世界で初めて軍事目標に限定しない無差別爆撃を行なったのは、日中戦争における日本軍の
重慶爆撃だったとする説がある。


そのあたりのことを検索していて防衛省OB太田述正氏の記事が目に入ったのだが、
氏の記事によると(もっぱら wikipedia からの引用だが)、重慶爆撃が史上初の無差別爆撃とは
必ずしも言えないらしい。


ぼくも、事実がどうであったかということを検証することにはそれなりに意味があることだと
思うのだけど、「あれが最初だった」「いや、その前にこれもあった」「あれは無差別じゃない」
「途中から無差別になった」などなどの水かけ的議論をすることにはどうも不毛なものを感じる。


所詮われわれは、一つの真実というものにはたどり着けないのであって、「あちらの見方」も
「こちらの見方」もそれぞれにそれなりに正しいのだ。


だから、むしろ必要なのは、「わたしはこう考えますが、あなたはそう考えるのですね」という
ことであり、「わたしは苦しかったし、あなたも苦しかったのですね」という相互理解なのだと
思う。


ぼくの皮肉屋の友だちは「相互の理解は共通の誤解」と言ったが、そう、お互いに理解するなど
簡単にできることではない。
簡単ではないけれど、いや、簡単ではないからこそ、自分の気持ちを見つめることから出発して、
そこに至る道を探していくことが、たぶんぼくの人生なのかな、などと思ったりするのです。