いかにして失敗を書くか
みなさん、おはようさんです。
今日はわっとさんのネタを拝借して、ちょいと書きます。
『おんな城主直虎』の「托鉢は、施す方も受ける方も、見返りを期待してするものではない」という台詞をもう一度もじって、「読者登録はする方もされる方も見返りを期待してするものではない」あるいは「ブログは見返りを期待して継続するものではない(ブログをやっていること自体を楽しめない人はブログに向いていない)」と偉そうなことを言って、締めにしたいと思います。
いやー、しみる言葉ですよね、初期仏教より伝わるヴィパッサナ瞑想を実践しているものとしては、ほんとに。
いやいや、本当はそうじゃなくて、日頃みかえりを期待しては、読者登録をしたりしなかったりしているものとしては(笑)。
ぼくの人生は不純度99%です。
残りの1%でなんとか人間性を保ち、今まで生き延びてきました。
まぁ、しかし、それはそれとして、今回の本題はわっとさんの言う「ブログには失敗こそ書くべきだ」という話です。
ぼくは今までに、「ぷち」とか「ナノ」とかいって、「バズ」の話を小さな成功のように書いていますけれども、まー、こんなのは「成功」にはふつう入らないですよね。自慢できるようなものじゃあない。
☆ぼくのぷちバズ報告と、インドのバス旅の愉しみ - *魂の次元*
☆はてな村まであと何歩。あるいは、ナノ・バズしたの、ほんとなの - *魂の次元*
気持ちとしては淡々と事実を書いているつもりなんですが、どちらかというと恥をさらしているようなもので、こんなのも考えようによっては「失敗」のうちかなー、と思ったんです。
「成功」ではないもの、それは「失敗」である、というわけで。
そんな失敗話のついでで書きますと、ぼくは何か一つのことをきちんと続けてやるというのが苦手なんですよね。
☆アマゾン・アフィリエイト、note.mu 、そしてアドセンスまで - ぼくのネット上小遣い稼ぎの黒歴史 - *魂の次元*
こちらにも書きましたが、あちこちのサービスをつまみ食いして、どれもロクな結果が得られていないという体たらくです。
とはいえ、一つのことを継続してはできなくても、「なんとなくこの辺のこと」は続けてやってるらしいのが、ぼくの人生で、ヴィパッサナ瞑想も、途切れ途切れに六年ほどやってきて、ようやく最近、形がついてきたような次第で、ネット遊び自体は嫌いじゃないし、こっちももうしばらく適当に遊んでたら、なんかしら目鼻がついてくるのかなーー、などと思って、こんな記事を書いてます。
ある意味で、「失敗」を続けることが成功につながるかも、みたいな。
もちろん、わっとさんのような先輩が、着実に書いて、しっかり読者がついてるのを見ると、ぼくもがんばらんとなぁ、などと、うっかり思ったりもするのですが、いえいえ、それはぼくにはできない相談なんです。
わっとさんのおっしゃる通り、見返りを期待しないのが大切で、自分の気持ちのおもむくまま、自分のペースにしたがって、ただ淡々と記事を書いていく、それしかやりようはないのであります。
てなことで、今日のところはおしまい。
それではみなさん、またーー。
☆別サイトで「あーす・じぷしー」というおもろい双子の姉妹の本の紹介を書いてます。こちらもよろしければ、どうぞ。
魂の次元: あーす・じぷしーの物語 - 「思い込み」から自由になるって、どーゆーこと?