(奇言と戯言) 不安を抱えて軽々生きる
(奇言と戯言) 不安を抱えて軽々生きる
不安を抱えているのに、軽々と生きるだなんて、まったく言語矛盾した話だと思われるかもしれません。
でもまあ、言葉なんてのは初めから矛盾だらけなのでありまして、矛盾が嫌いな人は数学でもしていればいいのであります。
こいつは鏡の国に紛れ込んでしまったんだろうかと思って、では軽々と不安を抱えてみることにしようかと考えるあなたならば、ぼくが言いたいことや言いたくないことや、あるいは、ほんとは言いたいんだけど言わないようにしてることまでもきっと読み取ってくださるでしょうから、高々百年ほどの短くて貴重な人生のうちの数分か数十分をこの進みも止まりもしない文章のために費やしてくださるものと確信しております。
それにしてもどうしてぼくは、スマホにテンキーまでついたフルサイズのキーボードをつないでこの文章を打ち込んでいる今まさにそのときに、奇妙な不安を腰の辺りに痛烈に感じながら、言葉のダンスを続けているのでしょうか。
文章を入力する準備を整えたのは、実は他の記事を書くためだったのですが、いざキーボードを目の前にすると、言葉にして説明すれば「書こうとしていた記事が書けなかったらどうしよう」というような不安がやってきてしまいました。
その不安を抱えたまま記事を書くのは苦しい闘いになるのが目に見えていました。
そこでぼくは軽々と文章を打ち出し続けるために作戦を変更して一時退却し、この不要不急にして浮揚感の漂う、腐朽の名作にはなりえないことが初めから明らかな随想にとりかかることにしたのです。
ですからこの文章は、ぼくにとっては不安感をしっかりと味わいながら、それが溶けて消えていく過程を積極的に見つめるための方策であり、同時にこれを読んでいるみなさんにとっては、ぼくのうちに生成消滅する不安を垣間見ていただくことによって、共感・予行演習・他山の石・対岸の火事・軽蔑・暇つぶしなどなどといった、さまざまな効用が期待できる一石二鳥・一挙両得・一目瞭然にして一網打尽の、まああえて言いますならば、こういう文章だけは自分は書くまいという反面教師としての価値だけはどなた様にもお認めいただけるものと自負しております。
さてここで本考察のテーゼに永劫回帰し、不安とはいかなるものかについて一言述べさせていただきましょう。
果たして人は不安をいかにして認識するのか。
それは体に現れる様々な感覚の変化を通して認識されるものなのです。
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世界を言語によって切り取り、切り取った言語を貼りつけては張りぼてを作り、作った言語の張りぼてを実際の世界だと勘違いしてしまうと、「我不安を感ず。ゆえに我あり。我不安とともにあり!」と声たかだかに叫びたくなってしまうものですが、最近の心理学的知見を持ち出すまでもなく、賢明なる読者諸賢におかれましては懸命にそしてつぶさに自分の感覚を観察することによって、「自分はいま腰の辺りに強い緊張を感じているな。そしてそのことから脳の中で不安や恐怖などの情動を司る扁桃体が活発に活動して世に『不安』として知られる情動がこの体に起こっていることが知れるのだ」と例えばそのように、体の感覚と情動との関係を理解することができるわけであります。
ここまで筆を進めてまいりましても、もちろん進めるべき筆など持ち合わせはなく、キーボードを打ち続けるしか能のないわたしではありますし、そもそも脳があるのかどうかも分からない脊髄反射的な意味不明な文章の羅列になっていることは平にお謝りするしかない次第ではありますが、つまり残念なことにわたくしの不安は一向に消滅の方向に向かっていってはくれていなことを報告せざるをえないのが現状であります。
ところが、人間心理というものは実に不思議なものです。
「一向に消滅の経方向に向かってくれない」と書いてしまったためでしょうか、その文章を打ち込んでいるうちに少し腰の緊張が軽くなったかな、どうだろうな、うん確かに少し軽くなってるな、まだすっと消えるほどではないけど、初めのとんがった緊張からは確かに軽くなってるぞ、というくらいには緊張がゆるみ、不安感が減じていることをここにご報告できるのは、ここまで読みにくい文章を読み進めてくださったみなみなさまのおかけでありますから、これを読んでくださっている多数の方々が住んでいらっしゃる東の果ての国ジパングには、足を向けて寝ることができないのでございます。
グローバルでワールドワイドで、フラットだけど球状の、天網恢恢疎にして漏らさずなご時世に、生物と無生物の間の顕微鏡的な存在が世の中を騒がせてはおりますが、みなさまにおかれましては、虚の中に実を見、うつつも夢と決め打ちし、覆われたものを敢えて白日の元に晒すも晒さぬもあなた次第、不安を抱えて軽々と生きる術を身につけるための、これを絶好の機会と心得て、日々ことのはを紡いで、言葉の彼方へと飛び去ろうではありませぬか。
以上、天竺国の聖地、ガンジスのほとりハリドワルより、緊張と共に機嫌よくつづり上げた奇言の羅列でありました。
[即興作文のため、誤字脱字はご寛恕ください]