なんでも東の最果ての国で、大きな人気投票があったらしい。

その国では人気投票で祭りごとを決めるもので、その結果を見ては、一喜一憂する人がいるのだそうだ。

それでぼくは思うんだが、人気投票をする権利があることを、祭りごとの決定権があるのだと「想定」するというのは、はたしてどんな「理性」のなせるわざなんだろうね。

祭りごとの現状に鑑み、少しはまともに思える人物に、わざわざ自分の時間を使ってまで人気投票するというのに、その一票が虚空に消える経験しかしたことがない人間が、自分には祭りごとの決定権などないのだと「勘違い」するとき、そのことを誰がどんな理由で否定できるというんだろうね。

西の最果ての国でも似たような話があるらしいじゃないか。

ねぇ、みなさん。みなさなは、こんな人気投票なんて茶番にすぎないと、ほんとは気づいてるのに、これに代わる気の利いた方法が思いつかないもんだから、わらしべにすがるつもりで、こいつにしがみついてるのかね。

それとも、このうんざり感たっぷりの状況の中で、悪い夢を見続けるのが、スリリングで一番いいってわけなのかい?

それなら別に、何も言うことはないさ。

ただ、もしも。

もしも、もう少しいい夢を見たい、という気持ちが、少しでもきみに残っているのなら、どうか、深呼吸をして考えて欲しいんだ。

人の命を食らってまで、楽に生きようとするのは、後ろめたいことじゃないかってことをさ。

http://meratade.blogspot.com/2016/07/2016.htmlに「三宅洋平」氏の「惨敗」について書きました]