はてな村のみなさん、アロハ・オエーっ。

と、いっても、別にハワイでフラダンスのレッスンをしているわけではなくって、ネパールの山の上の気持ちのよい田舎街から、ほこりっぽい首都カトマンズに戻り、明太子の研究を続けているとし兵衛でございます。

と続き、大きにご好評に預かり、ご愛顧いただいております「奥さまは明太子だったのです」シリーズですが、前回予告いたしました「蝶巨大めんたいこの逆襲」は、前人未到の大作とするべく、現在鋭意構想を練っているところでありますので、今日は明太子の起源を巡る小冒険に出かけたいと思います。

「蝶巨大めんたいこはどうしたっ」と機嫌を悪くすることなく、賞味期限切れになる前に、できたてほやほやの「めんたいこ起源めぐりの旅」をお楽しみください。

それでは、みなの衆、レッツ・ラ・ゴーっ!!

1. まず、東京あたりでは明太子と言えば、たらこの唐辛子漬けである「辛子明太子」を意味します。

そうして、明太(めんたい)は韓国・朝鮮語スケトウダラを意味するミョンデからきたものですから、明太子は朝鮮・韓国語と日本語の重箱語と考えられます。
(半島では「明太子」ではなく「明卵・ミョンナン」というようです)

ただし、明太という言い方は中国でもするので、ひょっとして中国系のどこかの民族の言葉かも、と思わないでもないのですが、一応ここでは韓国・朝鮮語起源らしい、ということにしておきます。

なお、ロシア語でもスケトウダラのことを「ミンタイ」と言うそうで、これも朝鮮・韓国語起源の言葉と考えられています。

以上のように、明太子は「スケトウダラの子」の意味ですから、もともとはタラコと一緒ですよね。

「明太子=タラコ」というのは、五十を過ぎた東京原住民のぼくには、割と当たり前のことですが、「フラット化した」現代の日本を生きる最近の若い人たちには、必ずしも当たり前ではないのかもしれません。

この周辺の話題として、「辛子、唐辛子、胡椒」問題もとても興味深いのですが、それはまたいずれの話としまして。

2. 次に、辛子明太子の起源はどこか、という問題の核心にいきなり迫ってしまいましょう。

ぼくは今日調べるまでは、辛子明太は、「韓国のキムチと日本のタラコが出会ってできあがった、日本発のフュージョン料理」なのではないか、と勝手に想像していました。

ところが、これは間違いで、朝鮮・韓半島の食材である明卵漬(ミョンナンジョッ)が起源で、これを
「『ふくや』創業者の川原俊夫氏が日本風にアレンジし、辛子明太子の名前をつけた」
ということで間違いなさそうです。

ちなみに半島では現在、明卵漬はほとんど作られておらず、韓国でも辛明太子が日本のものだと思っている方も多いようです。

3. さいごに取ってつけたような、おまけの話となりますが、韓・中・露と日本の関係について少しだけ。

といってもロシアはちょっと遠い国ですので、「アイヌの人たちがもともと住んでいた場所を、ロシアと日本で取り合いをするもの、なんだよなー」くらいの感想にとどめまして、韓・中と日本の間の、兄弟げんかというか、親族争いの話をごく簡単に。

まず、韓国・朝鮮と日本は、兄弟といってもいいくらいもともとの文化は親しい存在であり、日本は弟分といっていいと思います。

なお、ネット上には、この見解を認めない方も多いかと思いますが、そうした方々と論争する気はさらさらなく、ただぼくはそのように思っている、というだけのことです。

どちらが兄で、どちらが弟であるにせよ、兄弟げんかもたいがいにしたほうがいい、というのがぼくの考えで、まあ、実際の兄弟でありましても、結婚して「家」の外の人間の思惑が絡んでくると、「生ぐさい」相続争いなどが兄弟間で起こるのが現実のようですから、国家同士の間で勢力争いが起こるのも、いた仕方のないことなのでしょうけれども。

また、中国との関係について言えば、辺境の国「日本」からすれば、長らく進んだ文化を輸入させてもらっていた国なのですから、やはり敬意をもって友好な関係を持ちたい「大国」であると思います。

もちろん、明治に入って急速な工業化に成功した日本の文化は、大いに評価すべきものと思いますし、十五年戦争について言えば、日本の植民地拡大戦争としては、今以上にしっかり反省する必要を感じますが、欧米列強の植民地であったアジア各国の独立運動に強い息吹を吹き込み、日本敗戦後にアジア諸国が独立するきっかけを作ったことを考えれば、単純に否定するのではなく、肯定できる部分はきちんと肯定する必要を感じるところです。

昨今のメディアでの扱いなどを見ますと、ロシアとの関係も含めて、韓国・朝鮮や、中国に対する悪いイメージを振りまき、「関係性」をわざと悪くすることで、権力を拡大したり、経済的な利益を得ようというような思惑が、どうにも強まってきているのではないかと思われます。

もちろん、各人各様に、それぞれの立場でのご意見はありましょうが、極東における無用の衝突により、無益に人命が損なわれるような事態に落ちいることのないよう、お釈迦さまの生まれた国ネパールより、心より祈る次第であります。

てなことで、やや、よれよれな文章になっておりますが、とにもかくにも、今日も最後までおつき合いいただきまして、誠にありがとさんでござんした。

ほいでは、みなさん、ナマステジーっ。