はてな村の皆さん、おはようさん。

はてな匿名ダイアリーの記事
働かざる者はどのくらい食えるべきなの?
を題材に、頑張らない人生の話を書きます。

ぼくの考えは「頑張らなくても生活保護水準で食えるのは当然」です。
そして、頑張りすぎてるみなさんに、「もう頑張るのはやめたら?」という提案です。

なお、匿名ダイアリーについては、こちらで説明してますので、ご存じない方はどうぞ。
ニートの夢、ブッダの夢 - *魂の次元*

すなお君の問題提起 - 頑張らない人のほうが、頑張ってる人より食えてたらヘン

件の匿名ダイアリーの記事を書いた方を、ここではすなお君と呼ぶことにします。

「アリとキリギリス」の寓話を素直に受け止めて、

頑張らないと生きていけないってのが共通認識だと思っていた。

とおっしゃっているからです。

すなお君は、「頑張れない」人が生きていけない社会には疑問を感じながらも、

「頑張らない人が頑張ってる人以上に食えるとしたらなんかすごい変。努力が報われるところにやりがいがある、それが自然だと感じる。

ということを問題提起した上で、

「じゃあ、頑張らない人には、どのくらいの水準が保障されるべきなのか?」

と問いかけています。

「引き篭もってネトゲ三昧」は許される水準?

すなお君は、「生活保護水準」が保障されるのは当然で、その先の具体的な話がしたかった、と書いており、
はてなブックマーク - 働かざる者はどのくらい食えるべきなの?
では『「引き篭もってネトゲ三昧」くらいは許されるべき』というコメントがあり、この意見には星が45ついていて、賛同者がたくさんいます。

これはこれで、まったく結構なことなのですが、どなたかのブックマークコメントにもあったように、保障された収入の中で何をするかは、まったく「個人の自由」ですから、具体的にどういう内容が保障されるかについては「議論して合意を得る」というような性質のものではないと考えます。

収入を節約して貯めたお金で、「飲み屋で豪遊」しようが、「海外旅行」をしようが、それは本人の自由のはずです。

生活保護だから、「車を持ってはいけない」とか「決められた家賃以上の物件に住んではいけない」というような現状での運用に、むしろ疑問を感じます。

頑張ってる人が報われない社会

すなお君が提起している問題のうち、

「頑張って働いている人のほうが、働かないで生活保護を受けている人よりも収入が少ない場合がある」

というところが、重要なポイントに思えます。

しかし、すなお君の話の進め方では、

「だから生活保護の人間はつましく生きろ」

とかいうほうに流れがいってしまいがちです。

すなお君自身は、ほんとに素直な方なので、そういうつもりはないようですが、「素直」であるということは「社会の流れ」に流されているということであり、それはある意味、

『「統治者」に都合のよい考えに慣らされている』

ということでもあります。

ですから、ここではむしろ

「頑張っている人も頑張らない人も報われる社会」

を構想したほうがいいじゃないか、と思うのです。

富裕層を敵視しても、頑張ってる人が報われる世界は訪れない

資本主義的な「弱肉強食」の社会に対して、社会主義的な「平等」な社会というのは、アンチテーゼとしては当然ありうるのですが、戦後72年間の日本と世界の情勢を振り返ってみると、「富裕層」を「敵視」するような形での「共産主義思想」はすでに破産しているように思われます。

富裕層からきちんと税金を取り、国民全体の福祉を充実することで、社会全体の安定をはかる社会民主主義的な施策は、今後の日本にも当然必要ですが、そうした施策が「富裕層」に対する「敵視」から生まれてくるとは思えません。

国民一人ひとりが「長いものには巻かれろ」で、「お上には楯突かない」生き方をしているのですから、いくら「お上」を「批判」しても、鬱憤は晴れるでしょうが、現実に対して大きな影響力を持ち得ないことは、近頃の安倍政権のあり方とそれに対する批判を見ていれば明らかではないでしょうか。

「長いものには巻かれろ」の社会で一人ひとりにできること

ブックマークにつけられたこのコメント

フランスで売れ残り食品をフードバンクに提供させる法律ができたらしいけど、日本でまだ食べられるのに捨てられる食品ロス(コンビニ廃棄とか賞「味」期限切れとか)は年間632万トンでニート3500万人は養える計算です

http://b.hatena.ne.jp/entry/339683827/comment/mcgomez

には、83の星がついています。

この計算の妥当性はぼくには分かりませんが、現代の高度消費社会というものが、さまざまな「無駄」の上になりたっており、その「無駄」を減らすことで、いろいろな問題を解決できる可能性があるのは確かでしょう。

しかし、日本の現状の政治・経済体制の中で、フランスと同じ施策が行なわれうるかというと、そこはまた難しいところでしょう。

難しくても、その実現のために努力していくことは当然ですが、それが実現されないからといって、ただ政府を責めているだけでも仕方がありません。

そのとき、ぼくらにやるべきなのは、「長いものには巻かれろ」の社会の中で、けれども自分は「長いものには巻かれずに生きていく」ということのように思うのです。

あなたは「横並びゲーム」から降りられますか

こんなことを書いているぼく自身は何者かというと、五十を過ぎて定職にもつかず、インドあたりをふらふらしているだけの、「生産活動ゲーム」にはほとんど何も貢献していない「穀潰し」人間です。

アルコール依存と軽いうつがあるものの、今は医療の世話にはなっていないので、「働かない」のか「働けない」のか、自分でもよく分かりませんが、行政の世話にもならずになんとかかんとか生活保護水準並み(以下?)の人生を送っています。

ぼくがこのような「呑気」な暮らしをしていられるのは、日本という小さな島国で、たくさんのみなさんが一所懸命はたらいて、「円」という通貨に信用を与えてくださっているからだと分かっていますので、「劣悪」な労働環境の中、毎日「頑張って」働いている方々には、頭が上がりませんし、足を向けては眠れません。

本当にみなさんには感謝の言葉もありません。

だからといって、ぼくには、みなさんがなさっている「生産活動ゲーム」に加わる気は、とりあえず今のところないのです。

まじめに働いている人の中には、「性根の腐った非国民」くらいに思う方もいるかもしれませんが、思いたい方には思っていただければいいだけであって、ぼくにはそういう人たちがやっている「長いものには巻かれろゲーム」に加わる気もまったくないのです。

70年以上前、「非国民」にならないために、「特攻隊」として死んでいった若者がいました。

今、「劣悪」な労働環境の中、病気や自殺で過労死していく方や、うまく働けないのは自分のせいだと思い、心身ともに壊れていく方は、「まっとうな国民」であることを優先しすぎて、「健康で文化的」な水準の生活をあきらめざるを得なかった方なのだと思います。

自分がそうした「負け組」にならないために、どうにか要領よく「横並びゲーム」を続けようとするのが、日本的なメンタリティーなのかとも思いますが、今のまま「長いものに巻かれて横並びをし続ける」その先には、なんだか恐ろしい社会が待っているように思えてならないのです。

心ある人は、少なくとも気持ちの上で、このレミング的「横並びゲーム」をやめるべき潮時なのではないでしょうか。

今日から頑張らない - 長いものに巻かれずに生きていくということ

周りのみんなも厳しい状況の中で働いているとき、自分だけが「楽」をするわけにはいかないかもしれません。

けれども、「意識」の上で「長いものに巻かれる」のをやめ、頑張らない生き方を実践することは、今すぐに始められることです。

今の状況の中で、「頑張らなきゃダメだ」と思うのを、一旦やめること。

ここからすべてが始まります。

自分が「頑張らなくていい」と思えれば、人に「頑張る」ことを強要することもなくなります。

お互いに「頑張ること」を強制し合っていたら、「頑張ることが報われる」社会はやってこないでしょう。

お互いに「頑張り」を「強要」しないような関係が作れれば、今の状況の中で、「頑張らない」やり方がないか、周りの人と協力して考えることもできるはずです。

そうやって、互いの気持ちを通じ合うことができれば、「頑張る」の意味も変わってきて、「頑張ることが報われる社会」に一歩近づくことができるはずです。

もちろん「状況」が厳しすぎる場合は、その「状況」から逃げ出してもかまいません。

長いものに巻かれずに、「横並びゲーム」をやめて、きちんと自分の選択をする。

そうした行動の先に、遥か遠くかもしれませんが、「頑張ることが報われる」社会があるのではないかと思うのです。

以上、まとまりが悪いですが、今日は勢いで書きました。

長い文章を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

それでは、みなさん、ナマステジーっ♪