今日もインターネット密林ジャングルにお集いのみなさま、元気にやってますかー。

ところで、あなたは、ひょっとして、

働かないのは「悪いことだ」

と、思ってませんか?

そう思って「いけない理由」もないのですが、どちらかと言えば、窮屈な考え方じゃないかなあ、と思いまして。

というわけで、今回は、政治学者・栗原康さんの著書「はたらかないで、たらふく食べたい」をネタにさせていただき、このページでは何度も現れるテーマ「働かなくてもいいじゃん」の変奏曲をお送りします。

「はたらかないで、たらふく食べたい」を書いた栗原康さんは、大杉栄や伊藤野枝の評伝を書いている政治学の研究者です。

東北芸術工科大学で非常勤講師をしてらっしゃるのですが、これはいわばアルバイトに近い仕事ですよね。

いわゆる定職についていないわけです。

そして、定職にもつかず、実家で好きなように勉強し、好きなように本を書き、稼ぎは少ないけれども、自由に生きている。

そうした彼の「自由な生き方」をこちらの本に書かれているわけです。

  *  *  *

まあ、「プチブルの高等遊民」といってしまえば、それまでなのですが、そして、ぼく自身が「プチブル高等遊民の失敗事例」みたいなものでありますから、「そういう非生産的なあほうは大概にしなさい」という声がどこかから聞こえてきそうな感じです。

でありますが、というよりは、ですからこそ、

「プチブル高等遊民」でもいいじゃないですか

とアジの開き直り的に私は主張したいのです。

  *  *  *

栗原さんのインタビューがこちらにあります。

【訊いてみた】いま最注目の政治学者、栗原康さんに訊いてみた【前編】 | ひき☆スタ - ひきこもりから『社会』にメッセージを。

インタビューで、「はたらかないで、たらふく食べたい。これがあたらしい格言だ」という言葉について、どうしたらそんなふうに強く思えるか、と聞かれています。

それに対する栗原さんの答えは、もともと強く言えていたわけではない、というものです。

大学院博士課程を満期退学後、五年ほどほぼ仕事がなく、週にひとコマだけ非常勤講師をしていて、年収10万、という時期があったそうです。

月収10万、じゃありませんよ、年収10万です、年収!!

そして、実家にいて、好きなように本を読んだり、ものを書いたりしていたわけですから、親や近所の人や親戚から当然いろいろ言われます。

特に最初のうちは親から相当いろいろ言われたため、栗原さんは「とにかく謝る、土下座する」という技を身につけた、というんですね。

栗原さんの言葉を引用します。

なにか言われたら、とりあえず謝る。土下座して、「もうちょっとしたら稼げるようになるから、もうちょっと、もうちょっと」なんて言いながら、お小遣とかもらったりして。案外それを何年間も続けていくと、親もだんだん折れてくるんですよ。
だから、最初から強かったわけじゃなくて、謝ればいけるぞと、少しずつ思えるようになっていったんです。それを続けていたら、やりたいことがあるからお金にならなくてもやるぞといったふうに、開き直れるようになって、そしてそのほうが意外と楽だなと思えるようになりました。

恥ずかしながら、この私も、五十を過ぎた身で、ロクに収入がないままインド辺りを漂っている人間ですから、日本に帰国する旅費にもこと欠いて、母親に無心するような人生を送っています。

しかし、老齢の母に無心することを「悪いことだ」と思うのか、それとも、そうやってお金を送金してもらうことを「ありがたいことだ」と思えるのか、これは人生の分かれ目になるものだと思います。

ぼくは自分のことを、五十になっても独り立ちのできない「情けない」人間だ、と思うのと同時に、そんな「情けない」人間を支えてくれている母をはじめとする様々な人たちに対して、本当にありがたく思うのです。

昭和の文豪・太宰治は、結婚してからもなお、実家の長兄からの仕送りによって生計を立てていました。

太宰が「仕送り」によってようやく生計を立てていたことを「悪いことだ」としか思えなかっただろうことは想像に難くありません。

芸術というものは、得てしてそのような「困難と苦悩」の中から生まれてくるのでしょうから、それはそれで仕方のないことでしょう。

けれども、世の中には、「社会の多数派」の流れには乗れない人間というものが必ずいるわけで、そうした少数者の居場所があるほうが、社会全体としても健全なもののように思えます。

「社会的」にダメ、と言われる人間が「本当にダメ」なのかどうかを、少し考えてみたほうがいいのではないかと、思うのです。

  *  *  *

栗原さんは、そうやって実家に暮らし、好きな読書と文筆を続けることで、現在では八冊の著書を出し、ご両親との関係も落ち着き、それなりに安定した生活をしているようです。

しかしながら、収入の方は、世間的にいって十分な額があるわけではなく、

いまお金になることをやらないでいると、率直にあまえているとか、遊んでいるとか言われたり、いい歳をしてお金もかせげていないのに恋愛とかをすると、無責任なやつとか言われるのが現状だとおもいます。だからこそ、あえてわがままになりきって、おもうぞんぶん遊びたい、モテたい、楽しみたい、うまいものが食いたいって、声をあらげてみたいなと。

本日発売!『はたらかないで、たらふく食べたい』刊行記念・栗原康インタビュー 後編 | タバブックス

と大胆にもおっしゃっています。

今の日本社会は、景気が悪いと言われ続けていますが、決して社会全体が貧しいわけではありませんから、

「お金を稼がなくても、人生を楽しみたい」

という主張も当然ありうるでしょう。

また、お金を稼ぐのが当たり前だと思い込まされて、お金を稼ぐのが立派な人、そして、お金を稼いでないのは「人としておかしい」と思われてしまうところが、今の経済社会の怖いところだともおっしゃっています。

OECDの報告によると、日本におけるニート*1は170万人、推計32万人が引きこもり状態であるとも言われます。

そうした若者たちが、社会からの圧力で、「働いていない自分は人としておかしい」と思い込んでいるとしたら、これほど不幸なことはありません。

「働いていない」のはちっとも悪いことではありません。働きたいと思うような職場が少ない、日本の労働環境のほうがむしろ問題でしょう。

働かないでも食べるのに困らないのならば、無理に働く必要はないではありませんか。

そして、

たぶん、いまおなじような境遇にいる人たちって、けっこうたくさんいますよね。そのうち、一人でも二人でもいいんです。この本をつうじて、だれかがすこしでも生きやすくなってくれたら、自分ももっともっとわがままに生きてやるんだって、そうおもってもらえたらいいなとおもっています。

と、菅原さんもおっしゃる通り、必ずしもお金を稼ぐということにとらわれる必要はありません。

ここでの「わがまま」というのは、「好き勝手にすればいい」ということとは違うでしょう。

きちんと自分の欲求に忠実に生きて、自分の好きなことを自分の責任の中で行なえば、道は開けるものだよ、というメッセージだと思います。

多くの人が、社会に広い目を向けて、様々な関心を持ち、自分が思うような生き方ができるようにお祈りして、この記事はおしまいにします。

それでは、みなさん、ナマステジーっ♬

☆今回取り上げた本
政治学者・栗原康さんの著書『はたらかないで、たらふく食べたい -- 「生の負債」からの解放宣言』(2015 タバブックス)

*1:就業、就学、職業訓練のいずれもしていない15歳以上30歳未満のもの