あなたは何のために安倍政権に反対してるのですか? 「暴言」は平和のためになりません!
日本の政治状況に少しでも関心のある方なら、安倍政権が現在、どれほど戦後民主主義を破壊しているのか、もう十分にお分かりでしょう。
もはや瀕死の状態にある日本の民主主義体制を守るために、一体何が出来るのでしょうか?
「守ることなどできないのだ」というのが私の答えです。
「守れないとはどういうことだ?」という声が聞こえきます。
けれども私は守らないでいいと言っているわけではありません。
どういう意味か説明しましょう。
- 3.11がきっかけとなり、第二次安倍政権の成立によって、戦後民主主義の破壊は避けようのない既定路線となった
- 最後まで日本国憲法と戦後民主主義を守る意志が大切、しかし「暴言」はいただけない
- 私たちに平和を願う心がある限り、私たちにはいつでもチャンスがある
- 怒りの気持ちは吐き出して、落ち着いて「未来へつながる言葉」を発しよう
3.11がきっかけとなり、第二次安倍政権の成立によって、戦後民主主義の破壊は避けようのない既定路線となった
73年前に産声をあげ、否定的な空気がいつもありながらも、十分な追い風を受けてすくすくと育ったのもつかの間、やがて逆境にさらされて、長い年月を苦闘することになり、それでも73年の時を生き抜いてきた日本の戦後民主主義ですが、「ついに終わりを告げようとしている」と思われるこの命を、守れるものならば私だって守りたいのです。
けれども、人間にも寿命があるように、国家の制度にも寿命があるのではないでしょうか。
3.11の震災と原発事故があり、第2次安倍政権が成立し、安倍政権の横暴が止めようもなく続く今、全く悲しいことですが、もはや戦後民主主義を救う手立てはないと思っている識者の方々も多いのではないかと思われます。
最後まで日本国憲法と戦後民主主義を守る意志が大切、しかし「暴言」はいただけない
けれども瀕死の状況にあるからこそ、日本国憲法に基づく戦後民主主義を守るために、最後の最後まで努力を続ける必要がありますし、たとえ安倍政権を倒すことができなくても、安倍政権に反対の声を上げ続ける必要があります。
その時、私は聞きたいのです。
- あなたは 何のために安倍政権に反対しているのですか?
あなたは日本国憲法を守り、戦後民主主義を守り、世界の平和のために、日本の人々の幸せのために、安倍政権に反対している。そうではないのでしょうか?
もしあなたが、この世界の平和を本当に望んでいるのなら、政権を批判するときも、そこには愛の気持ちが必要です。相手を尊重する心がなければなりません。
マスメディアにおいても、ネット上のソーシャルメディアにおいても、安倍政権を攻撃し、あざ笑い、馬鹿にするような「暴言」が溢れています。
相手を攻撃し否定するような態度は、対立を生むだけであり、平和な社会を作る役には立ちません。
アメリカの民主党と共和党の悪口合戦が、今まで世界平和の役に立ってきたと言えるでしょうか?
日本の現状をよしとする主流派の人たちが、卑劣な手口で反対派を抑圧しようとする、その愚かな手法を私たちが真似する必要はありませんし、アメリカの姿はむしろ反面教師とするべきものでしょう。
私たちは正々堂々と、論理的な思考と落ち着いた気持ちを持って、全体主義化していく日本の現状に否を唱え続ければよいのです。
その結果、私たちの考えに賛同してくれる国民が増え、街に出て直接的な行動をするようになれば、安倍政権が倒れることだってないとは限りません。
残念ながら力及ばず、安倍政権がこのまま続いて改憲がなされ、憲法に緊急事態条項が盛り込まれるようなことになったとしても、それはそれで受け入れざるをえないのです。
しかしこれは決して敗北主義ではありません。
ただ冷静に未来を予測しているだけのことです。
73年前に戦争があのような形でしか終わりを迎えることができなかったことを考えれば、今の安倍政権がどれほど無茶なことをやっていようと、おそらく日本の社会にはそれを自浄的に止める力はないのだと思えるのです。
私たちに平和を願う心がある限り、私たちにはいつでもチャンスがある
今ここで憲法改悪を止めなければ、日本に明日はない。これが「最後のチャンス」だ。
そういう言い方は勇ましくはありますが、真実を伝えるというよりはただ人の尻を叩こうとするだけの、空騒ぎのアジテーションに感じられます。
アメリカの意向で日本に育ち始めた戦後民主主義が、これまたアメリカの勝手な都合で歪められ、ねじくれて、ついに末期的状況を迎えたのが現在の日本だとすれば、その過程でいったい何度の「最後のチャンス」があったのでしょうか。
反体制派が「最後のチャンス」と叫べば叫ぶほどに、その「最後のチャンス」のとき、破れれば破れるほどに、多くの人たちは民主的な考え方に絶望し、長いものに巻かれるしかないのだと落胆し、多数派に帰依せざるを得なかったのではないでしょうか。
今、安倍政権の目指す憲法改悪に反対することは、日本の戦後民主主義を守るための「最後のチャンス」などではありません。
仮にここで憲法が改悪されたとしても、本当の民主社会が実現する日を願う人々の心は、決して打ち負かされることなく、たとえ一旦は人の目に触れづらくなったとしても、未来永劫続いていきます。
私たちに平和を願う心がある限り、私たちにはいつでもチャンスがあるのです。
怒りの気持ちは吐き出して、落ち着いて「未来へつながる言葉」を発しよう
急速に雪崩を打って崩れ落ちてゆく日本の政治状況を見るときに、
- 「いったいこれはどうなってるんだ、どうにかする方法はないのか」
と絶望的な気持ちになり、口汚く罵りたくなるのも分かります。
その気持ちを押し殺す必要はありません。きちんとわかってくれる人の間で そうした気持ちも共有し、心のもつれを解いていくことも大切です。
ただ、そうした気持ちを吐き出すのは、安全な分かり合える人同士の間でのことにしたほうがよいでしょう。
そして、一旦公の場で言葉を発する場合には、それがネット上の気安く言葉を投げられる場であったとしても、どうか、感情的になって怒りの言葉を発する前に、少しの時間をおいて、大きく息を吸って、そして吐いて、心を落ち着けたあとで、冷静に論理的な言葉で、あなたの気持ちを語ってほしいのです。
「安倍のバ○野郎!」というのではなく、せめて「安倍首相のこのやり方には呆れ返る」といったくらいの落ち着いた言葉で語ってほしいのです。
あるいはあなたがユーモアのある方なら、あざ笑いをぶつけるのではなく、みんなが心から笑える、素敵なジョークで批判してみてほしいのです。
対立を煽る言葉ではなく「未来につながる言葉」をお願いしたいのです。
一人でも多くの皆さんが、こうしたことを胸に留めて「未来につながる言葉」を発するようになれば、日本の民主主義がそう遠くはない将来に息を吹き返す可能性も高まるというものではありませんか。
ネット上で、憲法と平和を守るために発言してらっしゃるみなさんのうちに、この文章を見て、もし不愉快に思われる方がいらっしゃったら、あらかじめ謝らせていただきます。
けれども、ぼくが言いたいのは
- 「ネット上で暴言を吐くな」ということではない
ということだけは確認させてください。
「強い言葉」を使いたいときにそれを使うことは、言論の自由によってみなさんに保障される権利です。
ただ、その自由を行使される前に、そのとき「強い言葉」を使うことが本当に必要なのかどうかを、どうかご一考していただきたい、ということなのです。
最後まで長文におつき合いいただき、ありがとうございました。
日本と、そして世界の平和のために、今日も一日を楽しく生きることにしましょう。
それでは、またお会いできる日まで、さようなら。