こちらの記事
ムスリムの子は給食をどう食べているのか - お母さんが超大変 - めんどくさいとやらないブログ…だった
に、「ムスリム(イスラム教の信者)の方が学校給食に合わせること」の苦労話が紹介されています。

理想は、給食がハラル(ムスリムの方が食べられる食事)に対応することだと思いますが、現実にはいろいろと難しいのでしょうね。

それにしても、この件について、ネット上で見受けられる意見には、信教の自由についての理解がないものも多く、その「排外的」な口調には「不穏」な空気も感じてしまいます。
上記の記事のブックマークコメントで、id:maruXさんが「日本は宗教に寛容じゃなくて宗教に無神経って言ってた人がいた」と書いていますが、この言葉には深くうなづきました。

日本のように集団主義が社会全体を覆っているような国では、「給食を食べない」ということ自体が「排除」や「差別」の原因になりかねませんから、ムスリムの方に対して、「給食は食べず、給食費を払わなければいい」というのは、十分な答えとは言いがたいでしょう。

また、「アレルギー対応は命にも関わる健康上の問題であり、信教の問題とは比べられない」という意見もありますが、信教の自由も憲法で保障されている以上、学校給食についても、健康上による個別対応だけでなく、ハラル食についても個別の対応を考えることは、当然必要なことと思います。今すぐには無理だとしても。

「親の妄信のせいで子どもが食事を取れないのは子どもに対する虐待である」という意見も、個人のご意見としては尊重しますが、信教の自由も、宗教の価値もご存じないままに、文化の多様性をばっさり切り捨てるそのきっぱりとした態度には、安倍政権に象徴される日本の「総天然色全体主義」がくっきり現れすぎていて、悲しさとおかしさと怒りがないまぜになった、奇妙な感情が沸き上がってまいります。

なお、id:isshokuさんの、『クルアーンには「無理ならしゃーない」(意訳)って書いてあると聞いた』という件についてですが、ハラルのみを食べるということは、別に無理なことではありませんから、経験なムスリムの方がわざわざハラル以外の食事をすることを避けるのは当然でしょう。

たとえば、料理に大麻草を使う地域もありますが、知らずにそういう料理を食べさせられて、大麻に酔ってしまったら、多くの日本の方は不快に思うのではないでしょうか。

そうした地域で、日本の方が大麻草の入った料理を食べないように気をつけるのは、ごく自然なことではないでしょうか。

異文化を考えるときには、相手の立場に立たされた自分を、よく考えてみることが必要ではないかと思います。

てなことで、日本に比べると、圧倒的に文化が多様なインドより、那賀乃とし兵衛がお送りしました。

それでは、またーー。