ぼくらはうたかた
泡々(うたかた)のように浮かんでは消えてゆくぼくの思考。
それをとりあえず紙に記(しる)してみる。
自分がなくなってしまいそうで恐いから、そんなことを
しているのかもしれない。
とすればその逆手を取って、「自分」を消すためにここからは
書くのだ。
つまらない「我(が)」を捨て、他人(ひと)に認めてほしいとか
分ってほしいとかいう思いを捨て、この世界にたいする執着(とらわれ)
の心を捨てるために。
そしてどうもぱっとしない毎日をやりすごすためについつい酒に
頼ってしまう自分の弱さと向き合うために。
この世界の仕組みというものはどうやら実は単純で、
「自分」にとらわれることなく「自分」を保つことさえできれば、
万華鏡のような幻の浮き世を十分楽しむことができるらしい。
そう、この世に現れる地獄にも天国にも分け隔てなく接することさえ
できれば。
もちろん、それさえできればという、その「それ」が、実際に
そのように生きようとするならば、とんでもなく大変なことに
なるわけなのだけれども。
そしてそのように生きれるかどうかに関らず、ぼくの命もあなたの命も、
浮かんでは消えてゆくうたかたに過ぎず、その意味ではこの地球も
あの太陽も、そしてこの銀河も、ひいてはこの宇宙全体も、つまりは
同じうたかたに過ぎない。
そうしたことを心の奥底から認めることも生半可なことではなく、
またそれを認めながらなおかつ悲観的にならず力強く生きるとなれば、
これはまたかなりの力業(ちからわざ)に違いないので、とりあえず
今はそこまでの高望みはせず、それやらこれやらを忘れ去って
しまわないように、たまには思い出せるように、ここに書き留めて
おくことでとにかくよしとしよう。
[追記]
人は単純な論理にしたがって行動する存在ではない。
命のもつ論理は簡単に図式化できるものではない。