三月六日は神田司町で DAYA さん、幹夫さん、二子さんのワークに参加した。
対談と銘打ってはあったけど、グループワークのつもりで参加して、実際そういう感じだった。


会場になかなか辿りつかなくて、午前の部は最後のほうでちょろっと顔を出した程度。
だから、みきおさんと二子さんの日米関係についての話は聞けなかった。
そこで東京空襲の話とか少ししたかったはずなんだけど。


午後は DAYA さんと幹夫さんのジェンダーにまつわる話。
ぼちぼちとお互いに探り合うようなところから始まった話がいつの間にか
DAYA さんの、帰国子女として、セクシャルマイノリティとしての、トラウマ的
アイデンティティ危機の一人語りになっていき、そのトーンの高さが苦しかったので、
ぼくは彼女の話を遮った。


話を遮られて彼女は強い反応を示した。このように自分の発言は否定されるのだと。
それを聞いて、ぼくの中に吐き気が起こった。
「原爆」を投下してしまったような気分だった。
所詮ぼくは「抑圧」者の立場でしかないなのかもしれないと思った。


今冷静に振り返れば「抑圧」という概念を通してみる限り、誰かが「抑圧」して、
誰かが「抑圧」される。
それだけのことだ。


「抑圧」とは関係なく、人の気持ちを受け止めきれないことがある。人間である以上
仕方がない。
仕方がないが、後味の悪さを感じる。後味の悪さを感じるのも人間ゆえ。


不完全ではあるにしても、あのとき感じたことを、あの場の参加者で共有できたのだから、
それでよかったのだ。


人が生きていく以上、わだかまりが生まれる。生まれたわだかまりをなんらかの方法で
成仏させてやる。
鎮魂の儀式、霊鎮めの方法がぼくらには必要だ。
プロセスワークもその一つの手段として役に立つだろう。


六十五年前の今頃、東京大空襲が完了し、下町は火の海の地獄図絵。
そうしたことについて語る言葉はない。


合掌。