極端な環境にいない限り、変な情報や妙なコンテンツ一つでおかしなことにはならない』という「正しいけれど、間違ってる」主張について
- 『子どもの感性は柔軟で色んなものを取り込んで自分の感覚を醸成していく』ということを考えればこそ
まずは『「性的なコンテンツ」一つで悪影響を受けるか』という問いかけに潜む二重性について
はじめにタイトルの
- 子どもの感性は「性的なコンテンツ」一つで悪影響を受けるか
という問いかけなんですが、
これは素朴な意味で答えれば、
- 多くの子どもの感性は、それほどヤワなものじゃない
というしんざきさんの言説は、おおむね正しいものと言えるでしょう。
その意味で、しんざきさんの記事の結論に当たる
- 子どもの感性をもっと信頼しよう
という大人への呼びかけは、この範囲ではまったく妥当なものと考えられます。
しかしです。
彼が言う「性的なコンテンツ」とは何のことなのか、もう少し見ていくと話が少しおかしくなってきます。
『テレビやら雑誌やらで多少偏った情報に触れたとしても』
『漫画やらラノベやらのコンテンツで、多少性的な情報に触れたりしても』
子どもはおかしくならない、
......というところでは、子どもの身近なところにある「性的かもしれない」コンテンツの話をしています。
けれども、
『なんならひょっこり性的なニュアンスが含まれているコンテンツにたまたま触れたとしても』
...... となると、こちらは完全にアダルトで「露骨な性的表現が含まれる」コンテンツの意味でしょう。
しんざきさんのような「よい家庭」に育った「よい子」のご子息は、
- 「なんならひょっこり」くらいの確率でしか、
「露骨な性的表現が含まれる」コンテンツに触れる機会はないかもしれませんが、アダルト動画がネットでいくらでも見れる現代に、
- うちは大丈夫だから、みなさんも心配しないで、子どもを信頼しましょうねー!
と言ってしまう感性には、首をかしげざるを得ません。
だって子どもがうっかり見たときに、「一発」でトラウマになるような「凶悪な性的コンテンツ」は現実に存在するのですから。
まあ、しんざきさんは素敵な紳士の方のようですから、そもそもそういう「ゲス」なコンテンツがネット上にいくらでも転がっていること自体ご存じじゃないのかもしれませんけれども。
というわけで、しんざきさんの
- 子どもの感性は「性的なコンテンツ」一つで悪影響を受けるか
という問いかけに対してのこの記事での結論は、
- 子どもの感性を破壊しうる「凶悪な性的コンテンツ」はネット上にいくらでも存在するので、当然悪影響を受ける可能性がある
というものになります。
ここまでで結論は出てしまったので、あとは蛇足です。
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『余程極端な環境にいない限り、変な情報や妙なコンテンツ一つでおかしなことにはならない』という「正しいけれど、間違ってる」主張について
ここでは「露骨な性的表現が含まれる」コンテンツのことは話から外して、「変な情報や妙なコンテンツ」というのは、子どもが普通に触れる範囲にあるさまざまな「性的かもしれないコンテンツ」と考えます。
そのとき、
- 「余程極端な環境にいない限り、変な情報や妙なコンテンツ一つでおかしなことにはならない」
という主張は、これまた素朴に受け止める限りは、
- 「確かにそうだよね、子どもはそんなにアホじゃないよ」
と頷けるものです。
けれどこれもまた、「余程極端な環境」と「変な情報や妙なコンテンツ一つ」という2つの言葉をもう少し丁寧に検証すると、ちょっとやっぱり違うんじゃないのー、という気がしてきます。
さきほども書きましたが、しんざきさんのご家庭は、素敵な「お花畑」で飾られた十分「市民的な環境」なのでしょう。
ですから、しんざきさんの言う「余程極端な環境」というのは、「遠い地球の裏側の別世界のスラム」みたいなものなのでしょうし、そういう「極端な環境」にいない限り、子どもが「変な情報や妙なコンテンツ」に出くわす確率は極めて低いのであって、
子どもが触れるコンテンツについて、あまり心配もしていないし、大した制限もしていません
と書きさえすれば、クレゾール洗浄された清潔な脳内空間が保証されるのでしょう。
もちろんこれは、一人しんざきさんの場合だけの話ではありません。
社会の中心にいる多数派の人たちは、こうした幻想を共有しているわけですから、彼らから見れば、今回の「性的コンテンツの子どもへの影響」についての議論も、性差別やセクハラを問題にするような人たちが、少々性的な表現があるだけで、またわあわあ騒いでるくらいにしか見えないのでしょう。
そうした見方が完全に間違ってるとは言いません。
けれども、しんざきさんの見ているような「多数派の清潔な社会」だけが現実というわけではありません。
- 現在の商業主義社会では、女性性を搾取するようなイメージが氾濫しているのだから、子どもたちは確実にその影響を受けているのだ
という「少数派の現実」も確かに存在するのだということを、議論の出発点にしなければ、話は始まらないと思うのです。
逆に言えば、それを議論の出発点にできない「頭の固いお方」とは、いくら議論をしても無駄ということです。
『子どもの感性は柔軟で色んなものを取り込んで自分の感覚を醸成していく』ということを考えればこそ
しんざきさんはおっしゃいます。
子どもの感性というものは大人が通常考えている以上に柔軟で、色んなものを取り込んで自分なりの感覚というものを醸成していくんだろうなあ、という認識が私の中にはあります。
だから、自分がどんなに言葉を尽くしても、それが子どもに及ぼせる影響というのはほんの一部分だろうな、と思っています。
だからこそ、子どもが取り込む「色んなもの」が、大人の作り出した「醜悪なもの」ばかりだったら困ると考える人がいるのです。
もちろん「何が醜悪か」は人それぞれですから、社会的な線引きをするためにも、様々な意見を考慮する必要があり、そのためには自由な発言ができる環境が必要です。
とすれば、「性的コンテンツの氾濫」を批判する側も、単純に相手を打ちのめすような過激な言葉を投げることはできる限りつつしみ、「脊髄反射的」に相手の意見を否定するのではなく、なぜ自分が批判するかを「子どもにも分かるように*1」丁寧に説明する必要があるでしょう。
「ごりごりの保守派」を批判する過激な言葉は、「なんとなく保守派」の人たちを怖がらせて、問題の理解から遠ざけることになりがちです。
「女性蔑視」が蔓延する日本の現状を変えたいのなら、感情的な批判だけでなく、冷静に粘り強く意見を述べていくのが得策です。
そこで、この記事の最終的な結論は、あえてしんざきさんの結論を取り入れて、
- 子どもには劣悪な環境でも常識を身につける柔軟さがあるのだから、子どもの感性を信じよう、その上で
- 「性的なコンテンツの氾濫」という問題を、子どもにも説明できるように、丁寧に言葉で説明していこう、
というものになります。
子どもにも分かるように説明するには、どんなふうにしたらよいのかについては、いろいろな実践もあると思いますが、ここでは触れません。
みなさんがご自分なりの方法を考え、実践してくださることを願ってこの稿を終わりとします。
最後までお読みいただきありがとうございました。
それではみなさん、ナマステジーっ♬。
(いらすとやさんの画像を加工して利用させて頂いています)
*1:ここで「子どもにも分かるように」というのは、比喩的な意味ではなく、文字通りの意味です。なぜ「性的コンテンツの氾濫」が問題なのかを実際に子どもに説明することができないとしたら、世の中を変えることもできないように思えます。