日本最大手のゲームメディアであるファミ通.comが、アメリカ産の男性同士の恋愛シミュレーション・ゲームについての紹介記事の題名などで「(同性愛は)禁断の愛」と表現したことについて、問題視する声があります。

オヤジ臭さは危険な香り? 独身イクメン同士で禁断の愛にハッテン可能なお父さんデートシム『Dream Daddy』 - ファミ通.com

同性愛を「禁断の愛」と表現することは、いけないことなのでしょうか。
いけないことだとすれば、どこがどういけないのでしょうか。

たぶん日本の多くの方にとっては、「別にいいんじゃないの?」くらいの反応ではないかと思いますので、どのへんがどういけないのか、少し書いて見ることにします。

なお、この件については、damonge.com のこちらの記事が、ファミ通の記事を執筆したミル☆吉村氏の説明も含め、よくまとめられていますので、興味のある方にはご一読をおすすめします。
同性愛を「禁断の愛」と表現したファミ通 – DAMONGE

ゲイをはじめとする少数者に対する差別問題を、もう少し考えたらいいのになー

今回話題になっているゲームは Dream Daddy というアメリカのゲームで、英語版だけが配信されているものです。

アメリカの wired.com には、次のような大変好意的な紹介記事が出ています。
Gay Dating Simulator 'Dream Daddy' Might Just Be the Gaming Miracle of the Year | WIRED

ゲームの内容は、

  • 10代の娘を持つ父親が、近所に暮らす7人の独身男性と恋愛も含めて親交を深めてゆく

というものなのですが、wired.com の記事では、「切なく、考えさせられる、とてもヒューマニスティック」な作品であり、「恋愛シミュレーションだけに限らず、オールジャンルで今年一番のゲーム」とまで高く評価されています。

紹介記事の題名には「同性愛者(queer)の恋愛ゲーム」とありますが、アメリカでは「ゲイ文化」なんて当たり前ですから、「禁断の愛」などといった、少数者文化を興味本位で見るような表現は、使わないわけです。

もちろん、日本とアメリカでは文化状況がことなりますから、なんでもアメリカの真似をすればいいというわけではありません。

けれども、ゲイを初めとする少数者の人たちが、笑いのネタにされ、ばかにされて、肩身の狭い思いをするような今の日本の状況は、ちょっとなんだかなー、と思うのです。

あなたは「自分には関係ないから」と思うかもしれません。

でも、ほんとうにそうでしょうか?

少数者差別がまかり通る社会って、だれにとっても息苦しい社会じゃないでしょうかね??

少数者が生きやすい社会は、みんなにとって生きやすい社会

差別が起きる理由にはいろいろなものがありますが、社会的なストレスが大きいとき、スケープゴートを求める形で、弱い少数者をターゲットにした差別が激しくなって、ストレスのはけ口になることがあります。

有名な例では、関東大震災のときの、朝鮮人に対するデマがありますよね。

関東大震災で大きなストレスを抱えることになった人々が、「朝鮮人が暴動を起こす」というデマを信じたために、多くの朝鮮の方が犠牲になるような暴力行為が行なわれました。
(参照: 芥川龍之介ら文豪たちが記録した関東大震災朝鮮人虐殺)

こういった極端なケースでなくても、日々の社会的なストレスが、「あなた」の中の「差別心」をあおって、少数者の人を笑いのネタに使ってしまうようなことは、ままあるはずです。

そういう意味で、「少数者差別が根強い社会は、ストレスの大きい、生きづらい社会だ」ということができます。

言葉の上だけ、表現の問題だけ変えていけばいいというものでもありませんが、一人ひとりが「差別」について考えていくことで、結局は社会全体を住みやすいものにしていくことができるはずだと思うのです。




抗議の声もあるのに、なんでファミ通はそのままにしてるの?

社会的な責任のあるメディアとして、ファミ通さんにはぜひ記事の表現を改めてほしいところですが、現状では執筆記者からの説明以外は、特に何の対応もないようです。
(参照: Twitter)

少数でも抗議の声がある以上、ただ説明するだけでなく、差別を助長するような表現は改めるべきと思いますが、日本のメディアにそういうデリカシーを期待するのは無理というものでしょうか。

「面白いゲームが売れることが第一」と平気で書いてしまう、記事執筆者の吉村氏の考え方自体が、「差別」問題に理解がなさすぎるのですが、日本の現状は、このあたりだということを踏まえ、地道に啓蒙していくしかないんですかねぇ。

ぼく自身の同性愛に対する感覚

ついでに個人的な話をします。

ぼくは高校のとき、同級生を好きになりました。

男子校だったので、男の友だちです。

大人の恋を知る前のプラトニックな愛情でしたが、

  • 「好きになる」気持ちって、性別とは関係ないんだな、

ということを、身を持って知っているわけです。

ところが、実際に、同性愛の人を目の前にしたとき、どこか気持ちが落ち着かなかったりします。

「差別」とまではいかないのですが、「何か違う」みたいな感覚があって、そしてそれは、無意識的な、深い部分からくるものなので、簡単には捨てられないものなんですよね。

というわけで、ぼくは自分の中に性的な少数者の方に対する「差別」的意識があることを否定しませんし、それがあることを知っているからこそ、うっかりネタにして、気持ちを傷つけるようなことがないように気をつけますし、また、他の人が軽い気持ちでしている「差別」表現についても、注意して見ていきたいと思うのです。

言葉だけとりつくろってもしょうがない話だし、社会全体の意識を変えていくとなれば、気の遠くなるような時間のかかることですから、こういう問題についても、ぼちぼちやっていけたらな、と思いながら、この記事を書きました。

てなところで、今日の話はおしまいです。
それではみなさん、ナマステジーっ♬

〈追記 2017.11.23〉ミル☆吉村氏からのお返事と「ファミ通」の社会的責任

ミル☆吉村氏から「表現として微妙ではあるのでもう使わない」というお返事がありました

twitter で吉村氏にメンションしたところ、「表現として微妙ではあるのでもう使わない」というお返事をいただきました。
(参照: https://twitter.com/ntheweird/status/933266115328913410)

「表現として問題である」ことを理解していただけることが分かりましたので、ほっとしています。

吉村氏の記事に「ゲイに対する差別意識がない」のは、ぼくもその通りだと思いますし、このゲームが特に同性愛者向けでなく、普通の人向けなのも分かります。

また、『ぼくの記事すらも、普通に「面白そうだな」と反応してた当事者の人もいたわけで、人それぞれとしか言いようがないです』ということも、まったくその通りなのです。

そのとき、せっかくアメリカのゲイ文化を紹介するいい記事なのに、それが

  • 「禁断の愛」というような手垢のついた言葉を使うことで台なしになりかねない、

ということについて、もう少し意識していただけたらな、というのが、この記事を書いた趣旨です。

それから、「何か言うんならゲームを実際にやってからにしてほしい」というのもライターさんの立場としては分かるのですが、これはあくまでも「メディアでの表現の問題」ですから、ゲームをやったことのあるなしとは関わらず、これからも自由に発言していきたいと思います。

もちろん、このゲーム自体おもしろそうですから、機会があればぜひ遊んでみたいと思います。

ファミ通の社会的責任について一言

吉村氏は、丁寧に返事を書いてくださっていて、十分社会的な責任を果たしてらっしゃるのですが、ここでやはり一言書いておきたいのは、メディアとしてのファミ通の責任です。

「安易な表現が少数者の権利を侵害している」かもしれないとき、公共のメディアとして、きちんと対処を願いたいところですが、さて、どうでしょうか。

ファミ通に対して見解を問うたほうがいいことかもしれません。

ぼくは当事者でないので、そこまでやるべきかちょっと迷いますが、気が向いたらやってみようかな。

当事者の方からも、ご意見、感想などいただけたら幸いです。